2015年10月29日木曜日

アーミッシュの村

ランカスターに入ると途端に出会い始めるアーミッシュ・バギー
アーミッシュの村が車で45分くらいの所にあるよ、と、ペンシルバニアのとある山小屋で集っていた友人のひとりが教えてくれた。

アーミッシュ村を訪れるのは、私の積年の夢であったので、あまりの幸運に床にひれ伏す想いだった。思わず世界中の神々にお礼を言いたい気分になってしまったのです。

アーミッシュと言うのは、スイス起源のキリスト教系宗教団体で、移民当時の生活を守る為に、電気などを使わない、昔のままの生活を送る人たちである。

私がアーミッシュの存在を知ったのは、残念ながらホラー映画みたいなやつでです。
特異な印象を持たれているのか、アーミッシュを素材にした怖い話はいくつもありますね。一番有名なのは、M・ナイト・シャマラン監督の『ザ・ヴィレッジ』かも。

しかし仕事で時々アーミッシュの人と話すという友人にその話をしたらとても驚いていました。そして、もっといいアーミッシュの映画があると言って、『アーミッシュ・グレース』という映画を教えてくれました。今度観てみようと思います。


さてそれにしても。

アーミッシュに産まれるのって、どんな気分なんでしょうね。
厳粛さ、という物にあまり接する機会の無い昨今、アーミッシュ村のガイド・ツアーにちょこっと参加し、お家の中や衣装を見せてもらったり、しきたりの説明なんかをされている時、子供の頃にはいくらかあった厳粛さという経験を、なんとなく愛おしく感じ始めてしまいました。

アーミッシュの女性は、4着しか服を持ちません。
全てデザインが決まっていて、色も青か紫のドレスの上に、黒いエプロンみたいな上着を重ねます。未婚の女性が教会に行く時にはその黒い上っ張りが白になって、女性はそれを自分の結婚式でも着るそうです。

産まれてから一度も切る事を許されない髪は、後ろで結って上からネットを被ります。
化粧は許されていません。勿論、ピアスやアクセサリーも。
私にはとうてい無理なんですが、究極なまでのシンプルさに、どこか憧れる所もあります。

自然界以外の物にあまり興味の無くなってしまった今の自分なら、あの生活は意外にしっくり来るかもしれない。
でも思春期時代は辛いかも。

アーミッシュの子供として産まれても、16才から成人を迎える間は村を離れ普通の社会で生きる機会を与えられ、成人後に、アーミッシュを選ぶのか俗世間で生きるのかを自分で選択するわけですが、俗世間で生きる事を選べばその後家族との接触を諦めねばならないのですから、あまりフェアな選択肢とは思えません。
20才くらいじゃ、完全に親から離れるのはまだ不安でしょう?
だから殆どの人が、アーミッシュでいることを選ぶのだそうです。

まあそれはそれとして。

アーミッシュの村は、それはそれは美しかったです。
例え戒律で定められているからとは言え、そこには自然界と一体化したなんとも言えない静謐な空気が流れています。

ランカスターに入る前から、秋のペンシルバニアの風景は圧倒される様な美しさなのですが、それでもアーミッシュの村に入った瞬間に、空気が一瞬で変ります。

私は、厳格な宗教的戒律に生きるという事自体にはあまり賛成している人間ではないのですが、つまりそれはあくまでも他者の決めた価値観だからで、そういう事を人に強制する事にも、それを信じ切って従い続ける事にも、大きな疑問があるわけです。

そうなんですが。

それでもアーミッシュの村には、何か独特の詩的な叙情性があり、それはそこ以外のペンシルバニアの土地には、無い物でした。

あれは一体なんなのでしょう。
人の心と自然とが、なんらかの形で手を組んだ結果なのではないかと感じたのです。

確かに自然界なんだけど、そこに人の魂が、しっくりと融合している様な感じなのです。
あれを感じた時、アーミッシュの人たちが、何を信じてああした生き方を選択しているのかはわからないながらも、少なくとも誇りに思っていい世界観を、確かに生み出しているな、と感じました。

なんで私ごときがこんな上から目線なのか わけわかりませんが(笑、とにかく本当に、チミたち、誇っていいよ、と民衆を集めて全員の肩を叩きたい気分でしたね。


いつかあそこで夜を過ごしてみたいなと思います。
あの不思議な気配が、夜には更に濃厚になるような気がするのです。

アーミッシュの手作り石鹸。可愛い布に包まれています。

牧場