2015年10月12日月曜日

コロラドと私 2


私は自分のブログを、自分が感じた事の覚え書きみたいに使っているので、読みに来てくださる方には、感謝と共に、いつも申し訳無さを感じています。

要するに、日記に書けばいいような自分語りを公の場で書いているのであり、じゃあ日記に書けばいいやんと思うんだけど、ブログって、アクセスしやすいツールなんですよね〜。
ブログがこんなに、書いておこう、という気持ちを起こさせるようなデザインになっていなければ、このブログ文化はとうに衰退していたと思うんです。

すぐに開けてペンも辞書もいらなくて、写真も貼っておけてと、非常に便利です。

ところでこの写真は、昨日出会った白頭鷲です。

私はずっと前から白頭鷲に憧れていて、野生で出会えれば申し分無いのですが、野生で出会う時は自分が狩られる時かもしれず、なんとも言えない究極の選択なのですが、昨日は、この地で開催されているフェスのラジオ収録があり、そのステーションへ行ったら、鷲を保護する団体の方が見えていてお話をされていたのです。

資金集めの為に、20ドルで白頭鷲と一緒に写真が撮れますよ、をやっていたので、喜び勇んで一枚撮ってもらいました。
まさか白頭鷲とのツーショットを撮れる日が来るなんて、と大変嬉しかったです。

上の写真はその時に撮ってもらった写真から、自分を削除した物です笑。
下は写真は、撮る前にマスクをされている鷲。どでかさが伝わるでしょうか。

羽根を広げると恐らくは2mはあると思われる神々しさ



私が今いる地はユート・シティと言われる、その昔、ユート・インディアンというネイティブ・アメリカンの部族の集落のあった聖地です。

聖地、とかパワー・スポット、とかいう言葉があるけれど、もしそういう特別視的言葉を使うなら、私は基本的に、地球全体が聖地でありパワー・スポットだと思っています。
ただそこに住む人たちが、それだけその土地のエネルギーと融合した形での文化を培っているかで、そのパワーの強度が違ってしまうと思います。

コロラドの多くの地は幸いな事に、土地のエネルギーが人を飲み込んでいて、逆らえない物がある印象、とでも言いますか、高度成長期時代の東京の様に、人界優位であとかたも無く土地の風土を消し去ってしまうような発展を遂げていないが為に、どこへ行ってもそれなりのパワーがあると思うのです。

まあ最近東京も、ゆとりが出て来たのか、風土を尊重した空間作りを始めた街が出て来たので、そこはまた、いくらでも取り戻せるもんだと私は思っていますが。


ところで私がこのユートを故郷の様に感じるのは、土地と自分の相性がいいと言うのもありますが、非常に深い縁を感じる人と、この地で会う事が多いからです。
ここで会った人たちとは何故かすぐに親しくなってしまい、ほったらかしていても延々と付き合いが続くことが多いんですね。

そんな中のひとりに、Pという初老の紳士がいます。
彼とは飛行機の中で信じられないくらい意気投合してしまい、その後もやりとりをしていたのですが、なんと私の友達の多くが、彼とも友達だった事が後から判明して非常に驚いたものなのです。

それに私にとって彼はいつも非常に気になる存在と言うか、別に恋をしているわけではないんですが、なんかこの人好き、みたいな、そんな感じです。

しかしながら、他の友人と違って中々会う機会の少ないこのPが、もう少ししたらシアトルに引っ越してしまう事がわかり、タイミング的に、今回の私の訪問で会えればいいなーと漠然と思っていました。

でも、今回私がこの地へ来た目的は友達に会う為では無かったので、自分のスケジュールもよくわからないしと、ここに来る事自体を、Pには言わないでいたのです。

忙しい方だし、特に彼は私のユート関連の友達の中でも1、2を争うセレブなので(笑)、人に会う事にちょっとナーバスな部分もあるんではないかなという懸念もありました。
彼はハリウッド映画界の重鎮なので、ショービジネスの世界に生きたりアーティストとして野心のある人の中には、彼のサポートを得る為にアポを取る人が沢山いると思うし、それを見ても来ているので、どうもなんだか気が引けてしまったりする、という精神状態になる時があるんですね、彼に関しては。

ところが今回、彼がプッシュすると決めているイギリスの新人アーティストのコンサートがこの地であり、そのコンサートの主催者がなんと私の知人だった事がコンサート当日に判明、その知人はPの事は知らなかったのですが、コンサート当日朝に、偶然にも一緒に山に遊びに行ったので、そこで私に、何も知らずに招待券をくれたのです。

会場に行くとなんとそのアーティストとPが入り口で歓談しているところに出くわし、ぐわーっ、あんた、来てたんかい!と言われて、まんまと、シアトルに引っ越す前にPにお会い出来たんですね。

その後Facebookから、Pが私についてコメントしています、というメールが来ていたので見に行ってみたら、

「異なる文化や遠い地に住んでいるにも関わらず、人生はいつもサラと私に、ことあるごとに交差点を与えてくれる。なんとラブリーな魔法でしょうか。」

とあるではありませんか。

私は泣きましたね。

何故なら私もいつもPに関しては、そういう不思議を感じていたからです。
計らずとも人生が、必ず交差する道を創ってくれると。

Pとは今後もこんな風な、不思議な付き合いが続いて行くのかもしれません。

聖地にはこういう魔法が、まだ沢山生きているのです。