2014年4月7日月曜日

Law and Order (ネタばれ付き)

"Law and Order"(ニューヨーク編)を観始めたのは、マリスカ・ハガテーがヒロインを演じているという、些細でおバカな理由からです。

私の大好きな"ラブ・ グル"というコメディ映画の中で、モテたい為にグル/精神修行指導者となったマイケル・マイヤー演じる聖者もどきが、「マリスカ・ハガテー」というアメリカ人にとってもエキゾティックな名前の響きを、とっさにマントラとして使い始めたというエピが気に入っていて、その時には知らなかった件の女優さんが、凛々しい女刑事役で出演されているのを知って、そのドラマを観たのがきっかけなのです。

だから最初の頃その女優さんを観る度に、胡散臭い宗教指導者のマイヤーが両手を合わせておごそかに、「マリスカハガテー」と唱え、信者達がそれをうやうやしく唱和する姿が重なって可笑しくてたまらなかったのですが、今はすっかりドラマの内容にハマり、ある意味私はマイヤー演じるキュートな偽グルの、マインドコントロールにハマったのでした。

"Law and Order"の話の前にちょこっとこのマリスカ・ハガテー マントラ論を話したいので脱線します。映画"ラブ・グル"の中でマイヤーは典型的なアメリカの俗物で、エキゾティックな神秘性、いわゆる彼が表面的に感じているグルのモテる要素のひとつを、全く所有していません。その彼がなんとか自分にカリスマ教祖という張り子の虎をかぶせる為に使ったのが、このマリスカ・ハガテーというテレビドラマの女優さんの名前だというところが、大変スパイシーでうまいなと思うのです。
しかもそのことによってこの映画は、世間によくいるステレオタイプなスピリチュアル・ティーチャーのことも、俗物として容赦なく切り捨てており、それがまた痛快なのです。

ま、"ラブ・グル"の話はまた今度。


そんな不純な動機で観始めたこの" Law and Order"が、最近素晴らしくて感動しきりなのです。このドラマは犯罪捜査の刑事物ですが、1話の中で話が二層三層と深まってゆき、最初の事件なんてもうどうでもよくなっちゃう、という展開がパターンで、そのようにエピが二層三層と深まるにつれ話も深まってゆき、最後は深い感動を与えてくれることが、多々あります。

あるエピについて、ここでオチバレも含めた感想を書きますので、Law and Orderを観ている方は、ここから読むのを止めた方がいいかもしれません。ーーーー>


最近特に感動したのが、小児性愛者の医者を扱ったエピでした。

ある医者が患者である少年達に診察室で性的な悪戯をしているのが発覚して起訴されますが、裁判中にこの医者が、何者かに惨殺されてしまいます。

物語は変質者への裁判から、その変質者を殺した犯人探しにシフトし、使用された銃弾から、ひとりの地位ある家族の父親に容疑が向かいます。
この父には成人した知的障害を持つ息子がいるのですが、取調中にこの息子もまた、件の医者の被害者であったことがわかってきたからです。

ところが。

この青年が被害を両親にひた隠しにしていたことがわかり、父親の動機は覆され、取調中に、普段の柔和で愛くるしい態度を一変させ、自分にへんなことをした変態医師への激しい憤怒と攻撃性を見せたこの知的障害を持つ青年が実は、父親の銃を持ち出して医師を殺したことが判明し、今度は裁判が、この青年を対象にしたものへとシフトしてゆきます。


Law and Orderは基本的に検事側の立場に立って描かれているドラマです。
陪審員制度でいかに犯人を有罪に導くのが難しいかを、このドラマでは何度も語られ、今回のこのエピでも、主人公側の検事が激しい情熱を傾けて、この情状酌量の可能性と責任能力無しと判断されそうな青年を、なんとか実刑に追い込もうと奔走しますが、ある時点でハタと、それが人道的に正しいことなのかどうか、ということを考え始めます。

そしてこの検事は、この青年の責任能力が正確にはどの程度なのかを、専門家を投じて詳細に探求してゆく中で、また裁判中のこの青年の態度等から、この青年が、何故知的障害を負っているのか、という本当の原因に行き当たるのです。

なんとこの青年の知的障害は生まれついてのものではなく、子供の頃に遊んだミニカーの塗装に使われていたペンキに含まれていた鉛による、鉛中毒が原因だったということが、明らかになるのです。

青年が子供だった頃には、アメリカでは鉛の害が既に判明していた為、口に含んだりなめたりされがちな子供のおもちゃには、鉛を含有したペンキを使用することが禁じられていたにも関わらず、この青年が今でも大事に持っていたミニカーのペイントには鉛が入っており、脳のスキャンによってこの青年の脳が、鉛中毒により著しく損傷していることも、発見されました。

ここで裁判の行方はなんと、コスト削減のために不正にこのおもちゃを作り販売していた、大手の玩具会社のトップが対象になってゆくのです。

青年の脳の損傷が証明されたことで陪審員はこの青年を無罪とし、大手の玩具会社の社長は、この青年が一生食べるに困らない保証金を支払うことを約束し、また物語は、始めの頃にほんの微かにしか描かれていなかった、この青年の父親の持つ、息子への微かな苛立ちまで救い上げてゆきます。

物語の最後には、完璧な子供が欲しかったのに息子は知的障害者だ、という父親の悲しい苛立ちがクローズアップされますが、毒のあるおもちゃを自らが誤って息子に与えてしまったこと、また医師からの猥褻な行為にずっと気付いてあげられなかった自分の愚かさなどと一気に対峙することになったこの父親が、それによって最後は息子への深い愛情を無条件に取り戻すという、大変感動的な結末が待っていたのでした。


いやー。

毎回ここまで掘り下げられた話が、ほんの一時間のTVドラマで描かれるのですから、実に贅沢な話です。

非情に成熟した正義の感覚を持っていないと、中々出来る物ではありません。

そして法に関わる人に関わらず、多くの現場で働くプロフェッショナル達が、みんなここまでの献身と洞察力で物事を行っていたら、さぞかし納得のいく世界が出来上がるのだろうなと、思わずにはいられません。

サンキューLaw and Order  NY 。

マリスカハガテー。

2014年4月5日土曜日

ミルクゴッドからの託宣

皆さんは、ミルクゴッドという神様を知っていますか?

私はテレビをあまり観ないので知らなかったのですが、東京都知事選の時に、がんばって色々やっていた友人が結果に落胆した時、web上のミルクゴッド様とやらがなにやら胸をすく一言を投じていたようで、ツイッター上ですっかり興奮していて、それで初めてミルクゴッド様の存在を知りました。

ミルクゴッド様の都知事選に関する胸をすく一言というものは私はwebでは確認できなかったしまあそれはいいんですが、ミルクゴッド様はかわいいので知る事が出来てよかったです。

で、まあそれ以来、自分の中に新しい価値観などが芽生えると、ミルクゴッド様からのご託宣だ、と言ったりしているのですが、最近私に、結構きっぱりとしたご託宣が降りましたのでここに書いておきたいと思います。


ちょっとラディカルな心理学やスピリチュアリティの世界では、人生に起こることの全ては自分の心の反映だ、的な考え方があります。
人生に敵はいない、全ては自分の内面の反映であり、内面を変える事で人生は変容しますよ〜、みたいな。

私が勉強しているコロラドの学校でも、より科学的な領域からこれを検証していて、要するに脳の90%以上が形成される三歳までの経験によって脳に刻まれた学習パターンや価値観が、人生に起こる出来事や人格のパターンの形成に深く関わっている、というものです。

このパターンは個性と間違われがちですが、あくまでも後天的な、言わば癖とも呼べるような要素なので、正しいやり方をすればあっけなく取れるものであり、うちの学校では脳科学や理学療法の領域で完全にプロフェッショナルである教師が、安全なやり方でそれを掘り下げ取り去る方法や理念を教えているわけです。

が。


時々ツイッターなどでRTされてくるスピリチュアルなお言葉みたいな物や、最近本屋に沢山並んでいるちょっとお軽そうな自己啓発本の中にも、"不快な出来事や人物を敵として受け止めず、あくまでも自分の内部にその原因が眠っている"という考え、"外部に敵がいるわけではない、嫌な出来事は内部にある問題を探るヒントやきっかけとして受け止めよう"という高潔な要請も度々見受けられ、またこれには私も賛成で、実際にそういった検証を長年学校でもやってきているわけですし、ツイッターで流れてくるほどまでに一般的に浸透しているのは、いいことだとも思います。


しかしながら。


科学や心理学が宗教と違うのは、そこにいつでも例外を認める、科学的な観察眼がつきまとう、という部分です。

例外を認めるきちんとした識別能力と洞察力が自分に備わっていなければ、こうした理念は時に理念として暴走してしまい、人間の根本的な生命力が自分に下す正しい反応への気付きを、時に鈍らせてしまいます。

だからああいった考え方が、一般に広く行き渡ることに、ある種の懸念を感じることもあります。
そもそも責任感の強い良識のある人物が、人生に起こる悪い事全ては自分に原因があるんだよ、と大雑把に言われたら、どう感じるでしょうか。

例外、というものを正しいバランスで洞察できるまでその知識や心を研磨しない限り、世の中鵜呑みにすべきではないことだらけなのではないでしょうか。


というわけで。

つい最近、しばし自分にとってグレーゾーンとして保留しておいた事例に、例外として扱ってよし、という、ミルクゴッド様からの託宣が降りました。

これは、80年代くらいにアメリカでばっと有名になった人格障害の一種である、「サイコパス」と呼ばれる社会性人格障害に関わる事例です。

25人にひとりいる、というこのタイプの人格障害は、特に社会的な機能をあからさまに失っているわけではないので判断がつきにくく、ましてや軽々しく自分の周りに居る人間を、これだと決めつけるようなことはすべきではありません。

しかし、こういったタイプの人物からもたらされるネガティビティに関しては、自分の内部にあるパターンが原因ではと掘り下げる価値はありません。
もちろん、そうした被害からでも掘り下げられる何かはあるのですが、だからといってその相手を「敵として位置づけない」、という判断は、事態を悪化させる可能性だってあるのです。

普通に善良な人たちは、自分の良心から何かを判断する、ということを無意識に行っています。だからこういったタイプの、隠微な攻撃性を持つ人物からのあてこすりや嫌みや、計算高く密かに行われる略奪やコントロールや侵略の気配に日常で遭遇すると、そこになんらかの違和感や不快感を感じながらも、「こんな風に感じる自分が悪い」なんて考えがちです。

ましてや、本屋に並んでいるお軽い啓発本によって、「ネガティブな出来事は自分の中にある何かを教えてくれているんだわ、この人が悪いんじゃない、私のネガティブな思い込みが、この人の行為を不愉快なものだと感じさせているのよ、私はこの人を、否定したり拒絶したりするべきではない(お花畑)。」なんていう考え方が自分の心に浸透している場合は、特にです。

深く心理学を学んでいない人たちにとって、ここで識別力を公使するなんていうことは不可能に近いとも思うのですが、幸いにも私たち人間には、不快感を感じる、センサーがあります。

不快感を感じる自分を、きちんと認めましょう。

そしてどうしてもイヤならば、正当な言い訳や説明が無くても、誰かや出来事を完全に拒絶してもいいケースがあることを、知っておくべきです。

誰かのせいにしても、いいケースがあるのです。
誰かを敵として位置づけても、いいケースがあるのです。

ミルクゴッド様は、しばらく私の中にあった、この部分の判断に、最近激しく決着をつけてくれました。それによって接触するたびにこちらを不快にするような人物を、心の中から完全に断捨離することが出来たのです。
その人物の価値を根こそぎ自分の心から追い出し、無価値化することに成功したわけです。

上記に上げたサイコパス的人格障害者は、ターゲットにした相手の仕事などを滅多に褒めない、または隠微に否定、批判する、という方法で相手を無価値化し無力化するやり方を好むそうなので、こちらは呪い返しのようなことをやったに過ぎません。
しかも、サイコパスが相手を無価値化するのは驚異を感じる相手への恐れからですが、こちらにとってはそんな失礼な人は完全に無価値なんですから、もういないも同然ですね。

時にはこのくらいのはっきりとした強さで、自分にとって不愉快だと感じる環境や人物を、否定してもいいのです。
しかしこのケースの場合は、徒労に終わるであろう喧嘩を避ける為に、あくまで相手に面と向かってきっぱり宣言するのではなく、隠微な方法でじと、っと卑怯に、相手を心の中から追い出しましょう笑。


ところで今回の内容は、常にすべてを誰かや何かのせいにしている人向けではなく、あくまでも上記に記したような、基本的には外部を敵と位置づけない、高潔な判断の癖が自分に根っからついている、私の様に素晴らしい人物向けの物ですので、それを最後に付け加えておきます。