2015年9月9日水曜日

小鳥の小皿

私の創ったおてしょ皿
最近、鳥の形の食器を作る事に鳥憑かれています。

始めは大きな鳥型花器だったのだけど、陶芸の先生から"おてしょ皿"という物の存在を教えてもらい、その"おてしょ"の鳥型のやつが突然創りたくなって、まさに鳥憑かれたように、いきなり15個も創ってしまいました。

おてしょというのは京都の言葉で、手に塩、つまり、おむすびを握る時に手に塩をつけるでしょ?その、塩を盛る為の、小さな小さなお皿の事なのだそうです。

実際のおてしょ皿をネットで見れば、私の創った鳥皿がいかに異端かはわかる。。

でもこの鳥の小皿、私的には、懐石料理の八寸に使っても、ジャムやバターを盛っても、塩や醤油やドレッシングやディップなんかを入れても、楽しくて可愛いんじゃないかと思うのです。

写真は、来る日も来る日も延々と鳥の小皿を作陶する私の謎行動を黙って見ていた先生が、私の知らない内にそれらをまとめて展覧会に出すことに決めてくださっていて、先生が勝手に搬入して勝手に展示してくれたそれを本日、展覧会場に行って撮ってきた物です。

実に可愛い並べ方なので、会場でちゃんと作品ぽく見えていたという驚き!
先生ほんとにセンスいいよ。

実は、ある日突然私の小皿を展覧会に並べると言われた私は、それだったら、飛んでる小鳥たちの先頭の数羽が池に着水するイメージで、丸い、波紋を描いた青黒いお皿を創ろうかな、と計画したのです。

しかしながら、陶芸の難しさをいいかげんわかってきている私、そんなの私に出来るわけねえ、と、さくっと諦めました。
まずさ、まだ轆轤(ろくろ)を触らせてもらえない私が、手捻りで、無駄の無いまん丸に土を形成出来る訳が無いし、出来たとしてもその皿に、私が思い描くみたいな、波紋の幾何学模様を、描けるわけがありません。

なんたって昔から、無機物が描けない、という理由で、ジャングルと動物しか出て来ない漫画でデビューした私なんですからね、とほほのほー。

というわけで、皿を諦めた私は小花を創りました。

一番背の高い鳥皿は実は短く切った花なら刺せるくらいの深さがあるので、それに陶器の小花を刺して展示しようと思ったのです。
そしてその花は、まんまとうまく焼けました。

とーこーろーがー。

焼き上がったらまずあっという間に茎が折れ。。
茎が折れても、お花だけ鳥と一緒に並べれば?と先生が慰めてくれたので、だったら、二羽の鳥の羽根の上に乗せて運んでるみたいにしようかな、その方がむしろ可愛いじゃね?と盛り上がった矢先に今度は花びらが取れてバラバラに。。。
というわけであっと言う間に見るも無惨な単なるガラクタに早変わりした陶器の小花。
夢砕けた私はそいつをテーブルの片隅にまとめてゴミとして置いておいたんですね。

あの時はまったく、なんの呪いだ、と思いましたよ。
触る物全てが破壊される妖魔にでもなったような気分でしたね。

しかしななんと!!
先生がとーーーーっても上手に直してくれて、ちゃんとリクエスト通りに飾っておいてくれていました。感激〜。


私の鳥熱は依然冷めやらず、現在は鳥型のコーヒー・ドリッパー&ポットを創っています。
それは、うまく出来たら友達にあげる予定。
でも上の小皿は、おなじみ西荻窪のニヒル牛2に納品、私の鳥籠型の展示スペースで販売しようと思っています。

是非見に買いに、来て下さいね♡


こちらは非売品"夜の森"絵本用に創ったクラルハイトの花器

つうか、絵本すっごく遅れてて申し訳ありません!!!!!

なんと言うか、あの展覧会自体が、大変準備時間の無い中決行した物でしたもので、せめて本くらいは納得の行く内容でお届けしたいと思い、あれこれ試行錯誤しているのでございます。

今しばらくお待ち頂ければ幸いです。。。。すいません〜。

2015年9月4日金曜日

ジヴェルニーの休日


さっき電車の中で"モネ展"の広告を見た時の、自分の心の反応に、驚いている。

遠い昔に亡くなっている、絵画を通してしか触れる事の出来ない絵描きの、生々しい存在感をありありと感じたのだ。

まるで隣に、生きて肉体を持ったモネが、存在しているかのように。


私はそもそも、特別なモネ・ファンである。(と多くのモネ・ファンが自称したいことだろう)
モネと私には、ひとかたならない縁があると感じている。(と、多くのモネ・ファンも信じていることだろう)

私以外の多くのモネ・ファンの言い分も尊重するから、私にも思い切り言わせてちょうだいよ、というわけで言わせてもらえば、モネは私の魂の本質の領域に生きる、その深い同じ領域を分かち合っている絵描きなのである。(言っちゃったーーー!)


そんなクレイジーなモネ・ファンを何十年も続けているのに、さっきみたいな生々しい、モネを"ヒト"として認識するような感覚を覚えたのは、生まれて初めての経験だ。

私は芸術全般において常に作品が全てであり、それを創った人物、つまり作家、という物にはあまり注意が向かない方だ。だから作品が大好きでも、その作家自身を語る本とか映画などには、基本的に全く興味が無い。
その作品が生まれた背景や生んだ人物、なんてもの知らなくても、作品があればいいのであり、作品こそが全てを与えてくれる。と思っている。

だからモネに対しても、ヒトとなり、とか、人間モネ、なんていうものはどうでもよくて、そういう事情で長い事、ジヴェルニーに想いが向かなかったのかもしれない。

ジヴェルニーにはモネの生きた庭と家とアトリエがある。
モネのファンはとても多いので、ジヴェルニーのモネの家観光は、とても人気だ。
気にならないわけではなかったけれど、さほど興味もそそられなかったのだ。
今までは。

ところが最近急に、モネの見た睡蓮を見たい、と思う様になってきた。

モネの見た睡蓮を、モネの心で見たいと、思う様になってきた。

モネの心で見るのは勿論無理な話だが、なんていうのか、一人の人として、モネの視線の先を、その同じ位置で、同じ様に体験してみたくなったのだ。

そんな矢先にパスカルズの欧州ツアーが入って来て、私は友達をひとり誘って、ふたりでみんなより1泊か2泊早くパリに行って、ジヴェルニーに行ってみない?と言ってみた。

友達も乗り気だったしその計画は無理が無いように思えたけれど、私はなんとなく思いとどまった。パリに前乗りしなくても、もしもパリのライブがレンヌからの移動日の午後に設定されれば、翌日は丸一日オフになる。もしもそんな風に事が運んだら、ジヴェルニーに行くことにすればいいんじゃない?と私は思い直したのだ。

今回この機会に、なんとしてでもジヴェルニーに行きたいと思っていた割には、やけに消極的な計画にしたもんだな、と我ながら不審に思った物だが、これはどうやら私の心が、モネに縁があるなら、私はきっとジヴェルニーに行けることになる、的賭けに出たのではないかと思っている。

かくしてまんまと、7月21日、パリでの丸一日オフを手に入れたワタクシ。
初めてのジヴェルニーは無理の無い確実な方法で、というわけで、パリの旅行社が企画している、ジヴェルニー半日観光を予約。それは70ユーロで、パリからバスでジヴェルニーに直行、モネの家でサクッと添乗員さんにガイドしてもらった後は、自由にしていていいですよ、っていう、いい案配の内容だった。

そして、何年も抱えていた、パリからジヴェルニーに行くのって大変よね、っていう思い込みを跡形も無く消し去ってしまう程に、ツアー・バスはいとも簡単に、75分くらいでジヴェルニーに到着してしまった。しかもパリの街を出る時には、主要な観光地ーエッフェル塔、シャンゼリゼ通り、凱旋門、ブローニュの森、ポンテザール、ヴェルサイユ、ポンヌフ、を全部触っていくような余裕までぶちかまして。

この余裕には、あんたジヴェルニーを嘗めてない?って思ったほどだ。楽しかったけど。


この旅は、セーヌ河をずうっと遡る旅でもあった。
セーヌはパリの街を出てもずっと続いていて、ジヴェルニーに近づくにつれ、その様子はどんどん自然の姿に回帰していった。

エッフェル塔や有名な橋やディナー・クルーズ船は消え去り、そのかわりに水草の茂みと森と石造りの水郷が、セーヌを縁取る役割を担い始めた。そしてほぼ完全に自然物として回帰したセーヌの流れの先に、石造りの家の並ぶ、小さなジヴェルニーの村があった。


モネの家も庭も、観光客でいっぱいだったし、あの絵に描かれた緑色の橋の上も人がいっぱいで静けさは無かったけれど、私の心の深い深い底に、静かに侵入してくる気配、その庭の、花の、睡蓮の放つ静謐な光は、そんな事には全くわずらわされなかった。

あの時の私は確かにモネの庭を歩きながら、しかし足はもっともっと深い時空を、踏みしめていたように感じる。

心の内側に、直に侵入してくるような、庭の輝き。
水面、反射、花、色彩、緑、その何もかもが、全くフィルターを通さずに、真っすぐ心に飛び込んでくるのだ。
だから人も話し声もにぎわいも、何も邪魔にはならなかった。
そこには私と、庭の放つ光だけがあったのだ。

あんなに深い静かな感動を、あんなに長い時間味わった事は、今まであっただろうか。
自分の細胞全てが塗り替えられる様な、比類の無い輝きに晒され続けるような。
そこには実際、モネさえも関係無かったように思う。
私と庭だけが、ただ深く静かに対峙し、交歓していたのだ。




そんな時、一緒に来ていた友達から、お茶でも飲んで行かないか、と電話があった。
この半日観光は、そもそも下見として、ってな感じで計画したものだったから、私はそろそろ自分のいた深みから出て、今度は観光を楽しむ事に決めて、お茶のプランに乗ることにした。

ティーハウスはモネの家の目の前にあって、古い、風情のある、植物に囲まれた素敵な一軒家だった。私は地元の名物酒カルバドスをかけて食べるケーキを注文して、そしてそれはすっごく大きくてびっくりしたけれど、とても美味しかった。




今度は絶対に、泊まりがけでジヴェルニーに行こうと思う。

そして日がな一日モネの庭で過ごして、池と睡蓮を楽しもう。


この、ほんの短いモネの家での体験が、さっきの電車の中での、モネにまつわる衝撃的な感覚に繋がっているのだろうけれど、だとしたら私の細胞の一部は、本当になんらかの変化を起こしたんじゃないかなと思う。

だから行ってよかった。

このタイミングでモネ展が開催されるのも、恵まれた偶然だなと思う。

モネ・ファンは、誰もがモネの絵に自分の魂の深みを重ねるのかもしれないけれど、私も今回は本当に、自分の根底の領域が、モネの何かと繋がったと感じるのだ。

こんな美しい神秘な半日を過ごした日の午後が、先のブログにも書いた、パリのホテル盗難未遂事件に繋がるってわけなのだから、人の世というものは、バラエティーに富んでいておもしろいもんですなあ。とほほのほー。。(^^;

2015年9月3日木曜日

パスカルズ欧州ツアー(7)


ポルトガルのシネシュで開催された"シネシュ世界音楽祭"が、今回のパスカルズ欧州ツアー演奏地最後の、そして今回最も大きな収容人数7000人のステージとなりました。

この音楽祭を主催するカルロスさんは、パスカルズのマネージャー フィリップの親友で、もうずうっと前から、パスカルズをこのフェスに呼べないかと、フィリップに打診していたというではありませんか。

シネシュの街とこの会場に、完全にヒトメボレ状態だったワタクシは、なんでなんで、もっと早く来させてくれなかったのですかー、ここなら毎年来てもいいよ、今度から毎年来ようよ、とフィリップに言ったところ、予算予算、と一網打尽に。

そうなんです。

大所帯バンド パスカルズは、どこへ行くにも移動費と宿泊費が常につきまとう悩みの種。今回の欧州ツアーがなんとか実現できたのは、スイスの超メジャーフェス パレオの出演料が、ツアー全体の経費をある程度補ってくれるから、という前提であり、その上更に国際交流基金などにおける複雑な手続きを、パスカルズの影の番長松井本部長が、毎日夜なべしてやってくれたからという、一筋縄では行かない条件があっての事なのでした。

シネシュ世界音楽祭は、ポルトガル国営テレビで特集が組まれるなど国内ではかなり大きなイベントなのでしょうが、なんせポルトガル自体の物価がお安いせいで、この音楽祭からだけの収入では、経費がまかなえないんですよ奥さん。

ちなみにアメリカなんか州ごとに物価が違うので、安い物価の州ですと出演料もまたガクッとお安くなったりして、ななんと💦、と言っているミュージシャンをそばで見ていた事がありました。その時は結構カルチャーショックだったのですが、ヨーロッパもそんな感じなんですね。

せちがらい話になりましたが、この世界音楽祭でパスカルズは収容人数7000人をさくっと集め、コンサートの評判も大変良かったようです。


本番前と本番後に、ポルトガル国営テレビと国営ラジオの取材を受けたのですが、本番後に受けたラジオ・インタビューの番組パーソナリティのおじさんが、結構ギラギラした、金と女と権力には目がねぇぜって感じの人の割には(偏見)、パスカルズにすっげえ感激していて、しかしそこはやっぱりマフィアなので、「What the hell was going on on the stage!?」(一体全体ステージの上で何が起こっていやがったんだ畜生め!(偏見的翻訳))などというそれなりの表現でその感動を言い表していたのが印象的でした。

ラジオ出演中のマツさん(私は通訳)

このラジオの放送は遂に聞く事は出来なかったのですが、テレビの方はネットで観る事が出来ます。こちらです→http://www.rtp.pt/play/p1936/e202685/festival-musicas-do-mundo-sines-2015
こっちもパーソナリティーの男性に対してなんとなく、別な意味で腹にイチモツ持ってしまう私がいるのですが、恐らく私の問題なのでしょう。でもさなんとなくこの人、茨城弁っていうんですか?東北弁、話してるっぽくない?

TV収録風景はこちらです。


ここでも通訳なので私がいますが、このテレビ局は私からの、通訳なんでオレの事は映さんどいて、というお願いを聞き入れてくださった大変物わかりのいい人たちだった割には、インタビュー映像で字幕にパスカルズのメンバー数を40人とか書いてたりしてどうなってんのよという感じです。

この方たちはそういった基本的な情報は事前に入れて来ていらしていたので、どういう行き違いがあったのかちょっと不思議ですね。40人だと移動費も宿泊費も更に大変でしょうね。さすがのパレオ・フェスティバルでも、まかなえないことでしょう。


ところで、先のブログでも書いたように、前夜レストランの前で待ちぼうけをかまされたパスカルズですが、バスは1時間遅れて迎えに来てくれました。
パスカルズをレストランで降ろした後、バスは音楽祭に出演する他のアーティストの送迎で忙しかったらしく、レストランに着いた時にも他のミュージシャンがいっぱい乗っていました。

この時バスに乗っていた人たちは、大変垢抜けた大人のアーティストって感じで、おしゃべりしている様子も陽気ですごくいい雰囲気だったのです。私らが乗るとすぐに私の後ろにいた一団が「日本から?」と話しかけてくれたので雑談していると、なんと彼ら、日本で渋さ知らズオーケストラと共演経験があると言うではありませんか!

渋さ知らズと言えばパスカルズにも参加しているメンバーがいますから、前の席にいた坂本さんと三木さんを会話に巻き込もうと、ねえねえ、この人たち渋さとさー、と言ってみたのですが、坂本さんも三木さんも、"夕飯後に1時間も外で待たされてオレは今それどころじゃねー"、を全身から醸し出しており全く社交的ではありません。仕方無いのでひとりでこの、素敵に洗練されたおじさまおばさま達とのおしゃべりに興じていたワタクシ。後に調べてみたら彼らは、"フラット・アース・ソサエティー"というベルギーのバンドのご一行でした。


ところで前日の夕食で、明らかに取り分け用であろう、一皿にすごい数の魚が乗ってたりした料理をひとり一皿ずつオーダーして失笑を買ったパスカルズに、明日っからはあたしが献立考えてやるよ、と言ってくれたお店のおばちゃんでしたが、さすがの采配で、次の日からはほぼ完璧なバランスで、食事が提供されました。しかも絶品!!!!
そして、全てがポルトガルの地元名物料理だったのです。素晴らしいおもてなし!

以下はほんの一部ですがご紹介します。このブログでは、時々U5さんの撮影された写真を使わせてもらっていますが、何故か一枚もこのレストランで写真を撮らなかった私にとって、これらの写真はとても嬉しかった。

トマトリゾット、サラダ、鱈の干物のフライ
これがスターターだったのですが、トマト・リゾットが何故かパスカルズの中で伝言ゲームの様にタコのリゾットと変換され、美味しいけどタコが入ってなかったぞ、と一部不機嫌な人がいましたな。

まあそれはひとえに、初日に起こったタコ事件の後遺症であることは間違いありません。

タコ事件:メニューにあった、タコと米の料理をオーダーした人が結構いたのですが、待てど暮らせどその料理だけが全然出て来ませんでした。
全員が食べ終える頃に遂にお店のおばちゃんに、「タコと米のは?」と聞いたら、あれは今日は無い、と言うではありませんか!!!!このタイミングで!!普通、オーダーした時言いません!?と、全員が、怒りというよりはあっけにとられて呆然としていたところ、おばちゃんが言うには、あまりにも一気に店が満員になってしまって騒々しくて、なんかもう、疲れちゃってさ、とのことなのでした。
タコをオーダーした皆さんの心は、満たされないタコへの想いでいっぱいだったのです。












皆様既にお気づきかと思いますが、見事なまでに全部肉!!肉!肉!肉!!!です。

ポルトガルですので、出来ればもっと魚を食べたかったのですが、なんとなく思うにこれは、初日にテーブルに乗り切らない程の量の魚をオーダーしてしまった私たちへの、おばちゃんなりの思いやりだったのではないでしょうか。。。。
恐らくそれほどに目を覆う光景だったのでしょうね、ひとりで6匹鰯を注文する姿が。。

それにしてもポルトガルは、食事が本当に、美味しい!!!!
ホテルの朝食も素晴らしかったのですよ奥さん!




手前にどかっとあるのはカステラ。さすがポルトガル!

食べ物は美味しいし、人は暖かいし、景色はきれいだし、気候は優しいし、それに何と言っても、空気感がですね、本当に柔らかい、とてもとても優しい、本当に居心地のいい、安心感に満ちた、そんな所が、私の初ポルトガルでした。
本当に、もっとずうっといたかったなーーーー。


ところで残念だったのは、今回初めてお手伝いでツアーに参加してくれた新しい友達で私の今回のルームメイトだったなおちゃんが、シネシュを見ないで帰国する事になってしまったこと。

なおちゃんは、普段は大変エネルギッシュにおしゃべりする熱血風元気女子なので、ルームメイトだとさぞかしにぎやかで楽しいだろうなとは思っていたのですが、今回実に全く別の一面に出会い、とても驚いたのです。
彼女は実は、とても静かな空間を創り出せる人だったのです。


邪魔、なんて言ったら申し訳無いんだけど、私はアメリカの学校なんかで他の生徒と同室になることもあって、時に黙っていても非常に存在感のうるさい、空間をシェアするのがちょっと厳しいぜ、って人がいる、という経験を度々していました。
これは民族的な物でなく、実際、私にとって過去のルームシェアで最も苦手だったのは日本人の女性でしたから民族的な物では無い上に、おしゃべりとか、声が大きいとか、動作が騒がしいとか、そういう事が原因でも無いのです。

これはあくまでもその人が、たった一人で精神的に充足し完結出来る人かどうかに、かかっています。

なおちゃんは普段、とても話す人なので、同室になってこんなに静かな空間を創ってくれる人だとは思っていませんでしたが、考えてみれば彼女はとても心の自立している人。静けさを創り上げる条件を、十二分に満たしているんだった、と、自分の身支度に没頭する彼女を見ながら、いつも感嘆していました。


今回のツアーは色々な意味で、個人的にはとても充実していたなと感じています。

どこへ行っても沢山のお客様が待っていてくださった、というのもありますが、私は様々な現場でそこにいる人と、印象的な会話や出会いをする事が多かったのが大きかったと思います。これはその地で出会った人だけでなく、今までも知っていた人だけど、というおなじみさんとの関係が、より深く、より自然に、より優しくなった、という事も含めてです。

特別なシチュエーションを与えられると、そこで、その機会に、どれだけの社会的な成果を上げることが出来たか、という事が大事だという人もいますが、私はそういうタイプではありません。私にとって大事なのは、自分がどんな心をもって、その経験と、その人たちと、その現場や土地と関わったか、です。

今回私は、決して完璧ではなかったけれど、出来る限りの事は全力でやったし、関わりたいもの全てと全力で関わった、と言えるので、個人的にはとてもいい旅だったなと感じるのです。

それにしても、パスカルズにいなかったら本当に、こんな変った、じゃなくて色んな意味ですごい旅は出来ませんから、本当に心からパスカルズには、感謝しているんですよ〜。本当にどうもありがとうパスカルズ!ラン・プロダクション!フィリップ!マツさん!松井さん!皆さん!!!!

てなわけで、とりあえず"パスカルズ欧州ツアー"という括りでのレポートは、これで終了とさせていただきます。(完)





パスカルズとフィリップ

2015年8月29日土曜日

パスカルズ欧州ツアー(6)

あかねさんが撮ってくれた素晴らしい私

おととしくらいだったか、とても印象的な夢を見た。

それはパスカルズの海外コンサートの夢だったのだけど、ステージ自体が海の中州にあって、そこに行くまでに、それはそれは美しい、白い岩場の道を延々と歩く。

浜辺から見れば、まるで海の中から立ち上ってきたように見えるステージは息を飲む様な幻想的なライトに彩られ、こんなところでコンサートをやれるなんて夢みたい、なんて、みんなが口々に感嘆の声を上げていた。

私は時々予知夢を見るから、予知夢と、いわゆるただの夢の、ニュアンスの違いがもう今はわかるようになっていて、この夢についてはその印象のリアルさと、なんというか"重み"、みたいな物で、なんらかの現実を先取りしてるんじゃないのかな、と感じて、ノートに書き留めておいたのだ。まあ、予知夢じゃないにしても、夢の中の私の気分が素晴らしくて、良い夢、という強い印象を残した。

ポルトガルについては、行くまでに全く関心も知識も無く、スペインに近い事から、ある種の偏見があった。
私のスペインへの印象は、今のところあまり良くなくて、だからツアー最後のコンサートがポルトガルである、という事が、なんとなく気の重い現実だったのだ、行くまでは。

しかーし!!!!

リスボンの空港について、シネシュ世界音楽祭からのお迎えのバスに乗り込み、シネシュまでの2時間半のドライブが始まった途端に、私の気分はがらりと変った。

海がーーーーーーーーーー!!!!!!!!

ヴァスコダガマ橋から見えたバスの車窓景色


ここでことわっておきますが、私はそもそも山派というか高地森派で、いつもは海の景色にこんなに萌えることはありません。

これはひとえに幼少期の思い出と言いますか、海好きの両親に頻繁に海に連れて行かれたものの、幼かった私は膝頭に砂粒が数粒ついただけで狂った様に泣き叫ぶという神経質な子供で、海なるものを全く楽しめなかった思い出に由来しています。

今はシュノーケリングが大好きで海も大好きですが、それでも”海”、と聞いた瞬間に心をよぎるのは、まずはあの幼少期の憂鬱な心象なのです。海は広いな大きいな、という歌詞も、恐怖以外のなにものでも無かったあの頃の。

にもかかわらず。

リスボンからすぐに入ったヴァスコ・ダ・ガマ橋の開放的で近未来的なデザインと、その橋を通して見たポルトガルの海が、あまりにも暖かくて明るくて、どこまでも広がる空と水平線が、真っすぐにどかんと心に食い込んで来て、ぎゃーーーーーっと叫ばずに居られない程私は感動したのでした。

そして到着したシネシュの街もコンサートの場所も、私があの夢で見た、本当にまさにあの、場所だったのです。パスカルズのステージは城壁の中で海の中州では無かったけれど。



シネシュ、フェスティバル会場周りの街

ステージはこの城壁の中

ステージ裏に広がる海

とは言え、この素晴らしい景色に出会えたのは移動日の翌日、つまり本番のある日です。

ジュネーブからリスボンに着いたその日、私たちはバスでの長距離移動後、シネシュの町中にあるレストランに直行しました。
その時点でとっぷりと日が暮れており、シネシュの街の美しさはまるっきり見えなかったし、連れてってくれたレストランがまた、いわゆる地元の食堂的な異国情緒たっぷりの店で、なんとなく私は、またしてもポルトガルへの心細い印象を強めたのです。

まああれですよ、旅漫画なんて描いていたので旅好きだと思われる事も多いのですが、あの漫画をよーーく読んでみると、私が如何に、住み慣れた場所にしかいないか、という事がわかるというものです。

ヨーロッパの各地には、パスカルズのツアーがあるから行くだけ。
あとはずうっとアメリカにいるだけですからね。
つまり私、そんなに強くないのです、慣れない場所に。
特にどういうわけかヨーロッパというのは、私にとって非常にハードルの高い場所なんですね。相性とか魂との縁の浅さとか、そういうものがあるのかもしれません。


いずれにしてもこの食堂、地元の若者の溜まり場で大変騒がしい、と思ったのですが、実は多分、フェスティバルに来ている人たちがみんなあそこで食べるんだろうね。
なんせ初日には気付かなかったけれど、その食堂は会場のすぐそばにあって、その後の全ての食事が出される、提携店だったのですから。

店内

そしてメニューは勿論ポルトガル語オンリー。。。。。

なんなんですかポルトガル語って。
予備知識が全く無いんでわからない。
ズボンとかタバコとかカステラなら知ってます。

というわけで、世界音楽祭からの使者ガールが片言ながら英語を話したので、メニューを持ってお店のおばちゃんの元に行き、彼女の通訳を通して首っ引きで説明をしてもらいます。

その結果がこの、私が作成した、現地語→英語→日本語という、伝言ゲームみたいな手順で翻訳された日本語メニューです、じゃじゃーん。。。。。。すんげえ大雑把。




ちなみに上記メニュー8番目にある「バカロ」というのはそもそもメニューには書いてなかった特別料理で、その場でおばちゃんが「今日あるよ!名物だよ!」と言って教えてくれたので1個だけカタカナなんですが、これ実は「コールドフィッシュ」ではなく、「コッドフィッシュ」の聞き間違い、つまり鱈の事なんです。
それにはすぐに気付いて、みんなの元にこのメニューを持って行った時には、口頭で説明しました。

そしてまさにこの鱈の料理、私がポルトガルに行く前から噂に聞いていた名物料理で、何故か鱈なのに大変カロリーが高くて、毎日これを食べててすっごい太っちゃった、っていう、誰かの話を聞いていたんですね。

鱈なのに、なんでそんなにカロリーが?という疑問がずっとあったので、私は勿論これを注文しました。

そしてそれはこんな物で。



鱈には違いないが、クリームや野菜や米でぐっちゃぐっちゃに混ぜて煮込んであり、魚の固形物が食べたかった私にはやや期待はずれ。。。でも、カロリー高い理由はわかりました。

とは言えこの食堂、実はとっても美味しかったんです、これ以外は!!

この日はみなさんそれぞれメニューをぎこちなく探し当てて、一皿に六匹もイワシが乗ってるのをひとりで注文したりしてアレだったのですが、





その様子を見てあきれかえったお店のおばちゃんが、「明日っからはアタシが見繕ってあげよっか?」って言ってくれて、それからはもう、天国だったのでございます。
その料理はまた次の更新でご紹介します。

いずれにしても、一見粗野に見えたこの食堂も、お店のおばちゃんがちゃんと私たちに目を配っていてくれて、笑顔が無い割には心のこもった対応をしてくれるし、お料理も細やかで美味しいしで、一旦凍った私の心も溶けました。


そして楽しい夕ご飯の後、再び私の心を凍らせる出来事があったことも、ここに記しておかねばなりますまい。



これは、ご飯を食べた後、寒い夜の街で、来ないホテル行きの出迎えバスを延々と待つパスカルズです。

真ん中で電話をしているのはマネージャーのフィリップ。
「約束通りの時間に迎えに来ないとはどういうこった!!!!」と、実はすんごく怒鳴っているのです。

さて、夏の薄着には凍える寒さの、夜のシネシュの街で立ちん坊の私たち。
パスカルズの楽器や機材や荷物を乗せたままどっかへ消えてしまったバスは、果たして戻ってくるのでしょうか。。。。(続く)

2015年8月20日木曜日

パスカルズ欧州ツアー(5)

レンヌのフェスにいたロバ

なんでパスカルズの旅って、奇妙な事が沢山起こるんでしょうね。

今回のツアーのトラブルの目玉は、なんたってパスカルズ欧州ツアー(3) に書いた、バンジョー原くんのしでかした、じゃなくて、お手柄の、ホテル盗難未遂事件だと思うのだけど、で、それがあまりにも大きくて他が霞んじゃったようなところはあるんだけど、実は他にも沢山、歴史に残る様なトラブルはあったね。

先日のパスカルズ・ライブでバンマスがMCでも言ってたけれど、石川さんがひとりでミラノ行きの飛行機に乗ってたりとかね。
他のみんなはジュネーブ行きに乗ってたんだけどね。

パリからジュネーブ行きの飛行機にみんなで乗って、もうすでに搭乗からたっぷり時間も経って、あとは飛び立つのを待つばかりって感じで、まったりと飛行機の座席になじんでいた頃に、前の方に座ってたバンマスから、「サラさ〜ん」て呼ばれたわけ。

だからバンマスの席の所まで歩いて行ったら、「浩司いる?」って聞かれたわけ。
「あ、こっちにはいないです。」と言って自分の席に戻ろうとしたら、「こっちにもいない。」って言うわけ。浩司が。で、バンマスがこう言ったの。

「浩司が別の飛行機に乗る所を、龍ちゃんがちらっと見たって言うんだよね。」


いやいやいやいや。
ダメだろそれわ。


確かに、その日は移動のみで本番は無い。
ジュネーブに着いたらホテルに直行で、一泊して翌日パレオ・フェスで演奏だから、今日浩司が別の飛行機に乗ってしまったところで、浩司は着いた土地でまったり観光でもして、翌日ジュネーブに来てくれたって、問題は無いよ。

しかーーーーし!
真に問題なのはそこではない。
そこではないんですよ奥さん!!


今回パスカルズは欧州内移動を、バスにしようよ、って言ってきたラン・プロダクションを振り切って、東京ーパリ間の国際線込み欧州内周遊航空券を買って移動していた。

だってさ。バス移動は確かに楽しいよ?荷物も積みっぱなしだしね。でもさ、スイスのジュネーブから、ポルトガルのシネシュまで、成田ーソウル間にも匹敵する距離を、陸路で移動するってどうなの?

ランから届いたバスでの移動スケジュールを見たら、車内泊ってのが三回くらいあってさ、でも計算すると、車内泊で夜通し走っても、ぎりぎり着くか着かないか、ってな距離があったりするわけ。

車内泊という過酷な現実に耐え抜いても、もしかしたら間に合わないかもしれないのよ。
そんな博打みたいな事、ヨーロッパまで行ってやれっかよ、てなわけで、人間らしい、飛行機、という道を選んだのです。

ところがこの周遊券には条件があって、あらかじめ購入してあるフライト・スケジュールの便に、一個でも乗らないと、それ以降のフライトが全て、キャンセル扱いになってしまうんだなこれが。

つまり石川さんが、間違えてジュネーブじゃなくてミラノに行っちゃった場合、石川さんのみ、その後のフライト全部買い直し、つまりミラノからジュネーブまで自力で来たところで、ジュネーブからポルトガルのリスボンへ行って、リスボンから日本に帰る便もぜーーーーーーんぶが、無かったことになっちゃってるからさー、石川さんがぜーーーーーーんぶ自分で買い直さなきゃならなかったのですよ、ミラノに行ってたら。

そのお金を誰が出すんだか知らないけれど、石川さんが別の飛行機に乗ったみたい、と聞いた瞬間私の頭の中の計算機が、ざっと料金を見積もったね。まあ、運がよければ総額30万円てところでしょうが、日程が迫ってたから、便数が少なければもっと高くなる可能性はあり。50万円くらいが、現実的な数字かも。

結構切り詰めてるパスカルズのツアーでさー、それは無いでしょ。

幸い、パスカルズ関係者が他に誰も乗り込んで来ないことから早目に異常を察した石川さんが、こっちが気付くと同時くらいにこちらに向かってきていたんで事無きを経たけれど、あれはもう、本当にギリギリで回避できた結構大きなトラブルだったと思います。

そんな大きな事件の影で、あかねうつお双子姉妹もまた、何故か全く同じシート・ナンバーの搭乗券をそれぞれ渡されて、マネージャーのフィリップに頼んで、もう一枚違う座席の搭乗券を貰ってもらったりしていました。エール・フランスの人は、あかねとうつおがひとりだと思ったらしいんですね。

フィリップに一緒にいて説明してもらわないと、またデスクの人が、乱視でぶれて見えてるだけだと思っちゃうので、フィリップに行ってもらって、ちゃんと二人いるって説明してもらえてよかったですね。

あかねとうつおは二人いるから席も2席必要だと説明をするフィリップ

ところで石川さんが遭遇した飛行機乗り間違いの件、実は以前私も、アメリカの国内線で、隣席の人が、やっぱ間違えて乗ってることに気付いて、慌てて出てゆくのを見たことがあるんです。
前にエッセイ漫画にも描いたので覚えていてくださってる方もいらっしゃるかもしれないんですが、あの時私は、どうしてそういう事が起こるのか、理解出来なかったんです。

しかし今回、いわゆる最終搭乗口で搭乗券を渡してチェックをしてもらい、既に飛行機へのタラップ的な通路に入った段階でも、なおかつ道がふたつに別れ、その道が、エコノミーとファーストクラス以外にも、全く違う飛行機に繋がっている可能性があるという現実を知りました。

これは絶対に、知っていなければならない、重要な現実ですよ奥さん。


今回、パリのホテルでみんなでチェック・アウトする際に、早目に来たおまちゃんが自分でキーを返したらフロント・デスクの人がおまちゃんに、2泊分のTAXの支払いを要求したんです。まあデスクの勘違いなわけですが。
おまちゃんがそばにいた私に確認してくれたから、団体で予約した際に既に支払い済みだって事を言って、あやうく払わずに済んだけれど、それがあったからみんなに、個別でキーを返さないようにって、言えたんですね。

おまちゃん様様だったんでお礼を言ったら、その時おまちゃんが一言、「オレは生け贄だ。」って言ったんですね。


そう。


まさにそれよ。


それが大事なのよ。


今回は、石川さんがまさに生け贄になってくれたおかげで、飛行機の重大な秘密がわかったわけです。


旅に生け贄は必需品だな、と、しみじみと、強く感じた私なのでした。(続く)

2015年8月16日日曜日

パスカルズ欧州ツアー(4)



今回は、オフに行ったジヴェルニーの事を書こうと思ったのだけど、あの小旅行はとても個人的な思い入れに満ちたものだから、パスカルズ・ツアーのカテゴリーとは別枠で書く事にした。

なので今回は、スイスのニヨンで開催された、パレオ・フェスティバルについてだ。

このとてつもない音楽フェスティバルの事を、私はまるで知らなかった。

そもそも私は、音楽については非常にマニアックに、限られたアーティストだけを深追いする感じで聴いてきたので、広範に様々なアーティストが出演する音楽フェス、というものに興味が無くて生きて来たから、私が知らないのも無理は無いのだけど。

でも、チケットが発売されたその当日に、実に25万枚もの前売り券が完売、実際に動員したお客さんが述べ27万人というのだから、ちょっとは知っててもよかったんじゃね?と感じる。

出演者も、エルトン・ジョンやスティングなど特に音楽ファンでなくても知っているようなメイン・ストリームのアーティストを沢山集めているのだし、もう少し日本でも認知度があってもいいのではないかと思うのだが、とにかく実に初耳のフェスだったわけです。

そしてとても素敵だった!

ツアー中のこの時点での私はでかい無気力の波に襲われていた為に、あんまりどん欲に見て回らなかった自分に腹が立つものの、その空間に漂っている空気感のようなものがとても快適で、私は今でも余韻を楽しめる程だ。

海外の音楽フェスは、とにかく空間演出が素晴らしい。
自然をうまく利用したライトアップや凝ったオブジェを駆使して、幻想的な美しい非日常空間を創り上げてしまう。

パレオ・フェス -メイン・ステージ脇


特に音楽好きじゃなくても、あの雰囲気に飲まれたい、って感じでリピートする人もいるのかもしれない。ワクワクするんだよね。

それからお金持ちフェス特有の、無制限感も好きだった。

アメリカのレストランは、よく言われているようにひとつのディッシュがでかい。日本人には、食べ切れないから困る、という人がいるけれど、アメリカ人だって、あれを食べ切るわけではない。

あれはあくまでも、豊かさ、制限の無さ、というゆとり空間をサービスする為の演出であって、だからアメリカのレストランはどこも、残した料理をお客が持ち帰れるように、箱やアルミホイルを常備している。料理を包んだアルミ箔で白鳥を作ってくれたりするって話は、昔私がエッセイにも描いたけれど。

個人が、あらゆることに制限を感じないで済む様に演出するのが、アメリカのサービスの基本精神にあると私は感じる。
だから、交渉さえすればどんなことにも臨機応変に対応してくれるのだ、あの国では。

一方ヨーロッパにはそういう空気感はあまり無く、どちらかというと制限を楽しむようなところがあるような気がする。
それはそれでオッケーなんだけど、私には時々窮屈なのだ。

だけど、欧州ツアー5日目に訪れたパレオ・フェスには、制限が無かった。

楽屋に設置されたバーに行くと、無料で色んなドリンクやサンドウィッチなどの食べ物をくれたり、ホテルと会場を往復するシャトルの待合室ーこれがまた南国風の素敵な空間なのだがーにいると、無制限にビールや色んな物が振る舞われたりする。

バックステージにあるバー

出演者、という立場でこのフェスにいたら、一生食べる物には困らないって感じだ。

しかも、このパレオ・フェスがパスカルズにあてがってくれたホテルの朝ご飯ブッフェは、ななんと午後2時まで朝食を振る舞っていて、その日殆どやる気の無かった私は朝6時からブッフェに入り、マジで午後2時まで、ずうっとぼーっとしていたのである。
ブッフェのレストランは風光明媚なテラスを持っていて、とても気持ちがよかったというのもあり。

湖とアルプスの山脈の見える朝ご飯テラス

ここのブッフェではジュースが四種類くらいあったのだが、そのうち杏のジュースがとても美味しかった。
そしてですね、ここのお客さん、ブッフェのカウンターからジュースを、なんとでっかい瓶ごと自分のテーブルに運んでしまうのだが、ホテルがどんどん補給してくれるので、私もふた瓶ほどテーブルに持ち込んで、全部飲み干しましたわ。ほーっほっほっほ!!

もうほんと、制限が無いって素晴らしいです。
私はどこまででも享受出来ますから!

豊かさ、という点については、アーティストへの対応にも感じられた。

パレオ・フェスのサイトに行ってみるとわかると思うんですが、多分あれ、出演者全員のステージの、コンプリート映像を流してるよね。
パスカルズのライブ中も、ステージ両脇の巨大スクリーンに演者のアップとか流してたらしいんですが、その映像を、私たちにもくれたし、サイトでも誰でも観られるようになっているんです。

メジャーなアーティストだけとか、ハイライトだけなどに絞らずに、全部の映像をアップ。
これは本当に豊かな、出し惜しみしないやり方だと感じました。

なんだかこのフェスで味わった豊かさの感覚が未だに心と全身に染み付いていて、飢餓感の全く無い自分を感じます。

だから今の私は、食べ過ぎたり買い物し過ぎたりコミュニケーションし過ぎたりしないし、基本的にすごくストイックなのです、ツアー以来。
これはおもしろい影響です。

まあそういうわけだから、欲深い政治家とかって、飢餓感の塊なんだろうね。太陽の暖かさで旅人のコートを脱がす話みたいに、本当の豊かさをあげれば欲深さが治るのかな、それとも心の根深いところまでは届かないかしら。


本番が終わって、もう夜の10時半くらいなんだけど、夕ご飯の会場に連れてゆかれました。そこもたっぷりの空間と、食べ放題の前菜サラダ・バーにデザート・ブッフェ、選べるメインディッシュの種類も豊富で、みんなとの食事がとても楽しかったし、私の選んだラムは絶品だったし、つまりはシェフのクオリティにも制限を課さなかったのだろうという感じで、もう何もかも本当に、私には合ってたよ!
ああいう現場で私は輝くよ! 贅肉も制限無くついたけどな!

バックステージの出演者用レストラン


あたくしの選んだラム、クスクスと茄子も美味しゅうございました


右隣にいた坂本さんが選んだチキン&クスクス
危険がいっぱいデザート・ブッフェ
左隣にいたマネージャー、フィリップが選んだパスタ。
ひとりでは食べ切れないくらい海老が入っていたそうです。


ところでこのパレオ・フェスでは、スイス国営放送がパスカルズの密着取材やインタビューをしてくれました。

私は通訳するので端っこにいます、と言ったのだが、石川さんがでか過ぎる、とか言われて私が真ん中になってしまい、多分番組では主役のようになっていることだろう。かたじけない。



主役っぽい私

それでこのインタビューが、いつ放映されたのかまだ追跡中なのですが、パレオ・フェス40周年おめでとう!の映像にも、この時の映像が使われています。

ちなみにこのおめでとうコメントで最初に出てくるのは、なんとあのレッド・ツェッペリンのロバート・プラント。。。現地で御本人にお会いすることは無かったのですが、御本人にお会いしてもわからなかっただろうの変身ぶりです。。


ところで実のところ、このフェスへの出演が決まった時、なんとなくマネージャーのフィリップがごり押しでパスカルズの席を作ってくれたんじゃないのかな、なんて疑いがありました。

でも終わってみると、パレオ・フェスは公式ブログでパスカルズの事を書いてくれたり、フェスティバルのベスト映像として誕生日コメントで枠を取ってくれたり、取材申し込みが多かったりと、かなり好かれた気配濃厚。

来年も是非誘っていただきたいものでございます。(続く)


                        リハ中↑

2015年8月10日月曜日

パスカルズ欧州ツアー(3)

鍵を握る男・原さとし
私の人生経験上、何か隠れた問題のある現場、なんらかの改善を必要とされる、まだ露呈していない問題を抱える状況や環境や人生などには、その隠れた問題から滲み出るかのような、おかしな出来事が度々顕現したりするものだ。

これは体のどこかに異常があると、そこから度々不調のサインがやってくるみたいな物で、自然界の理というものは、例外無くみんな共通しているんだなあと感じる。

私がアメリカで学んだセラピーの方法にもそれを利用する一面があり、つまりなんらかの問題が起こった時に、その問題を道標として、その問題を生じさせた根本的な心的病巣を、探っていったりするのである。

バランスを欠いている物には無理がつきもので、その無理がどんどん蓄積されて、ある日決壊したりする。大々的に決壊する場合もあるし、小出しに決壊する場合もある。

そして今回ある物の決壊の規模の鍵を、期せずして握ってしまったのが何を隠そうパスカルズのバンジョー・プレイヤー、原さとしであり、これは御本人の了承を得て語られる、壮大な決壊の序章の話なのである。(おおげさ)

今回、比較的スムーズかつ、個人的には素敵に充実しているなと感じられていたパスカルズ欧州ツアーであったが、パリでのライブ後、会場から車で10分程離れた、パリ北駅近くのホテルに向かう辺りから、この、なんらかの内在する問題から滲み出る兆とも思える出来事が、起こり始めた。


パリでのライブ会場となったLa Generaleの主催者Eさんが、ライブ後パスカルズが終電を気にせずゆっくりくつろげる様にと、タクシーの提供を申し出てくれた。おかげで時間を気にせずライブ後の会場でまったり出来たので、これは大変ありがたかった。

Eさんは大きな楽器や機材を自分の運転するバンでホテルまで運んでくれた上に、メンバーにはタクシーまでふるまってくれて素晴らしい。
過去に地元オーガナイザーが、コンサート後に会場ホールの物販などに集っていたお客様をボランティアとしてかき集め、彼らの車にパスカルズ一行を分乗させて、要するにお客様にパスカルズをホテルまで送ってもらうことにしたという驚きの出来事があって、あれにはとても驚いたし、お客様も驚いたと思う。


ライブ後十分まったりしたパスカルズ一行は、会場付近の通りにずらり並んだタクシーの列に向かい、マネージャーのフィリップがドライバーひとりひとりにホテルの場所を詳細に伝えてくれるのを待ってから、4台のタクシーに分乗した。

ホテルのある北駅近くは割と危険視されている治安地域なので、真夜中だということもあって車でスカッとホテルまで行けるのは本当によかったよ、ラッキーだよとか思いながらホテルに着いた時に私たちは、しかしタクシーが一台足りない事に気がついた。

ホテルのロビーでしばらく待ったがまるで現れる様子の無い行方不明のそのタクシーには、パスカルズの女性メンバー4人と撮影班のU5さんが乗っていて、かろうじて男子が1名乗っているから安心かもしれないけれど、今時は男子も安全では無いのではないだろうかとか色んな憶測が乱れ飛んだ。

待てど暮らせど到着しないタクシーに、徐々に顔色が変わってゆくマネージャーのフィリップとEさんが、バンでその辺りを流して探してみると言い出したが、とにかく電話してみようよと誰かが電話をしたら、タクシーが別の場所にある同系列のホテルに着いちゃって、本人達もそこかと思ってロビーで私たちを待っていたのだが、誰も来ないのでおかしいと思い、正しいホテルを探して歩き出したところだという事だった。

さらわれて港の倉庫の中に監禁されていて、朝が来たら積み荷と一緒に遠い異国行きの船に乗せられる予定なんじゃなくて本当によかった。(アメリカ系サスペンス・ドラマの見過ぎ)
とりあえず今彼らが歩いている場所を確かめ、Eさんとフィリップがバンで4人を拾いに行き、ようやく一安心なのである。


ところが。

無事に全員揃い、ようやくホテルのチェック・イン、というわけで、本日も大活躍のフィリップが手続きを済ませて全員に部屋の鍵を渡したのだが、その鍵が使えないと言って、まずチェロの三木さんが早々に降りて来た。カードキーなのでフロントデスクの人に機械でちゃちゃっとやってもらい、やれやれと部屋に戻ったが、今度はあかねさんが鍵が開かないと言って降りて来た。

しかもあかねさんの場合、ノックをしたら男性の声がして、ここはオレの部屋だ的フランス語を言ったというのだ。

フロントで雑用をしていたフィリップがデスクの人に確認すると、その日の午後にあかねさん用にとっておいた部屋に、男性客を入れてしまった形跡が、コンピューターに残っているということだった。
ダブルブッキングである。

しょうがないから替わりの部屋を探してくれのなんのとフロントでガタガタやっている私たちの後ろを、PAのおまちゃんが通った。おまちゃんはその日は三木さんと同室なのだが、やはり鍵が開かないというのだ。さっきフロントでちゃちゃっとやってもらった鍵もダメで、更にもう一度、ちゃちゃっとやってもらいに来たのである。

そんなおまちゃんを尻目に、どうやらあかねさんの為の、替わりの部屋は無いことがわかった。その夜ホテルは満室なのだ。
時間はもう午前3時くらいでさ。
大変じゃん。

ライブ終わってホテルに入ったけど違うホテルに着いちゃって、ようやく正しいホテルに着いたと思ったら部屋に入れなくて全然休めないあかねさんに、フィリップが自分の部屋を譲った。あかねさんはためらってたけれど、フィリップはホテルの人に、自分用に近所のホテルを案内してもらうことにしたから、やっぱりあかねさんがフィリップの部屋に入るのが一番の解決策なのであり、この件は落着した。

そうしたら今度はおまちゃんと三木さんが、やっと開いた部屋に入ったらななんとその部屋のベッドがツインではなくダブルベッドだったとかで急いで逃げて来て、結局はフィリップがその部屋をシングルで使い、おまちゃんと三木さんが別のホテルに引っ越す事になったのである。

いやはやなんという大トラブル続きなことでしょう!

そしてその騒動の間中、なんで私がずうっとホテルのロビーにいたかっていうと、自分の部屋のバスルームの電気が点かなかったからであり、それをなんとかしてくれるホテルのスタッフを待っていたのだが、上記の騒ぎで人手の少ないホテルはてんてこまいで、私の部屋のバスルームどころじゃなかったのであり、私は全部の騒動が終息するまでロビーで待っていたのである。

スーツケースとチェロを引き摺りながら別のホテルに引っ越してゆく三木さんがそんな私をちらりと睨み、「風呂場の電気が点かないくらいあんだよっ。」と捨て台詞を残して去って行ったのは言うまでもない。

そして実はその騒動の影で、部屋に入ったら床が水浸しだったかなんだかのトラブルに見舞われていた坂本さんが、その程度の問題を言い出す空気じゃない、と自己完結して大人しく寝ていたことも、後に判明した。

まったく、なんというホテルでしょう!!!

今までパスカルズの欧州ツアーでは、実にありえないようなホテルに泊まってきましたけれど、さすがに部屋が足りなくてメンバーが別のホテルに行かねばならないなんてことは無かったですからね!!

てなわけで、治安は悪いしホテルはそんなだしで大荒れのパリ1夜目だったのだが、本当に恐ろしいことは、翌日待っていたのである。


翌日7月21日は終日オフ日だったため、メンバーは思い思いに素敵でオシャレなパリの休日を楽しんだ(はず)。
私もジヴェルニーにまで足を伸ばし、積年の夢だったモネの庭に行くという、人生最高の部類に入る半日を過ごして、夕方予定されていたフィリップとのミーティングとその後のシャンパン・パーティーの為に、ルンルン気分でホテルに戻った。

そしたら廊下で会った原くんが神妙な顔つきで、「サラさん、に、に、に、荷物、だ、大丈夫?」と言って来たのである。

荷物?

どういうこと?


原くんが語ったのはこうだった。

その日の朝、外出しようと部屋を出たら、部屋の前にホテルのお掃除の人がいたから、ハロー、って挨拶をした。

ところが彼女はすんごく無愛想で、挨拶も返してくれなかった。
その瞬間、原くんの野生の勘が、なんか、ヤバい感じ、って思ったのだそうだ。

だから原くんは部屋に戻って、天井の一角に隠しカメラを仕込んだ。
ちょうどツアー前にファンの方から貰ったiPhone用の魚眼レンズを持参していたとかで、それをiPhoneのレンズに装着し、録画状態にセットして、部屋を後にしたと言うのだ。

そして帰ってきて、録画映像を観た原くんは愕然とした。

ななんとそこには、念入りに原くんの荷物を物色する、お掃除スタッフの女性の姿が、ばっちりと写っていたのである!!!

幸い貴重品は持って出たので被害は無かったと言うのだが、見せてもらったその映像の女性は、原くんの鞄の中から次々に色んな物を取り出しては丁寧に中身を物色し、それからぞんざいに全部まとめて鞄の中に放り込むという不敵な様子が、はっきりと写っていた。

全部の部屋でやってると思うよ、と言われて私も急いで自分の部屋へ。

幸い私も、盗まれて困るような物は部屋に残しておかなかったのだが、服のボトム、トップ、ステージ用の衣装、雑貨、下着、などをそれぞれ別の仕分けケースに入れておき理路整然としていたはずのスーツケースの中身の全てが表に出されて一緒くたに詰め込まれており、それはそれはカオスだった。

どひーっっっ!!!

やられてる。
きっとみんなやられてるよ。
み、みんな、みんな、早く、早く荷物を確かめてー!!

その映像は、フィリップの手によってホテルの支配人に見せられ、ホテルの支配人はその女性が、確かに顔見知りの従業員であることを確認して、非っ常に、驚いていたという。

支配人は、前夜から重なったダブルブッキングなどの不手際も含めて謝罪し、宿泊費のいくらかを返してくれる約束を、その場ではしてくれたんだけど。。。

結構ゴネててですね、未だにお金が返ってこないんですね。。

でもさ。
いいんですかねそんなことで。

今回原くんがビデオを撮らなければ、これからもずうっとあのホテルでは、あの女の人が盗みを続けていたわけであり、そういう意味でもホテルはもう少し丁重に対応するべきではないのでしょうか。

欧州中に展開する、ヨーロッパ最大手のあのホテル。
あのビデオを公開されたら、まずいんじゃないの〜?

と言うわけで、今やパスカルズのバンジョー原くんの手には、黄金に形を変えるかもしれないすんごいお宝映像が、あるってわけなのである。
あれ、話がそれた?

だって今回は宿泊費のいくらかを払うだけで済んだかもしれないけれど、いつかもっとすんごいことになっていたかもしれないでしょ?
いやもしかしたらそのすんごいことは、今後原くんによって、もたらされるかもしれないのである。
ホテルの明暗の鍵を握る男となった原さとし。
本人は、命を狙われるんじゃないかって結構ビビっていらしたので、私がそれ、預かってもいいよ、と説得したんですがダメでした。


さて余談なのだが。

結局のところ誰も何も盗まれていない事がわかり、私たちは改めて件のビデオを観てみた。
するとまず原くんの部屋に入って来た女性は、何かをひとりでしきりに呟いていることがわかった。フランス語だと思ってフィリップに何を言っているのか聞いてもらったら、フランス語ではなくてアフリカの言葉ではないか、とフィリップは言った。

そう、彼女はがたいの大きなアフリカ系の女性なのです。

アフリカの言葉と言われると、私はなんとなく、それはまじないの言葉なのではないかと思ってしまうのです。

部屋に入るなりまじないの言葉を唱えながら、荷物を念入りに調べて、何も盗まずに戻してゆく行為...
そ、それはもしや、祝福の儀式なのでわっ!?

彼女はアフリカのまじない師で、前夜ホテルに着いた、見るからに穢れているパスカルズ一行を見て、見るに見かねて密かに、呪いを解いてくれていたのではっっ!!??

とも受け取れるのかもしれない、盗人騒動だったのでした。

三木さんのツイートより勝手に拝借

(続)