2014年7月31日木曜日

キャラクタロロジー


犯罪心理学を扱うアメリカのドラマ”クリミナル・マインド”は、訓練された精鋭集団BAUが、プロファイルによって犯人をつきとめてゆく、知的な犯罪ドラマです。

私は昔、こういったタイプの漫画を描く人になりたいという野望を持っていたので、今でも好んでこういうものを楽しく観ているのです。

しかしながら先日、SNSに絡んだ犯罪を扱うストーリーの中で、Twitterについて、誰もが誰かに見ていて欲しいからこういうものが流行るんだ、という言及があり、それはあまりにも浅はかな分析なんじゃね?と、BAUの褐色のプリンスに突っ込みを入れたくなりました。

さっきTwitterでも書いたのですが、誰もが自分の行動を人に見てもらいたくてブログやTwitterをやっているわけではなく、例えば私の場合は、瞬間瞬間の記録しておきたいと感じる思考や体験中の出来事を、カメラに撮るように文章に納めているのであり、そこに鑑賞者がいることで、例えばそれが友達ならば、誤解を生まないようにとか、そういったある種の緊張が加わることで、その記録自体を、ある程度正確で、後に読んでも役に立つようなクオリティを保てる、ということのツールとして、Twitterは優れていると思っているから、使っているのです。

だから実際に誰かが読んでくれているという現実は割と二の次で、褐色のプリンスが言う様に、見て見て、これがボクちんの毎日だよ!!というような感覚は、皆無に近いわけです。

しかしここで、最近の"クリミナル・マインド”で扱う事件の内容が、非情にこの、ナルシシズムを扱った物が多くて、私はややゲンナリしている、という事実を思い出しました。

私がこのドラマを楽しめるのは、そもそもリアリティがあるからなのですが、最近の内容はあまりにも犯罪の動機がバカバカしく、そんな動機で事件を起こす人がいるんかい!と番組全体に突っ込みを入れたくなる気分満載になることしきりなのです。

最近観た物では、犯人達がカラフルで個性的な仮面をつけて銀行強盗をする中、犯人グループの紅一点の美女が残酷に嬉しそうに人質を殺してゆくのですが、この犯罪の動機が全く単純に、自分に注目を集めたい、自分の人生を彩りたい、という、極めて極端なナルシシズムが動機だったわけなのです。

前後編にまたがって描かれたこのストーリーのこの呆れた結末を最後に見せられた私は、クリミナルマインドどうかしちゃったんじゃないのか、と思い、なんだかそれ以降あんまり楽しめなくなってしまったわけなのです。

ヨーロッパの精神分析医であり、幼児の発達心理学の第一人者であるマーガレット・マーラーが、三歳までの脳の段階的な発達に応じて適切な心理的サポートを得られないと、人はその脳の発達に応じた、生涯に関わるトラウマを負うと言っているのですが、このキャラクタロロジーという理念には、脳の発達の段階ごとに、トラウマによって生じた性質のパターンを振り分ける為の、名前がついています。

ナルシシズムはその内のひとつで、平たく言えば親の注目や賛辞を十分に得られなかったという心の傷が原因になっているのですが、私が今行っているコロラドの学校で、このキャラクタロロジーは、もしかしたら国別の性質を語っている可能性もあるのでは、という話題になったことがあります。

その時私たちは、アメリカがまさにこのナルシシズムのキャラクター分類に入る、つまりそのトラウマを抱える人が多いのでは、という話をしました。

ナルシシズムの中にはヒーロー願望の様な物も多分に含まれ、言わば人助けをする動機がナルシシズムだったりもするわけで、人助けの動機になるんだったらトラウマもナルシシズムもいいんじゃない?と思われがちですが、ナルシシズムは自己愛性人格障害と言われるだけに、うまく行ってる間はいいのですが、例えば自分の理想を覆す様な出来事が起こった場合、例えば自分は誰にも慕われる優秀なカリスマ医師だ、という自覚があり、実際に多くの患者から感謝と賛辞を得ている間はいいのですが、なんらかのつまづきがあってある患者がその医師の理想の自己像を壊す様な事をした時なんかに、非情に冷酷な方法で仕返しをしたりするのです。

ナルシシズムの人は、その冷酷で利己的なやり方が他者を驚愕させるほどである、という自覚も持たない為、あの素晴らしい先生がいきなりこんな事を!?と誰もが驚く様なあからさまに異様な仕打ちや犯罪ぎりぎりの裏切り行為を突然平気でやってのけ、ですのでもちろん罪悪感もありません。
それどころか批難されれば、自分の自由で正直で革新的なやり方についてこられないあの人は所詮凡人、みたいな解釈で他者をダウングレードし、自分の非から目をそらし続けたりもするのです。

こういった危険性を秘めているからこそ人格障害と呼ばれる所以なのであり、人助けするならいいんじゃね?とか言ってる場合じゃないわけです。

そしてもしかしたらアメリカ社会には、現実にこういったタイプの犯罪が多いのかもしれません。

そうなってくれば、最近のクリミナル・マインドの扱う事例は当のアメリカ人にとってはとても説得力があり、リアリティがある案件だ、ということになります。

Twitterを、自分に注目を集める為に行う人も多いのかもしれません。
それでいったら、私がBAUの褐色のプリンスに入れた突っ込みは、お国の事情に踏み込んだ、余計なお世話だったのかもしれません。)爆!


ところで、アメリカがナルシシズムなら日本はなんだ、という話に当然なります。

私は日本のメイン・キャラクター・パターンは、俗に”自閉期の傷"と呼ばれている物だと思います。

"自閉期の傷"を持つ人の身体的特徴は、日本のアニメの女の子の立ち姿特有の、膝をやや曲げた内股で、ちょっと肩をすぼめた猫背、という姿なのです。

この傷は生後三ヶ月までの間に、健全な生育の環境に置かれなかった場合に生じるパターンである為、「私は無力な赤ん坊です、怖がらせないでね。」と大人になっても姿勢で訴えているのです。

マッカーサーが終戦後日本に上陸し日本人に接した時に、日本人は赤子同然だ、と感じた所以はここにあるのでは、と私は思います。

胸を張り、ヒーロー然としたナルシシズム特有の堂々たる態度の男が、肩をすぼめ、無力な猫背と内股で歩く人々を見れば、そう感じるのも当然です。

また、ナルシシズムの傷は2才以降に刻まれるパターンですが、自閉期の傷は生後三ヶ月までの間に生じる傷ですから、2歳児を体現している人間VS生後三ヶ月を体現している人間ならば、二歳児の方が自分を大人だと感じるに決まっているのです。実際は両方共、幼児期のトラウマを体現しているに過ぎないのですが。

まあ私はマッカーサーという人をあまり知らないので、彼がナルシシズムを体現している人物なのかどうかはわかりません。もしかしたらそういったトラウマや人格障害の無い、成熟した健康な男性だったかもしれませんから、これは想像の範囲でしかありません。

ところで自閉期の傷を持つ人は、生きる事や存在すること自体への、漫然とした不安や恐怖感を持っています。トラウマを起因にした生存の恐怖によって、実際にはいない敵を想定したり創り上げたりして、脳内世界で誰かと戦ったり自分を正当化したり防衛したりしています。そして現実の世界でどんなに敵を殺しても制圧しても、この恐怖が消える事はありません。

こんなトラウマを抱えた政治家が国のトップになれば、自分自身の抱える個人的な恐怖感にかられて、余計な武力を持つ事で、安心しようとすることになるかもしれませんね。