2016年3月9日水曜日

コロラドーカンサス空の旅

カンサス上空からの日の入り直前風景


知人がパイロットなので、私がアメリカにいると私を度々空に誘ってくださいます。

始めはヘリコプター、最近ではセスナ機。

初めて彼の操縦するヘリに乗ったのは一昨年くらいの夏で、夏だから、という理由でそのヘリにはドアがついていませんでした。両サイドの。

つまり座っているシートがそのまんま外気にさらされている状態で、私の脇にガードする物は何ひとつ無く、座っているシートの細いシートベルトだけが、私をヘリに繋ぐ命綱となっている状態でした。

そのようなリスキーな現状に耐え、恐怖と共に舞い上がった空は、それでもすごく素晴らしかった。
陸から離れた途端、自分を縛っていたあらゆる陸の制限が引力と共に地面に吸い取られてしまったようで、淮も言えない「自由!!!」という、未だかつて感じた事の無い様な実感が心身にみなぎり、素晴らしい気分に圧倒されながら飛行を楽しむという意外な展開に。

あの自由の感覚は、上空から見下ろす絶景を凌駕する、すごいインパクトのある経験でした。

日本には色々法律があるのかもしれませんが、アメリカでは上空の移動は自由で、上に上がってしまえばどういうルートで飛ぼうが誰からも文句を言われません。

地上に敷かれた道を完全に無視して好きな様に移動する自由は、あたかも自分を縛っていた、人間に課せられている地上の法律や常識やジャッジなんかから完全に解き放たれて野生動物に戻っちゃったかの様な、圧倒的な自由感を私にもたらたのです。あの意外な心理的効果には未だに感動を覚えます。


まあそんなわけで空を飛ぶ事自体は私は大好きなんですが、今回の空の旅は事情が違っていました。

セスナやヘリで飛行する際、風の状態がモノを言います。
パイロットは常に気象条件に目を光らせ、安全で揺れない空の散歩を実現する為、風の無い、穏やかな日を選ばねばなりません。

知人もその日、朝からずうっとインターネットや気象アプリなんかで風模様に目を光らせていたんですが、どうやらその日は飛行オッケーな穏やかな空という事で、空中散歩を実行に移す事にしたのです。


とーーーこーーーろーーーーーーがーーーーーーーーーーー。



罠ですよ罠。

運命の罠は、こうやって人生に忍び寄るんだな、の、あの罠。


私はなんとなく、感じていました。
何故なら私は割と頻繁に、人生において宝くじに当たるみたいな稀な罠にすっぽりとはまる傾向がそもそもある為、その罠の近寄る気配に、すっかり敏感になっているのです。

「なにかある」

空港に向かう車の中で、ずうっとそんな不穏な気分が私を支配し、ウキウキしているパイロットの知人の浮かれたおしゃべりにイマイチ乗れない心の重苦しさの中にいました。

「なにかある。」


フライング・カンパニーに到着し、知人が常駐しているスタッフや飛行を終えたばかりの顔見知りの人たちに、空の状態はどうだったか、等聞いて回ります。
何故なら既に気象レーダーには、風が出て来た情報が表示され始めていたから。

結果誰もが、割と揺れるよ、的な事を彼に話していました。

耳をそば立ててそれを聞く私。

やがて知人が、飛べない程では無いけれど、期待していたようなスムーズな飛行というわけにはいかないかも、所々揺れるかもしれないけれど、それでもいい?と聞いて来ました。

私はじっと心の声に耳を傾け、空港からこのまま引き返すよりは、飛んじゃった方がいんじゃね?みたいな結論に達し、いいよ、と答えたのです。

私が乗り物にすんごく弱くて、ちょっとした揺れでも恐怖のどん底に突き落とされたり気分が悪くなったりするタイプなら良かったんですが、あいにくそうではありませんでした。

私にはかつてオーストラリアからの帰路、悪天候で、乗っている飛行機が150mも一気に降下するという経験がありました。

150mもの距離を一気に降下した為、機体にはGがかかり、身体は機体の壁に押し付けられて身動きは取れないわ、食器は棚から落ちて散乱し騒音は立てるわ、悲鳴や泣き出す人の声があちこちでするわで、機内は大騒ぎでした。

しかし私の精神状態はと言うと、空の上でどんなに飛行機がヤンチャしたって、ぶつかるモノは何も無いし、みたいな不敵な安心感にすっぽりと包まれ、全く危機感を感じなかったのです。

そんな過去の経験から、多少揺れても私は大丈夫だろうと、思い込んでいたのです。


さて、小さなセスナが目の前に現れました。
スカイ・ホーク。いい名前です。

今日の相棒スカイホーク号


今こうして写真を見てみると、既に空が相当怪しいのがわかります。

穏やかな飛行をするんなら、空は出来る限り真っ青でなければなりません。
こんなに雲があるじゃないの。

乗る前にスタッフの人が給油をしてくれたり細かい点検をしてくれて、その後知人が更に、オイルに水が混入してないかネジはちゃんとはまってるか等の細かい点検をしてゆきます。

機体は大丈夫そうだな、と私は思いました。


さてそうこうしている内にいよいよ飛び立ち、始めはかなり快適な飛行が続きました。

上からの景色



四人乗りのセスナに二人で乗っているので、私は当然前の席、操縦桿が目の前にある臨場感ある特等席ですから、景色も素晴らしいしそのエキサイト感はやはり半端じゃありません。


「なにかある」


の予感は未だに心を占め続け、以前のヘリでの飛行の時の様なうっひゃーーーーーー!!!!みたいな手放しなハイ感にはなれなかったものの、まあ、思っていたよりはいい気分でした。

そんな矢先知人が、そろそろ風のある空域に入るから、15分間くらいは揺れるよ、でもその後はまたスムーズな飛行が続くから大丈夫、と言って来たのです。


15分間?
そんなもんか。
その程度なら全然オッケーオッケー。


と、その時の私は思いました。


とーーーーーーこーーーーーーーーろーーーーーーーーがーーーーーーーーーー。



次の瞬間起こった事は、私は一生忘れまい。

機体がすいっと前に進んだと思ったら、一瞬空中でbibibibibiとか言って止まり、そのまま落とし穴に落ちたみたいに、垂直にすとん!!と下降したのです。


言葉で言っちゃうと簡単だよね。
でも考えてみて。

セスナ機は、ジャンボジェットみたいに大きくないんですよ奥さん。
その体感は、自分の身体が生身で空に放り出されている様な、とてつもない臨場感です。
目の前には山の斜面。
頼りになるような、支えてくれる物の何も無い空中で、いきなり頼りなく、すとん、と機体が落下した時のあの、得体の知れぬすさまじい恐怖。


長年に渡って深刻な恐怖感とは縁遠かったこの私が、まさに飛び上がらんばかりに驚き、そして恐怖のどん底に。

そして間髪を置かずに次の揺れが機体を襲いました。

とにかく捕まる物が何も無いので、私は思わず、操縦している知人の腕にしがみついたね。

同じ機内にいる人間の腕にすがりついたところで何の救いも無いのだが、もう、そうせざるをえないような、極限の精神状態だったんですよ奥さん。

こんな揺れ、15分も続いたらたまらない。
絶対に耐えられない。
気絶する、いや、むしろ気絶したい。

そんな、パニックに近い心の嵐を感じながら、知人に、こういう揺れは経験した事あるの?と聞くと、「この程度じゃ全然安全、もっとすごいのを何度も経験したよ。」と言うではありませんか。

この情報は、非常に助かりました。
つまり、特に危険な現状には、私たちはいない、という事なのですから、あとは恐怖で荒れる心をなんとか始末すればいいだけです。


私はふと、乗馬のレッスンを思い出しました。

ビギナーの人は大抵恐怖感から、馬の上で非常に身体を硬くし、あたかもそうすれば空中に浮いてでもいられるとでも思っているかのように、重心を身体から浮かしてしまうものです。
これはエネルギーが上半身に集っている、あるいはエクトプラズマ出ちゃってるんじゃね状態と言いますか、身体は馬の上にいるのだけど、魂が抜けちゃってて、身体を馬に預けていない状態です。

でもこういう感じで乗っている限り恐怖は消えないし、馬にも正しい信号が送れず、ろくな事にならないのです。
馬の上で硬くなり、リラックスしていないんですから、ちょっとした揺れでバランスを崩すし、落馬にも繋がります。

だから私は馬にまたがった瞬間から、常に自分の内部が、馬の身体に流れてゆく様な感覚を意識して、つまり自分と馬がエネルギー的に一体化しているかのように、深ーーーーく馬の上でリラックスし、馬と自分の境界線を、失くしてしまうような乗り方をいつも心がけているのです。

この効果は常に絶大です。

馬自身も安心するらしく、落ち着いた馬などは私がそうした瞬間に何かを感じるのか、ちらっと私を振り返ったりして、あたかも、うん、わかったよ、みたいな顔をしたりもするのです。

すると馬に伝わる私からの信号も顕著な明確さを帯びて来ますから、馬自体も完全に私の指示に自分を預けてくれて、お互いにゆったりとしたおおらかな雰囲気の中で、安全で優雅な時間を楽しめるのです。


私はそれだと思いました。

どんなに心が上に飛び上がっちゃっていても、機内から抜けて空を飛べるわけじゃないんですから、ここは馬に乗っている時と同じように、自分の存在感を、機体に沈み込ませればいいんじゃね。

というわけで私は、緊張で硬ーーくなってしまっている身体を意識的に緩め、深呼吸をして機体に自分の魂を投入してゆきました。

すると徐々にリラックス感が深まり始め、やがて、「飛行機自体がこの揺れで破壊されないんなら、どんなに揺れても全然オッケーじゃん、じゃあもう、どんなに揺れたっていいや、それに例え空中で機体が崩壊したって自分では何も出来ないんだし、そしたら抵抗するだけ無駄じゃん。てへっ!」みたいななんだか大きな気分が私を支配し始めました。

そうなったらもう、どうとでもなれです。

知人の予言通りその後15分程ひどい揺れが続いたにも関わらず、私は全くオッケーであり、始めに感じた様な恐怖も消え去りました。


そんで結局、そもそも来たデンバーの空港に戻るには、更に風の強い領域を通過せねばならずそれも楽しくないから、いっそこのまま静かな空域の続くカンザスまでの空路を行っちゃって、カンザスの空港で給油して帰ってこよう、という事になりました。


後の飛行は大変楽しく、風景は絶景だし、なんと言ってもセスナに乗っている、そのものの体感の心地よさが、馬に乗っている時の様な、なんていうんでしょうね、多分車を運転される方ならわかるのかもしれないけれど、あのなんとも独特の楽しさが加わり始め、最後には降りるのも残念という程に、楽しくなっていました。


デンバーに帰った頃にはもうすっかり夜で、夜景は美しく、しかも雪まで降り始め、なんだか大変な冒険をした後の、えも言われぬ満足感に満たされて非常にいい気分、恐らくアドレナリンかなんかの脳内物質のあれなんでしょうが、結果としてとてもよかったのです。

夜景


空港に着いた頃にはもう遅くてスタッフもみんな帰っちゃってたから、知人とふたりで飛行機を駐機場に繋ぎ、知人も大きな気分になっていたのか、その後高台にある、街で一番値段の高いレストランに行って、夕ご飯を食べました。


その際知人が、「いやーーー、きみは本当によくやったね。すごいよ。」と言いました。

私は意味がわからず、どういう事なのか訊ねたところ知人は、あの揺れの中でよく平気だったね、と言うではありませんか。

いや、だって。

なんら危険な事は無い、よくある揺れだしもっと激しいのだってある、とあんたが言ったから、怖がってるのは自分の事情に過ぎないと思って自分をコントロールしたんだよ。

というような事を私が言うと、なんと知人はこう言ったのです。


「いや。あの揺れは、自分の20年以上に渡る飛行経験の中でも、初めてに匹敵するものだったよ。ぼくも初めて怖いと思った。」



空中では私を気遣って、嘘をついていた知人。

その後しばらく彼は、いやあー今日の飛行はいい体験になった、勉強になった、スキルの向上にも繋がった、あの揺れはありえない、あんな事があるなんて、と、無礼講状態になって喋り続けました。

絶句し続けるわたくし。



危険な状態にある際に専門家の言う、「この程度は大丈夫」「直ちに被害は無い」は、やっぱり信じないに限るんですね、奥さん。