2016年10月30日日曜日

色々考えさせられるTWD

あまりにも評判を聞く機会が続いたので、ものすごく遅ればせながら観始めたドラマ"ウォーキング・デッド"。

人気の秘密が徐々にわかり始めた最近、実に色々と考えさせられる、という構造も、人気のひとつなのだろうと思ってアメリカの友人に聞いたら、もちろんそうだという返事。
みんな、ドラマに出てる人たちのやり方や価値観の分析や批判や肯定で楽しんでると言っていた。そういう意味では、そういった誘いに満ち満ちている、大変成功しているドラマだと思います。

視聴者をうまく"釣れてる"、ってやつですね。
そして私は、ドラマや映画については、積極的に釣られたり騙されたりする様にしています。
その方が楽しいからです。


登場人物についても、好みやなにやらが別れると思います。
私個人は、主人公グループを率いているリーダーであるリックを胡散臭いとずっと思っていて(笑)、片腕のダリルを、素晴らしいと思っています。


ダリルは、私が昔アメリカで学んだナチュラリストの技を実際の戦闘に活用しています。
地面の足跡を見てその人物の体重を測ったり、枝の折れ具合や木肌のコンディションから、そこで起こった事を推測したりと、中々かっこいいのです。

まあそれはそれとして。


ドラマの中では度々、ゾンビに変化しちゃった家族の誰かを、自分らに危害を加えない程度の管理でかくまっている人が出て来て、それを主人公サイドの人間が暴いて、ゾンビな家族を殺しちゃうエピソードが、度々出て来ます。

それを見る度に私は、これってどうなのよ、って思ってしまうんですよね。


確かに今のところ、一度ゾンビになっちゃったらもう戻れない事はわかっています。
完全脳死状態になった後、なんらかの作用で脳幹だけ機能し始め、しかしその時にはもう、凶暴な何かに変ってしまっているわけです。

家族をかくまっている人は、いつか治療法が発明されて、元のその人に戻るはずだと淡い期待をもって、彼らをかくまっているわけですね。


でもなんでだか、それを知ると殺しちゃう方向に、あのドラマは行くんだよね。


まだ見始めたばかりなので、何を示唆したい番組なのか私にはわからないんだけど、FOXテレビの番組だと言う事から、ちょっとばかりの疑いを、持ち始めているのです。


もしもあのドラマが、鷹派の価値観を基準に動いているんだとしたら、どうなんだろうと。


確かに、咬まれたり引っ掻かれたりすると感染してゾンビになっちゃうんだから、ゾンビはいなくなるのが最も良い。
しかし誰かが、まだ家族がゾンビになっちゃった事を受け入れられず、いつか戻ると期待していたいのだとしたら、それはそれでいいんじゃないんですか?
他人に迷惑をかけない様に隔離しているんだし、万が一そいつが逃げ出しても、真っ先に被害に遭うのはかくまっているその人であり、更に表に逃げ出しちゃっても、後は何万匹もいるゾンビに混ざってウロウロしているだけに過ぎません。
もうああなると、野生のゾンビがひとり増えようなふたり増えようが、関係無いような世界なんですから。


ドラマの中では、ゾンビVSニンゲンより、むしろ生き残った人の間で描かれる戦いと葛藤に焦点が当たっており、そして正義と正義じゃない側の価値観がとても曖昧です。
だからこのドラマは意識的に、絶対的な正義、という概念のはかなさを描いているのかもしれない。

けれどもしも、ゾンビになっちゃった家族をさっさと殺す方が正しいんですよ、先に進む為に、という意識がベースにあるんだとしたら、私は途端にこのドラマが、FOX系列TVで放映されている事が、気になり始めてしまうんですよね。

それって、鷹派の考え方じゃない?

Aという人物が、Bという人物の大切にしている物を、「おまえそれ、おかしいよ。」って言って、その人のドアをこじ開けて、その大切にしている物を破壊してしまう。それによって平和が築かれる。という錯覚。

それは単に、Aという人物が欲しい現実を、Bという人物の価値観が邪魔をするからと言って、Bの価値観を根こそぎ否定して"改心"させる、それによって欲しい現実が得られる、という自己満足に過ぎません。

Aは単に、Bに賛成出来ないから、自分の居心地悪さを正しさや常識に置き換えて正当化して、自分にとって居心地の悪い場を、居心地良く変えようとしているだけですよね。



アメリカにはまだ根強い保守派の人たちがいて、未だに同性愛者を異常視したり、正当派とその人たちが見なす価値観や宗教観から逸脱した人たちへの理解を、拒絶したりしています。

私は、どんな偏見でも古い考えでも、個人のレベルで持っているだけならそれはそれで自由だと思っている人間ですが、もしも誰かが自分の価値観を、誰もが持つべき正しい物だ、と勘違いして、それを他者に強制し始め、その行為が公民権を得たら、それは自由世界の終わりだと思います。
それだけは許してはいけないと思うのです。


ゾンビの存在は、害毒です。

醜悪で、生きる価値も無い。

しかし、誰がそう言いきれるのか。

一人娘がゾンビになってしまった。
その姿は、肉親以外の人から見れば、醜悪な悪魔かもしれない。
でも父親はその顔に、過去の可愛らしい娘の面影を見ているのです。


あのドラマが、どういう価値観で進んで行き終わってゆくのか、今は全くの未知だけど、もしも二元論で正悪を捉える価値観がゾンビを殺すのだとしたら、私はそれは間違っていると思います。

あのドラマの中で、ゾンビになっちゃった肉親をかくまう人々を、どうやって描いてゆくのかは、とても大切だと思うのです。

先へ進むとか、健全であるとか、ポジティブであるとか、正直であるとか、困難から立ち直るとか、社交的であるとか、ちゃんと働いているとか、家族がいるだとか、ヘテロであるとか、強いとか、病んでないとか、正義感があるとか、そういう事だけがノーマルであるとする意識が暴走している一部の人間を抱えている土壌が、もしもその思想を土台に、そうした方が結局はみんなの為だとかいう思いを土台に、家族がかくまっているゾンビを殺すのであれば、それは間違っていると、私は思うのです。


あのドラマがどんな方向に行くのか、だからとても興味があるのです。

TWDは、闇、と位置づけた存在や行動を、果たして今後、受け入れるのでしょうか。