2017年1月23日月曜日

3歳児激オコから学んだ



これは初めて動物園に連れて行ってもらった三歳の男の子オーリーが、(私は女の子と思ったのですがHeという記載がありまして)一目見てその現状に激怒する映像です。

大変感心したので、ここにザックリと翻訳しました。


オーリー「この人たちはいい人たちじゃない。」
お母さん「誰のこと?」
オーリー「彼らの持ち主。」
お母さん「誰が何を持っているの、オーリー?」
オーリー「動物たち。いや、いい人たちだ、ただわかってないだけなんだ。」
お父さん「ただわかってないだけ?」
オーリー「彼らは動物を見る為に閉じ込めている。それは正しくない。それは牢屋と同じだよ。」
お父さん「牢獄みたい、その通りだね、オーリー。」
オーリー「彼らは(動物達は)悪さなんかしないよ。」
お父さん「うん、彼らは悪さなんかしない、ただ動物でいるだけだよね。君は本当にもっともな事を言ってるよ。」
                           (*動物園という場所についての賛否両論はまた別の話としたいと思います。)



3歳。
自分を振り返ってみると、オーリーの考えを決して早熟だとは思いません。
私も小さい時、本当に沢山の想いを抱えていた。でもそれを、こんなにためらい無くそっちょくには言わなかったなと思います。
そこがオーリーはすごいと思うのです。

子供というものは、大人が自分に何を求めているのかを、敏感に感じ取る生き物です。
何故ならそれは、生存本能の一部だから。
無力な人間の子供は、複雑に機能している文明社会の中で、庇護してくれる大人の助け無しでは生き残れません。だからこそ子供は、自分を養い保護している大人の顔色を、敏感に感じ取るように出来ているのです。


そういう意味で、もしも親が、私を喜ばせる為に動物園に連れて来てくれたのだったら、閉じ込められている動物たちの姿をどんなに悲しく思っても、それを言葉には出せなかったかもしれない。親が期待しているであろう、無邪気に喜ぶ自分を演じるなど、親の想いを汲み取る方を選んだかもしれません。
勿論実際にはこのオーリーの親の様に私の両親も、正直に言えば言ったで感銘を受けるだけでがっかりなんかしなかったかもしれませんが、そこは子供なんですから、そこまでは頭は回りません。
ましてや、もしも過去に素直な言動を貫いて叱られたりした経験でもあれば、そんな危険な事はもう出来ないと、子供ながらに学習しているはず。


そんな風にして、素直に心に宿ったそっちょくな想いをどんどん閉じ込めていくうちに、自分が本当は何をどう感じているのかが、よくわからなくなっている部分が、誰にでもあるのではないでしょうか。


トランプの大統領就任の際に、不安や不満を語る声に混じって、抵抗を示しながらもポジティブに現状を解釈する声を耳にする事が度々ありました。

ポジティブ意見の内容は様々で、運命論的だったり、出来事には必ず意味がある的な哲学系だったり、膿出しになるとか、反面教師になるとか、破壊と再生のプロセスだ、というような深淵な物だったりと、実に様々です。
その殆どが論理的で冷静で知的な、大人の論法に見える内容です。


私はそもそも、どんなに望まない結果でも、何かが一旦起こってしまったら、起こってしまった事に敬意をはらうタイプの人間です。
だから前述の様に私も通常は、望んでいない結果だとしても起こってしまった現実には意味と役割があるのだと自動的に反応し、通常はさほど葛藤は感じません。
まずは現実を、抵抗は感じながらも受け入れて、その後に解決したり順応したり質問したり理解したり変更する為に行動します。

だから通常ならば私は、トランプの件についても大きくポジティブな視点で解釈して現実を受け入れる事を、いつもならするはずだったんですが、でもどうも今回は出来なかった。
そして今回は、直ちにそれを行っている人たちの言葉に、強い違和感を感じたのです。


どうしたもんかと思っていた時に起こったのが、トランプに半旗を翻すWOMEN'S  MARCHでした。
アメリカの友達が男女問わずこれに参加し、どんどんfacebookに写真や中継を上げてゆくので何が起こっているのかを知り、やがてたったの半日で全世界に広まっている事を知り、トランプの就任式に集った人数を大幅に超える歴史的なイベントになった事を知りました。
世界80カ国、670カ所で、480万人が参加したと、今朝の新聞にはありました。


トランプ就任で一様にどんよりとしていたアメリカの友人達が意気揚々と盛り上がり、どんどん力を取り戻してゆく様子が、SNSから伝わって来ました。

このイベントの溌剌としたうねりを見た時に感じたのは、ああ、知的に大局的に出来事を解釈して、まあトランプも時代の流れだよ、なんて優等生な事を言ってる限りは、こんなに生き生きとした動きには、踏み出せないな、という事です。


確かに、意外にも人々を争いで分断する替わりに、人種や宗教や性別を超えたユニティを呼び起こしてしまったという意味でトランプの大統領就任は、ポジティブな役割をしたかもしれません。
でもそれが現実に起こったという事と、この素晴らしいムーブメントが実際に起こる前に、ポジティブな可能性を頭で想像して自分や人に言い聞かせてしまう行為とは、全く意味が異なると私は思います。

私は、今回この一件を通して、トランプの様な人物を、なんとか平和に容認してポジティブな解釈を語ろうとする人たちにあるのは、ある種のストックホルム症候群なのではないかと思ったのです。


ストックホルム症候群とは、誘拐に遭ったり、ドメスティック・バイオレンスやドメスティック・バーバル(言葉による)・バイオレンスに日常的にさらされている人が、その環境やそれをもたらす相手に自分を適応させてゆく為に取る、心の鈍麻と防衛反応です。
極端なケースでは、自分を誘拐した犯人に恋をしたり味方についたりするアレ。


人間は、無力な幼児期に、誰もが隷属関係に似た心理体験をしています。
親と自分との関係性において、どんなに愛情深い親に育てられていても、子供時代は何かと自由が制限されるものですし、ましてや親が過保護だったり過干渉だったり、子供の尊厳を軽視するタイプだったりするならば、なおさらにその印象は強まります。

自然な親子関係の中に存在する、子供にとっては理不尽だと感じられる躾や教育や価値観の押しつけ。
しかしそれに異論を唱えたり逆らったりすれば、叱責され罰を与えられたりします。
そういう体験を繰り返すうちに子供は、自分の中にある、親の理念とは相容れない鮮烈な思想や憧憬を感じない様にする事を学び、やがて親の価値観に準じる術を身につけます。

これがある意味、ストックホルム症候群の根ではないかと思うのです。殆どの人の心に潜む、ストックホルム症候群の根「感じないぞ。」
これがポジティブ・シンキングの根底にあるとすればそれは、むしろ不健康な、感覚の鈍麻です。


トランプは、権威的な容貌と横暴さの権化です。
多くの人にとっては子供時代の自分が、親に感じていた脅威を象徴するような人物ではないでしょうか。
だとすれば人は、たとえ彼に対する抵抗を強く感じていたとしても同時に、幼児期に親との関係の中で培って来たある種の諦めを、そこに重ねます。横暴な親の元に育った子供ほど、強い諦めと感覚の麻痺によって心の平安を獲得するのですから、大人になった今やその諦めや無力感が、何かポジティブな、心の平安の様な物でもあるかの様な錯覚すら起こります。


すると自動的に、トランプはしょうもないけど抵抗してもしょうがない、としょぼんとなるやいなやポジティブになっちゃって、無意識下で頭を働かせ、実は幼児の悲しい心的反応なのにあたかも成熟した冷静な自分から出た知的見解の様なコーティングをかぶせて、ポジティブを語り始めるというわけです。


なんだか今回私は、トランプ就任についてポジティブな見解を語る多くの人の言葉の裏にこの気配を感じてしまい、どうしても同調する事が出来ませんでした。

またある記事に、日本人の反応が最もトランプに優しく肯定的、とあるのも読みました。
もしそうだとすればそれはやはりそこには文化的背景があるのかもしれません。
日本には古くから、男尊女卑や貞淑で従順な妻、という美学があります。
横暴な父親や旦那の元で生きる経験を余儀無くされた経験があるなら、ストックホルム症候群の傾向を強く持っているのは当たり前です。

また一方で、日本人には自然に禅的な心の動きを持つ人が多いと私は思っており、この要素は素晴らしい物だと私は思っていて、この禅の心によってジタバタしない部分も、何割かはあるとも思います。

この場合はより自覚的であり、物事の正しくなさとそれに伴う不快感を充分に自覚した上でジタバタしないという態度を取るでしょう。
この禅的な態度は深淵な明け渡しであって、ストックホルム症候群から来る「イヤな事やイヤな感情は見ないぞ感じないぞポジティブ・シンキング」病とは、一線を画す物です。

この禅的な人々は、動物園に激オコするオーリーと、基本的には同じです。
抵抗や怒りと真っすぐに繫がり、明確に自覚しているからこそ、不条理な現実に対して自覚的な明け渡しと同時に、その現実を覆す底力を、保っていられるのです。


私は人間はいつでも、このオーリーの様な生き生きとした怒りを手放すべきではないと思っています。
そうでないと、トランプの様な横暴な人物が、ますます世界を牛耳ってしまうからです。


WOMEN'S MARCHがたとえトランプ政権を倒せなくても、それにはたいして意味がありません。あの行動によってあんなにも沢山の人が、同じ想いを持っていた事がわかったという事が、大事なんだと私は思います。

未だに差別や偏見や暴力が横行する世の中ではあるけれど、あんなにも沢山の良識ある人々がいるという現実を知り、あのムーブメントが一切起こらなかった日本にいる私でも、心が温かくなりました。

ストックホルム症候群的ポジティブ・シンキングに陥らずに、自分の不快感にちゃんと繋がって行動した人々に、本当に感謝を感じています。



ところで余談ですが、銃規制に抵抗する勢力側のトランプ氏。
あんなに沢山の、自分に反感を持つアメリカ人たちを見て、ヤバい、銃、規制しなきゃ、とは思わなかったんでしょうかね笑。