温帯低気圧で大雨の中、ニヒル牛2へ行ってお針子バンビに頼んであったブラウスを引き取った。
バンビのブラウスには私が独特の彩色を施し、5/22から始まるニヒル牛2での私の展示会に出品する予定だ。
この展示会についてはまた改めてお知らせ致しますが、準備期間にとっておいた日々にエマージェンシーが重なり、正味10日間くらいしか無くなってしまった制作日程の中で細々と作業を進めているという悲しい現実があるので、あんまり大々的に宣伝していないアタクシ。泣いてもいいですか。
ところで。
今ニヒル牛2では旅本展をやっていて、様々な方々が手作りの旅本を展示している。あんまり時間が無かったからじっくり見れなかったけど、鷹の目を持つと言われているわたくしが一瞬にして発見したのが、大好きなビーズ作家ココマコムーンの書いた手記"地球無期限の旅"である。
以前これの前編を読んで大変気に入っていたので、後編を発見できてとても嬉しかったから、400円出してすぐに買いました。
この本は、理不尽な大家さんや不動産屋さんに翻弄されて怒れる獅子となったココマコムーンが、法律などを盾にひとり戦う様を描いた小気味の良い手記である。
歯に衣着せない文体がカタルシスをもたらしてくれるので、ニヒル牛2へ行って是非買ってみてください。
この手記を読んでしみじみと感じたのは、アーティストを甘く見てはいけないよ、ということである。
実は私もしばらくの間、理不尽な人のもたらすいくつかの理不尽な出来事の渦中にあって静かな戦いを繰り広げていたのだが、その理不尽の中で幾度と無くちらほらと聞こえて来たのが、私がアーティストであるため浮世離れしていて、実社会的云々に関して地に足のついた解決能力が無いから心配だ、という、実社会に精通していると自負している社会人たちからの声だった。
その人たちからしてみると私はどうにも頼り無く、誰かが何とかしないとダメだ、と思っちゃうようなのである。
しかし冷静に物事を良く見てみれば、常に行動し実現し解決しこなしているのは私の方であり、その人達は私の作り上げた土台に対して後から色々言うだけであり、ゼロから物を創ったところを見た事が無いので、何を根拠に自分たちの方が地に足が着いていると信じているのかがわからない、という不思議さがある。
どんな物でもそうだが、ゼロから創る、という事と、既にある物にアレンジや校正を加える事との間には、次元をいくつも超える大きな差があるのだ。
批評家がどんなに頭のいい批評を述べた所で、それは既にあるものについてあれこれ言っているだけなのであり、それはいわば人のふんどしで相撲を取っている状態なのである。
人は誰でも脳内イメージの世界でならどんなに壮大で素晴らしい物でも創れるので、実際に手を施していなくてもやれば出来ちゃうような気になって、人の作品に対して平気でクリティカルになれちゃったりすることがある。時にそこを完全に錯覚して、脳内で出来ちゃう自分を三次元でも出来ちゃう自分だと思い込んで、物理的に行動している人に対してあれこれ偉そうに言っちゃう人もいるのである。
これは愚かな事ですね。
というような、頭に来る程でも無いけれどうっとうしい、という経験がしばし続いていたのだが最近私はそれらの全てに勝利してせいせいしていたところだった。そしてココマコムーンの手記を読んだ。
それで改めて思ったんだけど。
アーティストっていうのは、いわば日常的に無から有を生み出している人種なんですよ。
作品を創る時、そこに法律や常識や社会通念が介在する事は無いので、完全に自由な状況の中で、無限の海を泳いでいるわけ。
ココマコムーンの手記を読むと、彼女が理不尽な大家と対峙する時、そこにあるのは完全に、無から有を生み出す、アーティストの創造性だな、とよーくわかります。
その、無限の可能性の中で無から有を生み出すことを日常の当たり前としている人とさ、色んな常識や社会通念にがんじがらめになっている、自称オトナな社会人が勝負したら、どっちが勝つと思う?
ココマコムーンの手記に勇気をもらって、私は今こそ、高らかにこう言いたいわけよ。
数年前、絶対に無理だありえない、と、プロの司法書士の人でも目を疑った、初めての申請で5年のEクラスビザの取得という奇跡を成し遂げたのは、私なんだよ。
これは私が日常的に、無限の海の中から有を生み出す作業をしているからさ、”常識的に無理”、なんていう概念に、何の意味も無いということを、身を以て知っているから出来た事なんだよ。
社会常識や人情を知り尽くしていて、その理の中で生きている人には、その理の中にある現実しか、生み出せないんじゃないのかい?
浮世離れしているからこそ出来る事は大きい。
私はこれからも常にゼロ地点から、自分で自由に現実を創り上げて、オリジナルに生きてゆくよ。頼りないと言われてもな。
2015年5月12日火曜日
2015年4月15日水曜日
帰って来た欧州ツア〜
何度もブログなどに書いていますが、私は8年前にアメリカのコロラドにある7年制の学校に入学して、アメリカの大学院レベルに相当すると言われている専門的な勉強をし始めました。
好奇心から入ったので始めはもっとお気楽に考えていたのですが〜大変だったらやめりゃいいや、とか〜実際にはそうも行かず、内容も思っていたより密度が濃く、宿題の量も膨大。。学年が上がるに連れ内容もハゲシさを増し、平行して行う事が難しくなってきた案件がいくつか出て来て、実際のところ、一生あきらめる覚悟で手放さねばならなくなった物事もありました。
とはいえようやく、優秀だったアタクシは飛び級で一昨年の夏、早や5年目にして卒業とプロ認定証を貰い、残りの2年は、クラスメイトと一緒に卒業したい、という私の願いで学校に自主的に残り、7年結実の卒業式も昨年10月に終わりました。
遂に完全なる修了。ご苦労さんでした私。
というわけですが。
その後、人生の大きな割合を占めていた学校&宿題からいきなり解放されてぽかんとしている私に、面白い事がじわりじわりと起こり始めたんですよ奥さん!
それは、意図するしないに関わらず、学校滞在中に私の人生から消えていったいくつもの物事が、申し合わせた様にカムバーーーッック!し始めたんですねこれがまた。
そのひとつが、パスカルズ欧州ツアーです。
欧州ツアー。
これが学校滞在中の私の、最大の恐怖でした。
もしこれが、学校開催期間中に発生してしまったらどうなるのか。
もう絶対、無理無理無理ーーー!!!なんですよ、細かい事情説明は省きますが。
だけど念力で、ツアー来るなとやるわけにも行きませんから、殆どギャンブルな気分で日々を過ごしていたんですね。7年間!!
実際のところ、在学中に一度だけ海外ツアーがありました。
しかし、なんとそれは学校開催期間中ではない3月というラッキーさ。内容も、オーストラリアとニュージーランドのWOMADフェスティバルに一回ずつ出るだけというシンプルな物だったので、日本を留守にするのもほんの10日間程で済みました。
とは言え、欧州ツアーには楽しい思い出もいっぱい。
運良く無いよ、と思う一方で、無いのも悲しいよ、というのもまた本音。
人間て、なんてワガママな生き物なんでしょう。
でも、そんなワガママを聞いてくれるのが神様の仕事です)爆!
私「去年学校卒業したんだから、そろそろあってもいいんじゃね。欧州ツアー。」
神「あ?あ、あ、ああ、そ、そんじゃ・・・・」
てなわけで。
軽く腰を上げてくれた神様のお陰で、今夏三か国三カ所の音楽フェスからお呼びがかかり、その合間に他にもなんかやるかも、的な欧州ツアーが決まりました。
そして、学校卒業してなんとなく生まれ変わった気分の私にとってとても象徴的に感じるのが、今夏の欧州ツアー、最初はフランスのレンヌが皮切りだということ。
パスカルズの欧州行脚は、なんたってこのレンヌで開催された、トランスミュージックフェスティバル出演が始まりなんです。
欧州のミュージシャンの多くが、このフェスで注目されたことによって後に大物に育っていった、と言われている由緒正しきロック・フェス。
パスカルズもこのフェスに出演後、怒濤の様なスター街道を、ヨーロッパで走っていたらしいですよ奥さん。
なんで他人事の様に話すかと言えば、日本にいると欧州でどんなに有名になってても、はっきり言って蚊帳の外って言うんですか?色んな有名誌に載ってるパスカルズの記事とかは手元に届くんですが、別にそれだけって感じです。
前にユーロケエンヌっていうやはり大きな音楽フェスに出た時に、パスカルズ女子チームでうらうらフェス会場の道を歩いていたら、いつの間にか花道みたいに人が路肩に寄り始めて、その人たちが、誰が始めるともなく私たちに拍手をし始めたので、あまりにも怪訝に思い過ぎた私たちは、互いに身を寄せ合い猫背になってヒソヒソ呟きながら、足早にその場を立ち去った、という事がありました。
あと、やはりどこかのフェスで、本番が終わった後にひとりで屋台でも冷やかそうと楽屋から出たら、一瞬にしてものすんごい数の人がこのアタシに押し寄せて来て、屋外にも関わらずギューギューの満員電車状態となり、写真撮られたりサインを求められたりしたってこともあったんですよ。
そういった全ての出来事が、「いったいなんなんだ?」という不可解怪訝な気分しか心に引き起こさなかったほど、ヨーロッパでパスカルズが知られている、なんていう自覚は持てなかったんですよね今にして思えば。
恐らくあの時人々は、パスカルズの人って感じ悪!って思ったかもしれませんねえ。
まあ、そんな風に自覚の無いまま欧州で忙しかった日々も去り、大きなインターバルー〜いわば下火ってやつ?が訪れ、今夏ようやく、パティ・スミスやスティングやジョーン・バエズ等も出るっつう、超メジャーな音楽フェスに呼んでいただくことになりました。
これを記念してまたツアー漫画でも描きたいものです。多分またきっと、すんごい愉快な出来事が、三木さんを始めとしたメンバー全員に、起こるに違いありませんから。
写真は、今夏2番目に出演する、スイスで開催されるパレオ・フェスティバルのサイトから持ってきたものです。
こうした英語でのパスカルズ紹介ページも、なんだか懐かしくて愛おしい感じです。
ところでパスカルズ欧州ツアーと言えば、私の漫画を読んでくださっていた方はご存知かもしれませんが、大型ツアー・バスでの地獄旅です。
ありえないような複雑な行程を、つまり日本で言えば、東京から那覇に行って、那覇から函館に飛んで京都で一泊、みたいなめっちゃくちゃな行程を、一台のバスで片道10時間とか平気でかけて移動しちゃうみたいなあの地獄旅〜つまり、呼んでくれるフェスやコンサート会場に準じて移動するからそうなっちゃうわけですが、とにかくその無謀さには定評が。
とはいえ喉元過ぎれば熱さを忘れるもんで、今やあのバス旅を懐かしむ声もひとしお。
今回もマネージャーのフィリップが、あの大型バスでのスケジュール表を作って送ってくれたので、わーい!またあれで回れるんだねー。と大喜び。
しかし予定表をよく見ると。
ジュネーブからポルトガルまでひとっ飛びさ!みたいな旅程が時々あるじゃないですか。
地理に詳しい石川さんによれば、それわ東京-ソウル間の距離を二日くらいかけてバスで移動するっつう、今までの地獄を軽々と超えた人間離れしたスケジュールである事に気付き、今回はさすがにバス旅を速攻で却下。
今現在、代替となる旅路案を検討中のわたくしたちなのであります。
欧州のミュージシャンの多くが、このフェスで注目されたことによって後に大物に育っていった、と言われている由緒正しきロック・フェス。
パスカルズもこのフェスに出演後、怒濤の様なスター街道を、ヨーロッパで走っていたらしいですよ奥さん。
なんで他人事の様に話すかと言えば、日本にいると欧州でどんなに有名になってても、はっきり言って蚊帳の外って言うんですか?色んな有名誌に載ってるパスカルズの記事とかは手元に届くんですが、別にそれだけって感じです。
前にユーロケエンヌっていうやはり大きな音楽フェスに出た時に、パスカルズ女子チームでうらうらフェス会場の道を歩いていたら、いつの間にか花道みたいに人が路肩に寄り始めて、その人たちが、誰が始めるともなく私たちに拍手をし始めたので、あまりにも怪訝に思い過ぎた私たちは、互いに身を寄せ合い猫背になってヒソヒソ呟きながら、足早にその場を立ち去った、という事がありました。
あと、やはりどこかのフェスで、本番が終わった後にひとりで屋台でも冷やかそうと楽屋から出たら、一瞬にしてものすんごい数の人がこのアタシに押し寄せて来て、屋外にも関わらずギューギューの満員電車状態となり、写真撮られたりサインを求められたりしたってこともあったんですよ。
そういった全ての出来事が、「いったいなんなんだ?」という不可解怪訝な気分しか心に引き起こさなかったほど、ヨーロッパでパスカルズが知られている、なんていう自覚は持てなかったんですよね今にして思えば。
恐らくあの時人々は、パスカルズの人って感じ悪!って思ったかもしれませんねえ。
まあ、そんな風に自覚の無いまま欧州で忙しかった日々も去り、大きなインターバルー〜いわば下火ってやつ?が訪れ、今夏ようやく、パティ・スミスやスティングやジョーン・バエズ等も出るっつう、超メジャーな音楽フェスに呼んでいただくことになりました。
これを記念してまたツアー漫画でも描きたいものです。多分またきっと、すんごい愉快な出来事が、三木さんを始めとしたメンバー全員に、起こるに違いありませんから。
写真は、今夏2番目に出演する、スイスで開催されるパレオ・フェスティバルのサイトから持ってきたものです。
こうした英語でのパスカルズ紹介ページも、なんだか懐かしくて愛おしい感じです。
ところでパスカルズ欧州ツアーと言えば、私の漫画を読んでくださっていた方はご存知かもしれませんが、大型ツアー・バスでの地獄旅です。
ありえないような複雑な行程を、つまり日本で言えば、東京から那覇に行って、那覇から函館に飛んで京都で一泊、みたいなめっちゃくちゃな行程を、一台のバスで片道10時間とか平気でかけて移動しちゃうみたいなあの地獄旅〜つまり、呼んでくれるフェスやコンサート会場に準じて移動するからそうなっちゃうわけですが、とにかくその無謀さには定評が。
とはいえ喉元過ぎれば熱さを忘れるもんで、今やあのバス旅を懐かしむ声もひとしお。
今回もマネージャーのフィリップが、あの大型バスでのスケジュール表を作って送ってくれたので、わーい!またあれで回れるんだねー。と大喜び。
しかし予定表をよく見ると。
ジュネーブからポルトガルまでひとっ飛びさ!みたいな旅程が時々あるじゃないですか。
地理に詳しい石川さんによれば、それわ東京-ソウル間の距離を二日くらいかけてバスで移動するっつう、今までの地獄を軽々と超えた人間離れしたスケジュールである事に気付き、今回はさすがにバス旅を速攻で却下。
今現在、代替となる旅路案を検討中のわたくしたちなのであります。
2015年3月26日木曜日
ジュース・クレンズに残された謎
三日間のジュース・クレンズを終えて1週間くらい経ちました。
食生活の方向性がシンプルになったまま戻らず、いい感じだと思います。
また、クレンズ前にあった、夕方になるとカリカリした物を食べたくなるという衝動が、今はもう全く消えました。
もう本当に、跡形も無く消えたのです。
今思えば、今回のクレンズで最も厳しかった点は初日、この、歯応えのあるカリカリした物をカリカリ噛みたい、という衝動との戦いであり、空腹を含めそれ以外の苦痛は全く無かったと言っていいでしょう。
唯一、このカリカリ衝動だけが私を捕らえ、精神の平穏さを奪った症状だと言えます。
今思えばあれはまさに、禁断症状ではなかったか。
いや明らかに、禁断症状に他なりません。
多分ドラッグ中毒の人なんかも、クスリを抜く時ああなるんじゃないかな、と、そういう、臨場感のある辛さでした。
断食の時には、出ない症状でした。
ジュース・クレンズは、なまじっか口に物が入ってくるがために、多分脳が混乱するんだと思います。
何か食べるの?いや、でも噛まない?な、な、な、なんで!?みたいな。
カリカリ禁断症状は、初日の午後が一番酷く、二日目三日目には全く起こりませんでした。
そして今現在も、戻って来ません。
以前調整の為にお世話になっていた群馬に住む東洋医学の治療院の先生に、肝臓機能が弱まると身体はわざと肝臓に負担のかかるような、いわば毒になるような刺激物を欲して、その毒の刺激を使って機能を活性化するようなことをやるんだよ、と言われた事があるんです。
その時私は、そんなに頻繁にではありませんが、通常より結構多めに、チョコレートを食べていました。このコメントは、そのチョコについての言葉でした。
ということは。
ジュース・クレンズ前の私には、どこかの内臓に疲労があって、その内臓が刺激を欲しくて、カリカリ感を求めていたんじゃないでしょうか。
クレンズで一旦内臓がリブートされたので、もうカリカリはいらないよってなわけです。
中毒、という意味では、アメリカでは今や一般に、精製された砂糖や小麦粉には、特に砂糖はコカインと同様の働きを脳にもたらす事が知られています。
アメリカで子供に夕方以降お菓子をあげないのも、砂糖(や精製小麦)で起こる興奮で子供が眠らなくなるのを避ける為です。
だからもし、お菓子断ちして禁断症状が出るならそれは砂糖の中毒だということが明らかです。
あなたの身体は、白い粉を欲しているのです。
コカインでも砂糖でも小麦粉でも何でもいいから、あー幸せ、とホッとする為に、白い粉が欲しいのです。
お菓子で得られる心の充足感は、いわば世に言う薬物中毒のそれと、大差無いのです。
朝ご飯にはパンケーキが無くちゃ絶対ダメ、と不機嫌になる人は、単に小麦と砂糖の中毒なわけで、その不機嫌は、単なる白い粉の禁断症状なのです。いたってシンプルな現実です。
しかし。
カリカリとなるとそれはなんなのか。
一体、カリカリした歯応えに、どんな中毒性があり、何が原因で私はこれの中毒だったのでしょう。
私の体内のどの内臓が一体、カリカリ感の刺激を欲していたのでしょう。
こればかりはいかにジュース・クレンズでスカッとしたところで、一緒にスカッとは出来ない、大きな謎です。
今度自分にカリカリ症候群が出て来たら、速攻でジュース・クレンズをしようと思う、今日この頃なのでした。
小さな大自然
思えば5年くらい前に、友達のロレインに連れて行かれたコロラドの工房で、初めて陶芸の体験をしたのです。
ロレインは既にプロの陶芸アーティストとして活躍していて、彼女の焼き物に魅入られた私を制作の現場に連れてってくれたんですけれど、そこで、やってみたら?と言われたのが始まりでした。
陶芸の知識も興味もまるで無かった私は、陶芸と言えば轆轤を回すものだと思い込んでいて、そんなめんどくさいこと出来ない、と言ったら、彼女は自分は轆轤なんて使った事が無いと言って、手捻りの作陶を教えてくれたのでした。
それですっかり陶芸にハマってしまったアタクシ。
今では自宅に釜を持つ身の彼女の家で、その後も時々焼きましたが、日本でもやりたいなーと思って、近所の陶芸アトリエに行き始めたのです。
写真は今日作った作品です。
手捻り...つまり、轆轤を使わず、手で粘度をこねて作るやり方ですね。子供時代によくやった泥遊びみたいで、非常に楽しいのです(^^)。
非常に楽しいのですが、現時点で、成功した作品が、ひとつもありません。
ひとつも。
まあ、まだ始めてから10個くらいしか作ってないんですが、それでも、10個創って全滅って、すごくね?
今日創ったこれだって、自分ではよく出来た方だと思っているんですが、この後 釉薬をかけて焼いたら、どんな化け物に変わっちまうかわかりゃしないんですよ奥さん。
絵画と違って焼き物は、形を作り上げた後に一旦自分の手から完全に離して、炎の中、という制御不能のナチュラル・パワーに預けなければならないのです。
そこで仕上げがされてしまうんですから、もうあんた、手の施し様がありません。
恐らく、経験を積んで本当に陶芸的勘が磨かれた暁には、最後の仕上げを担う炎と、阿吽で通じる事が出来るんだと思うんです。
炎とのコラボレーションで、作品が完璧に自分の意図した通りに仕上がる様な、そういう形成が、粘度をこねる段階から出来る様になるんでしょう。
しかし勿論のことながら、私には全くそういうスキルがありませんから、まるで暗闇の中を灯りもつけずに爆走しているようなものです。
まさにそういう気分を感じながら、毎回作陶しているのです。
これは私を、とても謙虚な気持ちにしてくれます。
アトリエの中の小さな大自然ー炎が、簡単には制御出来ない、気安くコラボレーション出来ない相手の存在を教えてくれます。
陶芸は、"井の中の蛙"という状態を、許してくれない世界です。
陶芸には、手順を踏んだ忍耐と掟と、モノにするべきスキルがあって、それが身体にしっかり入らないと、意図した物が出来上がらないので、自己満足という世界に容易には入れないんです。
これはとても面白い。
文明が発達して、スキルの無さを機械やセットアップされたプログラムが補ってくれるようになり、手軽に色んな事が出来る世界になりました。
しかしそこには、本当の意味で自立して出来ている事が、どれだけ存在しているんでしょうか。
熟練した専門家がセットアップしてくれた下地、難しかったり複雑だったりする部分なんかスキップして誰にでも出来る様にと専門家が作ってくれたテンプレート無しに、わたし達はどれだけの事を、たったひとりで出来るんでしょうか。
テンプレートだらけの今の世の中では、自分の本当の身の丈を実感出来る事って、少ないように思います。
これは別に、卑屈である方がいいとかいう意味ではありません。
炎とほとんど対等のパートナーになれなければ、思い通りの物が出来ない陶芸をやっていると、自分の命も含め、世の中にある全ての物の容易では無さ、気安くなさ、到達出来なさ、高嶺の花さ、希少さ、貴さ等を実感でき、これがある種、世界への畏敬のような物に、心を回帰させてくれるんです。
時に世間には、能力の高い人がお高くとまらず、深い霊性を持つ人が気さくに振る舞い、スターや天才が、誰に対してもフレンドリー、といったような事をよいことと判断する価値観があるような気がします。
これって本当に、ナチュラルなんでしょうか。
スタップ細胞がニセモノ(かも)だった事が、あたかも屋台のカラーヒヨコは本当はみんな黄色いんだよ、とでも言う様に簡単に扱われ、相当な力量が無ければ作り上げられないような長編映画が、ほんの一言の台詞がちょっとハズレてたばっかりにシロートから気安くこき下ろされる。
地球上で最も莫大な危険ポテンシャルを秘めた発電施設が、イージーに制御出来る、隣のミヨちゃんみたいな存在だと錯覚されているのも、こういう全ての、お膳立てされた気安さやカジュアルさに慣らされた心理状態の延長線上にあるのではないでしょうか。
畏敬の念を抱くべき領域、近寄り難い、気安く触れるべきではない領域がこの世には沢山あるにも関わらず、まるで精神的社会主義の様なフラットな、格差の無さ、平等さ、という環境イリュージョンを与えられ続けて、人間はどんどん錯覚を起こし、でこぼこした有機的な心理状態を失っていってしまうのではないでしょうか。
土を炎で焼く、というシンプルな作陶作業には、土も炎も一筋縄では行かないのだ、と教えてくれるワイルドさがあります。
コントロール出来ない、畏怖を抱くべき物に、ちゃんと気付けるという事は、生物が生きる上での大切な条件なのではないでしょうか。
人間の卑屈さや自信の無さを埋めてくれるような気安く便利なツールが、人間の心のどんな領域を盲目にしてしまっているのか、知っていてもいいのではないかと思うのです。
2015年3月19日木曜日
ジュース・クレンズその後
![]() |
| 今の主食プチヴェール |
リブート(再起動)とはよく言ったものである。
ジュース・クレンズ中や直後には全く変化に鈍かった私であるが、なんと昨日から本日にかけて、明らかに変わってしまったアタシを感じることになってしまったのである。
「ジュース・クレンズで身体をリブート!」なんて言われたところで、そうそう簡単に身体なんて変わるもんじゃないよ奥さん、と小馬鹿にしていたのですが、少なくとも昨日と今日の私は、クレンズ前の私とは全くの別人と言っていいのではないでしょうか。
まず、3日間も毎日6本果物&野菜ジュースを飲んでいたので、さすがにややうんざり、当分野菜も果物もいらないや、と思っていたにも関わらず、私の食欲の求める先には、常に野菜と果物ありき、という感じなのである。
おかげで主食はプチヴェールの茹でたのとたんかんという、蜜柑の一種というシンプルさ。
なんで蜜柑じゃないのかと言うと、蜜柑の柔らかい皮になんか抵抗を感じるんですね。
なんなんでしょうね、この抵抗感は。
たんかんは、オレンジの小さいやつみたいな感じで皮が硬くて見た目がすごく、野生っぽいのです。
どうもリブート後の私は、そこに惹かれたみたいです。
そして、クレンズ前に好きだった物が、今全く食べられない状態。
揚げ物とか、塩味の物とかです。
あと、レストランで出される殆どの食べ物はしょっぱ過ぎてNG。
今朝はよくお世話になっているオーガニック・ベジーのお店のお弁当を食べたのですが、塩がきつ過ぎて口の中じゅう、岩石でパンチをくらっているようなショック状態に。
こんなにかっ!と驚くほどです。
この店のお弁当を私はいつも、優しい味、と思って食べていたのにです。
それから、恐らく豊かな栄養を三日間供給し続けたためか体がたいへん満足しており、奇妙なおやつを食べたくならないという点も、大きな違いかと思います。
特に私は、夕方になるとカリカリした物が食べたくなるという不可解な癖を持っていたのですが、リブート後には全くそれがありません。
よって無駄食いが無くなったのでございます。
カリカリしたクリスピーなおやつには、ポテトチップスの様にダークサイドな世界からの刺客が多いので、これはかなり素敵な変化だと受け止めています。
いずれにしても今の私には、ポテトチップスを始めとしたカリカリ系のおやつは、塩がきつ過ぎて楽しめないことでしょう。
これって明らかに、野生動物の好みだよね。
私は完全に、リブートされたよね。
ジュース・クレンズ恐るべしと言っていいよね。
だって、たったの三日だよ?
たったの三日間、ジュースだけ飲んで過ごしただけなのに、こんなにも変化が出るのかね。
この変化がいつまで続くのかは定かではないけれど、少なくとも今はこの動物みたいな食生活を楽しもうと思います。
ちなみに、スイーツへの反応はどうかと言うと、これは塩味に対するもの程強烈ではありません。
やはりジュースが甘かったからですかね。
このあたりは断食と違うところです。
断食後は、ちょっとでもお菓子を食べるとやはり岩石で殴られたような、ガツン!と来る痛みみたいな物を感じた物ですが、今回、陶芸クラスのおやつの時間にご馳走になったおだんごと栗まんじゅうに関しては、それほどの抵抗無く美味しくいただけたと言っていいでしょう。
そうそう。
陶芸に対する気持ちもがらっと変わったんですよ奥さん!
今までは、まあ楽しい事も手伝ってとにかく数をこなして慣れてゆこうとガツガツ作っていたのですが、リブート後のワタクシったらすっかり優雅になっちゃって、ひとつの作品をゆったりと、何日もかけて仕上げる、という心に様変わり。
作品の大きさも明らかに巨大になり、いつもはあまり口出しして来ない先生に、「そんなに巨大で.....いいの?」と思わず聞かれたほどなのである。
中々面白い効果を楽しめたジュース・クレンズですが、実はワタクシ、ジュース・クレンズ最終日、最後の一本を飲み終わった後に、なんと泣いてしまったんだよね。
あの時感じた妙に透明感のある、寂しさとも憧憬ともつかない、切ない様なかなしみの原因がずっとわからなかったのですが、今はなんとなく、あれは細胞の流した涙なんじゃないのかな、と感じているところです。
意識には中々上がって来なかったクレンズによる、実は大きかった変化を、身体の細胞はちゃんと感じていて、感謝のような愛着のような感覚で、涙を流したんじゃないのかなと。
今、こんなに感じる大変化の中で、そんな風に思えるのです。
これは結構いい感じです。
だからまたサ来週あたり、1日コースでお手軽にやってみようかな、と思っているところです。
2015年3月18日水曜日
ジュース・クレンズ明け
![]() |
| 復活食に作った粥 |
3日間のジュース・クレンズ明けました。
体調はどうかというと、相変わらず何の変化も感じません。
ですが、この3日間大変な贅沢をした、というラグジュアリー感が、心の奥にあるのを感じます。
これは、1本1000円もするジュースを3日で18本も自分に飲ませてあげた、という事ではなく、手間暇かけて絞られたコールド・プレス・ジュースを、思う存分飲んだという満足感ではないかと思います。
コロラドの学校でコールド・プレス・ジュースを作りますので、それが如何に時間がかかり、かつまたグラス一杯のジュースにどれだけ大量の野菜や果物が必要かを実感で知っているがためか、あるいは今現在からだが、様々な種類の果物や野菜の栄養で満たされている為か、なんだか素晴らしい贅沢を体験したという実感が、体感を通じてやってくるのを感じます。
ですので断食後に感じるようなストイックな清清しさはありません。
でも、このラグジュアリー感もまた、中々いいものだなと思います。
本日はテキストに従い、ボルケーノ・ライスを使って無味のお粥を作りましたが、別に胃腸にも何の変化も感じないので、普通のご飯でもいいんじゃないか、という印象はあります。
まあ、この粥を食べてみて、何か変化を感じるのかもしれませんね。
断食の後には味覚の変化が起こり、微細な味にも大変感動したものですが、今回はそういう事はないんじゃないでしょうか。
なんといっても、この三日間、実に彩り豊かな、様々な味わいを体験しましたからね。
甘い果実の背後に潜むクレソンの瑞々しさ、風味豊かなココナツと絶妙にとろけ合うレモンの酸味、香ばしいナッツの奥行きある甘さやビーツのきりっとした存在感。
あれが調味料や甘味料を一切使っていない、自然の味だっていうんだから驚きです。
ああした味を忘れない為に、やはり時々人は、調理されていない素材を食べる習慣をつけた方がいいんじゃないのかな、と思います。
また何か気付いたことがあったら書きます。
2015年3月17日火曜日
ジュース・クレンズ3日目最終日!
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| 今日のジュース |
なんということでしょう!
もう二日半もジュースだけで生きているというのに、とりたてて変化を感じない心とからだ...。
これはやはり断食と違って、毎日栄養たっぷりのジュースを飲んでいるので、あんまり普段との差を感じないからなんでしょうね。
とは言え、身体に入れている物の内容は明らかに違うわけですから、きっと内臓的にはなんらかの変化が起こっているはずです。
塩分なんて、殆ど入っていないはずだし。
とはいえ、自分で実感できる変化もあります。
最も大きいのは、顔のチェンジ。
顔が、あからさまに可愛くなりました。
目がね、1.5倍くらい(大袈裟ではありません)大きくなりました。
なんだかパッチリしちゃってですね、プリクラの、目を大きくする機能でお直ししたみたいな顔になっています。
それに、顔面の余計な物が全部すきっと無くなった感じで大変清々しい。
意中の彼でもいたら走って見せに行きたいくらいです。
それだけ普段、浮腫んでるってこと..つまりは、顔が浮腫んでしまうような食生活をしているっていうことなんでしょう。
あとはやはり、さすがに多少の体重の変化はあるんでしょうから(減量目的ではなかったので計っていず)、体が軽いし、あと、奇妙な、反応の早さみたいなものが出て参りました。
さっき電車の中で、杖をついた女性が乗っていらしたんですが、私は鷹の目を持つモノノケのようにその方をいち早く見つけ、有無を言わさず自分の席にお招きしたんですが、この間 0.何秒かっていう、全く思考の入る隙の無い、純然たる神経反射で動いたのが、我ながらとても興味深かったです。
腹が減ってて思考力が低下してるんでしょうか。
よくわからん症状でした。
腹が減っているかと言えば、そこは見ないようにしているのでなんとも言えませんが、先ほど、明日の復活食用に味噌粥を作ろうと思いつき、その為の素晴らしい味噌や野菜を、遠くの店まで買い求めに行く事を、全く苦に感じませんでした。
この情熱は明らかに、腹が減っている、ということに他ならないのではないかと思います。
ところで本日は最終日。
選べる4種類のコースの中から、初心者用であるRainbowを今日の為に選びました。
最終日はご褒美Dayにしたかったからです。
ちなみに今回私が選んだプログラムは、初日がWinter、昨日がSunshineというコースでした。
以下が本日のジュース・プログラムです。飲みやすいジュースが揃っている感じ♩
二本目のチア・シード入りのジュースがとても美味しかった!
チア・シードは普段サラダなんかにかけて食べてるんですが、ジュースに入れると分解されてより吸収率がいいのかもしれません。
ところで昨日は友人の案で、何かを噛みたくなったらモグモグしながら飲めばいいを実践したのですが、おかげさまで咀嚼衝動はありませんでした。
あと2時間おきにジュースを飲め、というこのプログラム、私にはちょっと厳しかったので、昨日は飲みたくなったら飲む、を実践したところ、やはりジュースが2本余り...
コールド・プレス・ジュースは絞ったその日に飲まねばならないので、残りは冷凍して後日料理にでも使おうと思います。アーモンド・ジュースが随分残っているので、味噌粥に入れてミルク粥にしてもいいですね。
ところでこのプログラム、ジュースをこんな可愛いピンクの保冷バックに入れてくれるのが嬉しいです。
友達は笑うセールスマンみたいだと言うし、実のところ私も、兼ねてからサンシャイン・ジュースのマークは何故これなのかと軽く疑問にも思っていたのですが、おしゃれに見えなくも無いデザインなので持っていて嬉しいです。
これから陶芸をしに行く時なんかに、お弁当を入れたりして楽しみたいと思います。
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