あかねさんが撮ってくれた素晴らしい私 |
おととしくらいだったか、とても印象的な夢を見た。
それはパスカルズの海外コンサートの夢だったのだけど、ステージ自体が海の中州にあって、そこに行くまでに、それはそれは美しい、白い岩場の道を延々と歩く。
浜辺から見れば、まるで海の中から立ち上ってきたように見えるステージは息を飲む様な幻想的なライトに彩られ、こんなところでコンサートをやれるなんて夢みたい、なんて、みんなが口々に感嘆の声を上げていた。
私は時々予知夢を見るから、予知夢と、いわゆるただの夢の、ニュアンスの違いがもう今はわかるようになっていて、この夢についてはその印象のリアルさと、なんというか"重み"、みたいな物で、なんらかの現実を先取りしてるんじゃないのかな、と感じて、ノートに書き留めておいたのだ。まあ、予知夢じゃないにしても、夢の中の私の気分が素晴らしくて、良い夢、という強い印象を残した。
ポルトガルについては、行くまでに全く関心も知識も無く、スペインに近い事から、ある種の偏見があった。
私のスペインへの印象は、今のところあまり良くなくて、だからツアー最後のコンサートがポルトガルである、という事が、なんとなく気の重い現実だったのだ、行くまでは。
しかーし!!!!
リスボンの空港について、シネシュ世界音楽祭からのお迎えのバスに乗り込み、シネシュまでの2時間半のドライブが始まった途端に、私の気分はがらりと変った。
海がーーーーーーーーーー!!!!!!!!
ヴァスコダガマ橋から見えたバスの車窓景色 |
ここでことわっておきますが、私はそもそも山派というか高地森派で、いつもは海の景色にこんなに萌えることはありません。
これはひとえに幼少期の思い出と言いますか、海好きの両親に頻繁に海に連れて行かれたものの、幼かった私は膝頭に砂粒が数粒ついただけで狂った様に泣き叫ぶという神経質な子供で、海なるものを全く楽しめなかった思い出に由来しています。
今はシュノーケリングが大好きで海も大好きですが、それでも”海”、と聞いた瞬間に心をよぎるのは、まずはあの幼少期の憂鬱な心象なのです。海は広いな大きいな、という歌詞も、恐怖以外のなにものでも無かったあの頃の。
にもかかわらず。
リスボンからすぐに入ったヴァスコ・ダ・ガマ橋の開放的で近未来的なデザインと、その橋を通して見たポルトガルの海が、あまりにも暖かくて明るくて、どこまでも広がる空と水平線が、真っすぐにどかんと心に食い込んで来て、ぎゃーーーーーっと叫ばずに居られない程私は感動したのでした。
そして到着したシネシュの街もコンサートの場所も、私があの夢で見た、本当にまさにあの、場所だったのです。パスカルズのステージは城壁の中で海の中州では無かったけれど。
シネシュ、フェスティバル会場周りの街 |
ステージはこの城壁の中 |
ステージ裏に広がる海 |
とは言え、この素晴らしい景色に出会えたのは移動日の翌日、つまり本番のある日です。
ジュネーブからリスボンに着いたその日、私たちはバスでの長距離移動後、シネシュの町中にあるレストランに直行しました。
その時点でとっぷりと日が暮れており、シネシュの街の美しさはまるっきり見えなかったし、連れてってくれたレストランがまた、いわゆる地元の食堂的な異国情緒たっぷりの店で、なんとなく私は、またしてもポルトガルへの心細い印象を強めたのです。
まああれですよ、旅漫画なんて描いていたので旅好きだと思われる事も多いのですが、あの漫画をよーーく読んでみると、私が如何に、住み慣れた場所にしかいないか、という事がわかるというものです。
ヨーロッパの各地には、パスカルズのツアーがあるから行くだけ。
あとはずうっとアメリカにいるだけですからね。
つまり私、そんなに強くないのです、慣れない場所に。
特にどういうわけかヨーロッパというのは、私にとって非常にハードルの高い場所なんですね。相性とか魂との縁の浅さとか、そういうものがあるのかもしれません。
いずれにしてもこの食堂、地元の若者の溜まり場で大変騒がしい、と思ったのですが、実は多分、フェスティバルに来ている人たちがみんなあそこで食べるんだろうね。
なんせ初日には気付かなかったけれど、その食堂は会場のすぐそばにあって、その後の全ての食事が出される、提携店だったのですから。
店内 |
なんなんですかポルトガル語って。
予備知識が全く無いんでわからない。
ズボンとかタバコとかカステラなら知ってます。
というわけで、世界音楽祭からの使者ガールが片言ながら英語を話したので、メニューを持ってお店のおばちゃんの元に行き、彼女の通訳を通して首っ引きで説明をしてもらいます。
その結果がこの、私が作成した、現地語→英語→日本語という、伝言ゲームみたいな手順で翻訳された日本語メニューです、じゃじゃーん。。。。。。すんげえ大雑把。
ちなみに上記メニュー8番目にある「バカロ」というのはそもそもメニューには書いてなかった特別料理で、その場でおばちゃんが「今日あるよ!名物だよ!」と言って教えてくれたので1個だけカタカナなんですが、これ実は「コールドフィッシュ」ではなく、「コッドフィッシュ」の聞き間違い、つまり鱈の事なんです。
それにはすぐに気付いて、みんなの元にこのメニューを持って行った時には、口頭で説明しました。
そしてまさにこの鱈の料理、私がポルトガルに行く前から噂に聞いていた名物料理で、何故か鱈なのに大変カロリーが高くて、毎日これを食べててすっごい太っちゃった、っていう、誰かの話を聞いていたんですね。
鱈なのに、なんでそんなにカロリーが?という疑問がずっとあったので、私は勿論これを注文しました。
そしてそれはこんな物で。
鱈には違いないが、クリームや野菜や米でぐっちゃぐっちゃに混ぜて煮込んであり、魚の固形物が食べたかった私にはやや期待はずれ。。。でも、カロリー高い理由はわかりました。
とは言えこの食堂、実はとっても美味しかったんです、これ以外は!!
この日はみなさんそれぞれメニューをぎこちなく探し当てて、一皿に六匹もイワシが乗ってるのをひとりで注文したりしてアレだったのですが、
その様子を見てあきれかえったお店のおばちゃんが、「明日っからはアタシが見繕ってあげよっか?」って言ってくれて、それからはもう、天国だったのでございます。
その料理はまた次の更新でご紹介します。
いずれにしても、一見粗野に見えたこの食堂も、お店のおばちゃんがちゃんと私たちに目を配っていてくれて、笑顔が無い割には心のこもった対応をしてくれるし、お料理も細やかで美味しいしで、一旦凍った私の心も溶けました。
そして楽しい夕ご飯の後、再び私の心を凍らせる出来事があったことも、ここに記しておかねばなりますまい。
これは、ご飯を食べた後、寒い夜の街で、来ないホテル行きの出迎えバスを延々と待つパスカルズです。
真ん中で電話をしているのはマネージャーのフィリップ。
「約束通りの時間に迎えに来ないとはどういうこった!!!!」と、実はすんごく怒鳴っているのです。
さて、夏の薄着には凍える寒さの、夜のシネシュの街で立ちん坊の私たち。
パスカルズの楽器や機材や荷物を乗せたままどっかへ消えてしまったバスは、果たして戻ってくるのでしょうか。。。。(続く)