2014年5月31日土曜日

天才画家の教え(笑


先日、今アメリカで話題になっている天才少女画家のインタビューを観ました。

彼女は物心ついた時から絵を描き始め、全くトレーニングを受けていないにも関わらず、幼少期からレンブラントやドラクロア並のデッサン力を持ち、かなり高度な写実画を描きます。

分類すればラファエル前派的な、綿密な写実+幻想的な味付け、っていう感じの画風で、好き嫌いは分かれるとは思うものの、画力がすごい、ということだけは決定的に確かな作風です。

彼女は対象をスケッチするのではなく、全く何も見ないで、ただ自分の中にあるイメージをキャンバスに写すだけなのですが、特に人物画のリアリティに関しては、瞳の中の光に至るまで真に迫るようなリアリティで、ただ感嘆してしまいます。

この写真はネット上で勝手に持ってきちゃったんですぐに削除しなきゃならないかもですが、彼女が12才の時に描いた"宇宙の仕組み"だかなんだかの世界で、実際の宇宙物理学者が、何故これを知ってるんだ、と驚いたくらい、正確に描写しているんだそうです。

彼女は絵の才能があるばかりでなく大変高潔な価値観を持ち、まだほんの子供なのにも関わらず、素晴らしいことを沢山しゃべります。既に高額な値段のついている自分の絵画の売り上げは、殆ど困窮している世界の子供達の為に使い、なんでかっていうと、その為に描いているから、としゃらっと語ったりします。
時代が時代ならセイントという類として、ヴァチカンが認定してもいいくらいです。もしかしたら、今後そういうこともあるかもしれません。

こんないい大人の私でさえ彼女のドキュメンタリーを観て、様々なレベルでリラックスすることが出来ました。なんでかって言うと彼女がすごく自由で、その自由さが、私の自由さを完全肯定してくれたからです。

画力という点では感嘆に値するに申し分無く文句のつけようも無いのですが、私が最も感心したのは、実は彼女の両親の態度でした。

インタビューではまだ年若い彼女の両親も登場するのですが、彼女がごく幼少の頃から、4日間くらいは全く物を食べないということが、頻繁にあった、というのです。

それをこの両親は、そのままにしておくことを、許していたのです。

4日間くらい何も食べず、それから時々果物や野菜を少量食べ、それだけで彼女は健康な少女に成長しているわけですが、それを彼女に許していた両親がすげえ!!と私は思ったのです。

彼女は今でも殆ど物を食べず、食べても野菜と果物だけ。動物性の物は一切口にしないと言いますが、彼女の両親は、インタビューでも言っていますが、ごくごく普通の、大変平凡なふつう〜の人間なのだそうです。
彼女は、天国や天使の絵等も多く描くのですが、そういったキリスト教的世界観の話を彼女にしたことも、一切無い、と言います。

つまりこの両親は、特に宗教や精神世界に心酔するようなタイプではない、ごく一般的な、お肉にもジャンクなスナックにも抵抗を示さない、普通の健康的な、平均的アメリカ人だ、ということです。

今では娘の影響を受けてベジタリアンとなったり彼女のチャリティーに協力したりと、色々と清々しいサポートをしているのですが、彼女がまだ幼少の時、つまりまだ野の物とも山の物ともつかない時代から、彼女の特異性に気付きそれをずっと尊重していたなんて、本当に素晴らしいなと思います。

物を食べない、という感覚が、私にもよくわかるのです。

私も物を食べない子供だったからです。

しかし私の親は、ごく一般的な親同様、食べない子供を心配し心を痛めるタイプでしたから、私はある時から、親に心配をかけまいとして食べ始めたのです。
今では食べる事をすっごく楽しんでいるのでまあそれはいいんですが、私が彼女のインタビューを観て真っ先に思い出したのは、そのことでした。

私は今行っているアメリカの学校で、後天的な脳への刷り込みが如何に人間の、生来の自由さや能力を奪っているか、という勉強を沢山しているので、この少女の両親が、彼女の「食べない」を尊重した結果に、改めて感嘆してしまったのです。

様々な思い込みさえ無ければ、もしかしたら人間て、今とは全く違う生き物なのかも。
と改めて感じさせてくれるインタビューで、とても面白かったです。

人間社会には、後天的に作られた掟が、多数存在します。

例えばある宗教は同性愛を認めていませんが、それって、何が根拠になっているのか。

同性愛を指示する友人が、「同性愛を許すと出生率が減って人類が滅亡するじゃないか」的抵抗を受けて、それってまるで、鳥にウサギを見せるとウサギになっちゃうから大変、みたいな突拍子もない発想だよね、と語っていましたが、このようにある種の人間が、同じ種の中における単なる違いを、そんなパラノイドな脅威として受け取ってしまう傾向があることにも、実際驚かされます。

このような、既に限界意識を後天的に刷り込まれた人間による、限界意識に満ちた価値観によって"異端"とみなされた存在が実は、より自然な生命体としての人間なのかもしれないという可能性だってあると思うのです。

私は、学校でそういう事を勉強しているからと言って、人類全体が後天的な刷り込みなるものから自由になればいいのに、とか思っているわけではありません。

ただ、人間が、人間の多様性に、もっと自然に心を開けばいいのに、とは思います。

まあ、多様性に心を開いている人間は、他の人の価値観なんてあまり気にならないのでいいんですが、ただこの少女みたいな自由を、誰もがすんなりと赤ん坊の頃から手に出来るわけではない、という点が、ちょっとひっかかるんですよね。

自分の経験上、子供という物は親が思う以上に早熟で、親を思いやるあまり自分を曲げるっていうことを、結構してしまうものだからです。

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