2014年2月18日火曜日

インセクト・アート


美しいけれど大量の命の犠牲が。

とかお喋りしながら、今日の午後、クリストファー•マーレーのインセクト・アートを見ていた。

インセクト・アートとは、文字通り昆虫を使ったアートで、シンプルに言えば、アートな標本です。

非常に美しい。

昆虫ってホラ、色とりどりだから。

天然の、言わば神の色彩を使ってオブジェしてるわけだから、その美しさのグレードは果てしなく高い、と私は感じる。

しかしながら、それはまた、命でもあるわけです。

殺して、作る。

きれいな物を。  

微妙だよね。
動物愛護団体の人とかが見たら、目くじら立てそう。
私ならやらない。私なら、きれいだと思ったら、それを絵の具で描こうとするから。
自分の感性のフィルターを通した、自分の感じた昆虫の色を、キャンバスの上に、再現しようとするから。

神の作った色彩に、負けるとは思わないよ。
自慢じゃないけど、(自慢だが)オレ、米ワーナーブラザースの人に、色彩の魔術師って言われたんだもんね〜。
                             

でもだからって、それは殺して作るより"正しい"のか?

私は、この地球上の生命体の持つ、様々な関係性のことを時々考える。
植物には薬効があり、動物の役に立ち、花々は人の目を楽しませ、木の実や果物は生き物を養う。
動物は互いの命を糧とし合って、自分の命を繋いでゆく。

以前アメリカで、バイオドームという、地球のサイクルを完璧に再現した温室の中に入ったことがある。そこでは微生物や昆虫や植物が絶妙なバランスで関係し合い、見事なまでに共存している。互いに助け合っているので、農薬ゼロで、立派な野菜が作れる。

このバランスを壊すのは、いつも人間なのであり、近視眼的な見方をすれば、人間がいつも鬼っ子で、異端児で、自然界のバランスを崩す元凶である。

だけれども、人間もこの惑星の子だ。

人間の心には、この惑星の美しさを、堪能する、という感性がある。
花を愛し、動物を愛し、自然を愛する。
心に届く滋養は、何にも代え難いくらい、人を元気にする。
美しさに胸を打たれるだけで、しばらくの間は生きていけるような生命体だ。

だから昆虫を、他の動物がやらないような方法で、糧にする。

それだけのことなんじゃないかな、と私は思うのだ。

もちろん、そういう動機で殺戮を行う人ばかりじゃないのも確かだ。
そこに全く対象への愛や敬意を持たない、自分の利益の追求ばかりで動物や植物や、他者を踏みにじる人もいる。

それは、アートではない。
破壊だ。

ここは、成熟した感性で、区別しなければならないところだと、私は思う。
大体においてこの成熟した感性に自信の無い人というのは、なんでも一緒くたにまとめて扱いたがるけれど、そういうもんじゃないんじゃない?

地球に生きる生命体として、同じ殺戮でも、それが惑星の、理にかなっているのかどうか、人間にはわかるはずなのだ。野生動物がそうであるように。

これは誰かが教えてくれるようなことではない。
自分の心で、計るのだ。

自分のエゴ/心の傷やプライドや偏見や防衛や自己愛等で曇っていない、澄み切った惑星生物の感性で。

クリストファー・マーレーの作品を見る時、私は昆虫達の美しさに打たれながら、自分の心のバランス感覚に、注意深く耳を傾ける。

やり過ぎか、これでいいのか。


これについての答えは出ていないし、もしかしたら彼が、これ以上の作品を作ろうとする所に出くわしたら、止めるかもしれないけれど、でも、それもどうかはわからない。

ただ、目の前にある作品は、もう、結論である。

結論が出ていることについて私は、抵抗はしない。

それはただただ美しく、私の心にたっぷりの栄養を与えてくれるから、私は100%の肯定と称賛を感じながら、それを楽しむだけなのである。

上の写真は、クリストファーの作品かどうかはわからないのですが、友人の家に飾ってあった物です。多分、そうなんじゃないのかな。

左はクリストファーの作品集。




0 件のコメント:

コメントを投稿