2015年8月29日土曜日

パスカルズ欧州ツアー(6)

あかねさんが撮ってくれた素晴らしい私

おととしくらいだったか、とても印象的な夢を見た。

それはパスカルズの海外コンサートの夢だったのだけど、ステージ自体が海の中州にあって、そこに行くまでに、それはそれは美しい、白い岩場の道を延々と歩く。

浜辺から見れば、まるで海の中から立ち上ってきたように見えるステージは息を飲む様な幻想的なライトに彩られ、こんなところでコンサートをやれるなんて夢みたい、なんて、みんなが口々に感嘆の声を上げていた。

私は時々予知夢を見るから、予知夢と、いわゆるただの夢の、ニュアンスの違いがもう今はわかるようになっていて、この夢についてはその印象のリアルさと、なんというか"重み"、みたいな物で、なんらかの現実を先取りしてるんじゃないのかな、と感じて、ノートに書き留めておいたのだ。まあ、予知夢じゃないにしても、夢の中の私の気分が素晴らしくて、良い夢、という強い印象を残した。

ポルトガルについては、行くまでに全く関心も知識も無く、スペインに近い事から、ある種の偏見があった。
私のスペインへの印象は、今のところあまり良くなくて、だからツアー最後のコンサートがポルトガルである、という事が、なんとなく気の重い現実だったのだ、行くまでは。

しかーし!!!!

リスボンの空港について、シネシュ世界音楽祭からのお迎えのバスに乗り込み、シネシュまでの2時間半のドライブが始まった途端に、私の気分はがらりと変った。

海がーーーーーーーーーー!!!!!!!!

ヴァスコダガマ橋から見えたバスの車窓景色


ここでことわっておきますが、私はそもそも山派というか高地森派で、いつもは海の景色にこんなに萌えることはありません。

これはひとえに幼少期の思い出と言いますか、海好きの両親に頻繁に海に連れて行かれたものの、幼かった私は膝頭に砂粒が数粒ついただけで狂った様に泣き叫ぶという神経質な子供で、海なるものを全く楽しめなかった思い出に由来しています。

今はシュノーケリングが大好きで海も大好きですが、それでも”海”、と聞いた瞬間に心をよぎるのは、まずはあの幼少期の憂鬱な心象なのです。海は広いな大きいな、という歌詞も、恐怖以外のなにものでも無かったあの頃の。

にもかかわらず。

リスボンからすぐに入ったヴァスコ・ダ・ガマ橋の開放的で近未来的なデザインと、その橋を通して見たポルトガルの海が、あまりにも暖かくて明るくて、どこまでも広がる空と水平線が、真っすぐにどかんと心に食い込んで来て、ぎゃーーーーーっと叫ばずに居られない程私は感動したのでした。

そして到着したシネシュの街もコンサートの場所も、私があの夢で見た、本当にまさにあの、場所だったのです。パスカルズのステージは城壁の中で海の中州では無かったけれど。



シネシュ、フェスティバル会場周りの街

ステージはこの城壁の中

ステージ裏に広がる海

とは言え、この素晴らしい景色に出会えたのは移動日の翌日、つまり本番のある日です。

ジュネーブからリスボンに着いたその日、私たちはバスでの長距離移動後、シネシュの町中にあるレストランに直行しました。
その時点でとっぷりと日が暮れており、シネシュの街の美しさはまるっきり見えなかったし、連れてってくれたレストランがまた、いわゆる地元の食堂的な異国情緒たっぷりの店で、なんとなく私は、またしてもポルトガルへの心細い印象を強めたのです。

まああれですよ、旅漫画なんて描いていたので旅好きだと思われる事も多いのですが、あの漫画をよーーく読んでみると、私が如何に、住み慣れた場所にしかいないか、という事がわかるというものです。

ヨーロッパの各地には、パスカルズのツアーがあるから行くだけ。
あとはずうっとアメリカにいるだけですからね。
つまり私、そんなに強くないのです、慣れない場所に。
特にどういうわけかヨーロッパというのは、私にとって非常にハードルの高い場所なんですね。相性とか魂との縁の浅さとか、そういうものがあるのかもしれません。


いずれにしてもこの食堂、地元の若者の溜まり場で大変騒がしい、と思ったのですが、実は多分、フェスティバルに来ている人たちがみんなあそこで食べるんだろうね。
なんせ初日には気付かなかったけれど、その食堂は会場のすぐそばにあって、その後の全ての食事が出される、提携店だったのですから。

店内

そしてメニューは勿論ポルトガル語オンリー。。。。。

なんなんですかポルトガル語って。
予備知識が全く無いんでわからない。
ズボンとかタバコとかカステラなら知ってます。

というわけで、世界音楽祭からの使者ガールが片言ながら英語を話したので、メニューを持ってお店のおばちゃんの元に行き、彼女の通訳を通して首っ引きで説明をしてもらいます。

その結果がこの、私が作成した、現地語→英語→日本語という、伝言ゲームみたいな手順で翻訳された日本語メニューです、じゃじゃーん。。。。。。すんげえ大雑把。




ちなみに上記メニュー8番目にある「バカロ」というのはそもそもメニューには書いてなかった特別料理で、その場でおばちゃんが「今日あるよ!名物だよ!」と言って教えてくれたので1個だけカタカナなんですが、これ実は「コールドフィッシュ」ではなく、「コッドフィッシュ」の聞き間違い、つまり鱈の事なんです。
それにはすぐに気付いて、みんなの元にこのメニューを持って行った時には、口頭で説明しました。

そしてまさにこの鱈の料理、私がポルトガルに行く前から噂に聞いていた名物料理で、何故か鱈なのに大変カロリーが高くて、毎日これを食べててすっごい太っちゃった、っていう、誰かの話を聞いていたんですね。

鱈なのに、なんでそんなにカロリーが?という疑問がずっとあったので、私は勿論これを注文しました。

そしてそれはこんな物で。



鱈には違いないが、クリームや野菜や米でぐっちゃぐっちゃに混ぜて煮込んであり、魚の固形物が食べたかった私にはやや期待はずれ。。。でも、カロリー高い理由はわかりました。

とは言えこの食堂、実はとっても美味しかったんです、これ以外は!!

この日はみなさんそれぞれメニューをぎこちなく探し当てて、一皿に六匹もイワシが乗ってるのをひとりで注文したりしてアレだったのですが、





その様子を見てあきれかえったお店のおばちゃんが、「明日っからはアタシが見繕ってあげよっか?」って言ってくれて、それからはもう、天国だったのでございます。
その料理はまた次の更新でご紹介します。

いずれにしても、一見粗野に見えたこの食堂も、お店のおばちゃんがちゃんと私たちに目を配っていてくれて、笑顔が無い割には心のこもった対応をしてくれるし、お料理も細やかで美味しいしで、一旦凍った私の心も溶けました。


そして楽しい夕ご飯の後、再び私の心を凍らせる出来事があったことも、ここに記しておかねばなりますまい。



これは、ご飯を食べた後、寒い夜の街で、来ないホテル行きの出迎えバスを延々と待つパスカルズです。

真ん中で電話をしているのはマネージャーのフィリップ。
「約束通りの時間に迎えに来ないとはどういうこった!!!!」と、実はすんごく怒鳴っているのです。

さて、夏の薄着には凍える寒さの、夜のシネシュの街で立ちん坊の私たち。
パスカルズの楽器や機材や荷物を乗せたままどっかへ消えてしまったバスは、果たして戻ってくるのでしょうか。。。。(続く)

2015年8月20日木曜日

パスカルズ欧州ツアー(5)

レンヌのフェスにいたロバ

なんでパスカルズの旅って、奇妙な事が沢山起こるんでしょうね。

今回のツアーのトラブルの目玉は、なんたってパスカルズ欧州ツアー(3) に書いた、バンジョー原くんのしでかした、じゃなくて、お手柄の、ホテル盗難未遂事件だと思うのだけど、で、それがあまりにも大きくて他が霞んじゃったようなところはあるんだけど、実は他にも沢山、歴史に残る様なトラブルはあったね。

先日のパスカルズ・ライブでバンマスがMCでも言ってたけれど、石川さんがひとりでミラノ行きの飛行機に乗ってたりとかね。
他のみんなはジュネーブ行きに乗ってたんだけどね。

パリからジュネーブ行きの飛行機にみんなで乗って、もうすでに搭乗からたっぷり時間も経って、あとは飛び立つのを待つばかりって感じで、まったりと飛行機の座席になじんでいた頃に、前の方に座ってたバンマスから、「サラさ〜ん」て呼ばれたわけ。

だからバンマスの席の所まで歩いて行ったら、「浩司いる?」って聞かれたわけ。
「あ、こっちにはいないです。」と言って自分の席に戻ろうとしたら、「こっちにもいない。」って言うわけ。浩司が。で、バンマスがこう言ったの。

「浩司が別の飛行機に乗る所を、龍ちゃんがちらっと見たって言うんだよね。」


いやいやいやいや。
ダメだろそれわ。


確かに、その日は移動のみで本番は無い。
ジュネーブに着いたらホテルに直行で、一泊して翌日パレオ・フェスで演奏だから、今日浩司が別の飛行機に乗ってしまったところで、浩司は着いた土地でまったり観光でもして、翌日ジュネーブに来てくれたって、問題は無いよ。

しかーーーーし!
真に問題なのはそこではない。
そこではないんですよ奥さん!!


今回パスカルズは欧州内移動を、バスにしようよ、って言ってきたラン・プロダクションを振り切って、東京ーパリ間の国際線込み欧州内周遊航空券を買って移動していた。

だってさ。バス移動は確かに楽しいよ?荷物も積みっぱなしだしね。でもさ、スイスのジュネーブから、ポルトガルのシネシュまで、成田ーソウル間にも匹敵する距離を、陸路で移動するってどうなの?

ランから届いたバスでの移動スケジュールを見たら、車内泊ってのが三回くらいあってさ、でも計算すると、車内泊で夜通し走っても、ぎりぎり着くか着かないか、ってな距離があったりするわけ。

車内泊という過酷な現実に耐え抜いても、もしかしたら間に合わないかもしれないのよ。
そんな博打みたいな事、ヨーロッパまで行ってやれっかよ、てなわけで、人間らしい、飛行機、という道を選んだのです。

ところがこの周遊券には条件があって、あらかじめ購入してあるフライト・スケジュールの便に、一個でも乗らないと、それ以降のフライトが全て、キャンセル扱いになってしまうんだなこれが。

つまり石川さんが、間違えてジュネーブじゃなくてミラノに行っちゃった場合、石川さんのみ、その後のフライト全部買い直し、つまりミラノからジュネーブまで自力で来たところで、ジュネーブからポルトガルのリスボンへ行って、リスボンから日本に帰る便もぜーーーーーーんぶが、無かったことになっちゃってるからさー、石川さんがぜーーーーーーんぶ自分で買い直さなきゃならなかったのですよ、ミラノに行ってたら。

そのお金を誰が出すんだか知らないけれど、石川さんが別の飛行機に乗ったみたい、と聞いた瞬間私の頭の中の計算機が、ざっと料金を見積もったね。まあ、運がよければ総額30万円てところでしょうが、日程が迫ってたから、便数が少なければもっと高くなる可能性はあり。50万円くらいが、現実的な数字かも。

結構切り詰めてるパスカルズのツアーでさー、それは無いでしょ。

幸い、パスカルズ関係者が他に誰も乗り込んで来ないことから早目に異常を察した石川さんが、こっちが気付くと同時くらいにこちらに向かってきていたんで事無きを経たけれど、あれはもう、本当にギリギリで回避できた結構大きなトラブルだったと思います。

そんな大きな事件の影で、あかねうつお双子姉妹もまた、何故か全く同じシート・ナンバーの搭乗券をそれぞれ渡されて、マネージャーのフィリップに頼んで、もう一枚違う座席の搭乗券を貰ってもらったりしていました。エール・フランスの人は、あかねとうつおがひとりだと思ったらしいんですね。

フィリップに一緒にいて説明してもらわないと、またデスクの人が、乱視でぶれて見えてるだけだと思っちゃうので、フィリップに行ってもらって、ちゃんと二人いるって説明してもらえてよかったですね。

あかねとうつおは二人いるから席も2席必要だと説明をするフィリップ

ところで石川さんが遭遇した飛行機乗り間違いの件、実は以前私も、アメリカの国内線で、隣席の人が、やっぱ間違えて乗ってることに気付いて、慌てて出てゆくのを見たことがあるんです。
前にエッセイ漫画にも描いたので覚えていてくださってる方もいらっしゃるかもしれないんですが、あの時私は、どうしてそういう事が起こるのか、理解出来なかったんです。

しかし今回、いわゆる最終搭乗口で搭乗券を渡してチェックをしてもらい、既に飛行機へのタラップ的な通路に入った段階でも、なおかつ道がふたつに別れ、その道が、エコノミーとファーストクラス以外にも、全く違う飛行機に繋がっている可能性があるという現実を知りました。

これは絶対に、知っていなければならない、重要な現実ですよ奥さん。


今回、パリのホテルでみんなでチェック・アウトする際に、早目に来たおまちゃんが自分でキーを返したらフロント・デスクの人がおまちゃんに、2泊分のTAXの支払いを要求したんです。まあデスクの勘違いなわけですが。
おまちゃんがそばにいた私に確認してくれたから、団体で予約した際に既に支払い済みだって事を言って、あやうく払わずに済んだけれど、それがあったからみんなに、個別でキーを返さないようにって、言えたんですね。

おまちゃん様様だったんでお礼を言ったら、その時おまちゃんが一言、「オレは生け贄だ。」って言ったんですね。


そう。


まさにそれよ。


それが大事なのよ。


今回は、石川さんがまさに生け贄になってくれたおかげで、飛行機の重大な秘密がわかったわけです。


旅に生け贄は必需品だな、と、しみじみと、強く感じた私なのでした。(続く)

2015年8月16日日曜日

パスカルズ欧州ツアー(4)



今回は、オフに行ったジヴェルニーの事を書こうと思ったのだけど、あの小旅行はとても個人的な思い入れに満ちたものだから、パスカルズ・ツアーのカテゴリーとは別枠で書く事にした。

なので今回は、スイスのニヨンで開催された、パレオ・フェスティバルについてだ。

このとてつもない音楽フェスティバルの事を、私はまるで知らなかった。

そもそも私は、音楽については非常にマニアックに、限られたアーティストだけを深追いする感じで聴いてきたので、広範に様々なアーティストが出演する音楽フェス、というものに興味が無くて生きて来たから、私が知らないのも無理は無いのだけど。

でも、チケットが発売されたその当日に、実に25万枚もの前売り券が完売、実際に動員したお客さんが述べ27万人というのだから、ちょっとは知っててもよかったんじゃね?と感じる。

出演者も、エルトン・ジョンやスティングなど特に音楽ファンでなくても知っているようなメイン・ストリームのアーティストを沢山集めているのだし、もう少し日本でも認知度があってもいいのではないかと思うのだが、とにかく実に初耳のフェスだったわけです。

そしてとても素敵だった!

ツアー中のこの時点での私はでかい無気力の波に襲われていた為に、あんまりどん欲に見て回らなかった自分に腹が立つものの、その空間に漂っている空気感のようなものがとても快適で、私は今でも余韻を楽しめる程だ。

海外の音楽フェスは、とにかく空間演出が素晴らしい。
自然をうまく利用したライトアップや凝ったオブジェを駆使して、幻想的な美しい非日常空間を創り上げてしまう。

パレオ・フェス -メイン・ステージ脇


特に音楽好きじゃなくても、あの雰囲気に飲まれたい、って感じでリピートする人もいるのかもしれない。ワクワクするんだよね。

それからお金持ちフェス特有の、無制限感も好きだった。

アメリカのレストランは、よく言われているようにひとつのディッシュがでかい。日本人には、食べ切れないから困る、という人がいるけれど、アメリカ人だって、あれを食べ切るわけではない。

あれはあくまでも、豊かさ、制限の無さ、というゆとり空間をサービスする為の演出であって、だからアメリカのレストランはどこも、残した料理をお客が持ち帰れるように、箱やアルミホイルを常備している。料理を包んだアルミ箔で白鳥を作ってくれたりするって話は、昔私がエッセイにも描いたけれど。

個人が、あらゆることに制限を感じないで済む様に演出するのが、アメリカのサービスの基本精神にあると私は感じる。
だから、交渉さえすればどんなことにも臨機応変に対応してくれるのだ、あの国では。

一方ヨーロッパにはそういう空気感はあまり無く、どちらかというと制限を楽しむようなところがあるような気がする。
それはそれでオッケーなんだけど、私には時々窮屈なのだ。

だけど、欧州ツアー5日目に訪れたパレオ・フェスには、制限が無かった。

楽屋に設置されたバーに行くと、無料で色んなドリンクやサンドウィッチなどの食べ物をくれたり、ホテルと会場を往復するシャトルの待合室ーこれがまた南国風の素敵な空間なのだがーにいると、無制限にビールや色んな物が振る舞われたりする。

バックステージにあるバー

出演者、という立場でこのフェスにいたら、一生食べる物には困らないって感じだ。

しかも、このパレオ・フェスがパスカルズにあてがってくれたホテルの朝ご飯ブッフェは、ななんと午後2時まで朝食を振る舞っていて、その日殆どやる気の無かった私は朝6時からブッフェに入り、マジで午後2時まで、ずうっとぼーっとしていたのである。
ブッフェのレストランは風光明媚なテラスを持っていて、とても気持ちがよかったというのもあり。

湖とアルプスの山脈の見える朝ご飯テラス

ここのブッフェではジュースが四種類くらいあったのだが、そのうち杏のジュースがとても美味しかった。
そしてですね、ここのお客さん、ブッフェのカウンターからジュースを、なんとでっかい瓶ごと自分のテーブルに運んでしまうのだが、ホテルがどんどん補給してくれるので、私もふた瓶ほどテーブルに持ち込んで、全部飲み干しましたわ。ほーっほっほっほ!!

もうほんと、制限が無いって素晴らしいです。
私はどこまででも享受出来ますから!

豊かさ、という点については、アーティストへの対応にも感じられた。

パレオ・フェスのサイトに行ってみるとわかると思うんですが、多分あれ、出演者全員のステージの、コンプリート映像を流してるよね。
パスカルズのライブ中も、ステージ両脇の巨大スクリーンに演者のアップとか流してたらしいんですが、その映像を、私たちにもくれたし、サイトでも誰でも観られるようになっているんです。

メジャーなアーティストだけとか、ハイライトだけなどに絞らずに、全部の映像をアップ。
これは本当に豊かな、出し惜しみしないやり方だと感じました。

なんだかこのフェスで味わった豊かさの感覚が未だに心と全身に染み付いていて、飢餓感の全く無い自分を感じます。

だから今の私は、食べ過ぎたり買い物し過ぎたりコミュニケーションし過ぎたりしないし、基本的にすごくストイックなのです、ツアー以来。
これはおもしろい影響です。

まあそういうわけだから、欲深い政治家とかって、飢餓感の塊なんだろうね。太陽の暖かさで旅人のコートを脱がす話みたいに、本当の豊かさをあげれば欲深さが治るのかな、それとも心の根深いところまでは届かないかしら。


本番が終わって、もう夜の10時半くらいなんだけど、夕ご飯の会場に連れてゆかれました。そこもたっぷりの空間と、食べ放題の前菜サラダ・バーにデザート・ブッフェ、選べるメインディッシュの種類も豊富で、みんなとの食事がとても楽しかったし、私の選んだラムは絶品だったし、つまりはシェフのクオリティにも制限を課さなかったのだろうという感じで、もう何もかも本当に、私には合ってたよ!
ああいう現場で私は輝くよ! 贅肉も制限無くついたけどな!

バックステージの出演者用レストラン


あたくしの選んだラム、クスクスと茄子も美味しゅうございました


右隣にいた坂本さんが選んだチキン&クスクス
危険がいっぱいデザート・ブッフェ
左隣にいたマネージャー、フィリップが選んだパスタ。
ひとりでは食べ切れないくらい海老が入っていたそうです。


ところでこのパレオ・フェスでは、スイス国営放送がパスカルズの密着取材やインタビューをしてくれました。

私は通訳するので端っこにいます、と言ったのだが、石川さんがでか過ぎる、とか言われて私が真ん中になってしまい、多分番組では主役のようになっていることだろう。かたじけない。



主役っぽい私

それでこのインタビューが、いつ放映されたのかまだ追跡中なのですが、パレオ・フェス40周年おめでとう!の映像にも、この時の映像が使われています。

ちなみにこのおめでとうコメントで最初に出てくるのは、なんとあのレッド・ツェッペリンのロバート・プラント。。。現地で御本人にお会いすることは無かったのですが、御本人にお会いしてもわからなかっただろうの変身ぶりです。。


ところで実のところ、このフェスへの出演が決まった時、なんとなくマネージャーのフィリップがごり押しでパスカルズの席を作ってくれたんじゃないのかな、なんて疑いがありました。

でも終わってみると、パレオ・フェスは公式ブログでパスカルズの事を書いてくれたり、フェスティバルのベスト映像として誕生日コメントで枠を取ってくれたり、取材申し込みが多かったりと、かなり好かれた気配濃厚。

来年も是非誘っていただきたいものでございます。(続く)


                        リハ中↑

2015年8月10日月曜日

パスカルズ欧州ツアー(3)

鍵を握る男・原さとし
私の人生経験上、何か隠れた問題のある現場、なんらかの改善を必要とされる、まだ露呈していない問題を抱える状況や環境や人生などには、その隠れた問題から滲み出るかのような、おかしな出来事が度々顕現したりするものだ。

これは体のどこかに異常があると、そこから度々不調のサインがやってくるみたいな物で、自然界の理というものは、例外無くみんな共通しているんだなあと感じる。

私がアメリカで学んだセラピーの方法にもそれを利用する一面があり、つまりなんらかの問題が起こった時に、その問題を道標として、その問題を生じさせた根本的な心的病巣を、探っていったりするのである。

バランスを欠いている物には無理がつきもので、その無理がどんどん蓄積されて、ある日決壊したりする。大々的に決壊する場合もあるし、小出しに決壊する場合もある。

そして今回ある物の決壊の規模の鍵を、期せずして握ってしまったのが何を隠そうパスカルズのバンジョー・プレイヤー、原さとしであり、これは御本人の了承を得て語られる、壮大な決壊の序章の話なのである。(おおげさ)

今回、比較的スムーズかつ、個人的には素敵に充実しているなと感じられていたパスカルズ欧州ツアーであったが、パリでのライブ後、会場から車で10分程離れた、パリ北駅近くのホテルに向かう辺りから、この、なんらかの内在する問題から滲み出る兆とも思える出来事が、起こり始めた。


パリでのライブ会場となったLa Generaleの主催者Eさんが、ライブ後パスカルズが終電を気にせずゆっくりくつろげる様にと、タクシーの提供を申し出てくれた。おかげで時間を気にせずライブ後の会場でまったり出来たので、これは大変ありがたかった。

Eさんは大きな楽器や機材を自分の運転するバンでホテルまで運んでくれた上に、メンバーにはタクシーまでふるまってくれて素晴らしい。
過去に地元オーガナイザーが、コンサート後に会場ホールの物販などに集っていたお客様をボランティアとしてかき集め、彼らの車にパスカルズ一行を分乗させて、要するにお客様にパスカルズをホテルまで送ってもらうことにしたという驚きの出来事があって、あれにはとても驚いたし、お客様も驚いたと思う。


ライブ後十分まったりしたパスカルズ一行は、会場付近の通りにずらり並んだタクシーの列に向かい、マネージャーのフィリップがドライバーひとりひとりにホテルの場所を詳細に伝えてくれるのを待ってから、4台のタクシーに分乗した。

ホテルのある北駅近くは割と危険視されている治安地域なので、真夜中だということもあって車でスカッとホテルまで行けるのは本当によかったよ、ラッキーだよとか思いながらホテルに着いた時に私たちは、しかしタクシーが一台足りない事に気がついた。

ホテルのロビーでしばらく待ったがまるで現れる様子の無い行方不明のそのタクシーには、パスカルズの女性メンバー4人と撮影班のU5さんが乗っていて、かろうじて男子が1名乗っているから安心かもしれないけれど、今時は男子も安全では無いのではないだろうかとか色んな憶測が乱れ飛んだ。

待てど暮らせど到着しないタクシーに、徐々に顔色が変わってゆくマネージャーのフィリップとEさんが、バンでその辺りを流して探してみると言い出したが、とにかく電話してみようよと誰かが電話をしたら、タクシーが別の場所にある同系列のホテルに着いちゃって、本人達もそこかと思ってロビーで私たちを待っていたのだが、誰も来ないのでおかしいと思い、正しいホテルを探して歩き出したところだという事だった。

さらわれて港の倉庫の中に監禁されていて、朝が来たら積み荷と一緒に遠い異国行きの船に乗せられる予定なんじゃなくて本当によかった。(アメリカ系サスペンス・ドラマの見過ぎ)
とりあえず今彼らが歩いている場所を確かめ、Eさんとフィリップがバンで4人を拾いに行き、ようやく一安心なのである。


ところが。

無事に全員揃い、ようやくホテルのチェック・イン、というわけで、本日も大活躍のフィリップが手続きを済ませて全員に部屋の鍵を渡したのだが、その鍵が使えないと言って、まずチェロの三木さんが早々に降りて来た。カードキーなのでフロントデスクの人に機械でちゃちゃっとやってもらい、やれやれと部屋に戻ったが、今度はあかねさんが鍵が開かないと言って降りて来た。

しかもあかねさんの場合、ノックをしたら男性の声がして、ここはオレの部屋だ的フランス語を言ったというのだ。

フロントで雑用をしていたフィリップがデスクの人に確認すると、その日の午後にあかねさん用にとっておいた部屋に、男性客を入れてしまった形跡が、コンピューターに残っているということだった。
ダブルブッキングである。

しょうがないから替わりの部屋を探してくれのなんのとフロントでガタガタやっている私たちの後ろを、PAのおまちゃんが通った。おまちゃんはその日は三木さんと同室なのだが、やはり鍵が開かないというのだ。さっきフロントでちゃちゃっとやってもらった鍵もダメで、更にもう一度、ちゃちゃっとやってもらいに来たのである。

そんなおまちゃんを尻目に、どうやらあかねさんの為の、替わりの部屋は無いことがわかった。その夜ホテルは満室なのだ。
時間はもう午前3時くらいでさ。
大変じゃん。

ライブ終わってホテルに入ったけど違うホテルに着いちゃって、ようやく正しいホテルに着いたと思ったら部屋に入れなくて全然休めないあかねさんに、フィリップが自分の部屋を譲った。あかねさんはためらってたけれど、フィリップはホテルの人に、自分用に近所のホテルを案内してもらうことにしたから、やっぱりあかねさんがフィリップの部屋に入るのが一番の解決策なのであり、この件は落着した。

そうしたら今度はおまちゃんと三木さんが、やっと開いた部屋に入ったらななんとその部屋のベッドがツインではなくダブルベッドだったとかで急いで逃げて来て、結局はフィリップがその部屋をシングルで使い、おまちゃんと三木さんが別のホテルに引っ越す事になったのである。

いやはやなんという大トラブル続きなことでしょう!

そしてその騒動の間中、なんで私がずうっとホテルのロビーにいたかっていうと、自分の部屋のバスルームの電気が点かなかったからであり、それをなんとかしてくれるホテルのスタッフを待っていたのだが、上記の騒ぎで人手の少ないホテルはてんてこまいで、私の部屋のバスルームどころじゃなかったのであり、私は全部の騒動が終息するまでロビーで待っていたのである。

スーツケースとチェロを引き摺りながら別のホテルに引っ越してゆく三木さんがそんな私をちらりと睨み、「風呂場の電気が点かないくらいあんだよっ。」と捨て台詞を残して去って行ったのは言うまでもない。

そして実はその騒動の影で、部屋に入ったら床が水浸しだったかなんだかのトラブルに見舞われていた坂本さんが、その程度の問題を言い出す空気じゃない、と自己完結して大人しく寝ていたことも、後に判明した。

まったく、なんというホテルでしょう!!!

今までパスカルズの欧州ツアーでは、実にありえないようなホテルに泊まってきましたけれど、さすがに部屋が足りなくてメンバーが別のホテルに行かねばならないなんてことは無かったですからね!!

てなわけで、治安は悪いしホテルはそんなだしで大荒れのパリ1夜目だったのだが、本当に恐ろしいことは、翌日待っていたのである。


翌日7月21日は終日オフ日だったため、メンバーは思い思いに素敵でオシャレなパリの休日を楽しんだ(はず)。
私もジヴェルニーにまで足を伸ばし、積年の夢だったモネの庭に行くという、人生最高の部類に入る半日を過ごして、夕方予定されていたフィリップとのミーティングとその後のシャンパン・パーティーの為に、ルンルン気分でホテルに戻った。

そしたら廊下で会った原くんが神妙な顔つきで、「サラさん、に、に、に、荷物、だ、大丈夫?」と言って来たのである。

荷物?

どういうこと?


原くんが語ったのはこうだった。

その日の朝、外出しようと部屋を出たら、部屋の前にホテルのお掃除の人がいたから、ハロー、って挨拶をした。

ところが彼女はすんごく無愛想で、挨拶も返してくれなかった。
その瞬間、原くんの野生の勘が、なんか、ヤバい感じ、って思ったのだそうだ。

だから原くんは部屋に戻って、天井の一角に隠しカメラを仕込んだ。
ちょうどツアー前にファンの方から貰ったiPhone用の魚眼レンズを持参していたとかで、それをiPhoneのレンズに装着し、録画状態にセットして、部屋を後にしたと言うのだ。

そして帰ってきて、録画映像を観た原くんは愕然とした。

ななんとそこには、念入りに原くんの荷物を物色する、お掃除スタッフの女性の姿が、ばっちりと写っていたのである!!!

幸い貴重品は持って出たので被害は無かったと言うのだが、見せてもらったその映像の女性は、原くんの鞄の中から次々に色んな物を取り出しては丁寧に中身を物色し、それからぞんざいに全部まとめて鞄の中に放り込むという不敵な様子が、はっきりと写っていた。

全部の部屋でやってると思うよ、と言われて私も急いで自分の部屋へ。

幸い私も、盗まれて困るような物は部屋に残しておかなかったのだが、服のボトム、トップ、ステージ用の衣装、雑貨、下着、などをそれぞれ別の仕分けケースに入れておき理路整然としていたはずのスーツケースの中身の全てが表に出されて一緒くたに詰め込まれており、それはそれはカオスだった。

どひーっっっ!!!

やられてる。
きっとみんなやられてるよ。
み、みんな、みんな、早く、早く荷物を確かめてー!!

その映像は、フィリップの手によってホテルの支配人に見せられ、ホテルの支配人はその女性が、確かに顔見知りの従業員であることを確認して、非っ常に、驚いていたという。

支配人は、前夜から重なったダブルブッキングなどの不手際も含めて謝罪し、宿泊費のいくらかを返してくれる約束を、その場ではしてくれたんだけど。。。

結構ゴネててですね、未だにお金が返ってこないんですね。。

でもさ。
いいんですかねそんなことで。

今回原くんがビデオを撮らなければ、これからもずうっとあのホテルでは、あの女の人が盗みを続けていたわけであり、そういう意味でもホテルはもう少し丁重に対応するべきではないのでしょうか。

欧州中に展開する、ヨーロッパ最大手のあのホテル。
あのビデオを公開されたら、まずいんじゃないの〜?

と言うわけで、今やパスカルズのバンジョー原くんの手には、黄金に形を変えるかもしれないすんごいお宝映像が、あるってわけなのである。
あれ、話がそれた?

だって今回は宿泊費のいくらかを払うだけで済んだかもしれないけれど、いつかもっとすんごいことになっていたかもしれないでしょ?
いやもしかしたらそのすんごいことは、今後原くんによって、もたらされるかもしれないのである。
ホテルの明暗の鍵を握る男となった原さとし。
本人は、命を狙われるんじゃないかって結構ビビっていらしたので、私がそれ、預かってもいいよ、と説得したんですがダメでした。


さて余談なのだが。

結局のところ誰も何も盗まれていない事がわかり、私たちは改めて件のビデオを観てみた。
するとまず原くんの部屋に入って来た女性は、何かをひとりでしきりに呟いていることがわかった。フランス語だと思ってフィリップに何を言っているのか聞いてもらったら、フランス語ではなくてアフリカの言葉ではないか、とフィリップは言った。

そう、彼女はがたいの大きなアフリカ系の女性なのです。

アフリカの言葉と言われると、私はなんとなく、それはまじないの言葉なのではないかと思ってしまうのです。

部屋に入るなりまじないの言葉を唱えながら、荷物を念入りに調べて、何も盗まずに戻してゆく行為...
そ、それはもしや、祝福の儀式なのでわっ!?

彼女はアフリカのまじない師で、前夜ホテルに着いた、見るからに穢れているパスカルズ一行を見て、見るに見かねて密かに、呪いを解いてくれていたのではっっ!!??

とも受け取れるのかもしれない、盗人騒動だったのでした。

三木さんのツイートより勝手に拝借

(続)

2015年8月8日土曜日

パスカルズ欧州ツアー(2)



会場La Generaleのキッチンがかわいい

レンヌでの本番を終えたパスカルズは、翌日またしてもTGVでパリへ移動。そのまま地下鉄でパリの会場 La Generaleへ直行した。

実は私、何度もパリに来ているにも関わらず、TGVに乗るのは初めて。
フランスの新幹線的位置にあると聞いていたのだが、ホームに入って来た車両は大変汚れており、しかも遠距離を飛ばす列車なのだから当然大きな荷物を持つ客も多いだろうに、列車には数段の階段がついていて、それを上らねば乗れないデザイン。これが結構ストレスだった。

渡欧前に、外国の方がYou Tubeに投稿した日本の新幹線の奇跡と題された映像、つまり、非常に短い東京駅での停車時間内に、ありえないほど手際良く車内清掃を済ませ、完璧に清潔な状態で次の乗客を迎えるまでの奇跡の映像を拝見したばかりだったので、TGVの全体的に薄汚れたありさまを見て、なるほど日本の新幹線は異例なのかもな、と納得。

ナショナリズムを苦手とする私は、日頃どちらかというとアンチ日本的意識を持ちがちなんだけど、それはそれで逆差別、いいところはいいとちゃんと認めなさい、と天から言われているような気がした。
TGVに乗って怒らないフランス人は素晴らしいとも思いましたが。

ただ、なんとなく可愛い感じの椅子や内装が、一旦座席に落ち着いてしまうと結構楽しくて、慣れてしまえばそんなに嫌いじゃないな、と思ったのも事実である。
結局のところ、ある種の期待や前提が、目の前の現実への評価を決めてしまうという側面があり、だからそもそも新幹線を基準にした期待を念頭に置いていなければ、TGVはTGVで楽しいのである。

飲み物や食べ物を買うのにすっごい並んでて時間がかかっても、ゲトした皿に乗っている料理は、新幹線の中で買えるサンドイッチなんかよりもずうっと人間の食べ物らしかったし。

という感じで、TGVの中でTGVについての腹にイチモツをあれこれ感じながら、いよいよパリに着き、今度は地下鉄に乗り換えて会場まで移動するのである。

レンヌにいる時にマネージャーのフィリップが、この地下鉄移動に関してまるで中東の戦地に出向くみたいな注意喚起を行ったので、私は怖かった。

言わば、日本人は狙われやすい、スリがいるから手荷物は見えないように持て、みたいな事なんだけど、5月に日本に来たパリ在住の友達もまた、パリはみんな怒ってて怖い、なんて言っていたので、私のイメージの中での、このパリ市内地下鉄移動は、今回の欧州ツアーの中で最も危険な戦地、という印象だったのである。

実際はどうだったかと言うとですね。

パリの地下鉄の中の人たちは、東京の地下鉄の中の人たち同様に無表情で愛想は無いものの、ギラつくまなざしでこちらを凝視するギャングの集団というわけではなく、なんとなく全体的にマヌケな風情で乗り込んで来た日本人の団体に対して微妙な好奇心を覗かせながらもいきなり襲いかかってくるでもなく、私の向かいの席の素敵なお洋服のご婦人なんかは、ドアが閉まりかけてあわてて乗り込んだパスカルズ一行の様子を横目で観察しながら時々私に微笑みをくださり、なんと駅に降りたら窓越しに手を振ってくださったりして、怖いというよりむしろほんわかといい気分でこの戦場を後に出来たのである。

案ずるより生むが易し。

とは言え私は現地の人が危険喚起をくれた時に、それほどでもないでしょ、という心的態度をとるつもりはない。
彼らは根拠があってそういう注意をしてくれるのであり、現実的にはそれが多少大袈裟であっても、すんなり受け入れたところで損になるわけではない。
戦場だと思っていた場所に意外にもきれいな花が咲いていたとしても、それはプラスの心象をくれるだけで害にはならないのだ。

それにパリの会場La Generaleは、主催者のEさん直々運転の機材運搬用バンで、私たちがレンヌから到着するパリの駅まで迎えに来てくれたので、私たちは大荷物を持たずに地下鉄に乗れて、これはもう本当に、大助かりだった。

会場La Generaleは、Eさんの主催するグループがパリから借り受けているもので、よく事情はわからないのだが様々な文化的イベントを開催している。
Eさんは以前からパスカルズを招きたいと思っていてくださったそうで、今回、パリでのライブ会場を探していた私たちのニーズにピタッと合ったというわけ。

しかも、直前に決まったライブで宣伝も出来ず、あまり期待していなかった集客も超満員でした。ありがたいですね〜泪。。。

レンヌでもそうでしたが、こちらのお客様は拍手の時に「おおーーーー!!」という歓声をくださり、それがとっても暖かいのです。
リラックスして心から楽しんでくださっているんだな、という客席の雰囲気は、演者の自由度を高めてくれると思うな。相乗効果で、のびのびと演奏できると私は感じます。

空間全体がリラックスして楽しんでいる、という状態は、独特の煌めきを、その現場に創り出します。よくパスカルズのライブの感想に、多幸感がある、という言葉を目にするのですが、あれは実は、お客様自体が全体で創り上げている空間のエネルギーの影響ではないかと、私は思っています。

私はそもそも人見知りが激しくて、それで漫画というたったひとりで出来る仕事を選んだのですが、ライブをさせてもらうようになって感じるのは、人間の楽しさや喜びという感情の力のすごさっていうんでしょうか、それが塊となって会場を満たして空間を塗り替える時の、すごい影響力をまざまざと感じるのです。

音楽がきっかけとなって、というのは確かにあるのかもしれませんが、お客様と五分五分の相乗効果ではないかと、私はいつも思います。

試しに皆さん、今度どんなにパスカルズのライブが楽しくても、石のように心を固くして地蔵の様に無表情で客席にいてごらんなさいよ。そういうお客様がいっぱいいたら、多幸感の波なんて起こらないにちがいない。(冗談)



ところでこの会場は大ーーーーーーきな倉庫、って感じのところで、古くてとても趣きがありました。

会場前のお客様の様子

こういう会場でライブをやれるっていうのは、パリでのひとつの醍醐味ではないかと感じました。音響も、フルPAを使っていないとは思えない程豊かだったと聞きました。

この会場は、広くて中ががらんとしているし、空間に雰囲気があり、色んな空間演出の可能性を感じました。
主催者のEさんが気に入ってくれれば使用料や機材料を取られるわけでもなく、また恐らくこの会場とEさんの実績なんだと思うけれど、直前の告知でもこれだけのお客様を集める事が出来るっていうのは、すごいことだと思います。公共施設なので無料イベントしか出来ないのですが、もしも 見てもらう、聞いてもらう、ということが目的ならば、日本のパフォーマーの皆様も、ここは是非お勧めだと思いますよ。

吹き抜けの天井の大きなロフト部分に、Eさんがしつらえてくれた楽屋空間があり、そこで果物やワインや、すごく美味しい、しかし度数の高い地ビールを振る舞ってもらい、何度もパリを訪れてはいるものの、今回は中々コアな体験が出来たなーと、私は感じ入っていたのであります。

ところでアタシね、なんとなく感じたんだけど、いつも一緒にいた、すごーくニコニコしている穏やかでハンサムなおじさまいたでしょ?あの方って、Eさんの恋人なんじゃない?

ていうのは、あくまで私の推測ですが、まあそんな、素敵にオシャレさんなパリの夜なんでした。(続)

Eさん、じゃなくてEさんの猫

2015年8月6日木曜日

パスカルズ欧州ツアー (1)



2015年7月18日から、パスカルズとしては比較的短い、10日間程度の欧州ツアーに行って来た。

このツアーを実施したいとフランスのプロダクションからオファーがあった時期、世界は中東を席巻するテロ集団による誘拐や非道な処刑騒ぎのまっただ中で、恐ろしい事態が全く人ごとでは無い状況に誰もが直面していたから、メンバーのスケジュール調整や予算立て等既に様々な困難を抱え、ただでさえ簡単では無さそうに見えるツアーに、更に凄みを増す条件が整っていた。だから始めはこのツアーにはあまり現実感が無かったのだ。

でも、なんだか結局行ける事になった。
そして個人的には、行けてよかったと思っている。

パスカルズはスタッフに至るまで個性的な集団なので、ひとりひとりの気持ちなんてまるきりわからない。だけど私個人は、個人としてとても旅を楽しんだ。

旅はパリのシャルル・ド・ゴール空港から始まって、今回はいきなり、そのままTGVでノルマンディー地方にあるレンヌまで行った。
レンヌというのは、パスカルズの、フランス・デビューの土地である。


去りし日、欧州のスターの登竜門とも云われている、あのビョークなんかも出演したトランス・ミュージカルズ・フェスティバルという、出演させてもらえるのは大変光栄ならしい名高い音楽祭に出してもらって、パスカルズはすっごく注目された。
"ムーン・リバー”のカバー・ソングはカレッジ・チャートで1位になり、あの有名なル・モンド誌からCDにお薦めシンボルまでいただき、いきなりスターの仲間入りをしたのである。

そんな幸先の良い土地からスタートした今回のツアー、実は今までに無いトラブルの連続だったのである。。。
しかし個人的には、とにかく素晴らしかった。

何が素晴らしかったって、まずはご飯が美味しかったのです。
(ご飯の話になると語調がですますになる私)

実は私、今までの欧州ツアーで、そりゃあ本当に美味しい物にも数々巡り会いましたけれど、基本的に、飯はまずい、という評価を、欧州に対して下していたんですね。

いや知ってますよ。
ちゃんとそれなりにお金を出して、ちゃんとそれなりの所へ行けば、相当美味しい物があるんだってことくらいはね。
だけどパスカルズ欧州ツアーの現実は、そうじゃないでしょ。

時間も無い。
選択肢も無い。
激しい移動と本番の連続で、知力も体力も心も無い。
そんな中、細々と出会う美味しい物たちは、総じて星の煌めきのような光を放ってはいたけれど、そんな経験、100回ご飯食べるうちの5回くらいじゃなかったかな、というのが、今までの私の感想なのである。

ところが!!!!!

今回のツアーではなんと百発百中!!!

パリのオフ日の遅い時間に、みんなが行ったインド料理屋に今一食指が動かず、集団を離れマネージャーのフィリップとふたりで、なんとなくおざなりに入ったカフェ・ビストロの鴨のコンフィでさえ、もう、絶品中の絶品だったのである!!

とりあえず、最初に出演したレンヌのフェスで食べさせていただいたお料理を、ちょっと紹介しましょう。


選べる前菜から私が選んだハムと野菜のクリームソース

選べるメインディッシュから私が選んだポークリブステーキ

こちらはディナーのメインディッシュ、私は鴨のコンフィを選択


これは苦手だから選ばなかったけど味見したらすごく美味しかった山羊のチーズの前菜

このフェスでは開催地の脇にレストランがあって、そこでの食事となりましたが、もう、何を食べても本当に美味しかった!
飲み物も、ワイン、ビール、シードルなんかから選べるんだけど、ワインはカラフィでたっぷり出てくるし、シードルなんてひとりに一升瓶一本で出て来るから、結局全種類シェアし合って飲み放題みたいになっちゃって、とっても豊か。非常に気分的にゆったりと出来ました。

私は私生活でも、どんなにボンビーな時でも、ケチる、ということは絶対にしないって決めているので、今回のツアーの食事関係の豊かさは、最近の私の生き様にも実にフィットしていたのであります。

このような、”振る舞ってもらっている”、という感覚は、実に心を凛とさせてくれるものですね。
きちんと手の込んだ、丁寧で美味しい物を、たっぷりと食べさせてもらうと、心はこう感じるのです。「私もそれにきちんと応えよう。」

いえ別にね、粗末な不味い物を食べさせられたら、雑な態度で生きますよってわけじゃあないんです。
単に体感として、無条件にキリッと現場に集中出来る自分を感じたなってわけ。

多分それは単に、交換条件とかGive & Takeみたいな、表面的だったり計算高かったりするアレでは無く、もっと深い所にある、生物学的エネルギー交換の原則みたいな物ではないかと思うのです。

100くれた物に100返す、というのは、健全で気持ちよくて対等な在り方だなと私は思います。もちろんこれは、100くれないなら100返さないぞ、とか、100しかくれない人に100以上は絶対返さないぞ、とかいう、がめついケチな発想から来る物では無くて、もう本当に当たり前にナチュラルな、自然の理みたいな物なんじゃないのかな、と思うのです。

最近私の人生には、100&100、200&200、1000&1000、100000&100000 !! などの気持ちよい人間関係や出来事関係が沢山表れてきていて、同時に、どちらかが多目に与える/貰うあるいは奪う、という様ないびつな関係性が、自然に消滅、淘汰されつつあるのを感じています。

食べ物、なんていう簡単な事ではありますが、その簡単な事が中々起こらないのが人生。しかししょっぱなこのレンヌで、とても気持ちの良い、気前の良い振る舞いを受け、私はなんとなく、とてもいい予感を、感じ始めていました。

このレンヌのフェスティバル、LES TOMBEES DE LA NUIT (宵の口)は、一件地味でささやかな街のお祭りみたいに見えるんですが、なんとフランスで1番とも言われている、大変評判の高いフェスティバルなのだそうです。

そう聞いて私が感じたのは、なんというか日本だと、1、2を争う有名なお祭り、なんて物にはお茶の間の有名人が出てたりして、フェス自体の特質が全く無くなってしまうんじゃないのかな、という偏見があるのですが、この祭りにはコアな大道芸人やサーカス団、パフォーマーなんかが出演していて、そしてなんとも趣向を凝らした演出が、あちこちで目を引いた、実に興味深い、文化の奥行きの深さを感じるイベントでした。
興味のある方は是非、公式サイトで様子を探ってみてください。

コンサートは、私にとってこれまた大変縁深い、バックミンスター・フラー デザインのバイオ・ドームを象ったテントの中で行われました。

実は私がパスカルズに入る縁となった人々と出会ったのは、そもそも私がアメリカで、まさにこのバイオ・ドームを再現して世界に広げようとがんばっているような人たちと、エコなプロジェクトに取り組んでいた事がきっかけだったのです。

そういう意味で私個人の歴史にとっても、まさかのバイオ・ドームの中でのコンサート!というわけで、とても象徴的な始まりだったわけなのです。

ドームには、雨の中溢れんばかりのお客様が来てくださり、とても感謝しています。(続)

ドームに入り切らず外で観てくださっているお客様

本番中

会場で目を引いたトナカイ、私が見た時は少女を乗せていました。


公式サイトより拝借の、何故かヨレヨレな感じのオレ写真