2015年3月26日木曜日

ジュース・クレンズに残された謎


三日間のジュース・クレンズを終えて1週間くらい経ちました。

食生活の方向性がシンプルになったまま戻らず、いい感じだと思います。
また、クレンズ前にあった、夕方になるとカリカリした物を食べたくなるという衝動が、今はもう全く消えました。

もう本当に、跡形も無く消えたのです。

今思えば、今回のクレンズで最も厳しかった点は初日、この、歯応えのあるカリカリした物をカリカリ噛みたい、という衝動との戦いであり、空腹を含めそれ以外の苦痛は全く無かったと言っていいでしょう。

唯一、このカリカリ衝動だけが私を捕らえ、精神の平穏さを奪った症状だと言えます。

今思えばあれはまさに、禁断症状ではなかったか。
いや明らかに、禁断症状に他なりません。
多分ドラッグ中毒の人なんかも、クスリを抜く時ああなるんじゃないかな、と、そういう、臨場感のある辛さでした。

断食の時には、出ない症状でした。
ジュース・クレンズは、なまじっか口に物が入ってくるがために、多分脳が混乱するんだと思います。
何か食べるの?いや、でも噛まない?な、な、な、なんで!?みたいな。

カリカリ禁断症状は、初日の午後が一番酷く、二日目三日目には全く起こりませんでした。
そして今現在も、戻って来ません。

以前調整の為にお世話になっていた群馬に住む東洋医学の治療院の先生に、肝臓機能が弱まると身体はわざと肝臓に負担のかかるような、いわば毒になるような刺激物を欲して、その毒の刺激を使って機能を活性化するようなことをやるんだよ、と言われた事があるんです。
その時私は、そんなに頻繁にではありませんが、通常より結構多めに、チョコレートを食べていました。このコメントは、そのチョコについての言葉でした。

ということは。

ジュース・クレンズ前の私には、どこかの内臓に疲労があって、その内臓が刺激を欲しくて、カリカリ感を求めていたんじゃないでしょうか。
クレンズで一旦内臓がリブートされたので、もうカリカリはいらないよってなわけです。


中毒、という意味では、アメリカでは今や一般に、精製された砂糖や小麦粉には、特に砂糖はコカインと同様の働きを脳にもたらす事が知られています。

アメリカで子供に夕方以降お菓子をあげないのも、砂糖(や精製小麦)で起こる興奮で子供が眠らなくなるのを避ける為です。

だからもし、お菓子断ちして禁断症状が出るならそれは砂糖の中毒だということが明らかです。
あなたの身体は、白い粉を欲しているのです。
コカインでも砂糖でも小麦粉でも何でもいいから、あー幸せ、とホッとする為に、白い粉が欲しいのです。

お菓子で得られる心の充足感は、いわば世に言う薬物中毒のそれと、大差無いのです。
朝ご飯にはパンケーキが無くちゃ絶対ダメ、と不機嫌になる人は、単に小麦と砂糖の中毒なわけで、その不機嫌は、単なる白い粉の禁断症状なのです。いたってシンプルな現実です。


しかし。

カリカリとなるとそれはなんなのか。

一体、カリカリした歯応えに、どんな中毒性があり、何が原因で私はこれの中毒だったのでしょう。
私の体内のどの内臓が一体、カリカリ感の刺激を欲していたのでしょう。

こればかりはいかにジュース・クレンズでスカッとしたところで、一緒にスカッとは出来ない、大きな謎です。

今度自分にカリカリ症候群が出て来たら、速攻でジュース・クレンズをしようと思う、今日この頃なのでした。



小さな大自然


思えば5年くらい前に、友達のロレインに連れて行かれたコロラドの工房で、初めて陶芸の体験をしたのです。

ロレインは既にプロの陶芸アーティストとして活躍していて、彼女の焼き物に魅入られた私を制作の現場に連れてってくれたんですけれど、そこで、やってみたら?と言われたのが始まりでした。

陶芸の知識も興味もまるで無かった私は、陶芸と言えば轆轤を回すものだと思い込んでいて、そんなめんどくさいこと出来ない、と言ったら、彼女は自分は轆轤なんて使った事が無いと言って、手捻りの作陶を教えてくれたのでした。

それですっかり陶芸にハマってしまったアタクシ。
今では自宅に釜を持つ身の彼女の家で、その後も時々焼きましたが、日本でもやりたいなーと思って、近所の陶芸アトリエに行き始めたのです。

写真は今日作った作品です。
手捻り...つまり、轆轤を使わず、手で粘度をこねて作るやり方ですね。子供時代によくやった泥遊びみたいで、非常に楽しいのです(^^)。
非常に楽しいのですが、現時点で、成功した作品が、ひとつもありません。

ひとつも。

まあ、まだ始めてから10個くらいしか作ってないんですが、それでも、10個創って全滅って、すごくね?
今日創ったこれだって、自分ではよく出来た方だと思っているんですが、この後 釉薬をかけて焼いたら、どんな化け物に変わっちまうかわかりゃしないんですよ奥さん。

絵画と違って焼き物は、形を作り上げた後に一旦自分の手から完全に離して、炎の中、という制御不能のナチュラル・パワーに預けなければならないのです。
そこで仕上げがされてしまうんですから、もうあんた、手の施し様がありません。

恐らく、経験を積んで本当に陶芸的勘が磨かれた暁には、最後の仕上げを担う炎と、阿吽で通じる事が出来るんだと思うんです。
炎とのコラボレーションで、作品が完璧に自分の意図した通りに仕上がる様な、そういう形成が、粘度をこねる段階から出来る様になるんでしょう。

しかし勿論のことながら、私には全くそういうスキルがありませんから、まるで暗闇の中を灯りもつけずに爆走しているようなものです。
まさにそういう気分を感じながら、毎回作陶しているのです。

これは私を、とても謙虚な気持ちにしてくれます。
アトリエの中の小さな大自然ー炎が、簡単には制御出来ない、気安くコラボレーション出来ない相手の存在を教えてくれます。

陶芸は、"井の中の蛙"という状態を、許してくれない世界です。
陶芸には、手順を踏んだ忍耐と掟と、モノにするべきスキルがあって、それが身体にしっかり入らないと、意図した物が出来上がらないので、自己満足という世界に容易には入れないんです。

これはとても面白い。

文明が発達して、スキルの無さを機械やセットアップされたプログラムが補ってくれるようになり、手軽に色んな事が出来る世界になりました。
しかしそこには、本当の意味で自立して出来ている事が、どれだけ存在しているんでしょうか。

熟練した専門家がセットアップしてくれた下地、難しかったり複雑だったりする部分なんかスキップして誰にでも出来る様にと専門家が作ってくれたテンプレート無しに、わたし達はどれだけの事を、たったひとりで出来るんでしょうか。

テンプレートだらけの今の世の中では、自分の本当の身の丈を実感出来る事って、少ないように思います。
これは別に、卑屈である方がいいとかいう意味ではありません。

炎とほとんど対等のパートナーになれなければ、思い通りの物が出来ない陶芸をやっていると、自分の命も含め、世の中にある全ての物の容易では無さ、気安くなさ、到達出来なさ、高嶺の花さ、希少さ、貴さ等を実感でき、これがある種、世界への畏敬のような物に、心を回帰させてくれるんです。

時に世間には、能力の高い人がお高くとまらず、深い霊性を持つ人が気さくに振る舞い、スターや天才が、誰に対してもフレンドリー、といったような事をよいことと判断する価値観があるような気がします。

これって本当に、ナチュラルなんでしょうか。

スタップ細胞がニセモノ(かも)だった事が、あたかも屋台のカラーヒヨコは本当はみんな黄色いんだよ、とでも言う様に簡単に扱われ、相当な力量が無ければ作り上げられないような長編映画が、ほんの一言の台詞がちょっとハズレてたばっかりにシロートから気安くこき下ろされる。

地球上で最も莫大な危険ポテンシャルを秘めた発電施設が、イージーに制御出来る、隣のミヨちゃんみたいな存在だと錯覚されているのも、こういう全ての、お膳立てされた気安さやカジュアルさに慣らされた心理状態の延長線上にあるのではないでしょうか。

畏敬の念を抱くべき領域、近寄り難い、気安く触れるべきではない領域がこの世には沢山あるにも関わらず、まるで精神的社会主義の様なフラットな、格差の無さ、平等さ、という環境イリュージョンを与えられ続けて、人間はどんどん錯覚を起こし、でこぼこした有機的な心理状態を失っていってしまうのではないでしょうか。

土を炎で焼く、というシンプルな作陶作業には、土も炎も一筋縄では行かないのだ、と教えてくれるワイルドさがあります。

コントロール出来ない、畏怖を抱くべき物に、ちゃんと気付けるという事は、生物が生きる上での大切な条件なのではないでしょうか。

人間の卑屈さや自信の無さを埋めてくれるような気安く便利なツールが、人間の心のどんな領域を盲目にしてしまっているのか、知っていてもいいのではないかと思うのです。

2015年3月19日木曜日

ジュース・クレンズその後

今の主食プチヴェール

リブート(再起動)とはよく言ったものである。

ジュース・クレンズ中や直後には全く変化に鈍かった私であるが、なんと昨日から本日にかけて、明らかに変わってしまったアタシを感じることになってしまったのである。

「ジュース・クレンズで身体をリブート!」なんて言われたところで、そうそう簡単に身体なんて変わるもんじゃないよ奥さん、と小馬鹿にしていたのですが、少なくとも昨日と今日の私は、クレンズ前の私とは全くの別人と言っていいのではないでしょうか。

まず、3日間も毎日6本果物&野菜ジュースを飲んでいたので、さすがにややうんざり、当分野菜も果物もいらないや、と思っていたにも関わらず、私の食欲の求める先には、常に野菜と果物ありき、という感じなのである。

おかげで主食はプチヴェールの茹でたのとたんかんという、蜜柑の一種というシンプルさ。
なんで蜜柑じゃないのかと言うと、蜜柑の柔らかい皮になんか抵抗を感じるんですね。
なんなんでしょうね、この抵抗感は。
たんかんは、オレンジの小さいやつみたいな感じで皮が硬くて見た目がすごく、野生っぽいのです。
どうもリブート後の私は、そこに惹かれたみたいです。

そして、クレンズ前に好きだった物が、今全く食べられない状態。
揚げ物とか、塩味の物とかです。

あと、レストランで出される殆どの食べ物はしょっぱ過ぎてNG。
今朝はよくお世話になっているオーガニック・ベジーのお店のお弁当を食べたのですが、塩がきつ過ぎて口の中じゅう、岩石でパンチをくらっているようなショック状態に。
こんなにかっ!と驚くほどです。
この店のお弁当を私はいつも、優しい味、と思って食べていたのにです。

それから、恐らく豊かな栄養を三日間供給し続けたためか体がたいへん満足しており、奇妙なおやつを食べたくならないという点も、大きな違いかと思います。

特に私は、夕方になるとカリカリした物が食べたくなるという不可解な癖を持っていたのですが、リブート後には全くそれがありません。
よって無駄食いが無くなったのでございます。
カリカリしたクリスピーなおやつには、ポテトチップスの様にダークサイドな世界からの刺客が多いので、これはかなり素敵な変化だと受け止めています。

いずれにしても今の私には、ポテトチップスを始めとしたカリカリ系のおやつは、塩がきつ過ぎて楽しめないことでしょう。


これって明らかに、野生動物の好みだよね。

私は完全に、リブートされたよね。

ジュース・クレンズ恐るべしと言っていいよね。

だって、たったの三日だよ?
たったの三日間、ジュースだけ飲んで過ごしただけなのに、こんなにも変化が出るのかね。

この変化がいつまで続くのかは定かではないけれど、少なくとも今はこの動物みたいな食生活を楽しもうと思います。

ちなみに、スイーツへの反応はどうかと言うと、これは塩味に対するもの程強烈ではありません。
やはりジュースが甘かったからですかね。
このあたりは断食と違うところです。
断食後は、ちょっとでもお菓子を食べるとやはり岩石で殴られたような、ガツン!と来る痛みみたいな物を感じた物ですが、今回、陶芸クラスのおやつの時間にご馳走になったおだんごと栗まんじゅうに関しては、それほどの抵抗無く美味しくいただけたと言っていいでしょう。


そうそう。

陶芸に対する気持ちもがらっと変わったんですよ奥さん!

今までは、まあ楽しい事も手伝ってとにかく数をこなして慣れてゆこうとガツガツ作っていたのですが、リブート後のワタクシったらすっかり優雅になっちゃって、ひとつの作品をゆったりと、何日もかけて仕上げる、という心に様変わり。

作品の大きさも明らかに巨大になり、いつもはあまり口出しして来ない先生に、「そんなに巨大で.....いいの?」と思わず聞かれたほどなのである。

中々面白い効果を楽しめたジュース・クレンズですが、実はワタクシ、ジュース・クレンズ最終日、最後の一本を飲み終わった後に、なんと泣いてしまったんだよね。
あの時感じた妙に透明感のある、寂しさとも憧憬ともつかない、切ない様なかなしみの原因がずっとわからなかったのですが、今はなんとなく、あれは細胞の流した涙なんじゃないのかな、と感じているところです。

意識には中々上がって来なかったクレンズによる、実は大きかった変化を、身体の細胞はちゃんと感じていて、感謝のような愛着のような感覚で、涙を流したんじゃないのかなと。

今、こんなに感じる大変化の中で、そんな風に思えるのです。

これは結構いい感じです。
だからまたサ来週あたり、1日コースでお手軽にやってみようかな、と思っているところです。

2015年3月18日水曜日

ジュース・クレンズ明け

復活食に作った粥

3日間のジュース・クレンズ明けました。

体調はどうかというと、相変わらず何の変化も感じません。

ですが、この3日間大変な贅沢をした、というラグジュアリー感が、心の奥にあるのを感じます。

これは、1本1000円もするジュースを3日で18本も自分に飲ませてあげた、という事ではなく、手間暇かけて絞られたコールド・プレス・ジュースを、思う存分飲んだという満足感ではないかと思います。

コロラドの学校でコールド・プレス・ジュースを作りますので、それが如何に時間がかかり、かつまたグラス一杯のジュースにどれだけ大量の野菜や果物が必要かを実感で知っているがためか、あるいは今現在からだが、様々な種類の果物や野菜の栄養で満たされている為か、なんだか素晴らしい贅沢を体験したという実感が、体感を通じてやってくるのを感じます。

ですので断食後に感じるようなストイックな清清しさはありません。
でも、このラグジュアリー感もまた、中々いいものだなと思います。

本日はテキストに従い、ボルケーノ・ライスを使って無味のお粥を作りましたが、別に胃腸にも何の変化も感じないので、普通のご飯でもいいんじゃないか、という印象はあります。

まあ、この粥を食べてみて、何か変化を感じるのかもしれませんね。

断食の後には味覚の変化が起こり、微細な味にも大変感動したものですが、今回はそういう事はないんじゃないでしょうか。
なんといっても、この三日間、実に彩り豊かな、様々な味わいを体験しましたからね。

甘い果実の背後に潜むクレソンの瑞々しさ、風味豊かなココナツと絶妙にとろけ合うレモンの酸味、香ばしいナッツの奥行きある甘さやビーツのきりっとした存在感。

あれが調味料や甘味料を一切使っていない、自然の味だっていうんだから驚きです。

ああした味を忘れない為に、やはり時々人は、調理されていない素材を食べる習慣をつけた方がいいんじゃないのかな、と思います。

また何か気付いたことがあったら書きます。

2015年3月17日火曜日

ジュース・クレンズ3日目最終日!

今日のジュース

なんということでしょう!

もう二日半もジュースだけで生きているというのに、とりたてて変化を感じない心とからだ...。

これはやはり断食と違って、毎日栄養たっぷりのジュースを飲んでいるので、あんまり普段との差を感じないからなんでしょうね。

とは言え、身体に入れている物の内容は明らかに違うわけですから、きっと内臓的にはなんらかの変化が起こっているはずです。
塩分なんて、殆ど入っていないはずだし。

とはいえ、自分で実感できる変化もあります。
最も大きいのは、顔のチェンジ。

顔が、あからさまに可愛くなりました。
目がね、1.5倍くらい(大袈裟ではありません)大きくなりました。

なんだかパッチリしちゃってですね、プリクラの、目を大きくする機能でお直ししたみたいな顔になっています。
それに、顔面の余計な物が全部すきっと無くなった感じで大変清々しい。
意中の彼でもいたら走って見せに行きたいくらいです。

それだけ普段、浮腫んでるってこと..つまりは、顔が浮腫んでしまうような食生活をしているっていうことなんでしょう。

あとはやはり、さすがに多少の体重の変化はあるんでしょうから(減量目的ではなかったので計っていず)、体が軽いし、あと、奇妙な、反応の早さみたいなものが出て参りました。

さっき電車の中で、杖をついた女性が乗っていらしたんですが、私は鷹の目を持つモノノケのようにその方をいち早く見つけ、有無を言わさず自分の席にお招きしたんですが、この間 0.何秒かっていう、全く思考の入る隙の無い、純然たる神経反射で動いたのが、我ながらとても興味深かったです。
腹が減ってて思考力が低下してるんでしょうか。
よくわからん症状でした。

腹が減っているかと言えば、そこは見ないようにしているのでなんとも言えませんが、先ほど、明日の復活食用に味噌粥を作ろうと思いつき、その為の素晴らしい味噌や野菜を、遠くの店まで買い求めに行く事を、全く苦に感じませんでした。
この情熱は明らかに、腹が減っている、ということに他ならないのではないかと思います。

ところで本日は最終日。
選べる4種類のコースの中から、初心者用であるRainbowを今日の為に選びました。
最終日はご褒美Dayにしたかったからです。
ちなみに今回私が選んだプログラムは、初日がWinter、昨日がSunshineというコースでした。

以下が本日のジュース・プログラムです。飲みやすいジュースが揃っている感じ♩



二本目のチア・シード入りのジュースがとても美味しかった!
チア・シードは普段サラダなんかにかけて食べてるんですが、ジュースに入れると分解されてより吸収率がいいのかもしれません。


ところで昨日は友人の案で、何かを噛みたくなったらモグモグしながら飲めばいいを実践したのですが、おかげさまで咀嚼衝動はありませんでした。

あと2時間おきにジュースを飲め、というこのプログラム、私にはちょっと厳しかったので、昨日は飲みたくなったら飲む、を実践したところ、やはりジュースが2本余り...

コールド・プレス・ジュースは絞ったその日に飲まねばならないので、残りは冷凍して後日料理にでも使おうと思います。アーモンド・ジュースが随分残っているので、味噌粥に入れてミルク粥にしてもいいですね。

ところでこのプログラム、ジュースをこんな可愛いピンクの保冷バックに入れてくれるのが嬉しいです。




友達は笑うセールスマンみたいだと言うし、実のところ私も、兼ねてからサンシャイン・ジュースのマークは何故これなのかと軽く疑問にも思っていたのですが、おしゃれに見えなくも無いデザインなので持っていて嬉しいです。

これから陶芸をしに行く時なんかに、お弁当を入れたりして楽しみたいと思います。

2015年3月16日月曜日

ジュース・クレンズ2日目

本日のジュース
昨日1日やってどうだったかと言うと、1日に6本ジュースを飲むのは大変だと言う事である。

でもこれは断食ではなく、ジュースでデトックスするっていうプログラムなんだから、きっと決められた量はちゃんと摂らないとダメなんだろうねー。

とは言うものの、体質には個人差があるのだし、と考え、昨日は最後から2番目のアーモンド・ジュースを半分しか飲まず、更に最後の1本は飲まずに今朝飲みました〜。

本日のメニューを見ると昨日と重なっているジュースも数本あるので、3日間で18種類とはいかない模様。今回これをやっている動機のひとつに、サンシャイン・ジュースのコールド・プレス・メニューを全制覇してみたいというのがあったんだけど、まあいいや。

1日やった効果のほどは、なんか、栄養と水分摂り過ぎじゃね?って印象はあったものの、本日はお肌がツルスベなのであり、肌の劣化は腸のコンディションに準ずるという都市伝説を完全に信じている状態です。

お腹が空くか、と聞かれれば、昨日はとにかく、何かを噛みたい、という欲求がすごかったね。食べたい、ではないんです。噛みたい。もしかしたら、日頃感じる食欲の何パーセントかは、この「噛みたい」という身体的センセーションを求める気持ちから来ているだけなのかもしれません。

ジュースが甘いのでお菓子には全く興味が湧きませんが、昨夜は塩気のある暖かいスープが欲しくなりました。
でも、身体から塩気を抜くのも目的のひとつなので、それはやはり御法度ですな。

体が気持ちいいかって言うと、これは、私の学校でやってるデトックスの方が、私には遥かに効果が高いという感じであんまり感動はありません。
まあ、今日も含めてあと二日あるので、また変化はあるのかもね。

本日のメニューはこれを選びました。



このジュース・クレンズについて、世の中のお医者はどう言っているのかと気になりちょっとネットを調べてみたら、まあ、あんまり好意的な文章は見つけられなかったのですが、ひとつ、ジュースが甘いので糖尿病になる危険性が、というのがあり、あれれ、それは私がアメリカで学んだことと違うなーと思いました。

危険なのは、精製された砂糖や白米や小麦など、極めて分解されやすい食品から急激に吸収される糖分なのであり、野菜や果物に含まれる糖分は、いくら糖度が高くても、消化のスピードが緩いので吸収もゆっったりで、内臓の処理能力を超えることはないから大丈夫なんだと、私は学びました。

このジュース・クレンズを、もし人工的に加糖されているジュースで行えば確かに危険かもしれませんが、サンシャイン・ジュースのように、余計な物は全く入っていないコールド・プレスのジュースでやった場合はどうなんでしょうね。

この手のリサーチは常に更新されているので、実際のところはどうなのかわからない、というのが正直なところですが、今のところ、このジュースを飲んだ瞬間に感じる清々しさは、甘味料の加わった飲み物を飲んだ時の体感とはまるで違うと感じられるので、そのあたりを信じて、本日も行ってゆこうと思います。


2015年3月15日日曜日

今日からジュース・クレンズ 3日間 !


去年の秋に学校を卒業したので、もうこれからは年に4回コロラドへ行かなくてもいいワタクシ。

しかしその分、一回行ってしまうとその滞在期間が延びるのなんのって。で、最近もしばらくアメリカにいて、帰って来たばかりなんですが...。

日本に戻ってきてやはり戸惑うのは、なんといっても食生活です。そんなにストイックに規律を守っているわけではないけれど、やはりアメリカでは、学校で教えてもらった栄養学に基づく食生活を続けているし、それを日常的に日本でやろうとすると、中々難しいのです。

アメリカには、非常に多種多様な食事制限のアイディアがあるだけでなく、それを簡単に実践出来る環境があると思います。

私は、この食事制限が一番だ、とか、誰にとっても正しい、と言う考え方には反対だし言うつもりもありませんが、唯一、選択肢が多い、ということはやはり大事なことではないかと思います。
そして、どんな食事法のアイディアでも、それを選んだ人が簡単にそれを実行しやすい環境を整えてあげる、という点では、アメリカはとても優れていると思うのです。
これはやはり、他民族国家で、様々に複雑な教義を持つ多種多様な宗教を許容しているという下地があるからなのかもしれません。

例えば、去年くらいまで私もハマっていた、ローのスプラウテッド・ブレッド。

これは発芽小麦の芽をミキサーでドロドロにして天日で干して固めてパンにした物で、いわば野菜で出来たパンなのですが、これが精製小麦や酵素の破壊された食品に抵抗を感じる人たちの間であっと言う間に広がり、今やどこのスーパーでも簡単に、安価で手に入ります。

アメリカではロー(熱を加えないで酵素を残す調理法)やグルテン・フリー(小麦抜き)というアイディアはすっかりメジャー市場を占め、そうじゃない物を探す方が難しいぞ、という勢い。(探さないけどね。)
そして最近のトレンドはと言えば、やはりスペルト小麦ですね。

大昔に食べられていた小麦は背が高く、風で倒されてしまって収穫出来ないことが多かったことから、人類が改良を重ね、現在の背の低い育てやすい小麦が出来たそうなのですが、どうもこの小麦・・・と呼ばれている植物は実際には既に遺伝子のレベルからして昔の小麦とは違う植物になってしまっており、最近の研究ではなんとこの新しい(60年くらい前から浸透している)小麦のプロテインが脳の血管の壁を擦り抜け、脳組織へと浸食してしまうということがわかった、というリサーチが発表されてから、それってやべえんじゃねえの、と感じる人が増え、結果流行り始めたのが改良前の古代の小麦、スペルト小麦なのです。

博物館にあった古代種の小麦の種からイタリア人が育てて広めたらしいのですが、グルテン・フリーの人もこの古代の小麦なら食べてもいいかも、と、私などは個人的に思います。実際、小麦アレルギーの人も食べられます、と表示されていたりするんです。

実はこのリサーチ、小麦だけでなくコーンや大豆も対象になっていることから、脳由来の疾患を持つ人はそういう物全部食べないようにしているケースも。
今は農機や環境も研究されているんでしょうから、植物の方を改良(改悪?)するんじゃなくて、育て方を変えるっていう方向には行けないものなんでしょうかね。

それにしても今やアメリカではこの小麦の害説は、トランス脂肪酸の害に次ぐ勢いで社会常識となっていますが、こういった、トランス脂肪酸や小麦の、「害かもよ」、的情報は、日本では恐ろしく浸透しにくいですね。

以前そういう事をちょこっとTwitterで呟いたら、いきなり排他性食品原理主義者扱いされて大変驚いた事がありますが、実際にはその人こそが、オーソドックスな栄養学を妄信するあまり私の情報を排除しようとしたのだということに、本人は気付いているのだろうか。

私は、従来の栄養学に固執して新しい情報を敵と見なす行為もまたその逆も、宗教原理主義者同士の争いの在り方と、全く同じだと思うのです。
まあ、小麦やトランス脂肪酸の害についての情報が一般的になると、日本でのメジャーな市場にかなりな影響を及ぼしかねないので、Twitterなどにはプロの刺客なんかが来て、嫌がらせを言ったりすることもあるのかもしれませんが。

いずれにしても、日本のスーパーにはグルテン・フリーやローやトランス脂肪酸フリーの物が溢れることは当分無いのかもしれず、それはそれで自分は少数派なんだと諦めてそれなりに生きるわけですが、そこでジュース・クレンズの出番なわけなのです。

日本に帰ってきてから、アメリカの毎日と違う物を結構食べちゃって驚いている身体をリセットする為に、今日から三日間、私はジュースだけで生きるのよ。

とは言え2時間おきに全6種類のジュースを飲むというプログラムなので、そんなにお腹は空かないんだけどね。

既に、朝の分を飲んでからもう2時間経過しているので、今二本目を飲んでいます。

これは、コールド・プレスという特殊な方法で絞ったことによって酵素や栄養素がすんごく残っている朝絞りジュースだけで三日間を過ごし、身体をリブートするというプログラムです。

今日のメニューはこんな感じ。
寝坊したから9時半スタートで、全部時間がずれ込んでいきますが。




ジュースの味はとっても美味しいので全種類飲むのが楽しみです。
明日はまた全然違う6種類のジュースを飲むので、三日間で、18種類!?

ジュースの合間に同量の水を飲むとより良い、と言われたんですが、なんか水分過多で溺れそうな気もするのでちょっと様子を見ながらやってみます〜。

またまたアメリカの話になってしまい恐縮なのですが、去年アメリカで、無気力で目の曇った太っててどんよりしたオヤジが、一ヶ月のジュース・クレンズで若々しく活気に満ち、澄んだ目をしたハンサムな青年に変貌して新しい事業も大成功!なんていうリアリティー・ショーが公開されて以来、ジュース断食、すっごく人気です。

私も変われるかしら。
三日間じゃ無理か。。