2015年2月28日土曜日

マジカーとザザ

マジカー・ 最近のプロモ写真

以前フランスのユーロケエンヌ・ロック・フェスティバルという大きな音楽フェスに出たことがあった。

当時フランスで一斉を風靡し始めていた歌姫カミーユとのコラボレーション・ステージだったので、1万5千人キャパの会場は熱気溢れて満員だった。

ちなみにカミーユというのは、ディズニー・アニメ”ラタトゥイユ'(邦題"レミーのおいしいレストラン")で主題歌を歌っているので、歌声を聴いたことがある方も多いかと思います。

あの興行は大きな予算が割かれていたので準備期間を結構貰えて、わたし達パスカルズとカミーユ&プロデュース兼アレンジャー兼演奏者兼影の黒幕マジカーは、10日間くらいフランスの片田舎の街で(もうどこだか忘れちゃったけど)合宿をして、錬りに錬ったステージングのリハーサルを頑張っていた。

この時の様子は当時私が"flowers"というコミック誌で連載していたエッセイ漫画でも描いたのですが、中々一筋縄では行かない過酷なリハーサル内容とは正反対に、環境は天国だった。特に飲ん兵衛のメンバー達にとっては。
なんたって、蛇口をひねれば飲み放題の、ビールの出る泉がキッチンに完備してたんですから。

あんまり飲ん兵衛ではない私にとってどうだったかと言うと、まあそれはやはり楽しかったです。
ご飯担当のカルメンが熱いハートの持ち主で、毎日肝っ玉を込めた美味しい料理を出してくれたし。

そんな、考えてみれば数ある欧州ツアー経験の中でも特異な、共演アーティストとの長期にわたる合宿という体験を共に通過して、すっかり打ち解けたカミーユの黒幕であるアーティストのマジカーは、今はソロ・アーティストとしてフランスと母国イギリスで大活躍中です。
端麗な容姿を生かした怪奇耽美なプロモMVはいつも私の注目の的・笑。

最近ではZAZAという女性シンガーのプロデュースでも注目を集めているのです。


ZAZA


そんな彼から、昨夜楽しい知らせが届いた。

合宿してた頃から、東京に行くのが夢、とずっと言っていた彼が、ついに今年の5月に、来日出来る事になったそうなのです。
ZAZAの東京公演が決まったからなのです。

再会をとても楽しみにしてくれているマジカー。私も絶対ZAZAのコンサートを観に行こうと思っています。
ご興味のある方、是非とも5月の爽やかな季節に、おフランスの風に触れてみては?どうやらディナー・ショーみたいです。

ZAZAコンサート・インフォが公開されたら、またブログで紹介します。


これはマジカーが昨日見せてくれた、日本練習中、の証拠写真(^^)。
クッキーうまそう。。



最後に、怪奇耽美なマジカーのMVをご紹介しときます(^^)。

2015年2月27日金曜日

映画GravityとBIG HERO6の邦題に思う



BIG HERO 6という映画が、日本では "ベイマックス”というタイトルなのでなんでかなーと思っていたら、日本の宣伝戦略で、映画そのものを少年と癒し系ロボットの感動物として売りたいから、という背景があるのかも、ということを最近知った。



しかもその戦略の辻褄を合わせる為に、映画のエンディングの翻訳に操作を加え、アメリカ上映版とは違う結末を提供していると聞いて、私はすごく驚いた。

ディズニーも承知してるって話だし、そもそもその国の文化に合う様なアレンジを、物語や台詞そのものに加えることはよくあることだろうし、だから別に怒ってるとか不愉快だとか理不尽だとか感じているわけではないのですが、私はアメリカ版のエンディングで感動して泣いた口なので、同じ類いの感動を日本版だけ観ている人とは分かち合えないんだな、という些細な空虚感があった。

そしてこの一件は私に、『GRAVITY』という映画の事を思い起こさせた。

GRAVITYは、サンドラ・ブロックとジョージ・クルーニーと宇宙空間しか出てこないシンプルな映画なんだけど、ひとりの女性宇宙飛行士が事故で宇宙空間に投げ出されたことから、その果てしない孤独の暗闇の中で何度も襲い来る絶望と諦めを克服しながら、なんとか地球に生還するというすごい迫力の鬼気迫る映画で、IMAXシアターで観る事によってまるで自分もそんな宇宙アトラクションにでも乗っているかのような気分を味わえる、いわば遊園地的体験型映画ですごいんである。

しかしこの映画のもっとすごいところは、→ここからネタバレなのでこの映画を観ていない方でこれから観る予定のある方は読まないでいただきたいのですが→
映画の殆どを締める生き残りの格闘の末に訪れる、一瞬のエンディング・シーンにあるのである。

この一瞬のシーンの為にその前の全てがあったのか、と深ーーーい感動に落とされる、素晴らしい瞬間が最後にあるのである。

それは、長く孤独な格闘の末にやっと小さなポッドに乗り込み、暗い宇宙空間を抜けて生きるか死ぬかの大気圏に突入した後、ポッドごと地球の海に落ちた主人公が、そのポッドから這い出して海に身を沈め、それから浜辺に辿り着いて地面に一歩を踏み出したその時に、「あ、重力」と囁く、その瞬間なのである。

その瞬間に観てる側は、殆どのシーンが無重力の宇宙空間であるにも関わらず、映画のタイトルが"GRAVITY(重力)"であるその、深い意図に気付くのである。

あーーーーーー、この映画って、宇宙空間のスペクタクルを描きたかったわけではないんだな、母なる地球、わたし達の故郷 地球の、尊さっつうかありがたさっつうか、なんですかもう、なんかわけのわからない、すっごい安らぎと安心感と、あーーーー、地球だよ、戻ってきたよ、地球があってよかったねーーーみたいな、そういう、そういうことを言いたかったんだな、だからタイトルが、「重力」なんだな、って納得して、すごーーーーーーく感動するんである。

特に主人公が女性であり、ひとりの娘を持つ母親であるという象徴的な設定からも、映画製作側の意図は明らかなのである。

一緒に観に行ったアメリカ人も、「あ、重力」のシーンではっとしたように深ーーーく息を吸い込み、それからさざめくようにずうっと泣いていたから、彼も全く私と同じ感動に包まれたんだなということがよくわかったのである。

だからこの映画の日本語タイトルが、なんと " ZERO GRAVITY(無重力)"だと知った時、私はものすごく仰天したし、それを言ったら彼もやっぱり愕然&動揺して、「な、なにもわかってないね...。」と一言言ったのである。

邦題に”重力ゼロ”と付けたってことは、日本の視点は全く帰還後の地球には向いておらず、この映画の価値はひたすら行われる宇宙空間での格闘なのだということであり、最後のシーンでどんなに主人公が、「あ、重力」と呟いたところで、あくまでも地球と重力は脇役という設定なんだから、特に事前に日本側の宣伝など見てた人は既にマインドコントロール下にあり、あのエンディング・シーンがそんなに胸には来ないんじゃないですか?

私、これははっきり言って、酷いと思います。

この邦題は、この映画そのものの本質的なクオリティを完全に歪めており、最も大きな感動をくれる大切なシーンを、観る側から根こそぎ奪ってしまっているのである。

もちろんこの映画は、宇宙での格闘シーンだけでも充分に楽しめるので、日本国内においてよくステレオ・タイプに言われている、”お軽くて楽しいハリウッド映画”を求めている人には充分かも知れないけどね。

どう思います?

日本は、日本側のイメージ戦略によって、ハリウッド映画をお軽くてイージーな商業主義、というカテゴリーに入れて、そして実際にこういう翻訳操作によって、本当はすごく深い所を突いてくる映画を、ただの派手なアクション・スペクタル物にでっち上げてるんじゃないのとか、思いませんこと?

これは別に意図的にそうしてるって言うよりは、もしかすっと日本側の映画を売り込む人たちが既に過去のマインドコントロールの犠牲者で、軽薄なハリウッド映画がこの映画にGRAVITYなんてタイトルつけてるのは単に頭が緩いだけよねー、ゼロを付けた方がよりわかりやすいのにねー、なんて思って、余計なお世話焼いちゃってるんじゃないんですかね。

かつて私は、「日本ではプロフェッショナルな物、感動や意味の大きくて深い物、笑いの質の高いコメディなどは流行らない、日本人の感性は、そういった刺激にすぐ疲労を感じてしまうから売れない。緩いもの、アマチュアな物、そこそこな物じゃないと商売にならない。」と書かれた物を読んだ事があります。

これって、マジですか?

もしこれが本当で、大方の日本人が本当にそうなんだとしたら、それはひとつの民族性や文化度として尊重され、ハリウッド映画にも軽薄なアレンジを加えたままの流出でいいんじゃね、とは思うんですが、実は大方がそうではないにも関わらず、御上のユルフワ戦略によって、高い満足度を与えてくれる刺激の強い、あるいは高品質な、あるいはオーセンティックな感動や想いをくれるような物から「保護」され続けているうちに、そういう刺激に抵抗を覚えるような感性になって行っているとしたら、それってなんだか恐ろしいことだなーと思うんである。


まあ、自分の趣味に合わないなら遠ざかればいいんですが、私にはまだ、日本人て本当にそうなの?GRAVITYより、ゼロ・グラヴィティの方がお気楽でいいよ、って人ばかりなの?マジに?っていう疑いがあるので、こういう出来事に触れる度に、ちょっと何か言いたくなってしまうんである。

2015年2月2日月曜日

今日はグランドフォグ・デイ!!

アメリカにいます。
1週間程前から。

コロラドは、夏日だったと思ったら、朝起きたらいきなり雪が積もっていたりと、相変わらずのワイルドなウエザー。

そんなある日、というか今日、TVのニュースを賑わせていたのが、ペンシルバニアで本日行われた歴史的なイベント、グランドフォグ・デイです。

この権威あるイベントは、2月2日の朝、ペンシルバニアのパンクストゥニー・ヒルという小さな町の市長さんが、グランドフォグ(ウッドチャック/山ネズミ)をケージから出して高々と宙に掲げ、その視線の先を見守るというものです。

もし、グランドフォグが市長さんの影の伸びる方向に目をやれば、今年の冬は短い、つまり、太陽の光がすぐそこに来ている、しかし、万が一グランドフォグが市長さんの影の方に顔を向けなかったら、わたし達は長く暗い冬を過ごすことになってしまうという、大変な明暗がこのむっくりとした大きなネズミの肩にかかっている、重要なイベントなのです。

毎年かかさず行われるこの行事の為に、今朝も明け方から町中の人々がイベント会場に集い、市長の両手の先にちんまり乗っかった山ネズミの姿に、一心に目を向けました。

そして今年、なんとグランドフォグは無事に市長さんの影をちらり見し、結果として、冬は6週間後に終わるだろうとの予想が上げられたのです!!

この由緒正しいグランドフォグ・デイが唯一の観光の呼び物であるその、パンクストゥニー・ヒルという町ですが、このユニークな町名の由来は何なのかと紐解けば、ネイティブ・アメリカンが小さな刺す虫、まあ、蚊みたいなやつを、パンキーと呼んでいたので、そこからもじってパンクストゥニーと名付けたんだそうです。


なんて全てがバカバカしいんでしょう!

冗談のような本当の、アメリカのお話でした。

朝っぱらからニュースで爆笑したよ。