2014年12月29日月曜日

鳩のキャンバス・トート


ウサギに飽きて来たので、鳩を描き始めました。

このキャンバス・トート、私はかなり気に入っています。

背面と前面の絵が微妙に噛み合ないのは、時の流れを現しているからです、と相変わらずうそぶく私。。。。。。。




来年1月4日、西荻窪のニヒル牛2での新春初売りバーゲンにて販売致します。

ちなみにウサギのトートはこちらです。












2014年12月24日水曜日

エシレに並ぶ

エシレの袋とクリスマス・ツリーの記念撮影

スリリングな体験だった。

友達のあるくんがエシレのバターケーキ"ガトー・エシレ・ナチュール”を食べてみたいと言い出した時から、友人達との間でいつしかエシレ・ケーキの会をやろうという話が盛り上がり、それが本日、12月23日天皇誕生日の休日、クリスマス・イブの前日のホリデーとなったのだ。

わざわざそんな日を選ばねばならない程の、多忙なメンバーではない、と思う。

ただでさえ一日15台しか販売しないケーキ、開店直後に即座に売り切れると兼ねてから噂の入手困難なケーキを、なんでクリスマス・イブの前日の休日なんていう特別な日に食べようということになったのか、どうにも気がふれているとしか思えない決断なのだが、とにかくそうなったのだ。

購入役はわたくしである。

なんでかって言うと、エシレのあるブリック・スクエアは私のシマなのであり、今回集る誰よりも私には地の利があり、うちからもすぐに着くからだ。
私は別にエシレが無くても、ブリック・スクエアを含める丸の内界隈が好きでよく寄るので、ケーキの為に並ぶという生まれて初めての試みでさえ、なんとなく当日の様子が透けて見えるような気がするくらい、大変馴染みの場所なのである。

エシレが開店した当時は、確かにガトー・エシレは人気があったようだが、今はそんなでもないでしょ、と私は思っていた。
現に平日の午後とかに寄ってもまだ売ってる時もあるしね。

いくら12月23日の休日ではあっても、みんなクリスマスにはもっとクリスマスらしいケーキを選ぶんじゃない?年中売ってるガトー・エシレには、そんなに集らないんじゃない?と。

10時開店のこの店に、大体30分くらい前に着く様に計算して、それでもやや早めに家を出た。

するとホームに、何故か臨時列車が入って来た。
乗ろうと思っていた電車の15分程前に出るやつで、時刻表には載っていないまさに臨時の電車だった。

それに乗るとエシレに9時頃着いてしまい、1時間も立っていなければならないことになる。
天気がいいとは言え冬の寒いさなかに1時間も立ってなきゃならんのはイヤだし、他に誰もいなかったらと思うとなんとなく恥ずかしい。

だけど折角いいタイミングで入って来た電車である。
私はまずそれに乗って9時にエシレに行き、誰もいなかったら30分くらい近くのスタバでまったり休んで、それからまたエシレに行こうと思ったわけ。

9時ちょっと過ぎに東京駅到着。
ここまで来た時点で、脚が勝手にずんずんエシレへと向かう。
もしこのまま並ばねばならないとしたら、先にスタバで何か飲み物でもげとした方がいいんじゃないのかな、と思ったのに、脚が勝手にずんずんエシレに向かうので、歯向かわずにそれに任せた。

地下のエスカレーターを昇ると、いつもの素敵なブリック・スクエアの景色が広がる。
ここはロンドンの町中にある小さなオアシスみたいな公園で、大人っぽい庭デザインがいつも素敵だと思うのだ。
広場の真ん中には”不思議の国のアリス”をテーマにしたクリスマス・ツリー。

女性がひとり、そのツリーの写真を撮っていたので私も、と思ったのだが、何故か脚が止まらないので、歩きながらのこんな写真になってしまう。。ぶれてますがな。




そしていよいよ公園を横切ってエシレを目指すと、すぐにツリーの向こうにお店が。


この時点で私は、全てをあきらめました。。。。。。。。。。。


だって、既に店の前には黒山の人だかりが。。。。。。。。。。。。

甘かった。。

わ、私は人を、世間というものを、まるでわかっていないのでわ。
心理学をアメリカで、7年も学んだのにかよ!?


世間の人というものは、クリスマス・イブの前日のホリデイに、朝早くエシレに並んでガトー・エシレを買うものなんだよ!
あーーーーーーーーーーーーーー。。。。。。。。


店に着いてから、ざっと並んでいる人の数を数える。
既に20人はいるじゃない。
ガトー・エシレは一日15台限定。
既に負け犬決定である。

どうしよう、と思ったが、私はとりあえず並ぶ事にした。
その時点で9時15分。
ツリーの写真を撮っていた女性も現れ、私の数人後ろに並んだ。

まさかこの、ツリーの写真を立ち止まって撮ったかどうかで勝敗が分かれるとは、この時には思いもよりませんでした。
そして恐ろしいことに。

10分も経たないうちに、私の後ろには長蛇の列が.......................
ブリック・スクエアの敷地を超えて通りの向こうへと、建物に沿ってずうっと列は伸び、最後尾はもう見えないくらいに。もう大体40人か、もっといる。

こ、この人たちは。
何故並んでいるのか。。。

ガトー・エシレは15台しか無い、と色んなサイトで高らかに謳われているのだから、もう絶対に、どう転んでも買えないのは明らかなのになんで並んでいるんだよ、と思いつつ、同じ穴のムジナの私だって何故か並んでいるのだから人のことは言えない。

しかし私が並ぶのには理由があった。

私の前に並ぶ人数が15人を超えていたのは明らかなのだが、その内の数人は、友人同士やカップルで来ているグループなのだ。
そのグループが、もしもグループで一個、つまりひとりが一個ずつ買わなければ、もしかしたらギリギリで私にもチャンスがあるのかも。
そんな蜘蛛の糸のような確率に、私は賭けてみることにしたのである。

幸い私が並んでいる位置からはガラス張りの店内がよく見えて、オーブンからどんどん出て来る焼き菓子が陳列棚に並ぶ様子や、お店の人たちがてきぱき働く様子が見てて気持ち良くて、全く退屈しない。

北風の通うビルの谷間ではあったけれど、いつもは忌々しいと思うくらい分厚いコートを着ていたおかげで、寒さも全く感じない。

時間は思っていたより早く流れ、開店時間の10時はすぐに訪れた。


それにしてもアレですよ。

私はてっきり、ある程度の時間になったらお店から、ここまでの人しかガトー・エシレは買えないよ的お知らせがあると思っていたのだが、そういうことは全く無く、速やかにお店の扉は開いた。大体6人ずつくらいしかお店に入れてくれないので、それでもまだ待たねばならなかった。

友人同士で来ていた人たちが、ひとり一箱ずつガトー・エシレを買っているのを見て、さすがの私も覚悟を決めた。
代替品を考えた時、もうこの際だからいちまんえんのブッシュ・ド・ノエルでもいっか、とも考えた。
だって一時間も並んだんだぜ涙。

三回目に扉が開いた時に、私を含む一塊がやっとお店に入れた。

クロワッサンや焼き菓子のいい匂いの中で、お店の人がひとりひとりから注文をとってくれる。

この段階での緊張は、はっきり言ってピークだったね。
この時の気持ちは、どんな言葉でも言い表せないね。


並んでいる間は、とにかくこんなに大変なのはひとえに日付のせいだけで、平日のなんでもない時なら、こんなに大変なわけはなく、今日はダメでも後日仕切り直せばいいやん、なんて思って結構気楽だった。

しかしいざ、一時間並んだ後に、しかも後ろに並ぶ長蛇の列を見てしまった後に、いよいよ注文をとってもらえる、という瞬間が来た時、私の心は瞬時に、ここで買えないとわかったら、私結構凹むよ、と強く感じたのである。

結構どころか、立ち直れないくらい凹むかも。

なんだか、体がフルフルと震えるのを感じる。
こ、怖い。
逃げたい。
買えない、という現実に直面するくらいなら、全てを投げ出してこの場から立ち去った方がずうっとマシ。

そんな衝動に襲われながら、遂に私の番が訪れ、私は、私は遂に店員さんに、震える声で聞いてみた。


が 、ガトー・エシレは、まだありますか?

はい♩


なにをーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっっっっっっっ!!!!???

あ、あ、あ、あるのっっ!?

が、ガトー・エシレがまだ!?

ガトー・エツレとかいうバッタもんじゃなくっっっ!???


渡された番号札は17番。

あれ?

これ、番号的にはアウトなんですけど。

見ると、私のうしろ、20番目までの人にはガトー・エシレの番号札を配り、それからあの地獄のアナウンス、ガトー・エシレは売り切れですー!が聞こえてきたのだ。


これは。

恐らく。

なんらかの理由で、今日は20台売ってくれるのだろう。

よくわからないままレジに進んで番号札を見せると、ガトー・エシレ一台ですね、とにこやかに言われて会計が行われる。

やった。

よくわからないけれど、私は目的のケーキを手に入れたのだ。

嬉し過ぎて、感情が無い。


それにしても。

エシレ、並んでいる人たちに、ここまでしかガトー・エシレ買えませんインフォメーションも無ければ、今日は特別に20台売りますよ的連絡も無く。

淡々と静かに、ただその日の自分の作業を行う店員さんたちを前に、客は道しるべの無い森の中の迷い子のように、買えるかどうかわからないケーキのために並ぶだけ。


美しかったよ!


昨今、何かと過保護に先手を打つサービス業が多い中で、こうまでシンプルに、客が自分の身の振り方を自分で決めねばならない、このシステム。

皮肉じゃなくね、私は、すごく綺麗だと感じたんだよね。

ここまでシンプルに業務して、それで文句を言う人もいない。

こういう環境だと、野生の勘が培われるんだよ。

わたしたちはただ自分の責任で、並び続けるかどうかの覚悟を決めるだけ。

それでいいんだよ。

ケーキ屋さんの仕事は、美味しいケーキを丁寧に作るだけだ。
その美味しいケーキをありがたがって並ぶお客の采配までは、 しなくていい。

十分に美味しいケーキを、高いクオリティで作り続けてくれれば、それでいいんである。

しかもどういう決断なのか、特に高らかに宣伝もせずに、いつもより5台も多く出してくれるなんて、粋じゃないですか。


私は買えたからそう思えるだけかもしれないけれど、買えたからこそ、正常な感覚で現場の潔さを感じられたのかもしれないよ。

そんなわけで、無事に任務遂行。

友人らの待つ西荻へ、美しい青い袋を持って帰れる、この喜びよ。

エシレ、ありがとう!

それから、何故かタイム・スケジュールとは違う、15分早い電車を出してくれたJRの協力もね。
あれに乗らなかったら、はっきり言ってアウトでした。

私が買ったガトー・エシレ・ナチュール。ニヒル牛2カフェの赤いテーブルによく映えます。




2014年12月20日土曜日

鳥Tシャツ デビュー


うさぎTシャツに続き、鳥Tシャツも出来ました。

創作というものは、実に面白い物です。

Tシャツに直に絵を描きたいな、という気持ちは軽くずっとありました。

しかし今回描いたウサギと鳥のデザインは、Tシャツとは全く違うプロジェクトの為にデザインし、なんとなく先延ばしに、そしてもしかしたら没かもと思っていたキャラなのです。

そしてTシャツを描き始めた時は、まさかそのデザインがこうして具現化するとは、全く思っていなかったのです。
更にこうしてTシャツにしてみると、このデザインはとてもTシャツ向きだったなと感じます。(当社比)

この、実用品に直に絵を描きたいよプロジェクトは、この後エコバック的な物に植物なんかを描いて終了する予定ですが、なんとなく思いついたこの経験は、私にとってはとてもよかったなと感じます。

何故なら、自分がどんな素材に何で絵を描けば最も楽しいのか、という事が、はっきりとわかったからです。

勿論、長年漫画を描いてきたのですから、漫画を描くのも大好きです。

でも、そもそも油彩画から自分の創作を始めた私にとって、漫画というのは、自分の絵画を適用する表現手段ではない、というのが正直なところでした。

これは、たまたま私が、漫画に必要とされる条件下で絵を描く事が大変苦手だということでの個人の個性から言えることであり、漫画で素晴らしい絵画表現をされている方も沢山いらっしゃいます。

しかし私ははなから、白黒の小さな画面で自分の画才が100%開くことは出来ないと知っていたので、漫画については全く絵画的アートを追求してはいませんでした。
これは私の漫画をご存知の方は、皆さん感じておられる事だと思います。

私の漫画絵は、ひとえに下手、につきるのです。うがーっ。

また、色彩に強い執着を感じる私にとって、人気が出ないとカラー・ページなんかやらせてもらえない漫画の世界で、自分の絵画を適用する気は、はなから無かったとも言えます。私は自分の描く漫画には、絵画とは全く別の物を求めていて、それはそれで満足なのであり、これからもそれは変わらないと思います。

そして今回、布物に絵を描いたことで、私の中での油彩画への想いが限りなく再燃してきました。と言うか、私はそもそも多分、キャンバスに、油絵で絵を描く人間なのです。
このことにシンプルに気付けた事が、大変大きかったのでございます。

そういうわけでこの作業中、久々にキャンバスを沢山注文しました。
この実用品プロジェクトが一段落したところで、油彩画へと仕事を移してゆこうと思います。
そしてこの油彩画が、長く待っていてくださっている方に報いる為の、大切な仕事の入り口となってゆくでしょう。

いやあ、ありがたい。

ほんの些細な思いつきを行動に移した事で、今まで茫漠としていた景色が、くっきりと見えてきたわけです。

物事は、とにかく始めてみないと、何を運んで来るかわからないもんですな。

2014年12月17日水曜日

スイスから届いたクリスマスのお菓子


やりました。

何年も憧れていたお菓子が、遂に先ほど届きました。

私の友人が、その友人のスイス人のお友達からいつも分けていただいているという、謎のクリスマス菓子。

友人の友人の、もう80才を超えるお姉様という方が、クリスマスの時期に毎年少量焼いては、日本に住む妹に送ってくれるんだけれども、何故か絶対にレシピを教えてくれないという、ミステリアスなクリスマスの伝統菓子の 話をいつも聞いていて、私は何度もネットで検索したり、スイス菓子の店を探したりして謎を解こうとしていました。
て言うか単純に、食べたかったのですが。

そして遂に今年、私もお裾分けにあやかる事が出来ましたぁああああああ!

先ほど届き、早速一枚、震える手で。

お、美味しい.........................................

こ、これは確かに、初めての味わい。。


アーモンド・プードルに沢山の種類のスパイスを加えた薄いクッキーの様な、そして歯ごたえはしっとり。。。たまらん美味しさです。

今や日本には本当に本格的な、ドイツやスイスのお菓子屋が沢山ありますから、これに該当するものは、きっとお店でも売ってるんだと思います。

ネットで調べても、これなのかな、と思うお菓子は確かにヒットする。

しかしなんと言っても、これは手作り。

友人のスイス人の友人の、そのまたお姉様という方が、ずうっと守って来たお家のレシピで焼き上げた、秘伝のお菓子です。

そしてそのふくよかな、奥深い味わいたるや。。

いやあ感動です。
誰か専門家にでも食べてもらって、お菓子の名前やレシピを深追いしたいなあ。


パスカルズの初めての渡仏の時に、当時のプロデューサーの地元ナンシーに行きました。

その時に見たクリスマス・パレードは、華やかなイルミネーションや立派な飾り付けにはほど遠いものだったけれど、古い街並みに深々と連なるその列は、心の基底に届く、凄みを感じるものでした。

クリスマスという物のリアリティは、こういう物なんだ、と思い知らされる様な。

遠いスイスから届いたお菓子には、そんな本物さを感じたよ。

陰影を生まないLEDライトのイルミネーションには、決して宿らないクリスマスの魂を。

ウサギ T-シャツ デビュー



こんなTシャツを創りました。

友達のやっている、西荻窪のアート雑貨店ニヒル牛の年末年始バーゲンで販売するためです。

新作デビューがいきなりバーゲンてどうなの、とも思いますが、これは全部手描き直筆、そういった品は通常大変高価な価格になると予想されますので、デビュー直後にバーゲン価格でお披露目するというのは、理にかなっているような気もします。

気になるお値段ですが、Twitterでこの作品を観てくださった方から早速の注文をいただき、その方がいくらくらいの感じです、と述べてくださったので、その値段を定価とし、バーゲンではそこからいくらか値引きしてお届けしようと思います。

購入してくださる方が値段を付けてくださるなんて、ちょっといいではありませんか。
このウサちゃんは、ラッキーな星を持って生まれたのかもしれません。

写真をご覧のように、前見頃と後身頃に、ウサギ前面、背面の絵が描かれています。
降り注ぐ花の様子が違うのは、時の経過を現しているからなのです...
なーーんていうこじつけ的物語がいくつも浮かんで来るこのウサギTシャツ、現在トートバッグ等にも描いているので、ニヒル牛の私の箱、数年ぶりに賑わうことになるかもしれません。
どうぞ是非、ご覧にいらしてください。


ところで私は昔から、漫画やイラストとなるとどうしてもウサギでキャラクターを創る癖があります。

以前講談社の青年誌で漫画を描かせていただいた際、担当をしてくださった女性の編集さんから、何故ウサギがお好きなのですか?と聞かれました。

私はその時、「ニュートラルだから。」
とお答えしたのですが、彼女がしばし目をまんまるに見開いて絶句したので、「ど、どうしましたか」と伺ったら、彼女は、「何故その動物が好きなのか、という質問に対して、ニュートラルだから、という答えを貰うことってあるでしょうか。。。」とおっしゃいました。

私はそれを聞いて、なるほど、私はすごく変な事を言ったのかもしれない、とも思ったのですが、私の記憶ではすぐに彼女が、でも、わ、わかるような気が.....します......と仰ったと思うので、そうだろう、誰だって心の中では、ウサギのことをニュートラルな動物だと思っているんだよ、だからこそ、ほ乳類なのに鳥みたいに、何羽、とかって数えるのにちがいないのだし、みんな心の中ではウサギのことを、動物みたいで鳥みたいで妖精みたいで植物みたいな、結構つぶしの効くニュートラルな生き物だと思っているんだよ、と思ったものです。

ニュートラルな生き物は、あまり好き嫌いの対象にもならないし、それ特有の強い色が無いように思うのですがいかがでしょうか。
だからこそ、完全なる自分のウサギ、という物が創れると思うのです。
まるで神のようにフレッシュに、全く新しい生き物の土台となってくれるのがウサギだと、私は思うんですね。

ところでこのように、心の中で漠然と感じていることを口に出してみると、意外に同感を得られることってあるんですよね。

先日コロラドの学校の休み時間に私が緑色の服を着ていたらクラスメイトが、「サラが緑ってあまり見ないけど、案外似合うね。」と言ってくれたので、「ありがとう。でも緑ってあまり好きじゃないんだよね。緑ってさ、植物の色だから、服などの人工物や絵の具に緑色があると、このニセモノめ、植物の真似しやがって、と思ってしまうのよね。」と言ってみたのです。

すると彼女はまさに、かつてウサギについて私が語った時の編集さんと同じ反応を示し、加えて「はあ?」と言ったのですが、その後しばらくすると、「ああ、でもわかる、わかる感じ。」と言い出し、しまいには、「なんかすっごくわかる。私も同じ事を感じていたかも。」とまで言ってくれるようになったのです。

私が彼女に感じていた、なんとなく同じ世界を見ている、という実感はこの時に更に強まり、その後も仲良しな関係を続けています。


話がそれましたが、昨夜オーダーしてくださった作家の友人が大変気に入ってくださったようなので、せっかくニュートラルな泉から生まれたこの目つきの悪いウサギを、今後様々に展開してゆく予定ですのでどうぞよろしく。

鳥と植物でも創っていますが、それはまた今度。

よろしくね!


2014年12月10日水曜日

ミステリー


本日の更新は、完全に私自身と、限られた関係者たちの為に書くお話なので、退屈かもしれません。しかもわけのわからない内容です。
と始めにお断りしておきます。


2008年の夏、私はフランスから観光で日本に来ていたパスカルズのマネージャー フィリップのガイド役として、かなり忙しい日々を過ごしていた。

フィリップは人気者なので、基本的に計画していた旅程以外に、パスカルズのメンバー達から色んなお招きを受けてもいたので、そういった事全てを計らう為に、私がロード・マネージャーみたいな感じになっていた。

ある日、パスカルズのチェロ奏者〜通称"悪い方のチェロ"〜坂本さんが、ある音楽フェスに招いてくださり、そこで渋さ知らズ・オーケストラのステージを初めて観た私は大変盛り上がり、フィリップ達そっちのけでノリまくった挙げ句、会場から出たらボディーバッグのファスナーが開いていて、財布が無いことに気が付いたのである。

私はその場で電話をしてクレジット・カードやキャッシュ・カードを使用停止にしてしまい、印鑑も財布に入っていたので通帳も無効にした。
私はどうもこういう時、自動操縦モードのようになって、考えも無く色々やってしまうのです。

だけど財布はあっけなく出て来た。
渋さ知らず ズの会場で拾った方が、フェスのオフィスに届けておいてくれたのだ。
現金も、たいした額では無いが全額そのままだった。
さすが音楽ファン、悪い人は集らないね、とその時は感動した。

とーこーろーがー。


財布に残っていたお金は、その日の交通費を払ってしまえば底をついてしまうような額であり、その日家に着いた私はハタと、自分にはむこう半月くらい以上、自分の口座からお金を引き出す術が無い事に気付いたのである。

カードも使えない。

試しに銀行に行ってみたけれど、本人の確認が出来たところで、通帳もカードも無いんじゃお話になりません、という事だった。

翌日あたりからフィリップのガイドで京都へ行く予定だったのだが、なんたって一文無し!どうすりゃいいのかわかりゃしまへん〜。

フィリップが、旅でのお金は気にしなくていいよ、と言ってくれたのだが、仮にもパスカルズのマネージャーに金を借りるわけにはいかないのではないのか、しかも相手は旅先だし、と思った私はそれは辞退。

事情を知ったパスカルズのバンマスが1万円貸してくれて、フィリップに宿を提供してくれていたBebeちゃんも、確か1万円貸してくれたはず。

京都での日々はなんとかそれでまかない、フィリップ一行を熊野の旅に送り出した後は、友人が一ヶ月細々と生活出来るくらいの現金を貸してくれたので、(友人の名誉の為に申し上げますが、彼女は「200万円くらい貸そうか?」と言ってくれたんですね。。でも、そんなに借りても返せないので、小さくお借りしましてん。)バンマスとBebeちゃんにはそこからお金をお返しして、あとはカード類が復活してくるのを待つだけ、ということで、なんとかなった。


そんなある日。

フィリップ達は熊野にいるし、久々に時間の出来た私は、家族と恒例の乗馬クラブに行く事にした。

最寄り駅で待ち合わせして、迎えに来た車に乗り込もうとした直前、今まで感じたことも無いような、すごく奇妙な、後ろ髪を引かれる、というような、なんとも言えない異様な気配を感じたのである。

すぐに家に戻りたい、戻らなきゃ!!という、ちょっとパニック発作に似た衝動を感じて足がすくんでしまったのだが、そんな事で予定を変えるわけにも行かず、なんとか車に乗り込んだ。

車が走り出して15分ほどすると、すうっとその、平たく言えば「イヤな予感」が消えて行ったので、ややホッとして乗馬を楽しみ、その後ドライブまで楽しんでから、家に帰宅した。


そうしたらですね。

棚の上に置いてあった、友人が借してくれて封筒に入れたまま放置してあったお金が、その封筒のまま失くなっていることに、気付いたのです。

既に半分は、様々な支払いなどで使ってしまっていたのですが、半分は、特に使い道も無く、そのまま友人に 返そうと思って、友人が渡してくれた緑色の、セブン銀行の封筒に入れたままの状態で、置いてあったのです。

それが、無い。

見ると、窓が開いている。

むむむ。


当時うちの近所では、空き巣が大流行りでした。

忍び込み、通帳と印鑑を持ち出して銀行でお金をおろし、その後再び侵入して通帳と印鑑を戻しておく、なんていう離れ技の空き巣にやられた人が沢山いて、注意を呼びかける貼り紙が、マンションのあちこちに貼ってあったものです。

私の部屋は、住んでいる階といい環境と言い、とても空き巣に入れる様な場所ではないのですが、離れ技の空き巣に不可能は無いのではとも思ったし、なにより思い出したのは、昼間感じた、あのなんとも言えない異様な気配でした。

あれはもしかしたら胸騒ぎってやつで、もしかしたらあの瞬間に、泥棒が忍び込んでいたのでは、と私は思いました。


それにしても、探しましたよ。

隅から隅まで。

置いてあった棚の後ろまで潜り込んで、とにかく全力を尽くして探したんです。

でも失かった。

失かったんですよ奥さん!!!


その後、しょうがないので使わなかった分のお金も勿論自分で付け足して友人に返し、なんとなく狐につままれたような気分のまま、今日を迎えていたのである。

実際その後も度々、思い当たる場所は探したし、とにかくお金が惜しいというよりも、環境的に空き巣が入れるようには到底思えない私の部屋から、物が失くなるなんていうことが信じられなかったんですね。

だから念入りに、思い当たる所はもちろん、まさかという場所まで探しました。

でも、出てこなかったんです。

6年間。



さっき、近所のカフェでちょっとお茶をして、のんきに、ポップオーバーが売ってるよ、なんていうツイートをして、そのポップオーバーを焼いてもらって家に持ち帰り、そうだ、と思い立ち、廊下の掃除をしたんです。

言っておきますが、この廊下は、6年前、あのお金が消えて以降も何度も何度も何度も掃除をしています。

その廊下の角には、旅行が多い私が、留守中溜まった郵便物を、じっくり開く時間が出来るまで留めておくラックが置いてあります。

帰国した時にポストに溜まった郵便物をそこに入れておいて、やる気になった時に全部確認して捨てる為の、仮の置き場がそのラックなんです。


封筒系の郵便物が多いので、あのお金が消えた時に真っ先に疑って探した場所であり、その後も何度も何度も、旅が終わる毎に満たされ、しばらくすると空になり、また帰国すると満たされ、またすぐに空になる、を繰り返す、敢えて溜め込まないように一番目につく所に、しかも、大変開放感のある状態で置いてある物です。

形状は、ワインのボトルを立てかけておくボトルホルダーみたいな感じで、中身が隠れない様に、箱形ではなく鉄枠の輪郭だけで出来ていて、だから時々小さい郵便物等は、脇からこぼれたりしちゃうような物なんですが、こぼれたところで廊下の床に置いてあるんですから、問題はありません。


先月の末に帰国して、それからかなり忙しかったため、その時にポストから回収した郵便物が、今回はまだ確認しないまま入っていたので、廊下の拭き掃除が終わったあとにお茶を入れ、ラックのそばの壁にもたれて座って、郵便物を一個一個、開いて破いて捨てて、という作業を繰り返していたんです。

その時、真新しい封書達に混ざって入っていたのが、これだったんですよ。。。



私の記憶では、封筒はべったり緑色だったのですが、これは縞模様。。
だけど一目見て、あっっ!と思いました。

これはまさに、6年間探し続けた、あのお金の入った封筒。。。。。

中を確認するとまさに、あの時使わないまま消えた時のままの、まったく同じ金額が、耳を揃えて入っていました。



何故。。。。。。。。。。。。。。。


何故なの

   ママン。。

2014年12月9日火曜日

ティム・バートンの世界展

ティム・バートンとのコラボ・カレーライス

私の20代は吸収の時代で、コンサートや展覧会に数え切れないほど通った。

昔は西洋の大家の作品が惜しみない量で入って来て、日本ではさほどポピュラーではない作家たちの展覧会も多かったし、展示されている絵の数もすごかった。

私が展覧会に行かなくなった理由は、自分の吸収の時代のサイクルが一旦終わったってこともあったけれど、近年行った印象派の展覧会で、作品の数と質がかなり薄かった、という印象があり、加えて入館料も反比例に高くなっていたので、なんとなく、時代が変わったんだな、と感じたのが、展覧会通いのピリオドになったような感じだった。

だけど最近、自分が更に新たなサイクルに入ったような気がするきっかけがあり、なんらかの吸収を必要としていた部分があり、そんな矢先に目に留まったのが、ティム・バートンの展覧会だった。

今までティムの作品に興味を持った事は無かったんだけど、イベント全体に惹かれるものがあって、昨日行って来た。

展覧会に入ってすぐの時には、私が絵画に求める物は、画面に描かれてある、いわゆるイマジネーションやアイディアなのではなく、あくまでも色彩とマティエールなんだな、というのを痛感してしまったことが先に立ってしまい、ティムの作品を味わうまでにかなりの努力を必要とした、というのが正直なところであった。

殆どの展示作品は小さなスケッチブックに描かれたモノクロあるいはサラッと彩色されたドローイングだったし、大きな油彩画も、色はきれいだけどまずはイマジネーションありき、というタイプのもので別にマティエールなんて関係無い、という作品だったからだ。

それがなんたってティム・バートンの醍醐味なんですから、違う物を期待したところで他の物は出てこないのであり、私のあの集中できなさ具合は全くティム・バートンのせいなのではなく、100%私の感性が場違いだっただけなのである。

で、こういう感じの絵なら実物を見なくても、むしろ画集とかで部屋でひとりでゆっくりと彼のイマジネーションと遊ぶ方が、人をかきわけて壁にかかっている小さな作品を凝視 しに行くよりいんじゃないかな、なんて思ったりもしたんです。

しかしそんな時に目の前に広がったのが、彼のポラロイド作品を集めた部屋でした。

絵画ではなく、彼のイマジネーションを具現化した世界を、ポラロイドで撮影した写真展なのですが、これは本当に、素晴らしかったのです。

色んなタイプの作家さんがいるけれど、脳内イマジネーションを具現化するタイプの作家は、絵筆にこだわる必要は無いのであり、むしろこんな風に、映像や写真という素材で頭の中の世界を表現する方が、よりストレートに何かが起こることもある、という事を、改めて実感させてくれる体験でした。

そうなればやはり、写真や映像が発明されてよかったね、なのであり、文明の発展はやはり必然なのだなとも感じます。

そしてそうなって初めて私は、ティム・バートンの世界を堪能する準備が出来上がり、改めて最初から作品を観て回り、あの豊富で個性的なイマジネーションの嵐を改めて堪能することが出来ました。

彼の作品は不気味でエッジィなのだけど、決して排他的な痛みを感じさせる、トゲトゲしたところがありません。
ある意味そこが、一流になる条件なのかな、と感じさせてくれる物がありました。

私は別に、一流にならねば価値無し、という意味でこう書いているのではありません。

ティム・バートンのような、好き嫌いの別れそうな特有のイマジネーションを持つ作家が、大金を稼げるくらいポピュラーになる可能性って、この世にどのくらいあるんだろう、って思ったのです。

多くの人が既に感じているように、ポピュラーになるならないは、作品や才能の質とは関係ありませんから、別にそこが価値を決めるポイントだとは私も思っていません。

ただ、ティムのイラストには、表面に描かれたダークでエッジィなイメージとは別に、安心して心にゆったりと受け入れる事の出来るような、なんとも言えない温もりがあるのです。

これは、いわゆる"手の温もり”とか"人間性の暖かさ”、などそういう人情的なものとは違うのでどう表現したらいいのかわからないのですが、作品そのものが、地球の深いところにある温泉から生まれ出てきたような、そういう暖かさがある、というのが一番しっくりくるかもしれません。

エキセントリックさというのは時に、キワモノ的でインパクトは強いけれど、なんだか痛ましくて刺々しい、と感じることもありますが、ティム・バートンのエキセントリックは、その色彩もイメージも、そういう利己的な領域には無いんだな、と感じたのです。

もちろん私は時々、そういう閉鎖的なエキセントリックさを持つ作品に惹かれることもあるし、だからそれが悪いとか苦手とかそういうわけではなく、なんていうのかティム・バートンの作品は、アウトローなんだけど、本質的な 意味ではアウトローではない、例えば、常識人は嫌うけれど、森の動物は好むんじゃない?的な、いわば人の世間的にはアウトローかもしれんけど、世界全体で見ればアウトローじゃないんじゃない?さがあるのであり、これは私が個人的に、すごく大事だな、と思っている要素なのです。

ティムの類い稀なイマジネーションに加えてその暖かさが、これはつまり先にも書いたように、心の温かさとかそういう人間的な意味ではないのですが、とにかくその暖かさをベースにした個性が、巨大な需要を生み出すことに繋がっているのかもしれないな、と感じたわけなのです。

何度も書きますが、作家はお金を稼げるとかプロであるとかそういう現実が才能を決めるわけではありませんから、ティム・バートンが世界で指折りの有名なエキセントリックな作家のひとりだからと言って、世界一才能のあるエキセントリックな作家だとは思いませんけれど、私は自分が大事だなと感じる要素が彼の中にあって、そんな彼の作品が大舞台で巨大な数字を巻き込んで活躍しているのを見て、なんだかちょっとホッとしたのです。

何故ならそれが、世界や人の心の、本質的な良心のように感じられるからです。
私には。

ティム・バートン監修のツリー。

2014年12月4日木曜日

ネガティブ・マージング

ちょっと興味深い事があったので、そこで感じた事を書いておこうとこのブログ投稿画面を開く。

私がここに、学校で学んでいるトラウマなどの事を書くと、元気で問題無く生きている方などは、トラウマは持っててナンボだ、などと思われるかもしれませんが、この世にはわけのわからない理由で機能を失っている方も多く、そういう方の中には多彩な情報から自分の状態を紐解く必要を感じている方も多いのです。

健康な立場の人が、耳慣れない栄養学や心理学やトラウマ学や、あらゆる多彩な情報ひとつひとつに目くじら立てるのは、それだけの余力があるという事です。余力がある人が、癇に障るというだけで新しい情報を潰しにかかっていけば、新しい可能性はまるで生まれません。

日本のSNSでは、提示された情報にちょっとでも誤りがあったり物議を醸したりすると、情報元を非難するという行為に走りがちな傾向を時々目にしますが、そういう風に情報元を叩き潰してゆくと、結局は害にも毒にもならないぬるい情報しか開示されなくなってゆくと思うのですがいかがでしょうか。

情報元はそのまま多彩なまま尊重しておいておき、受け取る側がリテラシーや探査力を高めてゆけばよいだけであり、そういった態度を高めなかった結果が、国が情報を統制する、という法律を公使してしまえることにも繋がるのではないかと思います。


なんて書きましたが、これから書くことは別にそんな、物議を醸し出す様な内容ではありません。ちょっと私的に書き留めておきたい事があったので書き留めておくのです。


ネガティブ・マージンという心理状態があります。

これは、赤ん坊の頃にお母さんといつも一緒にいた時の経験を起源にした学習パターンです。

お母さんも人間なので、機嫌の良いときも悪い時もあります。
体調が良いときも悪いときもあり、だらしないときもきちんとしているときもあります。

そういった、お母さんの中にある揺らぎを、最も敏感に感じ取っているのは、赤ちゃんです。

先日アメリカのテレビドラマを観ていたら、テーブルにきちんと座って 無心にご飯を食べている赤ちゃんを挟んで、夫婦が突然喧嘩を始めるというシーンがありました。
間に挟まれていた赤ちゃんの、途端に顔色を変えて体を硬直させる様子があからさまに見る事が出来たので、あれは演技ではなく、リアクションだな、と感じました。

酷いよね。。
生活の中でなら防げない現実かもしれないけれど、ドラマ撮影なんていう現場で生の赤ちゃんの反応を利用するなんて。

と思いましたが。

まあそれはそれとして。

赤ちゃんというものは、まだ未完全な成長中の脳に、そういった 出来事への心理的生理的反応をどんどん記録してゆきます。
大人にとっては「また始まった。。」で済む事が、赤ちゃんにとっては何もかも新鮮で強烈、初めての体験の連続なんですから、ものすごいインパクトで、脳に刻んでゆくのです。学習パターンとして。

そんな数ある記録ピースの中に、お母さんの変化、というものが入ります。
最も身近で大事な存在のお母さんに関する事ですから、かなり深く、かなり沢山、入ります。
もうそれが、基本学習パターンになってしまうくらい、入って来ます。

赤ちゃんは、お母さんに抱かれている時、大変甘美な一体感の中にいると言われています。まだ脳が、個体識別認識を出来ない状態の成長度での他者との融合は、それはそれはとろけるような、まさに溶け合うような体験だそうです。

多くの人が恋愛にそれを求めるのは、この時期の再体験を求めていると書いている本もあります。

そんな至福の体験ですから、赤ちゃんは愛着を感じます。
しかし融合している相手が神でない以上、融合状態の中でお母さんの態度が変化する事が多々あります。

つまり、赤ちゃんへの深い愛情を示していながら、例えばそろそろ仕事に行く時間だわ、と思ってさっと胸から赤ちゃんを引き離し、ベビーシッターさんに預けちゃうとか、赤ちゃんを抱えながらいきなり荒々しいエネルギーでダンナを責め始めるとか、あるいは赤ちゃんそのものに対して怒りを感じて、突然叩いたり突き放す様な行為をしたりとか。

そういう、愛情とは真逆のエネルギーを、至福の体験と共に赤ちゃんは経験するわけです。

当然赤ちゃんは不快を感じます。
しかし、その体験は已然として愛着対象であるお母さんとの融合感の中に含まれている為、赤ちゃんはその不快な体験にも、徐々に愛着を持つ様になっていってしまうのです。

脳が完成される頃には、表面的には至福な関係性を求めつつ、潜在的にはどこかでネガティブな要素が無いと、本当の幸福と感じられない、リアルと感じられない、と思う様になってゆくわけです。

幸福には不幸がつきもの。
これが、「ネガティブ(否定的な)・マージング(融合)」のトラウマ的学習パターンです。

こういう状態で成長すると、関係性の中に不健康な要素があっても、むしろそこに愛着を感じるようになってしまいます。

愛情関係や人間関係、親子関係の中に、頼り過ぎ、甘え過ぎ、支配し過ぎ、支配され過ぎ、侵略し過ぎ、虐め過ぎ虐められすぎ、エネルギー取り過ぎ取られ過ぎ、威張り過ぎ威張られ過ぎ、などの行為があっても、それはあくまでもお母さんの一部なので、絶対に手放したく無い、それを手放すのはお母さんを失うのと同じ事、という強烈なインパルスを感じてしまいます。

ここで言うお母さんとは、何も実際のお母さんだけのことではありません。
赤ちゃんにとっての至福と安全を象徴する全存在、至福の融合相手全般を意味しますから、人生全般とも言えるかもしれません。

もし人生が圧倒的に幸福な時、何か悪い事があるような気がして不安、落ち着かない、という症状が自分にあったら、このネガティブ・マージングの傷が疼いているのかもしれません。
良い事の後には悪い事がある、という体験は、脳の成長の早い時期に自分が、養育者を通して体験したものの両極性なのです。

ところでうちの学校では、臨床的にこの経験の傷が治ってゆく課程において、すさまじい悲しさと孤独を体験し、その後すっげえいい気分になるというレポートがありました。

そしてこの、すさまじい悲しさと孤独の後に、感じた事も無い様な幸福な自由感を感じるというこの状態、これはまさに、お母さんだと信じている緑石混合の融合相手を手放す悲しさと、一旦手放して独立してみたら随分楽じゃねえか、という、あっけらかんとした結果に他なりません。

もう一度書きますが、こういった人間の脳のトラウマ的要素こそが人間の面白さだ、と感じられるくらい楽しく それを応用して生きている方はそれでいいのです。

しかしもし自分が、わけも無く不本意な現状にはまっているとしたら、それにはこういったカラクリと原因があるのかもしれず、原因があるということは変更も可能であるということを、知っていて欲しいと思うのです。

2014年11月28日金曜日

感謝祭の思い出


昨日は感謝祭だった。

私は七面鳥好きなので、このイベントは特に好きだが、今年は残念ながら日本にいたので、アメリカの感謝祭ランチには参加出来ず、友人らが送って来るディナーやランチの写真を楽しむだけだった。
そういう参加の仕方が楽しいかどうかは、今一疑問だったのですが。

勿論、食べる為だけの祭りじゃない、とか色々ありますが、感謝祭はやはり、最も料理に焦点が当たるイベントだと思います。なんたって、収穫に感謝する祭りなのですから!

私自身は感謝祭の料理をメインでホストしたことは無いのですが、色んな友人宅で色んなターキーを味わいました。

レシピの基本は決まっているのに、実に様々なタイプに別れるのは、日本で言えば味噌汁のような物なのかもしれません。
オレのおふくろのターキーの味、なんてのが、アメリカにはあるかもしれません。

ターキーには様々な詰め物を入れます。
まずこれに、バラエティーがあるのです。
これが美味しいかどうかが、命綱とも言えます。
過去の私の経験では、五勝五敗といったところでしょうか。

パンに味付けしてぐずぐずにしてみたり、クスクスを入れてみたり、米や野菜料理を詰めたりします。
アメリカ人は総じて香辛料の使い方が上手なので、うまく仕上がるととても豊かな味わいの、今風の美味しい物が出来上がりますが、以前、私の親エイジの方がホストされるパーティーで出された物は、全く香辛料を使っていない塩味だけのオーソドックスな優しい味で、もしかしたらアメリカにも保守的派と革新派の調理というものがあって、世代や育った環境で違いが出るものなのかなと興味深かった記憶があります。

これは結婚などに割と大きく影響を及ぼす部分だと私などは感じます。
そんなことを言っているからまだ独身なんだろうとも思いますが、むむむ、まさしくそうかも、とも思います。
私個人はやはり、ハーブや香辛料をバランス良くふんだんに使った物が好きなので、夫にはそういう物を創って欲しいわけです。(お前が作るんじゃないのかよ!と自分で突っ込む)

ターキー自体も様々な焼き上がりがあります。
私が好きなのは、ローストする前にたっぷりとガーリックを塗っておくやり方。
ローズマリーまで散らしてしまうと、なんとなーく、なんとなくではありますが、ちょっと感謝祭の七面鳥じゃなくなってしまうような、お前それ、ぶっ飛び過ぎだよ、と言いたくなる様な気がします。先の記述とは矛盾しますが。。

普段のお肉料理にハーブを用いるのは大好きなのですが、なんとなく、感謝祭の七面鳥にハーブで風味をつけるのは違うような気がします。
初めて食べた感謝祭のターキーがガーリック塗りタイプだったので、最早ソウルフードになっているのかもしれません。

ガーリックを塗らずにただ焼いてグレービーで食べる、という調理法をやる人がいるんですが、私はあまりグレービーが好きではないので、これも違うんだよね。
ガーリックと程よい塩味、それにフルーツ系ソースと詰め物の味がミックス、が理想的です。

また、一度野生のターキーを狩って来た友人のターキー・パーティーに招かれたことがあるのですが、私に切り分けられた部分は大変柔らかくてジューシーで美味しかったのですが、狩った本人の皿に乗ったお肉は、固くて歯が立たないくらいだったそうです。
これはある種の鳥的リベンジかもしれません。

それにしても、でかいターキーのロースト、詰め物とソース、カボチャのパイ、コーンブレッド、マッシュポテトなどが揃うとそれだけでワクワクします。


ところで昨日、ひとりの友人がこの写真を送ってくれました。


彼女はターキーではなく、コーニッシュ・ゲーム・ヘンという、小さな鶏の一種を感謝祭に用意したんだそうです。これはよくお肉屋さんで、ピッチピチのタイツ履いてるみたいな姿で売られています。タイツじゃなくて、真空パックのパッケージなんですが、どうも見る度に感じるのが、ピッチピチだなという。。

ところで感謝祭に七面鳥を食べ終わった後は、ウィッシュ・ボーンで遊ぶ、ということをやります。
七面鳥の中にはV字型の小さな骨があるんですが、これを二人の人が一個ずつ持って交差させて引っぱり、どちらの骨が壊れてしまうかで、どちらの願いが叶うかを占うような遊びで、シンプルだけど結構盛り上がります。


時々、アメリカの料理はワンディッシュが巨大でみんな大食いだ、と言うのを聞くことがあるのですが、私の長いアメリカ経験から言えば、出される料理はたっぷりだけど、殆どの人は完食はしないということです。

殆どの人は出された料理の半分ほど、あるいはほんのちょこっとを食べるだけで、残りは持ち帰ったり暖め直して何日も食べたりします。

この感謝祭の七面鳥も、私は今まで食べ尽くされた状態を見たことが無く、大体次の日以降三日間くらいの間に、ポット・ローストやシチューやスープなどに変化して出て来たりするのです。

私がアメリカで学んだ食への姿勢は、自分の食生活をかなりヘルシーなものに変えてくれました。これは単に、最新栄養学やそれに基づく新しい食事法が、食品系大企業とのしがらみ無く次々に進化し維新されるアメリカのヘルシー志向ばかりが原因なのではなく、食べ物を、賞味期限の数字や冷蔵庫に保存することだけに頼るんじゃなくて、体感で捉えて食べられるかどうかを決めるなど、自分の五感を信じるつき合い方が浸透していることに影響される部分が大きいのです。

有機物である食べ物を、同じ有機体である自分の体が捉え、どう感じるか、というつき合い方は、とても地に足がついていて、なんとなく食材とのハーモニックな繫がりを感じたりする体験です。

おばあちゃんが実際に手で触って食材を調べ、腐っていて食べられないのか熟成しているだけでとても美味しくなっているのかを判断するみたいな、多分昔の日本にもあったんじゃないかなと思えるような、有機的な食べ物との付き合いを、典型的な核家族の近代ジャパンで育った私は、アメリカで学びました。

単に、食べ物には実はそんなに冷蔵庫が必要じゃない事を知った、それひとつだけでも私にとっては大きくて、機械や防腐剤などの無かった大昔の人たちのやっていた食べ物とのつき合い方を、現在でもちゃんと行えるのだと知ったことが、とても大きかったのです。

トラウマ的ぬいぐるみ



今日は感謝祭なので、アメリカの友達からお祝いのメールが沢山届く。

秋に卒業したコロラドの学校のクラスメイトからも。
その中に、感謝祭の買い物に行ったスーパーで売っていたという、ぬいぐるみの写真が添付されているものがありました。

まああれですよ、大体何かを専門的に学んでる人間達というものは、仲間内でそれを笑いの種にするもんですよ。
コロラドの学校も、例外ではありませんでした。

そんで、このぬいぐるみですが。
クラスメイトが言うには、偶然にも"キャラクター・パターン”の姿で並んでいると(笑)。

キャラクター・パターンというのは、いわば人間が抱えている心理的外傷のパターンとも言えるものなんですが、それには五つの異なる基本パターンがあるんですね。

何故五つに異なるのかと言うと、うちの学校で主に扱っている心理的外傷は、大人になってからのものではなく、生後三年の間に起こる、脳の成長期にまつわるものなんです。

人間の脳は、その80%が生後三年の間に形成されると言われているのですが、その成長の過程は、脳幹と呼ばれる、生存する為の基本のあれこれを司る原始的な脳の部分から始まり、きちんと段階を追って、徐々にmoreヒト的機能の領域へと成長してゆきます。
その成長こそが、幼児の精神的肉体的発育とも言えるわけです。なんたって脳ですから、全体の発育をリードしているわけです。

こうした三歳までの脳の発育の段階が、生後0才〜1ヶ月、4ヶ月〜18ヶ月、といった具合に、三年の間に大きく五段階のタイム・ピリオドに別れるわけなんですね。

そして人間というものは、その脳の成長の段階レベルに応じて、質の異なる情緒的ニーズを必要としており、そのニーズを養育者などからきちんと満たしてもらえないと、脳の深いレベルに、深いトラウマを追ってしまう、というわけなんです。

この5種類に分かれるトラウマのパターンを、心理学ではキャラクター・パターンと呼びます。トラウマなのにあたかも生まれもっての性格みたいなふりをしてわたしらの脳に思考パターンや信念として存在しているので、"キャラクター"と呼ぶのかもしれませんが、おもしろいのは、人間というものは、実に正直に、自分の持つトラウマのパターンを体現する、姿勢や体形をしているものなのです。(そしてそれにはそれぞれ名前もついていたりするんです。)

これは単に太っているとか痩せているとかそういういうことではないんです。
また、大きなトラウマを持っている人ほど極端に体型に現れているというわけでもありません。
非の打ち所の無い様な美しい、バランスの取れた真っすぐなボディの人でも、酷いパターンを持っている人はいます。
まあそんなわけで、そうシンプルに一筋縄で語れるようなものではないのですが。

それでもクラスではデフォルメしたイラストなども使いつつ、如何なる形で脂肪や筋肉がついているか、如何なる形でどこが痩せているか、真っすぐ立った時にどんな姿勢になるか、等等、人によって大なり小なり体に出ている心理的パターンを学ぶわけなんです。

で、このぬいぐるみの写真がっ。

全くもって本当に、そのパターンを体現しているわけなのですっ)爆!


友人が言うには、

カエル→ホールド・トゥギャザー
(生後0〜1ヶ月/凍りついた様な動きの無い姿ー存在する事自体、生きる事自体への恐怖を持つ人)

豚→ホールド・ショート
(生後2〜4ヶ月/猫背。前屈みで崩れ落ちる様な姿勢ー挫折と虚脱のパターンを強く持つ)

猿→ホールド・アウト
(生後4〜18ヶ月/別名「私は大丈夫」。心の痛みを感じないよう意識をハートから体の表層にそらしている為、胸を張ったような堂々たる姿になる)

牛→ホールド・イン
(生後18〜24ヶ月/エネルギーが深く内側にホールドされている為、全体がギュッとした感じにー自由に振る舞おうとする度に叱られる事で培われる、もう何もやってやるもんか、という頑固な憤怒と反抗の体現)

アヒル→ホールド・アップ&ホールド・バック
(生後24〜36ヶ月/辛い感情や現実から逃げる為にエネルギーが体の上方に集中し、また後ろに退いている。)


すいません。。
これを書いているだけで笑っちゃってまともに文章が書けない。。。

こんな世界に馴染みの無い方には、きっとおもろくもなんともないかもとも思いますが、何と言ってもトラウマを扱う学びは、中々シリアスな空気になりがちです。
でもそれがこういう形で目の前に並んでいると、もうなんとも言えず可笑しい。。。。。

しかも、偶然これを見つけてしまう友人の可笑しさよ。

というわけで、一部の限られた人間の心にだけ深く響く、マニアックな”奇跡の一枚"のお話でした。





2014年11月1日土曜日

天国に行って来た少年の話


アメリカにいる時は、よく映画館へ行く。

映画好きの人が傍らにいる、ということもあるし、夕ご飯を食べた後に眠りにつくにはまだちょっと力が余っていて、そしてなんとなく暗くなり始めた夜の街の雰囲気にも触れたくて、なんていう時に、近所のモールの中にある映画館へ行くのは、中々楽しい経験です。

今回観た数本の映画はどれも印象深くて、夕ご飯の後のちょっとした娯楽にしては大変贅沢だなあと感じた物ばかりでした。
考えてみれば、巨額の制作費とすごい数の人々の長い時間の労働と創造力の産物を、10ドルかそこらで簡単に楽しめるんですから、映画という娯楽は、実際非常に贅沢な物なんですよね。あまりに身近なので忘れがちですが。。

今回、新旧入り交じって色々観た作品の中に、実話を基にした映画が一本ありました。

小さな男の子が生死の境を彷徨った時に天国を訪れたという、その不思議な体験を描いたものです。

この少年はキリスト教の牧師さんの息子さんなので、やや特定宗教的色彩が胡散臭くなりそうな気配も無くは無いのですが、映画の中で少年の天国訪問体験に疑念と疎ましさを持ち続けるのが、他でもない牧師をしている父を含む少年の両親と教会関係者だというところが面白いし、これが偏った啓蒙カルト映画に、なんとかならずに済んでいるひとつの要素だと思いました。

特に教会関係者の女性が口にしていた、少年が天国での体験を広く口外することでこの教会が有名になってしまうと、自分で物を考えない輩が救いを求めて集って来ちゃうからイヤだ、という言葉は、この教会と映画自体の健全さを物語る上で、大切なスパイスだなと感じました。

宗教や信仰というものはそれ自体に問題があるのではなく、それを扱う人間の意識が問題を作り上げるケースが多いですもんね。道徳的なコミュニティの場として生活に溶け込み健全に機能している教会に、奇跡を求める他力本願な狂信者がいっぱい集ってきちゃったら、確かにヤバいし脅威です。

しかしながら少年の口にする体験は実に信憑性があり、鮮明で感動的なので、教会関係者の 懸念もよそに、だんだん有名になってきてしまいます。

実は私は映画の途中まではこの少年の天国体験談について、使い古された逸話だなあ、なんて思ってあんまり新鮮に楽しめない部分も多かったのですが、終わりの方にそんなニヒルな私を打ちのめす、すごい仕掛けがありました。
それは前にこのブログにも書いた、アメリカの天才絵描き少女にも関係するエピソードでした。ネタバレになってしまうのでここには書きませんが、とにかく私にとっては、あっと驚く内容だったんです。


私は基本的に、奇跡体験のような物に偶像的な表現が絡んでくる物が苦手です。

例えば、太陽の光が緑色に見えて突然すごく神懸かった気分になり、叡智に満ちた言葉が心の中に浮かんだ、くらいまでは個人の主観的な至高体験なので素晴らしいな、と思うのですが、その緑色の光の中にマリア様が見えた、となれば話は別です。

見えたような気がした、と言うのなら、経験の主観的な解釈なので理解できるのですが、明らかにマリア様だった、となり、それはマリア様ですね、と認定されちゃうとですね、私の頭の中は全くの圏外になってしまうのですよね。

そしてこの映画の中には、明らかにキリストでした、が出て来てしまうのよね。
無垢な少年が生死の間を彷徨っている内に天国へ行って、天国で暮らす既に亡くなった家族に会っただけでなく、キリストにも会うんです。

で、実は途中まで私はこの苦手系エピソードに引きまくっていて、しかしながらまあこの少年は、小さな頃から教会でキリスト教的絵画やエピソードに触れまくっていたわけだから、生死を彷徨っている間に違うディメンションを訪れ、その世界の体験を、既に心の中に知識として存在しているキリスト教をベースにした情報として翻訳してしまうのは無理の無いことかもしれない子供だしね、なんて思いながら観ていました。

それにこの映画の中には、先に書いたしっかりした教会関係者の様な動機でではなく、やったらムキになって少年の話を頭から否定しようとする、非常に大人げない大人達も出て来て、いやそのかたくなな態度はむしろ、あんたらが馬鹿にしている狂信的に宗教を信じる人たちと全く同じ思考停止の産物だってことに、なんで気がつかないんだろうね、なんて忌々しい気持ちも感じつつ、それにしてもこの世の中は、ひとりの少年が生死の間を彷徨っている最中に美しい神秘体験をしたっていう、たったそれだけの事実を、口に出すのさえ難しいなんてのはおかしいんじゃないか、というところにも行き当たり、今更ながらに人の思考の無駄な複雑さに、私の心がうんざりするに至ったあたりでこの映画は、周囲の評価なんて物ともしない、実体験者であるという無敵の強さと清々しさを持つこの少年が、自分の経験を賢明で愛情深い形で役に立ててゆくという、美しくて凛々しい姿を見せてくれるのです。

それだよね。

少年の神秘体験が紛れも無い事実でも、あるいは単なる脳内物質の作用で起こった幻覚に過ぎなかったにしても、どっちでもいいんだよ。

少年はインパクトの強い神秘体験をして、その体験が少年を、すごく大きな心の持ち主にした。そこに私は奇跡を感じたしとても感動しました。

そして私が抵抗を感じ続けた偶像エピソード、つまりキリストとの出会いについては、さきほども書いた映画の最後にあった仕掛けによって、いくらか私自身の持つ抵抗感も、謙虚に脇に置く必要があるのかもしれないな、と思わせるものがありました。

この世界は、宇宙は、人間の心も脳も、他のあらゆる生命体の在り方も、そして時間の流れや成り立ちなどについて、まだ殆どはっきりとは解明されていないのです。

アインシュタインやダ・ヴィンチの見ていた世界を、実感として見て生きている人も、まだ殆どいないのです。

そんな今の現状で、頭ごなしに「無い」と否定できることなんて、一体どのくらいあるのだろう。

この映画の、ほぼ新鮮さの無いナイーブなストーリー展開は、こんなに繰り返し同じようなエピソードを、大昔から色んな人が語っているのに、人間の頭は未だにそれを、単なる戯れ言のように扱うんだということに、ふと思い当たらせてくれました。

人間ていつになったら、「キリストに会ったよ。」「どっひゃーーーーー!!!!!それってすっげえっっっっ!!!」てな具合に、素直に反応するようになるんでしょうね。いやもちろん、健康的なやり方で笑。

2014年10月28日火曜日

カボチャを彫る

今年の作品

今年もハロウィーンはやってきて、そして一度覚えたパンプキン・ケービング(彫)の味はそうそう忘れられるものではなく、あたしゃ今年も彫ったね、ジャック・オー・ランタンを。

このでっかいランタン用のカボチャは、毎年スーパーで山の様に売られている。一個10ドルくらいで。

某空港のディスプレイ


アメリカではハロウィンに家族や友人で集ってカボチャ彫りパーティーをするので、私もよく招かれるのですが、去年まで自分で彫ったことはなかったんです。

だってすっごく固そうじゃん?日本でさ、カボチャ料理するのって、ただごとじゃなくね?ナタでも無いと割れない様な固いやつあるよね。そんなやつを彫るなんて、箸より重い物持ったことないオイラのする遊びじゃないよね。と去年までは思っていた。

しかしなんとこのカボチャ、実は林檎みたいに柔らかくて、プラスティックの玩具みたいな専用ナイフでサックサク彫れるんですよ奥さん!その彫る手応えがなんとも快感で楽しい。一度やったらやめられません。
だからランタン・アートの凝ったのなんて、本当に絵画のようなのがあります。見てくださいよコレ→ Edge The Of Plank
私も、もう少し慣れたらこんな境地を目指してみようかななんて思っています。


ところでてっきり食べられないもんだと思っていたこのカボチャ、実はこうして彫って楽しんだ後に、パイにしたりして食べるんですってよ!
でかいから大味なんじゃない?と聞いたら、確かにそうだけど、砂糖やシナモンで味付けするから結構美味しくいただけるんだそうです。

今年の私のケービングは、コロラドの学校のクラスが始まってから、休み時間にちびちび独りで彫っていたんですけれど、種を捨てようとした私の前にクラスメイトが立ちふさがり、「た、種が美味しいのに!」と、これまた新しい文化を教えてくれました。

で、彼女が作ったのがこれ。

殻ごと食べて海老の味がするお得な種

ランタン用のカボチャの種にオリーブオイルと塩をかけて、さっとオーブンで焼いただけなんですけれど、ななんとコレが、まるっきり海老の素揚げみたいな味で、すっごく美味しいのです!
あんなに美味しい甲殻類を、アレルギーで食べられない気の毒なパスカルズのチェロ奏者三木さんは、これを食べればいいのにと思う程です。(余計なお世話か)

去年のランタンは作ってすぐに、ウサギやリスの襲撃によって食べ尽くされてしまいましたが、今年は何故かずっと残っていてくれて、夕方になると灯をともし、とても楽しめました。(上の写真)

これは食べられちゃったやつ。↓

文字下の部分が食べられてしまった去年の作品

ところで。

今年私は、クラスの内輪でだけ通用するような小洒落た(つもりの)、そして深淵な(つもりの)ジョークを、ランタンに施したんですよ。

私としてはてっきり大ウケするものと思ったんですが、クラスのみんなからはしばし何の反応も得られず。。。。。。。。。。。。

はずしたつもりは無いのになんなんだよ、と日々募る不満を口にも出来ずに過ごしていたのですが。

ある日の昼休みに先生がやってきて、ランタンに彫ってあるあの言葉って、わざとああやったの?と聞くので、勿論ですがなにか?と答えると、やっと堰を切った様な大爆笑が。それだよ!それを待っていたんだよオレは!!なんでこんなに待たせたんだよ君たちは!!!!ってなもんですよ。

するとななんと先生は、英語がファースト・ラングエッジじゃないこのワタクシが、あんなすっげえ英語の駄洒落を思いつくとはすぐには信じられず、スペルミスの偶然の産物なんじゃね?と半信半疑だったって言うんですよ!

その場にいた何人かは、いや、自分は気付いていてすごく感心してたよ、と言ってくれたんですが、大多数は、そ、そうだったのか!!と初めてそこで開眼した様子。

いやあ、人間の思い込みとは、かくも恐ろしいものなんですね。
私が私じゃなくてジョン・クリーズとかだったら、言葉の最初の一文字を見ただけで、みんなわけもわからず爆笑したにちがいない。そんなもんだよ人の世なんて。

去年の作品を抱え、薄暗い部屋で笑うホラーなオレ

そしてまた、それは一体どんなジョークだったのか、とここで日本語で説明しても、アメリカン・ジョークを日本語で語っても全く響かないデイブ・スペクターのように、決して面白くないはずなので、説明はしませんがね。

ジョークって、実はとっても繊細なナマモノだよね。
些細なタイミングや状況で、全然生きなかったりするんですよね。

だからこそ、同じ瞬間に同じことで笑えるかどうかが、仲良しでいられる大切な条件だったりもする。(それが全てではないけども)

そういう意味で私はしばし、大変孤独な日々を送りましたよ。しかし最終的には誤解(?)も解け、みんな笑ってくれたんでよかったよかった。

そしてこの出来事が今年の私にとっては、最もハロウィン恐怖な体験なのでした。



ゴールデンのダウンタウンを歩くハロウィン親子

2014年10月23日木曜日

ヴァーモントふたり旅

マンチェスターの宿の庭

のんびりと、紅葉世界一の異名を持つ、秋のヴァーモントへ行って来ました。

もっとも、のんびりしてたのは私だけで、一緒に行った友達は、片道10時間という道のりをぶっ通しで運転し続け、最初の目的地ストゥの村に着いた時には、紅葉だからってなんなのよ、ってな風情になっていましたけどね。夜もとっぷり暮れてたし。

ストゥの村

そんな友人がどう思っていたかは知りませんが、ヴァーモントはとにかく素晴らしかったです。

ストゥの村は観光地化されてもいたので、アーミッシュな雰囲気を味わえるかなという期待はやや裏切られましたが、自然を尊重する人々の暮らす村には、なんともゆっくり豊かな時間が流れていて、ただいるだけで心がふわーっと安らかになる感じが、大変幸福でした。

それに今回の旅、まるで誰かが草葉の陰でわたし達の話を聞いていて、欲しい物を全部あげようと頑張ってくれてるみたいだね、と友人と度々溜め息をついてしまうくらい幸運な出来事が頻発。
しまいには、もしかしてオレたちしぬんじゃね?的恐怖が襲ってくるほどのうまく行き具合でした。

中でも食べ物には恵まれていましたね。

東海岸ということで、またしても美味しいロブスターにありつけることを期待していたワタクシですが、ヴァーモントに関してそれは大きな誤解と判明。ストゥのどこにもロブスター屋なんてありゃしません。

それでも素晴らしいウッド・オーブン・レストランを見つけたわたし達は、そこで完璧な鴨料理を食べては有頂天となり、グルテン・フリーな食生活を徹底している友人は、グルテン・フリーとは思えないリッチなパンやケーキを出す店を見つけては舞い上がり。

ウッドオーヴンで仕上げた鴨料理。プラムソースで味付け。これで一人分。


そして友人から、東部名物ポップ・オーバーというパンの話を聞いて、一度は食べてみたいもんだと思っていたら、ヴァーモントでの最後の夕食に訪れたレストランで、「ランチに焼いたのがひとつだけ残っていたからあなたに。」とか言われて突然目の前に。

別にそのレストランの人は、わたしがポップ・オーバーを探し求めていたなんて知らないわけですが、あたかも"全てお見通しよ"的態度で、「ラッキーね。」とか言ってくださって大変シビレました。

手前がポップオーバー。奥に見えるパンは友人用のグルテンフリー・パン

ポップ・オーバーは、シュークリームのシューとクロワッサンの間みたいなパンで、バターの風味たっぷりのクロワッサン生地が、さくっもちっなシューになっているというかなんというか、とにかく、大変わたし好みのお味でございました。

そして食べ物ラッキーのハイライトはなんと言っても、ストゥから次の目的地マンチェスターへ移動する途中の出来事でございます。

その日は朝から雨模様で、霧に包まれたなんとも荘厳で幻想的な紅葉の森をうっとりと車で走り抜けながら、わたし達ふたりは腹ぺこでした。
なんたって、大自然ばかりでお店が一軒も無いんですよ奥さん!

どうすりゃいいんだろうねオレたちはトホホ、などと話しながら、目を見張るような美しい湖と渓谷に出くわした矢先に、獲物を狙う鷹のごとく動体視力が著しく上昇していたわたくしの両眼に、一軒の可愛らしい山小屋が飛び込んで来ました。
運転していた友人は、美しい湖と渓谷にすっかり目を奪われていたらしくスカっとその前を通り過ぎてしまったのですが、わたしからの激しいブーイングを受け、そんな小屋あったかよ、とか言いながら戻ってくれました。

レストランなのかどうかも定かでは無かったその山小屋の扉をそおっと開けると、中はこんな内装で。レストランでした!やっほー!!!!



しかも一歩足を踏み入れた途端にわたくしの鼻がいち早く感知したのは、ここにはまさかのロブスターがある!ということでした。

メニューを見ると明らかにシーフード専門店の品揃え。
入り口に猟った鹿の剥製が飾ってあるくせに。
そしてありました!あったんですよロブスターが!!!

とは言え。
例え東海岸でも、ロブスターにはお味にピンキリがあります。
しかもそこでは、通常お安くても30ドル〜40ドルはするロブスターが何故か19ドルというお安さ。
これっておかしくね?よく見ると、 LOBSTERじゃなくてTOBSTERとか書いてあるバチモンじゃね?と心に一抹の不安が。

するとそんなわたしの繊細なハートを知ってか知らずか、地元民らしきお客さんがわたし達に、ここのシーフードは新鮮で最高だよ、間違いないよ、と声をかけてくれたんです。
すかさず注文する飢えていたオレ。

すると、ハサミはついていなかったけど、なんと結構大きな二尾ものボイルド・ロブスターが!!!

ロブスター・テール、スイートポテトフライ、コールスロー、溶かしバター、というコンビネーションもロックポートそのまま♡

しかもお料理の仕方が大変洗練されていて、ロブスターも新鮮で柔らかくてとってもジューシー。遠い昔、ボストン郊外のロックポートという海辺の村で、目の前で水揚げされたロブスターをボイルして食べさせてくれたあの思い出の味に匹敵する美味しさでした。

こんな山の中の一軒家がまさかシーフード・レストランで、こんな新鮮なロブスターを出してくれるなんてと、狐につままれる心境とはまさにこのこと。
オレたちって実はサリーちゃんで、エイっと星付きのステッキを振ってこのレストラン出しちゃったんじゃね?とマジで思ってしまったほどの幸運でした。

こんな風に食べ物の幸運に恵まれ続けたわたし達でしたが、もうひとつ、絶対に触れておかねばならない味がございます。

それはストゥのアップル・サイダー工場で飲ませてくれる、作り立てのアップルサイダーです。
こんな風にタンクから直接出試飲させてくれるんですが、これがもうあなた。

飲んだ瞬間、頭を鈍器で殴られたみたいなショックを受ける程の美味しさなんですよ!

あんな林檎ジュース、初めて飲みました。

ポップオーバー・ブレッドのことを教えてくれた友人もここの工場を訪れこれを飲んだそうなのですが、それ以来林檎ジュースを封印したほど、やはり大変感動したそうです。
これだけ飲みに遥々ストゥまで出かける価値があるくらい、非常に特別な林檎ジュースでした。

ここはまた林檎酵母から作るドーナツも名物らしく、みんなダース買いしてましたよ。わたしももちろん買ったがね。

その他にもこの旅では、たまたまオクトーバー・フェスタに遭遇して夜はパーティーに参加、朝はかわいらしいパレードまで見ることが出来て、本当に恵まれていました。

小さなヴィレッジのお祭りなので盛大さは無かったけれど、様々に工夫された演出が素朴で楽しくて、ちょっとパスカルズ初めてのフランス公演で行ったナンシーのクリスマス・パレードのことなんて思い出しちゃいました。

そう。
今回改めて感じたのは、やっぱりアメリカ東海岸の自然や雰囲気は、中西部とは全く趣きが違うということです。
中西部に住む人も言ってたけれど、東海岸の美しさはかなり繊細というか、微細な美なんですよね。

中西部がどかーーーんだとしたら、東海岸は楚々....という感じ。
まるでヨーロッパにいるみたいだな、と始終感じてましたが、地理的にももしかしたら昔は地続きだったのかもしれません。

一口にアメリカと言っても西海岸にはまた別の趣きがあり....しかし考えてみれば、「アメリカ」、なんていう概念は人間が勝手に括った国境ですからね。自然にしてみたら知ったこっちゃ無いですよね。あれだけの面積があるんですから、あっちこっちが全く違っていて自然なんですよね。

まあそんなわけですが、ヴァーモントは本当に安らげる土地で、実に離れがたかったです。普段ニューヨークなんか好きで度々行ってる私が、ヴァーモントの帰路にニューヨークに入った瞬間に、すっごく悲しくなってしまったほど。
オレの体は、やっぱり大自然に馴染む様に出来ているんだぜ。

ところで全体的にショップ数が圧倒的に少ないストゥとマンチェスターの村でしたが、一軒一軒は大変充実の内容で、狭い軒先を入ってみると、ものすごく奥まで広がった大きなお店だったりするんです。

特にマンチェスターに滞在中は、ショップの魅力をおおいに楽しみました。

マンチェスターから30分程の村にあったクリスマス・ショップ

ストゥのアート雑貨屋さん入り口

そんなわけで初めてのヴァーモント旅は大成功。
次回は夏の花盛りの時期に来て、友人お薦めのターシャ・トゥーダーさんのお庭を訪れたいなあと思っています。


最後に、ある朝起きたら世界が薔薇色に染まっていた、ストゥの宿からの景色をば。
あのとき程、早起きは三文の得、を実感したことはありません。。本当に不思議な美しさに満ちていた瞬間でした。




2014年10月8日水曜日

黄檗普茶料理 初体験話


干菓子と宇治茶からスタート

パスカルズのツアーで京都に行く前に、偶然二カ所から黄檗普茶料理の話を聞いた。そしてとても心惹かれたのです。

江戸時代初期に中国から招かれた坊さんによって始まった黄檗宗というのがあって、このお料理はそれ由来なんだそうですので、その宗派の知識もなんにも無いのに食べてもいいのか、という気分もややありましたが、宗教や信仰というものはそもそもおおらかなものであるはず、と思いますので、お相伴にあずかることにしたのです。
美しい蘭茶。蘭は塩漬けで食べられます。

私はあんまり自分の行動に人様を巻き込まないタイプなのですが、このお料理を出してくださるお寺では ふたりからの予約となっていましたので、思い切ってパスカルズのM井部長やお友達数人をお誘いしてみました。

 調べてみると京都にはこの黄檗普茶料理を食べさせてくれるお店が三軒、お寺がひとつあり、実のところ目的であったお寺の予約は間に合わなかったので、お寺の門前にある料亭に行きました。ちなみにここは、ひとりからでも予約を受け付けているようです。
湯葉の山椒和えとキノコと山芋の和え物

そしてお料理はこれがもう、素晴らしかったです!!

盛りつけの美しさも、お料理の種類も味付けも、なにもかも私好み。少し中華に寄った和懐石精進料理、ということでしたが、あまり中華料理の風合いは感じなかったな。

もうちょっとなんていうんですか?
"古代"、という印象が。
唯一中華料理っぽかった野菜の炒め物
私は、過美な装飾の施されていない、古代のすとんとした美の風合いが大好きなのですが、このお料理はまさに、味付けも色合いもそんな感じが。          
真っすぐに、素材の美味しさと天然の色彩の美しさに落ちてゆく様な、潔い清々しさがあります。
しかし決して素材に頼り切るわけではなく、そこにはお料理人さんの、加え過ぎない、しかし退き過ぎもしない、という透徹された感覚が、満ち満ちていました。                                     
胡麻豆腐二人

精進料理なので魚もお肉も全く使っていませんが、鰻に似せたお豆腐のお料理などは、確かにほんのりと鰻の味を感じて面白かったし、別に鰻にこだわらないとしても、そういう発明料理としても美味しくて楽しめました。

和食が文化遺産になるには、やはりそれなりの価値があるなと改めて思いました。
野菜料理あれこれ
他の国の料理と比べて、ということではなく、この国の料理には、深く自然界の森羅万象に寄り添う、独特の風雅があるのですよね。

これはおそらく、人間の造り上げる文化の基本の要素として、大切に保たれてほしいものだと思いました。

というわけで、すっかり感銘し、普茶料理にはまってしまったワタクシ。。。

実は京都には銀杏庵さんという、建物自体も世界遺産になっているという小さな普茶料理のお店があることを突き止めました。

しっかり味のついている天婦羅。
一番下の黄色いのは、湯葉で作った満月だそうです。
ここは 一日に4組しかお客をとらないということで、競争率も激しいらしいのですが、今度是非行ってみたいと思いました。

ところで都内にも一軒、宇治の萬福寺で普茶料理を作っておられたという方の、普茶料理のお店があるそうです。

どうしても食べたくなったらそこも狙い目だなと、虎視眈々と次の訪問を狙うオレ様なのでした。


おひつで出て来る季節のご飯と香の物


松茸ご飯




絵画の様なお吸い物 
デザートは紫蘇のジュレ

2014年9月4日木曜日

ブレイキング・バッド


有名なドラマなので、説明はいらないでしょう。私もつい最近、ハマったのです。

色んな事を考えさせられるドラマですねえ。
アメリカ人がどういう了見でこのドラマに夢中になったのかはわからないけれど、私も今、夢中なんですよね。

このドラマは、脚本が面白いとかそういう、面白いドラマに備わっているべき基本的な条件は十二分に満たし切っています。それに加えて私は、彼らの創るドラッグが美しい青だという事に、大きな人気の理由もあるんじゃないかな、と思うのです。

なんか、宝物っぽいよね。

人間を破滅させる危険なヤク、すえたジャンキーの使う怪しい薬、というダークで薄汚れた印象が、彼らのブルーメスには無い。

それは創り手のホワイト先生が天才的な化学者で、このメスは誇り高き純度99%。
色んなアブナいまがい物で薄めて、ジャンキーを騙して売ろうという濁った意図が、全く無いから。

というか技術的には、そもそも始めに使っていた材料が手に入らず、別の手段を高じた結果生まれた偶然の産物ではあるのですが。

あ、もちろん、ホワイト先生に偶然はありません。
化学者だから、青くなることはもちろんわかっていたでしょう。

でも、世の中を席巻する可能性や力を持つ物って、こういう特別な特長がーこの場合は”青いメス"ですがー生まれた瞬間にもう、冠の様に与えられていること、与えられる運命にある事って、よくあることだと思うんです。

ホワイト先生のメスは、はじめはよくある白い粉だったけれど、ひょんな事から輝く澄んだ青い色に生まれ変わり、あっという間に評判を呼んで、それはそれは高価な値で闇取引されてゆくわけです。

このドラマの主人公はこんな風に、歴史にでも残りそうな唯一無二の麻薬を作って売って、必要とあらば人を陥れたり殺したりもする。

だけど元々は善良で気弱で平凡な、高校の化学教師だったわけです。

それがある日末期のがんになって余命を宣告される。
愛する家族の為にお金を残したいけれど、しがない教師ではたかが知れている。
それで始めたメス創りは、思わぬ形で彼の才能を開花させてゆき、明晰な頭脳と豊富な化学知識で、ありとあらゆる危機を、天才的に、そして生き生きと脱してゆくのです。(しかもその過程で病気も良くなっちゃうんだよね)

輝く青いメスは、徐々に開示され研ぎすまされてゆく彼の才能と存在そのものの様で、それはまさに、ゴミ溜の中に埋もれていた宝石が突如現れたかのような、きらきらとした象徴的な美しさなのです。

すっごく悪い事やってるんだけどねえ。
でも純然たるヒトという生命体としては、彼は自分の天性の持ち札を全て投入して、一流のドラッグを創り、危機を脱し、家族を守り、どんどん拡大してゆくという点で、私はなんとも責められないんだよね。

ちなみに彼そのものは、絶対にドラッグはやらない。
いつも明晰な状態で、いつの瞬間にも、とことん最高の手段を打つのです。
そしてどんどん勝ち抜いてゆく。

まだ全部見ていないから、どんな終わり方をするのか私は知らない。
数え切れないほど悪い事をたくさんして、どんどん残酷になってゆく主人公を、このドラマがどんな風に裁くのか、あるいは裁かないのか、わからない。

まだ初期の頃、「人は結局欲しい物を求める。自分らがこのメスを創らなくても、どうせジャンキーたちは他のメスを買い求める。でもそれは、危険な物がいっぱい混入した危ないメスなんだから、自分らの純度の高いメスをやった方が、彼らにとってもいいのだ。」などという、すんごい言い訳を端役の人が言ってたんだよね。

理想を言えば、ドラッグを作る人も売る人もジャンキー達も全員更正して、世界からそういう物がゼロになるのがいいわけだけど、現在の人間の世の中は、そうはなっていない。

同じ毒物ならば、欲と欺瞞に満ちた混ざり物の汚れたドラッグなんかより、ホワイト先生が誇りをかけて創る、純度の高い美しい青いメスの方が、なんだか体に良さそうな感じまでしてくるという恐ろしさ笑。

もちろん、絶対に正当化は出来ない麻薬ビジネスだけど、ホワイト先生のケースについては、人間の敷いた法律や常識や、あるいは良識や良心なんかを全く動因しないで、ただ彼の動向を見守ることを、許されている感じがするんですよね。

それがもしかしたら、開放的なのかもしれない。

瞬間瞬間に直面する現実を、最高の形で乗り越えてゆくという彼のゲームは、それがとことん、余命宣告された時からずっと、始めっから命がけだから、のんきにソファでドラマを観ている自分なんかが、頭で考えた浅薄な、外から植え込まれた良識や常識なんかで、判断しちゃいけないんじゃないかな、とも思える。

なんにつけても、粛々と行動している人を、なんにもしないで考えているだけの人が、責めたりジャッジしたりケチつけたりは出来ないってのは、人としての基本だもんね。

まあドラマも終盤にさしかかると、始めは純然たる「最高のメスを創る」マエストロだったホワイト先生が、果てしない世界征服の欲に動かされ始めちゃったから、もしもそれがホワイト先生の道ならば極められるんだろうし、そうじゃなきゃ、それなりの結末も来るのかな、って感じで、やや混沌とした様相が、出て来始めてはいるのですが。

どうなるのか、とても楽しみです。

2014年8月13日水曜日

"100年ごはん"を観た (1)


日本には大変な事がたくさんあったんだなあ、という想いが、映画を観ている最中にふと心によぎった。

戦争で焼け野原になって、食べる物が無くなったこともあった。

映画の内容とは関係の無い、突然心によぎったこの慈しむような想いは、認可されている食品添加物の数がアメリカの3倍、イギリスの20倍という日本の国の現状にいつも私が抱く、蔑みや苛立ちや怒りや悲しみの入り交じったような感情とは、全く相反するものだった。

日本は食べる物さえ十分に得られないような過酷な時代を生き抜いてきて、そして食品に化学薬品や添加物を使ったり、農作物に農薬や人工的な作為を施すことによって、早く安く確実に、食べ物を普及することに成功したのだ。

安全で自然な作物を100年後の子供達に残せる様にと、大分県臼杵市が始めた土作りからの自然農業について描かれているこのドキュメンタリー映画が、私の心にまず芽吹かせてくれたのは、農薬や食品添加物だって、当初はこの臼杵の人々の貴い取り組みと同じ動機から生まれたのかもしれない、子供達を飢えさせないようにと、創意工夫した結果だったのかもしれないんだ、という、頭を垂れる様な感謝と崇敬の想いだった。

私は一体どうしてしまったのか。
オーガニック志向の私にとって、食品添加物や農薬を多用して私が気持ちよく食べられない物を増やす人々は、ただ忌々しい存在でしかなかったのに。

この映画で描かれている人々は、自分の信じる崇高な意思に、ただひたむきに従う人々だ。その姿が私に、いつの世でも、方向は違えど、人間という物は、良い物を作ろうとする生き物なのだというシンプルな、けれど美しい現実を、思い出させてくれたのである。

私は"100年ごはん"の中で、従来の、産業廃棄物を使った物ではない、安全で健康な熟成堆肥を黙々と作っているひとりの農夫の姿に胸を打たれながら、飢えた子供達の為に安定した食物の供給を行えるようにと、添加物や農薬や遺伝子組み換えを黙々と研究する人々の姿を重ねて見ていた。

そこにあるのは愛だけであり、もしかしたら人間は大抵の場合、そうした想いで様々な物を開発してきたのかもしれない。飢えさせない、凍えさせない、乾きさせない、苦しめない、という、他者への限りない愛とシンパシーを動機として。


映画"100年ごはん"は、自然農法への方向転換を静かに、そして力強く描き出しながら、そうでない物たちのことを、決して裁かない。
ただ、もう日本には、食べ物を廃棄する国世界一になってしまったくらい豊富に食べ物があるんだから、今度はそろそろ、その質を高める方向に舵を切ろうよ、と言っているだけなのだ。

成長は、子供たちの仕事。大人がやるのは、成熟へ向かうことだよ。という言い方で。

高度成長期に、飢えない日本を作ってきたその叡智を、今度は成熟へ、本当に質の高い、本質的な物を生み出す方向へと、舵を切る時期が来たんだよ、と。

やりきれないような事の続いた時代に、ただただみんなが生き残れる様に必死に頑張ってきた日本だけど、今度はゆっくりと周りを見回して、自然の恵みを、見直してみようよと。
コントロールではなく調和することで、もしかしたらより多くの恵みを、自然界は提供してくれるのかもしれないという可能性を、もう一度信頼してみようよ、と。


日本は戦争という、大きな傷を抱えて生きて来た国です。

食べ物が無い、という事を一度でも経験すれば、恐ろしくてがむしゃらになるのは自然の事だ。
自分が、自分の子供が、友達が、親が、兄弟が、他人が、飢えて死ぬのなんてもう見たくない。

だから自然界を信頼し、身を預け、ゆったりとそれと調和して生きることなんて、とても怖くて出来なかったかもしれない。
今までは。

だけど今、ようやく私たちは、固く握っていた舵の手を緩め、風と波の導きに身を委ねる強さを取り戻し始めたのではないだろうか。

雑草や害虫が、実は私たちを脅かす敵なのではなく、役目を持ってこの地球に生まれ、糧を得ようとする私たちの支えになってくれる存在なのかもしれないという可能性に、心を開く強さを。


この映画の中で、その繁殖力の強さから、雑草として駆除される対象となっているナズナが、実は豊富なカリウムを含有し、土壌にカリウムを提供してくれている、というくだりと共に紹介される、ナズナの花言葉を聞いた時、私は泣いてしまいました。

「すべてを捧げます」


いつも何も語らずに、地球に住む生物たちに、滋養や薬効や美しさを提供してくれている植物の声を、聞いた様な気がしたからです。

私たちはそろそろ本当に、自分を取り巻く世界が、いつも無条件の愛と献身を提供し続けてくれているのだという事に、気が付く時期に来ているのかもしれません。

この映画を作られた大林千茱萸監督ご自身が、その事に優しく深く気付いているからこそ、この映画はこんなにも、まるで熟成堆肥にように、観る者の心に愛を呼び覚まし、栄養と勇気をくれるのかもしれません。


この映画にまつわる想いと上映会などへの感想は、しばらくこのブログで続けて書かせていただきます。
何故なら、この映画と今日千茱萸さんが語られていたお話は、殆ど15年くらい前に、私が某誌で連載していた、ネオ・マクロビオティックのレシピを紹介する為の創作童話の内容と、大変共通しているところがあるからです。

その童話も、こちらに全文掲載する予定です。