2016年11月10日木曜日

大統領選後

アメリカ大統領選が終わってからずっと、うっすらと泣きたい様な感覚が続いている。

結果に失望しているわけではなく、いやもしかしたら気付かない様な深いレベルで失望しているのかもしれないけれど、ずっと感じているのは失望や怒りではなく、どちらかと言えば厳粛な、深い静けさを伴う胸の痛み、とでも言う様な物だ。

どういう人たちが何を思ってトランプに投票したのかは、実際のところよくわからないのだけど、昨日からずっとある知人の事が、頭から離れない。


趣味でヘリコプターやセスナを操縦するアメリカの知人のおかげで、私は最近よくアメリカで自由な空の旅を楽しんでいるのだけど、ある時その知人が紹介してくれた若いパイロットの青年と、ランチを食べに行った事がある。

Kというその青年は、青い瞳が静かで優しそうな白人の眼鏡男子で、空を飛ぶのが大好きでがんばってヘリの免許を取り、人に操縦を教えて生計を立てていると言った。

その時にその彼が、自分はヒルビリーなんだ、と笑いながら言ったのだ。
幸い森が近かったから、子供の頃から兄とふたりで森に入って、色んな動物を狩って食べた、と楽しそうに話し始めた。
狩った動物は蛇や鳥や蛙や魚など、普通に食用に出来る物から、オポッサムなどの変わった動物まで食べたと言った。オポッサムは死んだふりが上手で、始めの頃はそれに騙されて僕たちはよく失望したり笑い転げたりもしたもんだ、と。

私は大好きな北米の森を思い浮かべ、オポッサムの話を心から楽しみ、他にどんな動物を食べたのかと、大喜びで話をねだった。
彼はその時本当に楽しそうに自慢気に話していたから、私はそれが楽しい話だと、思い込んでいたのだ。


その事が唐突に、胸に突き上げる様に、昇って来た。
トランプが大統領になった時に。
小さな兄弟がふたりで森に入って、毎日の様に動物を狩って食べ、飢えをしのいでいたのだという、新しい現実として。


ヒラリーの、敗者演説は胸を打つ美しい物だった。
彼女が大統領になっていたら、どんなに素晴らしかったかしらと思わせるような、爽やかで、真剣で、静かな情熱を湛えた、力強いメッセージの込められた、品格を感じる素敵な物だった。

だけど毎日の生活にあえぐ人たちは、堂々と差別発言や痴漢行為を自慢する下衆野郎が見せてくれた、明日の食べ物を買える希望を、選んだのだ。
実際にトランプが役に立ってくれるかどうかは別として、とにかく彼を選んだ。
彼の言葉の方が、胸に響いたから。


森にオポッサムを獲りに行かなくてもいい、そんなに貧乏じゃない人たちもトランプを選んだ。なんでかっていうと、トランプの言ってる事が飾らない本音で、自分たちの気持ちを代弁していると感じたからだ。


私は、外側に敵を作る人たちというのは、結局は深く疲弊しているだけなのだと思っている。
人種差別はつまるところ八つ当たりであって、なんらかの強いフラストレーションや不満や怒りや恐怖や痛みを誰かにぶつけたいだけなのだ。
まあ、私怨から特定の人種なんかを憎む人もいるかもしれないけれど、それだって結局は心の痛みから発生している。

だからと言って同情出来るものでもないんだけれど、とにかく今回のトランプ勝利の現実は、如何に多くのアメリカ人が、実のところ非常に不幸なのだという事を現していると感じて、私は非常に、ガーーンとなってそしてその現実が、厳粛な悲しみとして心に広がりまくっているのだ。

アメリカには、自分のオポッサムを誰かが奪いに来ない様に、高い塀を作りたい人たちが、沢山いる。

そういう人たちにとっては、世界平和や差別の無い社会や自然界との調和や、エコやオーガニックやGMOやスピリチュアルや、高い精神性やウィットのあるユーモアや芸術や、多様性や平等や品格やそんな物なんかより、攻撃的で閉鎖的で、差別や憤怒に溢れ、恐怖と不信に満ちた心を代弁し、堂々と市民権を与えてくれる下衆なオヤジの方が、遥かに現実味があったのだ。

貧乏であれ金持ちであれ、トランプの言葉に説得力を感じる、不安で不幸で脅かされている人たちが、アメリカには沢山いるのだ。


その現実に、改めて光が当たった。

人類が進化して、中世の時代よりはずっとフェアで人道的な法律や価値観が行き渡っている文明社会において、より高潔な高い意識をもって生きてゆく理想的な流れがある一方で、様々な理由によって社会的に虐げられたり働けなかったり思う様に生きられなかったり稼げなかったりして、傷ついた痛ましい心を抱え、怒りと憎しみに燃え、怖れと不安で身動きがとれず、毎日が生き延びる事だけで精一杯な人たちが、この世にはいるのだということ。

もちろんKの様に、過酷な生活から自分の力でいっぱしの生活を勝ち取れる人もいるけれど、病気とは認定されない程度の精神疾患や、身体や心の弱さを抱えた人たちは、どんなにひとりでがんばっても、立ち上がれない事もある。


それがなんだと言うわけではない。
単に私は、Kの話してくれたオポッサムの話を、おもしろ可笑しく楽しんで、それ以上何も、気付こうともしなかった自分の目を、トランプの勝利が覚ましてくれたなと、思っているだけだ。

そしてそれがとても悲しくて、ただごめんなさいと、天に向かって謝りたいだけなのである。