2014年3月30日日曜日
りげんどう@西荻窪
落ち着きたかった。
なんだか忙しい2月と3月だったから。
私の心に芽生えていた、和の空間でまったりしたいという気持ちは、隙の無い完成された、隅々まで洗練された日本庭園を見ながら、という感じではなかった。
高価な鯉や刈り込まれた芸術的な植物のあるあの日本庭園ではなかった。
竹林の足下に淡い灯りが灯っていたりとか、白い砂利石の庭に波紋が描かれていたりする必要も無く、石の器にたまった水にぽつんと花が一輪浮かんでいるところを見せてくれる必要も無いし、禅を象徴する深淵な陰影を、中庭が見せてくれる必要も無かった。
誤解の無いように言っておきますが、上記は全て私が実際に体験して、そして感動した日本の美です。揶揄しているわけでは決してありません。いつもはそういうの、好きなんです。
でもなんだかこの三月、私が求めていたのはネオ・ジャパネスクとでも言うのかね。伝統美、というのではなくてもっと日常的な、それでいて、日常にこんなのってあったかな、と思わせる、日常のイデアを軽く持つ日本の空間だったのです。
そんな時、忙しい時間をぬってちょっと遠くから西荻窪を訪れる友人とランチをすることになり、その友人のイメージから、まさに今こそネオ・ジャパネスクなのでは!と思ったのです。
しかし西荻窪にそういう場所を全く知らなかった私。
ランチ後にすぐ荻窪に移動しなければならず、あまり駅から離れたくもないしどうしたものか、と思った時にふと、「西荻窪 古民家」という言葉が頭をよぎり、検索したら出て来たのが、この古民家レストラン"りげんどう"でした。
なんと駅から徒歩3分と近いのに、中庭もある和古民家ののどかそうなたたずまい。
丁寧に作られていそうな和定食。
それも、懐石料理みたいなんじゃなくて、家庭料理の進化版。
木枠の窓から柔らかく差し込む日差し。
窓の向こうに覗く、適当に雑然とした庭。
これって、私が欲しかったあれじゃない?
加えてサイトで紹介されている、階上の併設ブティックに並ぶ服や雑貨のイメージが、その日ご一緒する友人のイメージにもぴったりでした。
もうここで決まりっしょ。
何度も行き慣れているはずの西荻窪に、こんな店があったとは。しかも駅前に!?
半信半疑で訪れたら、まさに駅前の、まさに期待を裏切らないのどかなたたずまいの”りげんどう”が、あっと言う間にありました。
「こういう店は店員がお高い。」
何故かこういう店をよく知りもしない私が勝手に抱いていた思い込みは、店に入った瞬間の、なんとも親しげで暖かい出迎えで一気に崩壊。
初めて伺ったにも関わらず、ものすごくくつろげてしまったのは、あのフレンドリーな店員さんのおかげだと思います。
「週替わりの定食をご予約ですが、それで大丈夫ですか?」と改めてメニューを持ってきてくれて、私はそのまま、友人は、出雲蕎麦付きの野菜寿司のお膳に変更。美味しかったそうです。
私の定食も美味しかったです。三種類の変わり豆腐とお漬け物が特に。
これからも、時々行ってしまうことでしょう。
ここはなんだか、観光地にいる気分にもさせてくれるよ。
島根が本店ていうのもあるのかもしれないけどね。
あ、友人はやはり、ブティックの服にハマったそうです。
こんなことって、あるんだなあ。
2014年3月25日火曜日
Trattoria 29 (ヴェンティノーヴェ)
私は実はお嬢様なので(爆)、ありとあらゆる名だたる一流レストランでの飲食経験が多々あります。
だから一流である、ということは単なるレッテルや張り子の虎なのではなく、しっかりと裏付けされた技術やホスピタリティーにちゃんと由来しているのだ、ということも、骨の髄から知っています。
近年、日本では価格破壊やアマチュア礼賛の様な現象が起こり、一流店でさえかなり緩んじゃってるな、っていう印象を受ける場もありましたけれど、踏ん張って揺らがない店はちゃんとあり、そういう店は本当に芯の通った、美味しい物を出してくれます。
そして更に近年、新たな一流の波が来ているのかもと感じます。
色んな意味で自由になった現代、沢山の人たちが学びたい場へ出てゆき、広い世界で多くの経験を積んで、ドメスティックな環境で培われた感性の限界を遥かに超えた感覚を手に入れて帰って来る、そしてそういう人たちが、また美味しい物を創り始めたのです。
西荻窪のトラットリア 29 (ヴェンティノーヴェ)の噂は、いつも西荻を愛する友達から聞かされていましたが、先日女子会で訪れ、いやーぶったまげました!!
イタリアでの放浪的修行の末にこの店を開いたというシェフの創るお料理の数々は、本格的、という器には納まりません。
本格的、という言葉は、本格、という主役が別にあって、そこに限りなく近いとか、そのレベルを凌駕する、という印象がどうしてもありますが、29の料理は、それ自体が、まさに本格なのです。
イタリアの風土が生み出す本当の、風土の味とプレゼンテーションなのです。
どうやれば日本の素材で、こんな食べ物が作れるの、と驚きます。
私は今まで、それなりに一流に美味しいかもしれないれども、欧米の味を再現しない日本の欧米レストランについて、これはもう、水や素材が原因で起こるどうしようもない個性で、仕方が無いのかもしれない、と思っていたのですが、29に行ってその考えは変わりました。
シェフが、日本のドメスティックな魂に留まっていなければ、日本の素材で、本当のイタリアの味を創ることは可能なのだ、と感じたのです。
そしてこれは多分、既存のイタリアのイタリア料理、という物とも違うんだと思います。
これは29の生み出すオリジナルな、本質的イタリアンなのです。
二次的な味なのではなく、29そのものに、源流があるのです。
私はこういう、究極的なオリジナリティを持つものにだけは、本当に気持ちよく思い切り尊敬を抱ける性質なので、29では思い切り心が解放された、と感じました。本当に、久しぶりに。
当日食べたお料理の写真を載せました。
最も素晴らしかったのは、二番目に載せた、36ヶ月熟成させたなんとも言えないバランスを持ったパルミジャーノのクロスティー二。
それからこの店では、お肉を本当に美味しく調理してくれます。バターチキンが絶品。そして、ウサギとアーティチョークのフリットも最高。
西荻窪29/トラットリア・ヴェンティノーヴェ 、自分がふらふら脇道に逸れそうになったらまた行って、がつんと魂叩き直してもらおうっと。
本物の料理人の味で。
2014年3月21日金曜日
おみせやさん
多分子供の頃、お店屋さんになりたいと言ったことが何回かあったと思う。
それは、素敵な物のたくさん並んでいる店頭を見て、これが全部自分のだったらどんなに嬉しいかしら、なんて思ったのが発端だったにちがいない。
今は大きくなりましたから、そんな脳天気なことは考えない。お店をやるのは大変なのである、とちゃんと知っている。棚の上に並んでいる素敵な物たちは、決して魔法のように空気から湧き出て来たわけではなく、お金を払って仕入れているのであり、その仕入れ価格が、売値と殆ど変わらないという現実も、実は今回初めて学んだ。
友人が閉めたお店の品を、明日ニヒル牛の協力で売る。
その過程の中で、仕入れ値はこうで売値はこうでした、っていうメールを何度かもらって、その薄利ぶりに、思わず気が遠くなったのである。
キビシーッ!! 笑。
しかしながら。
もう友人はお店を閉めた。
残った品物は被災地に寄付すると言う。
既に、素敵なバスマットを友人から受け取った被災地の方々から、滑らなくて使い勝手が良く、色もきれいで明るい気持ちになれる、というメッセージが届いたという。
友人は、仕入れた商品でお金を儲けることを放棄した。
ただ、まだまだ大量に残っている段ボールの山に詰まった品々を、誰にとってもwinwinな形で処分したい、と思っている。
そして私は、それを手伝うことにした。
だって私は、おみせやさんになりたかったことがあるから。
友人がお金を出して仕入れた品々/私がじゃなくてーつまりそれは、私にとっては、まさに魔法の様に空気から湧いて出て来たようなものだ。
更に友人の仕入れた品々は、私が普段からこだわっている、エコでビオでフェアトレードな物ばかりだ。これは私の気持ちにも添う。
楽しい。
まずは私にとって、この遊びはwinだ。
そして明日沢山売れれば、場所を貸してくれるボンビーなアーティストに、家賃の足しをいくらか渡す事が出来る。もしそうなったら、そのアーティストにとってもwinだ。
被災地へ品物を送る送料も捻出できて、友人にとってもwinだ。
そして、やや消費期限を過ぎているとはいえ、ソネットの素晴らしい石鹸や洗剤を、格安で手に入れられれば、お客さんにとってもwinだ。
一番winじゃないのは、色々めんどうなことを買って出てくれたニヒル牛かもしれないけれど、それもなんとかwinに出来るよう、がんばろうと思います。
エコマーケット@西荻ニヒル牛2の隣、は明日13時から。
お釣りもレジ袋も用意していかないから、小銭と袋持参で、遊びにいらしてくださいね。
上の写真は、明日並べる品の一部。
イギリスnkuku (ヌクク)の、マグカップとか小さなお皿とかカフェオレボールです。
2014年3月16日日曜日
3/22にecoな大安売りを開催します。
3月22日土曜日に、あの、様々なテレビや雑誌で取り上げられまくった挙げ句の果てに、日経新聞などというお固いメディアに、店長の顔写真入りでデカデカと紹介されてしまった問題の、じゃなくて話題のアート雑貨店、『ニヒル牛』2の隣にて、素敵なエコ雑貨の大安売り大会をすることになりました。
事情があってお店を閉めた友人が、仕入れたままになっている商品を東北の被災地に寄付しているんですが、寄付するにも送料がかかるしっていうんで、いくらかでも売って送料分くらいは稼ごうじゃないか、ということが発端で、ニヒル牛の協力の下に開催することになった、あきれる程に利益まったく度外視の、掟破りの大安売りマーケットです。
ですのでぶっちゃけ、ものすごく安いです。目玉は写真上、ドイツソネット 社 のエコ石鹸やエコ洗剤各種。定価1,000円ほどのボディシャンプーや食器用洗剤のボトルなんかをなんと200円で販売しちゃおうってんだからさあテイヘンだ!でもまあ、安いには安いなりの事情もあって、ちょっぴり消費期限切れだったりもするんですが、そういう細けぇことは気にしないっていうそこの江戸っ子!絶対お得なので買いに来た方がいいに決まってるってんでい。
他にもピープルツリーやその他フェアトレード製品のニットやレース製品、雑貨、なんとも可愛い薔薇のキャップの歯ブラシ(吸盤付き)なんかも、仕入れ値以下の値段で売る予定。
地球に優しい製品は、値段が高くてオレには優しくねえんだよ、と日頃からお嘆きのあなた。是非この機会に、エコな洗剤をいっぱい買い込んで、自然派生活を満喫してみませんか。
マーケットの開催時間は、午後1時から午後6時半くらいまで。
どうぞお見逃し無く!!
場所:ニヒル牛2の隣
JR西荻窪から徒歩10分くらい。
tel:03-6765-2286
開催日:3月22日(土)13時〜
売り場が表に面しているそうなので、雨天決行かどうかは店主と相談します。テヘペロ。
2014年3月12日水曜日
天使の声
3年前の311の時、私は朝からずっと怖くてたまらなかった。
あの災害が起こる三週間前くらいから私は、得体の知れない怖さに毎日苛まれていて、鬱病になっちゃったんじゃないかとさえ思ったくらいだった。
夢見も悪くて、数々の印象的な夢を見た。
神社の後ろから押し寄せて来る大波と、バルブがはずれて爆発する、何か大きなエネルギー。
これらは、311が起こる前からブログに書いていたので、読んでくださった方も沢山いらっしゃるかと思います。
とにかく3/11の日も、朝から怖くて怖くて落ち着かなかった私は、珍しくひとりで部屋にいるのがいたたまれずに外出して、そして帰宅難民となったのである。
いつもは野生の勘が働いて、自分の不利になることにはめったに近づかない私ですが、あの時は多分、沈む舟から狂ったように海に飛び込むネズミみたいになっていたんだと思います。
外出先の街で地震にあった後、情報を得ようと私のiPadの周りに集まった人たちの中に、偶然にも私と同じ街に住むご婦人のグループがいらして、私をタクシーの相乗りに誘ってくれた。しかし私は躊躇して思いとどまった。次には若いOLさん風の女性が、帰れなくなりますよ、一緒にユースホステルに行きましょう、と、偶然目の前にあったユースホステルに誘ってくれた。しかしこれにも私は躊躇して断り、あの時の体験とすれば最も最悪の道へと、一直線に歩んで行ったのである。
あの時、あの段階でタクシーやユースホステルを選んでいれば、その後の不安で過酷な時間を過ごさなくても済んだんだと思う。今思えば、ご婦人グループもあのOLさんも、奇跡みたいなタイミングで私の前に現れてくれた、天使の使いみたいな存在だったのである。
とは言え帰宅難民体験は、その後の私の心情や成長に大きくプラスに働いたから、結果的には最善の体験を選んだなとも思うのだけど、運命は決して、その道を行けと強制はしていなかった。二回も助け舟を差し出し、楽な道への選択権をあからさまに提示してくれたのである。
こういうことが、きっと人生には数限りなく起こっているのだろうね。
どっちを選ぶ?っていうやつがね。
まあそれはそれとして。
過酷な体験、と言えばいつも思い出すのが、『夜と霧』という本のことです。
そう、あの、アウシュビッツ収容所のことを、自分の体験を元にユダヤ人の心理学者が綴ったヘヴィな本。
いや、ヘヴィ、という印象があるけれど、実は大変美しい本なのです。
あの収容所でのユダヤの方達の体験は軽々しく口にできるような物では決して無いけれど、何を選ぶか、というテーマにおいて、非常に明確な答えが書かれている本だと思うのです。
私はあの本の中で著者が、自分の中にある奢りやエゴの動きを謙虚に観察しながら、深い愛情を持った観察眼で、仲間である収容者たちの姿を見守る姿勢に、大きな感銘を受けました。彼にとってあの収容所での体験は、非情な運命の犠牲者としてのものではなく、自分に与えられたある特異な体験、以上のなにものでも無いのです。
もちろん、大変辛い目には遭っているのですが、収容者も自分もナチの将校達も、彼からすれば全て観察の対象で、深い視点で物事の流れを見守りながら、どこに心をフォーカスすれば生き残れるのかを、彼はじっくりと探り出してゆくのです。
あの本の中には人間の精神と運命の流れの繫がりをひもとく、興味深い現実がいくつも出てきます。
例えば、多くの収容者たちが、クリスマス休暇の後に感染症にかかってなくなって行った、というような。
これは、収容者の中にいつしか、クリスマスには特別な恩恵が起こって、解放されるとか恩赦がくだされるというような噂が蔓延し、一旦大きな希望の灯が広がったのだけれど、結局のところは何も特別な事は起こらなかった為、希望を失った彼らが気力を失い、免疫力が弱まって一気に衰弱していった、ということなのだそうです。
著者はと言うと、彼は何も期待していなかったから、失望もしなかったのです。
もっと言えば、著者は、完全に、彼の身に起こっている現実を受け入れ、その現実に寄り添って生きていたのです。
多くの収容者たちが、その現実を否定し、抵抗し、抗い、自分が収容されているというその、今実際に起こっている現実から逃避し乖離し、受け入れないでいる中で。
あの時ユダヤの人々に起こった出来事は、ユダヤの人々には何の落ち度も無く、全くもって理不尽なことではあったのだけれど、しかしあれは、起こってしまった現実なのです。
誰のせいとか、攻めたり罰を下したりしたい対象が色々あるとは思うけれど、それとは別に、自分の人生に、それが起こっている、という時点でそれはもう、自分の物なのです。
あの本の著者は、その事を実に良くわかっていて、さくっと受け入れた。
そして、自分のものさと受け入れたその自分の運命を信じて、行き延びる道を選んで行ったのです。
これはまず、受け入れないと、出来ない事だと思います。
人生がいつまでも誰かからの押し売りで、こんなの自分のものじゃない、と思っている限りは、自分でそのハンドルは握れないのですから。
そして彼は、あの、何が起こっても不思議ではない極限状態の環境の中にあって、まるで先が読めているかのように着実に有利な駒を進めてゆき、最終的には釈放されるのです。
私の帰宅難民体験なんて、彼の体験からすれば本当に些細な物ですが、実際には私もあの時、体験に飛び込む、という心境にありました。だから、早い時期に現れた助け舟には乗らずにいたんだな、と自分を振り返ります。
しかし徐々にもう限界を感じ始め、かくまってくれていたおまんじゅうカフェさんもそろそろ閉店したいだろうからと、本当に救われたいと思い始めた矢先に、当時の漫画の担当さんという三番目の太い蜘蛛の糸が現れ、私はその糸をようやく握って、救い出されたのでした。
帰宅難民の体験を未だに勲章にしているようなあまちゃんな私からは何も言えないけれど、収容所から生き延びた、あの著者の体験なら、どんなに過酷な目に、今さらされている人にも、響くのではと思います。
どんな経験も、地球で生きる短い時間の中で、自分の体験としてもたらされた、自分の為に仕組まれた、ある種のプログラミングなのだと腹の底から知って、自分は犠牲者である、という気持ちから本当に抜け出られた時に、きっと人生は、何らかの出口を用意してくれるはずだと私は思うのです。
腹をくくれ。大丈夫だから。
あの日、三番目の天使に救われた時に心に響いた声がそれだったな、と、思い出されるのです。
ところで、震災の時に仙台に居合わせたアメリカ人の方が、私の知人に出した手紙を当時ブログでシェアしたんですけれど、前のブログは思う所あって一時的に閉めているので、当時の記録の為、ここに再掲します。
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ここ、仙台で起こっている事は、想像以上に非現実的です。でも私には助けてくれる素晴らしい友人がおり、とても恵まれています。
掘立て小屋、というよりはいくらか豪華と言えるくらいの私の家を出て、今は友人の家に滞在させてもらっています。
私達は水や食料、灯油のヒーターといった支給品を分かち合っています。
散らかってしまった部屋を一緒に片付ける日々の中、ひとつの部屋に並んで眠り、キャンドルの光で食事をし、物語を分かち合います。暖かく、友情に溢れ、美しい時間です。
人々は車の中に座って、ナビゲーションスクリーンでニュースを見守ったり、飲み水を調達する為に列に並んだりしています。
もしも誰かの家に水が通じると、その人は皆にそれを知らせ、皆がバケツや水差しを持ってその家を訪れ、満タンにして帰れるように取りはからってくれます。
列では押される事も略奪される事も無く、まったくもって信じがたい程に素晴らしいのです。
人々はまた地震に襲われた時のために、玄関のドアを開け放しているのですが、皆口々にこんな風に言うのです。
「これは本当に、私達がお互いを助け合っていた昔の時代に戻ったみたいだ。」
地震は相変わらず続いています。昨夜は15分おきに起こりました。
サイレンがいつも鳴り響き、ヘリコプターも頻繁に頭上を横切ります。
昨夜は数時間、この家でも水が出て、今は半日、出る様になりました。
電気は午後に通じます。ガスはまだ来ません。
何人かの人々はそれらを得ており、何人かの人々は得ていません。
そして私達のすべてが、体を洗う事が出来ません。
私達は汚れていますが、気にするゆとりはありません。
ですが私はこの、自分自身を覆い隠していた錆を落とす、ピーリングの様な経過を気に入っています。
直感をフルに働かせて生きる、というこの体験、思いやりと、生き残るには何が必要かを、自分だけではなく、グループ全体の為に、感覚を研ぎすまして感知しなければならない、というこの感覚を。
奇妙な平行世界が起こっています。
家は混乱し、だけど太陽の光の下で布団や洗濯物を干します。人々は食べ物と飲み物の為に列を作る一方で、犬と散歩したりもします。全ての出来事が同時に起こっているのです。
それから思いがけず感動的で美しかったのは、夜の静けさでした。
車が無く、道に人もいません。満点の星空がまるで天国の様で、いつもはふたつくらいしか見えない星が、今はとにかく空に満ちているのです。
凍てついた空気の中で、夜の空に浮かぶ鋭い仙台の山々のシルエットは、まさに壮麗です。
そして日本人。彼らは本当に、素晴らしいのです!
私は毎日、確認の為に自分の掘立て小屋に戻っていて、たまたま電気が通じていたのでこのメールを書いているのですが、今、食料と飲み物が、家の入り口に置いてある事に気付きました。
誰が置いてくれたのかはわかりません。緑色の帽子をかぶった年老いた男性が、皆が大丈夫かどうか、いつも見回ってくれています。
なにか助けが必要な時、皆まったくの赤の他人にそれを頼んだりしています。恐れている様子など、微塵もみとめられません。あきらめはあります。でも、恐れやパニックはここには無いのです。
彼らは、別の月か、いつかに起こるかもしれない余震、あるいはもっと他の大地震の可能性も予期しています。
今でも私達は、コンスタントに弱い地震を体験し、うねりや揺れや地鳴りを体験しています。
もっと悲惨な影響を受けた仙台の一部があったにも関わらず、私がこの場所にいられた事を祝福と感じています。
今の所、ここはマシですし、友人の夫が田舎から戻ってきて、食料と水を持ってきてくれました。またも祝福されました。
どういうわけか、こんな時に私は、まさになにか膨大な、宇宙的な進化のステップが起こっているのでは、という強い印象を持ちました。そしてやはりどういうわけか、私は現在日本でこの体験をしている事で、今までに無い程、自分の心が大きく開かれた、と感じています。
私の弟が、こういった出来事に遭遇すると、自分がとてもちっぽけな存在だと感じるんじゃない?と聞いてきました。ですが私は、そうは感じていません。私はむしろ、自分自身が、自分よりも遥かに大きな何かの一部であると、感じ始めています。
この世界的な産みの苦しみのステップは過酷ですが、しかしそれでも、壮麗なのです。
ご心配ありがとう。
皆さん全員に、愛を込めて。
ジョン・バーリング
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2014年3月6日木曜日
鳥がくれた音楽
先日ペリカンの嘴の先っちょに小さなカメラをつけて、その飛ぶ様子をペリカン目線で納めためた素敵な映像を観た。
カメラは常に、飛ぶペリカンの様子を詳細に納めていて素晴らしかった。だけどひとつだけ、残念ながら映像いっぱいにべったりと音楽が張り巡らされ、ペリカンの息づかいや羽のきしむ音等は一切消えてしまっていた。
コロラドにいる時、早朝の庭でくつろいでいると、いつも同じ時間にカナディアン・ギースの群れが頭の上を通り過ぎる。
飛ぶ高さが低目だと、その息づかいやギシギシときしる羽の音まで聞こえて、なんとも荘厳な気分に包まれるのだ。
だから私は、いつもは動物や自然の映像に音楽をのせられるのが、とても苦手なのである。
しかしながら、このBirds On The Wiresはまた、全く別のユニークなドキュメンタリーで、こんな音楽なら大歓迎だ。
これは、作曲者が朝目を覚ました時に窓の外を見たら、電線に鳥がいっぱいとまっていて、それをまんま音楽にしたんだそうだ。
かわいいメロディーだよね。
自然界は、黄金比で出来上がっている。
鳥や動物達の動きも、この宇宙の比率に準じているのかもしれない。
そんな動きに合わせて音楽を創ると、面白い発見があるのかもね。
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