2016年7月6日水曜日

2016年上半期を終えて

2016年も上半期が終了して、もう7月だ。

今年は、新年早々大切な友達の訃報が、同時期に続けて2件もあって、前半はそれで持って行かれた感じだ。

私にはアメリカに、二重の色濃い人間関係がある。

ひとつは、古くから続くポーの一族みたいなやつで)爆、もうひとつは、学校関連で培ったクラスメイトを中心とした友達の輪である。

両方共中心地がコロラドなので、この二重螺旋が交わらないのが不思議な感じなのだが、そこにはくっきりとした境界線があり、何故か絶対に交わらないのである。
奇妙なもんだね。

今年早々に亡くなったのは、二人共いにしえからあるポーの一族の方の友人で、それはやはり私とはポーなので、非常に悲しく無念であった。

ひとりひとりとの関係も深く大切であるが、集い、という形で与えられる滋養がある。
全員が同じ空間を分かち合う事で生まれる、暖かい空気感。
ひとりも欠けていない、その部屋の中にいる、という事だけで生まれる、なんとも言えない充足された気持ち。

実のところ誰かが死んだところでーこれは決して、喪失感を紛らわす為の幻想では無いのだがー死によってむしろ近しく感じられる人の存在というものがあることを何回か経験しているから、そんなに深刻な喪失感を覚えているわけではないのだけれど、更新されない情報というもの、例えばその人との会話で交わされる新しいジョークだとか、そんな物が無い事で、いやおうもなく不在を感じる事が、あるものだなあと思う。


今年亡くなった友人のひとりは、何度か私のエッセイ漫画にも登場していただいた、アリゾナのお爺さん、である。

86歳でまだピンピンしていたのだけれど、突然倒れ、回復と危機を繰り返した後、遂に天国に行ってしまった。


爺さんとは、ポーのパーティーで知り合った。
本当に、本当にもう大昔の事である。

ハンサムで背が高く、非常に仕立ての良い服を着ていて、一目でセレブリティだとわかる感じだった。(今思えばあの頃爺さんはまだ、60代だったのだな。)

友達とガヤガヤ喋っている時に視線を感じたから振り返ったら、暖炉の前に座ってくつろいでいた爺さんがこちらを見ていたのだった。

爺さんは、微笑んだ眼差しで私を見ながら、おいでおいでをした。

初対面の私に対して自分から寄って来ず、私を招いた時点で、爺さんの印象は決して良くはなかった。つうかはっきり言って悪かった。

でもその時私と喋っていた、私がポーの中でも最も大切に思っている夫妻が爺さんに手を振ったから、そ、そうか、その夫妻と友達なのか、じゃ、じゃあ、まあ、行ってやるか、と思って私は爺さんの前まで行って、促されるままに隣のソファに座ったのだ。

しかし偶然にも私はその時 現役の漫画家で、爺さんは漫画家デビューしたい出版界の大物だった。出版界の大物ならさっさとデビューすればいいのだが、厳しいまなざしで人の著作物を扱っている手前、自分の才能不満足を甘やかすわけに行かないと言うジレンマに、爺さんは悩んでいたのである。

爺さんは私が現役漫画家だと知って手招きしたわけではないのだが、私が漫画家だと知ると目がキラキラしちゃって、その場で私にイラストを描かせ、自分が持っているアイディアを得々と語り始めた。

そして私ははっきり言って憂鬱だった。
だってそのアイディアは、決して「クール!」って思えるような物じゃなかったから。
自分が出版界の大物で、自分でも本を何冊も出していて、その内のひとつがディスカバリー・チャンネルで映像化される等の実績もあるのに、漫画家のひとりも動かせないその事情は、そのアイディアを見れば明らかってものだったのである。

色々あって私たちは仲良くなったけれど、その漫画のアイディアはいつの間にか消えた。
私にはそれを形に出来る創造力は無かった。
爺さんが亡くなった時、その事が、とても私を悲しませた。
なんとか形にして、なんとか商品にしようとしてふたりでコケたりした方が、何もしないよりずっと良かったし楽しかった。

だけど私はほんの昨年始めまで、実際のところ蚕の中にいる幼虫期みたいな時代にいて、創作するモードにはいなかったんだよ。これは本当にそうなのだ。自分にはそれがわかっているから、だから後悔は無い。
それ以前に何かをやったとしても、たいした物は作れなかったと思う。

もちろん人生という物は、特に人間を取り巻く人生の形は、そういった個別の生物学的な成長の時期を無視した形で全て営まれる。営まないとお金が入って来なくてご飯が食べられなくなったりするから、無理矢理にでも何か生み出して生きてゆくのだ。そんな中で漫画の〆切に追われる私に、爺さんの漫画を具現化する筋力は無かった。

幸いな事に、爺さんは偉大な経歴の持ち主だから、私が爺さん原作の漫画を描かなかった事は、爺さんにとってそんなに大きな悲しみではない。

ケネディ大統領のスピーチ・ライターだった爺さんは、ケネディの死後もホワイトハウスで研鑽を重ね、色んな大物のスピーチに携わったり、PRの仕事で無名の人を歴史に残る大物に仕立て上げたり、その内の何人かは黒歴史だと悪態をついてみたり、小説を書いてドラマ化したり、シンガーソングライターになってちょっと恥をかいてみたりと、まさに輝かしくて楽しい人生を送った人なのだ。
だから爺さんにとって、私が漫画を描かなかったことくらいなんてことは無い。


だけどね。
今年の私には、筋力がある。
爺さんや、爺さんの友達や、あとその他、私と色々創作話をして沢山色んな約束をした、色んなある事を、具現化する筋力が。

15年間ばかり入っていたコクーンから出て、ようやく羽根が乾いて来た今の私なら、爺さんの元ネタが面白くなくたってなんだって、それを面白く仕立てる底力がある。

そして今年は、豊富に時間もあるのだ。


私はこの夏から、そういう約束を全て具現化する事に時間を使おうと思う。

もう悲しい思いをしないように、手遅れにならないように、全てを具現化するのだ。

爺さん、ビル、マルコム、○○さん、○○さん、そして○○さん、遂に私は、具現化するよ。

長い間待っていてくれて、ありがとう!!

今の私なら、ろくでもなくない物を、仕上げられるよ。
今の私じゃない時に仕上げても、ろくでもなかったと思うから、待たせたのは許してね。

じゃあそういう事で。

爺さんへの追悼ブログは、いつか改めて、写真満載で書こう。

今日は私の、決意表明でした。