2015年5月30日土曜日

バンビとコラボ

お洋服のデザイナーになるという人生を選ばなかったのは何故?と思うくらい、私はランウェイを見るのが好きです。

一着の服とコーディネートが、ひとりの人の存在感に脚色をもたらし、その世界観がランウェイを次々に染めてゆく世界が大好きなんです。

だからプロジェクト・ランウェイは私の大好きな番組で、それを観ながら自分に問うわけです。
何故、服飾デザイナーという仕事を選ばなかったのか、と。

答えは、結果が出るまでのプロセスがめんどくさそうだから...これはプロとして売れる様になるまで、という意味での結果ではなく、頭で考えた物が形として目の前に顕われるまでのプロセスのことで、きっと頭の中のお洋服を現実化するには、型紙を書いたり布を裁断したりと、大変な作業があるに違いないと考えたわけです。

きっと様々な職業はそういう過程まで楽しめる人が選ぶんだろうな、そうじゃないかな。例えば私は、漫画が出来上がってゆく作業過程も好きだったので漫画家を続けられたんだと思うけれど、時々人から、コマ割りってどうやるの見当もつかないしめんどくさそー、と言われる事があるので、その人にとっての漫画作成作業は、私にとっての型紙作りと同じなんだな、とか思うわけです。

ですので私は常に心のどこかで、自分のお針子が欲しい、と思っています。
私がデザインした服を具現化してくれる人。
これは今でもずっと、出会いを待っている状態です。

そんな時に、お針子バンビさんを知りました。
この方はご自身がデザインもされるしそれを縫製もされる素敵なデザイナーお針子さんで、私が現在個展をやっているニヒル牛2で、大変な人気で服を売っていらっしゃいます。

そのバンビさん特有の持ち味、どろしゃつ、と名付けられた、多分どろっとした裾を持つからそう呼ばれているのかもしれないブラウスを見た時、とても可愛いな、と思いました。

で、バンビさんに、お願いしたのです。
この裾を持った、Aラインの白いシャツを創っていただけませんか?と。
自分の個展に、それに色を塗って出したいんです、と。

するとすぐに、それは私の手元に届きました。

可愛いーーーーー。

お針子バンビさんの服の魔法は、見るだけだとちょっと奇抜か派手?と思って、むむむ、可愛いけど着こなせるかな、と思うのですが、着てみると実にしっくりと、”普通”に可愛く着れるってことです。
この”普通に”、という部分、服には絶対必須条件だと、私は個人的に思うんです。

ショーに出す物なら、どんなにぶっ飛んでてもかまわないかもしれませんし、私もそういうのやってみたい! でも着る物として売る場合、着れる事が必須条件です。

着て、着てる人が引き立つのが、よい服だと私は思います。

作家としての我が強過ぎると、これが出来ないと私は思うのです。

アートには、我が強くて許される分野とそうでない分野があって、お洋服は、そうでない分野だと私は思う訳です。

譲歩しない個性と、人を引立てる事の出来る奥ゆかしさの、天才的バランスの拮抗は、結構難しい物だと私は思います。

これは自分の個性を全開で生きつつ、人の個性をジャッジ無くありのままに見定めて、それを奥ゆかしいやり方で、決して邪魔になることなくサポート出来る、という、人としての究極の在り方だと私がかねてから思っているバランス感覚です。

その条件の、ギリギリ、際のバランス感覚を、お針子バンビさんは持っておられると、私は思うのです。

ですので、バンビさんの服があまりにも可愛いから色を塗りたいと思ったものの、そのバンビさんの持つ大事な領域、着れる服、という規律ーいや、御本人はそうそう意識されてはおられないかもしれないけれど、いわば神がバンビさんの服にもたらした規律と個性みたいな物を、絶対に侵さないこと、絶対に壊さないこと、それはバンビさんというクリエイターの持つ、神聖な領域だから、それを侵したり壊したり、あるいはバンビさんの持ち味にただ迎合したり増幅するだけの、つまりバンビさんの個性に乗っかったり盗んだりするだけという方法も、絶対にやってはいけない。

この点が、今回この服を彩色するにあたっての、私のルールになりました。

でも、まだちょっと自信がありません。
コラボというものが初体験だからです。

でも昨日、友達が着て試着してくださったのを見たら、あーーー、着てる人が引き立つ!と感じることが出来ました。
だから私は、大事な規律を逸脱しないで済んだのかも?

ニヒル牛2に昨日色違いで2点納品し、一点、青い裾の方は既に売約済みですが、まだ展示はしてありますので、是非観にいらしてくださいね。

2015年5月23日土曜日

個展”夜の森博物誌” 始まりました



実を言うと私は、とてもTPOを重んじる人間です。

そのTPO感覚が、他の人や一般的な社会に適合しているかどうかは別として、私には独自のTPO感覚があり、常にそれを重んじて生きているのです。


西荻窪のアート雑貨店”ニヒル牛2"は、小さいけれどとても物語のあるお店です。
流行りの”古民家”なんて呼ばれる緩めのくくりを遥かに超えた、正真正銘の古い古い家屋の一角にあり、中に入るとそれはもう、ある種宇宙的な、骨董屋風空間が展開します。

でもその骨董屋空間を創ったのは乙女なので、ただの骨董屋じゃない、ロマンチシズムがあります。その小宇宙に、様々なアーティストが所狭しと個性的な作品を並べて、販売しているのです。

私が度々ブログやTwitterで触れる、ココマコムーンのビーズ作品も、ここで売っているのです。

そんな”ニヒル牛2”の一角で個展をやると決まった時、私の中のTPO感覚に凄まじい燃料がくべられました。

私個人には、私個人の、絵の方向性があります。
日本ではあまり見た事のある人もいないかと思いますが、私の絵は自然物をクローズアップにした半抽象画で、色彩とマティエールだけが売りの、シンプルな絵画です。

でもそれが果たして、”物語”のある"ニヒル牛2"に合うのか、私ははたと考えました。
年明け頃に"ニヒル牛2"に出していたトートバッグやTシャツのシリーズにしようかとも考えましたが。
なんかそれも、個展となると違う感じ。

そして、"ニヒル牛2"のオーナーあるくんとは、少女漫画ファンということで繋がっている感もある。

ということで、私は決めたのです。
私は、少女漫画家として、"ニヒル牛2"で個展をやろうと。
だから、物語を創りました。

それは、ある自然史学者のお話。

長年憧れていた伝説の森、"フォレト・ヌ"(夜の森)に、ひょんなことから迷い込んでしまった、ギュスタフ・アーレの物語です。

展覧会で展示されているのは、ギュスタフ・アーレの描いた絵と、彼の手記から抜粋された、作品の解説書です。

この展覧会はだから、絵画展ではありません。
絵画のみの単体では成立しない、物語の展示会なのです。
だから是非、絵のふもとに置いてある、解説書も読んでください。

そしてそういう事情から、今回絵の販売はありません。
その代わり、アーレの手記を販売します。
森に魅了されたギュスタフ・アーレの描いたスケッチと、森での生活を綴ったアーレの日記。

そして最後のページには、行方をくらましたアーレに代わって彼の作品と手記を私に届けてくれた、アーレの娘(自称)ノラの描いた不思議な絵画も掲載します。

今その手記は、私が一生懸命編集しているところですが、来週月曜日には、少なくとも見本だけでも会場に届けようと思っています。

皆様、ぜひ観にいらしてくださいね。

西荻窪ニヒル牛2(正午openー20:00close;木曜定休)にて。
6月3日まで。

2015年5月19日火曜日

マジカーと餃子


昨日、ザザ・フルニエ&マジカーのコンサートで来日したマジカーに会いました。

コンサートは本日から日仏会館のレストランで22日までです。
ディナー付きとディナー無しとあって、私はどうせならディナー付きで観たいなあ、と思っていますが、なんせ5月22日からニヒル牛2で個展がありますので、もう身動き取れない状態です。
皆様は是非いらしてください。ディナー付きでもそんなに高くないんですよ。確か2000円くらい?

まあそれはそれとして。

マジカーは日本で餃子を食べたいと兼ねてから言っていました。
それで私は色々調べていたのですが、バラエティーが在り過ぎてお手上げ状態。とりあえず、自分で調べ上げたりいただいた情報などを全てリスト化し、マジカーに渡すことにしました。

その後マジカーから滞在先のホテル情報が届き、なんとそのホテルが、私が薦めようかどうしようか迷っていた餃子屋3軒と同じ町内にあることが判明。なんとびっくりです。

その三軒が都内ベスト餃子かどうかは別として、徒歩圏内にあって便利なのはよい事です。
ですのでとりあえず近所に有名どころが数軒あるから、成田からホテルに着いたらまずそこに連れていけるよ、と連絡、すごい喜びの反応が返ってきた、というのが来日前の出来事でした。


そして昨日。

成田からホテルに着いたよ!と連絡があり、午後8時にホテルのロビーで待ち合わせしました。
私は、その夜彼を連れてゆく店を吟味するつもりだったのですが事前にその時間は無かったし、まずはホテルの場所がどのあたりなのか、行ってみないとわかりませんでした。

最寄り駅に早めに着き、まずホテルへ行って場所を確認してから、同じ町内の三軒の内、一番近い餃子屋へ連れて行こうと思っていたのです。

しかしiPhoneの地図アプリでなんとかそのホテルに辿り着いた時、そこが全く私にとって初めての場所で、同じ町内とは言えそのホテルから三軒の餃子屋がどの方向にあるのかさえ、見当も着かない事が判明。

その時点で私は、既に三軒の内の一軒(まだ私が行った事が無いから、という理由で)を決めていたので、ホテルのロビーでiPhoneの地図アプリでその餃子屋を検索しました。

しかーし。
何度検索してもアプリはホテルと同じ場所をポイントするだけ。
なんか壊れちまったぞ、と思った私はホテルを出て、やや遠ざかった場所から改めてアプリでチェック。でもやっぱり同じ場所を....。

話にならねえ、と思いその餃子屋に電話を入れました。
すると。

なんと背後で私の電話に答える声が。

振り向くとそこに、餃子屋の提灯が。

ななななーーーーーんと!!!!

その餃子屋は、そのホテルの一軒先、隣の隣にあったのでございますよ奥さん!!!

ななんとマジカー、餃子好きが高じてこんな魔法を使ってしまったんだねとすっかり感服したわたくし。そこに連れていった時のマジカーの驚く顔を想像しながら、ホテルのロビーで彼を待ちました。

とーこーろーがー。

何故か待てど暮らせど現れぬマジカー。
フランス旅行経験者ですので、フランス人のお時間へのおおらかさはたっぷり経験済みです。
マジカーはイギリス人だけども、長年のフランス生活ですっかりおおらかになったに違いないと15分待った時、マジカーから、どこにいるの?見つけられない、とメールが。
と同時に、ホテルのスタッフの方が私の元にいらして、「うちのゲストをお待ちのようですがいらっしゃらないようですね、もしかしたら、もう一軒の姉妹ホテルの方では?」と言ってくださったのです。

多分、そういうことがよくあるんでしょうね。そのホテルでは。

マジカーにメールで確認したところ。
やはりそうでした。
彼がいるのはそこから7分程離れたもう一軒の、同じ名前のホテル。

私は急いでそのホテルに向かい、無事マジカーに再会。
既に知り過ぎる程知っている場所にある先ほどの餃子屋に連れてゆくことが出来ました。

でもさ。
これって、ヘンじゃね?

私はそもそも注意深い人間なので、こういう間違いってあまりしないんですよね。

でも何故か私はまず、餃子屋の隣にある方の姉妹ホテルに行ってしまって、先に餃子屋を確認するはめに。

これもマジカーの、餃子への情熱から発せられたマジックなのでしょうか。
不可解千万なのであります。

マジカーと餃子 in Tokyo。初体験、という水餃子に感激していました。

2015年5月12日火曜日

ココマコムーンの引っ越し手記

温帯低気圧で大雨の中、ニヒル牛2へ行ってお針子バンビに頼んであったブラウスを引き取った。

バンビのブラウスには私が独特の彩色を施し、5/22から始まるニヒル牛2での私の展示会に出品する予定だ。

この展示会についてはまた改めてお知らせ致しますが、準備期間にとっておいた日々にエマージェンシーが重なり、正味10日間くらいしか無くなってしまった制作日程の中で細々と作業を進めているという悲しい現実があるので、あんまり大々的に宣伝していないアタクシ。泣いてもいいですか。

ところで。

今ニヒル牛2では旅本展をやっていて、様々な方々が手作りの旅本を展示している。あんまり時間が無かったからじっくり見れなかったけど、鷹の目を持つと言われているわたくしが一瞬にして発見したのが、大好きなビーズ作家ココマコムーンの書いた手記"地球無期限の旅"である。

以前これの前編を読んで大変気に入っていたので、後編を発見できてとても嬉しかったから、400円出してすぐに買いました。

この本は、理不尽な大家さんや不動産屋さんに翻弄されて怒れる獅子となったココマコムーンが、法律などを盾にひとり戦う様を描いた小気味の良い手記である。
歯に衣着せない文体がカタルシスをもたらしてくれるので、ニヒル牛2へ行って是非買ってみてください。

この手記を読んでしみじみと感じたのは、アーティストを甘く見てはいけないよ、ということである。

実は私もしばらくの間、理不尽な人のもたらすいくつかの理不尽な出来事の渦中にあって静かな戦いを繰り広げていたのだが、その理不尽の中で幾度と無くちらほらと聞こえて来たのが、私がアーティストであるため浮世離れしていて、実社会的云々に関して地に足のついた解決能力が無いから心配だ、という、実社会に精通していると自負している社会人たちからの声だった。
その人たちからしてみると私はどうにも頼り無く、誰かが何とかしないとダメだ、と思っちゃうようなのである。

しかし冷静に物事を良く見てみれば、常に行動し実現し解決しこなしているのは私の方であり、その人達は私の作り上げた土台に対して後から色々言うだけであり、ゼロから物を創ったところを見た事が無いので、何を根拠に自分たちの方が地に足が着いていると信じているのかがわからない、という不思議さがある。

どんな物でもそうだが、ゼロから創る、という事と、既にある物にアレンジや校正を加える事との間には、次元をいくつも超える大きな差があるのだ。

批評家がどんなに頭のいい批評を述べた所で、それは既にあるものについてあれこれ言っているだけなのであり、それはいわば人のふんどしで相撲を取っている状態なのである。

人は誰でも脳内イメージの世界でならどんなに壮大で素晴らしい物でも創れるので、実際に手を施していなくてもやれば出来ちゃうような気になって、人の作品に対して平気でクリティカルになれちゃったりすることがある。時にそこを完全に錯覚して、脳内で出来ちゃう自分を三次元でも出来ちゃう自分だと思い込んで、物理的に行動している人に対してあれこれ偉そうに言っちゃう人もいるのである。
これは愚かな事ですね。

というような、頭に来る程でも無いけれどうっとうしい、という経験がしばし続いていたのだが最近私はそれらの全てに勝利してせいせいしていたところだった。そしてココマコムーンの手記を読んだ。

それで改めて思ったんだけど。

アーティストっていうのは、いわば日常的に無から有を生み出している人種なんですよ。

作品を創る時、そこに法律や常識や社会通念が介在する事は無いので、完全に自由な状況の中で、無限の海を泳いでいるわけ。

ココマコムーンの手記を読むと、彼女が理不尽な大家と対峙する時、そこにあるのは完全に、無から有を生み出す、アーティストの創造性だな、とよーくわかります。

その、無限の可能性の中で無から有を生み出すことを日常の当たり前としている人とさ、色んな常識や社会通念にがんじがらめになっている、自称オトナな社会人が勝負したら、どっちが勝つと思う?

ココマコムーンの手記に勇気をもらって、私は今こそ、高らかにこう言いたいわけよ。

数年前、絶対に無理だありえない、と、プロの司法書士の人でも目を疑った、初めての申請で5年のEクラスビザの取得という奇跡を成し遂げたのは、私なんだよ。

これは私が日常的に、無限の海の中から有を生み出す作業をしているからさ、”常識的に無理”、なんていう概念に、何の意味も無いということを、身を以て知っているから出来た事なんだよ。

社会常識や人情を知り尽くしていて、その理の中で生きている人には、その理の中にある現実しか、生み出せないんじゃないのかい?


浮世離れしているからこそ出来る事は大きい。

私はこれからも常にゼロ地点から、自分で自由に現実を創り上げて、オリジナルに生きてゆくよ。頼りないと言われてもな。