2014年3月12日水曜日

天使の声


3年前の311の時、私は朝からずっと怖くてたまらなかった。

あの災害が起こる三週間前くらいから私は、得体の知れない怖さに毎日苛まれていて、鬱病になっちゃったんじゃないかとさえ思ったくらいだった。

夢見も悪くて、数々の印象的な夢を見た。

神社の後ろから押し寄せて来る大波と、バルブがはずれて爆発する、何か大きなエネルギー。

これらは、311が起こる前からブログに書いていたので、読んでくださった方も沢山いらっしゃるかと思います。

とにかく3/11の日も、朝から怖くて怖くて落ち着かなかった私は、珍しくひとりで部屋にいるのがいたたまれずに外出して、そして帰宅難民となったのである。

いつもは野生の勘が働いて、自分の不利になることにはめったに近づかない私ですが、あの時は多分、沈む舟から狂ったように海に飛び込むネズミみたいになっていたんだと思います。

外出先の街で地震にあった後、情報を得ようと私のiPadの周りに集まった人たちの中に、偶然にも私と同じ街に住むご婦人のグループがいらして、私をタクシーの相乗りに誘ってくれた。しかし私は躊躇して思いとどまった。次には若いOLさん風の女性が、帰れなくなりますよ、一緒にユースホステルに行きましょう、と、偶然目の前にあったユースホステルに誘ってくれた。しかしこれにも私は躊躇して断り、あの時の体験とすれば最も最悪の道へと、一直線に歩んで行ったのである。

あの時、あの段階でタクシーやユースホステルを選んでいれば、その後の不安で過酷な時間を過ごさなくても済んだんだと思う。今思えば、ご婦人グループもあのOLさんも、奇跡みたいなタイミングで私の前に現れてくれた、天使の使いみたいな存在だったのである。

とは言え帰宅難民体験は、その後の私の心情や成長に大きくプラスに働いたから、結果的には最善の体験を選んだなとも思うのだけど、運命は決して、その道を行けと強制はしていなかった。二回も助け舟を差し出し、楽な道への選択権をあからさまに提示してくれたのである。

こういうことが、きっと人生には数限りなく起こっているのだろうね。
どっちを選ぶ?っていうやつがね。

まあそれはそれとして。

過酷な体験、と言えばいつも思い出すのが、『夜と霧』という本のことです。
そう、あの、アウシュビッツ収容所のことを、自分の体験を元にユダヤ人の心理学者が綴ったヘヴィな本。
いや、ヘヴィ、という印象があるけれど、実は大変美しい本なのです。

あの収容所でのユダヤの方達の体験は軽々しく口にできるような物では決して無いけれど、何を選ぶか、というテーマにおいて、非常に明確な答えが書かれている本だと思うのです。

私はあの本の中で著者が、自分の中にある奢りやエゴの動きを謙虚に観察しながら、深い愛情を持った観察眼で、仲間である収容者たちの姿を見守る姿勢に、大きな感銘を受けました。彼にとってあの収容所での体験は、非情な運命の犠牲者としてのものではなく、自分に与えられたある特異な体験、以上のなにものでも無いのです。

もちろん、大変辛い目には遭っているのですが、収容者も自分もナチの将校達も、彼からすれば全て観察の対象で、深い視点で物事の流れを見守りながら、どこに心をフォーカスすれば生き残れるのかを、彼はじっくりと探り出してゆくのです。

あの本の中には人間の精神と運命の流れの繫がりをひもとく、興味深い現実がいくつも出てきます。

例えば、多くの収容者たちが、クリスマス休暇の後に感染症にかかってなくなって行った、というような。

これは、収容者の中にいつしか、クリスマスには特別な恩恵が起こって、解放されるとか恩赦がくだされるというような噂が蔓延し、一旦大きな希望の灯が広がったのだけれど、結局のところは何も特別な事は起こらなかった為、希望を失った彼らが気力を失い、免疫力が弱まって一気に衰弱していった、ということなのだそうです。

著者はと言うと、彼は何も期待していなかったから、失望もしなかったのです。
もっと言えば、著者は、完全に、彼の身に起こっている現実を受け入れ、その現実に寄り添って生きていたのです。
多くの収容者たちが、その現実を否定し、抵抗し、抗い、自分が収容されているというその、今実際に起こっている現実から逃避し乖離し、受け入れないでいる中で。

あの時ユダヤの人々に起こった出来事は、ユダヤの人々には何の落ち度も無く、全くもって理不尽なことではあったのだけれど、しかしあれは、起こってしまった現実なのです。
誰のせいとか、攻めたり罰を下したりしたい対象が色々あるとは思うけれど、それとは別に、自分の人生に、それが起こっている、という時点でそれはもう、自分の物なのです。

あの本の著者は、その事を実に良くわかっていて、さくっと受け入れた。
そして、自分のものさと受け入れたその自分の運命を信じて、行き延びる道を選んで行ったのです。
これはまず、受け入れないと、出来ない事だと思います。
人生がいつまでも誰かからの押し売りで、こんなの自分のものじゃない、と思っている限りは、自分でそのハンドルは握れないのですから。

そして彼は、あの、何が起こっても不思議ではない極限状態の環境の中にあって、まるで先が読めているかのように着実に有利な駒を進めてゆき、最終的には釈放されるのです。

私の帰宅難民体験なんて、彼の体験からすれば本当に些細な物ですが、実際には私もあの時、体験に飛び込む、という心境にありました。だから、早い時期に現れた助け舟には乗らずにいたんだな、と自分を振り返ります。

しかし徐々にもう限界を感じ始め、かくまってくれていたおまんじゅうカフェさんもそろそろ閉店したいだろうからと、本当に救われたいと思い始めた矢先に、当時の漫画の担当さんという三番目の太い蜘蛛の糸が現れ、私はその糸をようやく握って、救い出されたのでした。

帰宅難民の体験を未だに勲章にしているようなあまちゃんな私からは何も言えないけれど、収容所から生き延びた、あの著者の体験なら、どんなに過酷な目に、今さらされている人にも、響くのではと思います。

どんな経験も、地球で生きる短い時間の中で、自分の体験としてもたらされた、自分の為に仕組まれた、ある種のプログラミングなのだと腹の底から知って、自分は犠牲者である、という気持ちから本当に抜け出られた時に、きっと人生は、何らかの出口を用意してくれるはずだと私は思うのです。

腹をくくれ。大丈夫だから。

あの日、三番目の天使に救われた時に心に響いた声がそれだったな、と、思い出されるのです。


ところで、震災の時に仙台に居合わせたアメリカ人の方が、私の知人に出した手紙を当時ブログでシェアしたんですけれど、前のブログは思う所あって一時的に閉めているので、当時の記録の為、ここに再掲します。

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ここ、仙台で起こっている事は、想像以上に非現実的です。でも私には助けてくれる素晴らしい友人がおり、とても恵まれています。

掘立て小屋、というよりはいくらか豪華と言えるくらいの私の家を出て、今は友人の家に滞在させてもらっています。
私達は水や食料、灯油のヒーターといった支給品を分かち合っています。

散らかってしまった部屋を一緒に片付ける日々の中、ひとつの部屋に並んで眠り、キャンドルの光で食事をし、物語を分かち合います。暖かく、友情に溢れ、美しい時間です。

人々は車の中に座って、ナビゲーションスクリーンでニュースを見守ったり、飲み水を調達する為に列に並んだりしています。
もしも誰かの家に水が通じると、その人は皆にそれを知らせ、皆がバケツや水差しを持ってその家を訪れ、満タンにして帰れるように取りはからってくれます。

列では押される事も略奪される事も無く、まったくもって信じがたい程に素晴らしいのです。
人々はまた地震に襲われた時のために、玄関のドアを開け放しているのですが、皆口々にこんな風に言うのです。
「これは本当に、私達がお互いを助け合っていた昔の時代に戻ったみたいだ。」

地震は相変わらず続いています。昨夜は15分おきに起こりました。
サイレンがいつも鳴り響き、ヘリコプターも頻繁に頭上を横切ります。

昨夜は数時間、この家でも水が出て、今は半日、出る様になりました。
電気は午後に通じます。ガスはまだ来ません。
何人かの人々はそれらを得ており、何人かの人々は得ていません。
そして私達のすべてが、体を洗う事が出来ません。
私達は汚れていますが、気にするゆとりはありません。

ですが私はこの、自分自身を覆い隠していた錆を落とす、ピーリングの様な経過を気に入っています。

直感をフルに働かせて生きる、というこの体験、思いやりと、生き残るには何が必要かを、自分だけではなく、グループ全体の為に、感覚を研ぎすまして感知しなければならない、というこの感覚を。

奇妙な平行世界が起こっています。
家は混乱し、だけど太陽の光の下で布団や洗濯物を干します。人々は食べ物と飲み物の為に列を作る一方で、犬と散歩したりもします。全ての出来事が同時に起こっているのです。

それから思いがけず感動的で美しかったのは、夜の静けさでした。
車が無く、道に人もいません。満点の星空がまるで天国の様で、いつもはふたつくらいしか見えない星が、今はとにかく空に満ちているのです。
凍てついた空気の中で、夜の空に浮かぶ鋭い仙台の山々のシルエットは、まさに壮麗です。

そして日本人。彼らは本当に、素晴らしいのです!

私は毎日、確認の為に自分の掘立て小屋に戻っていて、たまたま電気が通じていたのでこのメールを書いているのですが、今、食料と飲み物が、家の入り口に置いてある事に気付きました。
誰が置いてくれたのかはわかりません。緑色の帽子をかぶった年老いた男性が、皆が大丈夫かどうか、いつも見回ってくれています。

なにか助けが必要な時、皆まったくの赤の他人にそれを頼んだりしています。恐れている様子など、微塵もみとめられません。あきらめはあります。でも、恐れやパニックはここには無いのです。

彼らは、別の月か、いつかに起こるかもしれない余震、あるいはもっと他の大地震の可能性も予期しています。
今でも私達は、コンスタントに弱い地震を体験し、うねりや揺れや地鳴りを体験しています。

もっと悲惨な影響を受けた仙台の一部があったにも関わらず、私がこの場所にいられた事を祝福と感じています。
今の所、ここはマシですし、友人の夫が田舎から戻ってきて、食料と水を持ってきてくれました。またも祝福されました。

どういうわけか、こんな時に私は、まさになにか膨大な、宇宙的な進化のステップが起こっているのでは、という強い印象を持ちました。そしてやはりどういうわけか、私は現在日本でこの体験をしている事で、今までに無い程、自分の心が大きく開かれた、と感じています。

私の弟が、こういった出来事に遭遇すると、自分がとてもちっぽけな存在だと感じるんじゃない?と聞いてきました。ですが私は、そうは感じていません。私はむしろ、自分自身が、自分よりも遥かに大きな何かの一部であると、感じ始めています。

この世界的な産みの苦しみのステップは過酷ですが、しかしそれでも、壮麗なのです。

ご心配ありがとう。

皆さん全員に、愛を込めて。

ジョン・バーリング

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