2015年7月17日金曜日

戦争


戦争というものは、個の心の内に吹き荒れる嵐の、具現化だと思っている。

国対国、宗教対宗教というような、大きな組織同士の争いとなると、あたかもそこに直接関わっていない個々人は、自分とはかけ離れた領域で起こっている物のように感じるかもしれないけれど、実はひとりひとりの心の内側にある、平和ではない部分の、延長線が戦争だと、私は思っている。

中東や、日本から遠く離れたいろんな国で起こっている争いにも、私たちみんなが関与していると、私は思っている。

ひとりの愚かな政治家が、目も当てられないようなくだらない動機で、狂った選択をしてしまうことには、決して目をつぶるべきではないけれど、じゃあ戦争が、その政治家だけのせいで起こるのかと言えば、それは違うと、私は思う。

人類が、心の内に武器を携え続ける限り、どんな立派な政治家が、どんなに優れた治世を行ったところで、たった一人の高潔さだけで、世界を変えることは出来ないのだ。

あいつが法律を変えてしまった、悪政だ、と、外側の誰かのせいにして責め立てるのは簡単だけれど、その外側に向けた指先を、内側にも向けるべきだと、私は思う。

平和を願いながらもその政治家や、意見を違える人に侮蔑や憎しみや怒りを抱くなら、それは遠い国で行われている、価値観や信仰や文化の違いが理由で殺し合う人々の心と、同じなのだ。


どんなにデモをしても、どんなに声高に訴えても、何も変わらない理由は、個々人の心が、変らないからだと、私は思う。


戦争は、人間が起こす物だ。

隣の国が、日本の領土を不当に欲しがっていますよ、と聞いて、不安を煽られるのは、いち個人だ。

戦争へと繋がる考え方や想いを、人間は常に日常の生活の中で、体験しているはずだ。

友達や、上司や、親や、子供や、学校の先生や、環境や、動物に対して、平和ではない想いを抱いた事は、誰にでもあるはずだ。
意識しているにしろ、いないにしろ。

そんなことをやっている私たちが、何故堂々と、世界平和を願えるのだろう。
まるで、世界平和の鍵を握っているのが、自分以外の誰かであるかのような顔をして。
まるで、戦争に、自分は何の責任も関与も、無いような顔をして。


戦争を終わらせることが出来るのは、政治家や宗教指導者ではない。

私たちひとりひとりの心の中の爆弾が、全部花火に変ったら、世の中から戦争が無くなるんだよ。


「変れ!」と表側に向けた指先を、自分の内側に向けることも、忘れてはいけないのだ。