2014年7月31日木曜日
キャラクタロロジー
犯罪心理学を扱うアメリカのドラマ”クリミナル・マインド”は、訓練された精鋭集団BAUが、プロファイルによって犯人をつきとめてゆく、知的な犯罪ドラマです。
私は昔、こういったタイプの漫画を描く人になりたいという野望を持っていたので、今でも好んでこういうものを楽しく観ているのです。
しかしながら先日、SNSに絡んだ犯罪を扱うストーリーの中で、Twitterについて、誰もが誰かに見ていて欲しいからこういうものが流行るんだ、という言及があり、それはあまりにも浅はかな分析なんじゃね?と、BAUの褐色のプリンスに突っ込みを入れたくなりました。
さっきTwitterでも書いたのですが、誰もが自分の行動を人に見てもらいたくてブログやTwitterをやっているわけではなく、例えば私の場合は、瞬間瞬間の記録しておきたいと感じる思考や体験中の出来事を、カメラに撮るように文章に納めているのであり、そこに鑑賞者がいることで、例えばそれが友達ならば、誤解を生まないようにとか、そういったある種の緊張が加わることで、その記録自体を、ある程度正確で、後に読んでも役に立つようなクオリティを保てる、ということのツールとして、Twitterは優れていると思っているから、使っているのです。
だから実際に誰かが読んでくれているという現実は割と二の次で、褐色のプリンスが言う様に、見て見て、これがボクちんの毎日だよ!!というような感覚は、皆無に近いわけです。
しかしここで、最近の"クリミナル・マインド”で扱う事件の内容が、非情にこの、ナルシシズムを扱った物が多くて、私はややゲンナリしている、という事実を思い出しました。
私がこのドラマを楽しめるのは、そもそもリアリティがあるからなのですが、最近の内容はあまりにも犯罪の動機がバカバカしく、そんな動機で事件を起こす人がいるんかい!と番組全体に突っ込みを入れたくなる気分満載になることしきりなのです。
最近観た物では、犯人達がカラフルで個性的な仮面をつけて銀行強盗をする中、犯人グループの紅一点の美女が残酷に嬉しそうに人質を殺してゆくのですが、この犯罪の動機が全く単純に、自分に注目を集めたい、自分の人生を彩りたい、という、極めて極端なナルシシズムが動機だったわけなのです。
前後編にまたがって描かれたこのストーリーのこの呆れた結末を最後に見せられた私は、クリミナルマインドどうかしちゃったんじゃないのか、と思い、なんだかそれ以降あんまり楽しめなくなってしまったわけなのです。
ヨーロッパの精神分析医であり、幼児の発達心理学の第一人者であるマーガレット・マーラーが、三歳までの脳の段階的な発達に応じて適切な心理的サポートを得られないと、人はその脳の発達に応じた、生涯に関わるトラウマを負うと言っているのですが、このキャラクタロロジーという理念には、脳の発達の段階ごとに、トラウマによって生じた性質のパターンを振り分ける為の、名前がついています。
ナルシシズムはその内のひとつで、平たく言えば親の注目や賛辞を十分に得られなかったという心の傷が原因になっているのですが、私が今行っているコロラドの学校で、このキャラクタロロジーは、もしかしたら国別の性質を語っている可能性もあるのでは、という話題になったことがあります。
その時私たちは、アメリカがまさにこのナルシシズムのキャラクター分類に入る、つまりそのトラウマを抱える人が多いのでは、という話をしました。
ナルシシズムの中にはヒーロー願望の様な物も多分に含まれ、言わば人助けをする動機がナルシシズムだったりもするわけで、人助けの動機になるんだったらトラウマもナルシシズムもいいんじゃない?と思われがちですが、ナルシシズムは自己愛性人格障害と言われるだけに、うまく行ってる間はいいのですが、例えば自分の理想を覆す様な出来事が起こった場合、例えば自分は誰にも慕われる優秀なカリスマ医師だ、という自覚があり、実際に多くの患者から感謝と賛辞を得ている間はいいのですが、なんらかのつまづきがあってある患者がその医師の理想の自己像を壊す様な事をした時なんかに、非情に冷酷な方法で仕返しをしたりするのです。
ナルシシズムの人は、その冷酷で利己的なやり方が他者を驚愕させるほどである、という自覚も持たない為、あの素晴らしい先生がいきなりこんな事を!?と誰もが驚く様なあからさまに異様な仕打ちや犯罪ぎりぎりの裏切り行為を突然平気でやってのけ、ですのでもちろん罪悪感もありません。
それどころか批難されれば、自分の自由で正直で革新的なやり方についてこられないあの人は所詮凡人、みたいな解釈で他者をダウングレードし、自分の非から目をそらし続けたりもするのです。
こういった危険性を秘めているからこそ人格障害と呼ばれる所以なのであり、人助けするならいいんじゃね?とか言ってる場合じゃないわけです。
そしてもしかしたらアメリカ社会には、現実にこういったタイプの犯罪が多いのかもしれません。
そうなってくれば、最近のクリミナル・マインドの扱う事例は当のアメリカ人にとってはとても説得力があり、リアリティがある案件だ、ということになります。
Twitterを、自分に注目を集める為に行う人も多いのかもしれません。
それでいったら、私がBAUの褐色のプリンスに入れた突っ込みは、お国の事情に踏み込んだ、余計なお世話だったのかもしれません。)爆!
ところで、アメリカがナルシシズムなら日本はなんだ、という話に当然なります。
私は日本のメイン・キャラクター・パターンは、俗に”自閉期の傷"と呼ばれている物だと思います。
"自閉期の傷"を持つ人の身体的特徴は、日本のアニメの女の子の立ち姿特有の、膝をやや曲げた内股で、ちょっと肩をすぼめた猫背、という姿なのです。
この傷は生後三ヶ月までの間に、健全な生育の環境に置かれなかった場合に生じるパターンである為、「私は無力な赤ん坊です、怖がらせないでね。」と大人になっても姿勢で訴えているのです。
マッカーサーが終戦後日本に上陸し日本人に接した時に、日本人は赤子同然だ、と感じた所以はここにあるのでは、と私は思います。
胸を張り、ヒーロー然としたナルシシズム特有の堂々たる態度の男が、肩をすぼめ、無力な猫背と内股で歩く人々を見れば、そう感じるのも当然です。
また、ナルシシズムの傷は2才以降に刻まれるパターンですが、自閉期の傷は生後三ヶ月までの間に生じる傷ですから、2歳児を体現している人間VS生後三ヶ月を体現している人間ならば、二歳児の方が自分を大人だと感じるに決まっているのです。実際は両方共、幼児期のトラウマを体現しているに過ぎないのですが。
まあ私はマッカーサーという人をあまり知らないので、彼がナルシシズムを体現している人物なのかどうかはわかりません。もしかしたらそういったトラウマや人格障害の無い、成熟した健康な男性だったかもしれませんから、これは想像の範囲でしかありません。
ところで自閉期の傷を持つ人は、生きる事や存在すること自体への、漫然とした不安や恐怖感を持っています。トラウマを起因にした生存の恐怖によって、実際にはいない敵を想定したり創り上げたりして、脳内世界で誰かと戦ったり自分を正当化したり防衛したりしています。そして現実の世界でどんなに敵を殺しても制圧しても、この恐怖が消える事はありません。
こんなトラウマを抱えた政治家が国のトップになれば、自分自身の抱える個人的な恐怖感にかられて、余計な武力を持つ事で、安心しようとすることになるかもしれませんね。
2014年7月25日金曜日
山頂の音楽祭
私が先日コロラドで参加した音楽祭は、聾唖の方達の為のチャリティー・イベントになっていて、現場では沢山の聾唖の方が働いておられた。
客席にも沢山の聾唖の方がいらしたので、ステージ脇には常に、手話を使って、演奏される曲の歌詞を通訳する方がいた。
この通訳によって聾唖の方達は、何を唄われているのかがわかり、心から聞き入り、涙されている方もおられた。
私はというと、英語が母国語ではないから、歌詞の混み入った内容や気の利いた表現などが、コンディションによっては全く理解できない事もあった。
音楽祭は7/17からだったけれど、私が現地に着いたのは7/18で、既に現場はおおいに盛り上がり言わば"出来上がった"状態にあり、野外フェスなんてパスカルズで出演する為にしか参加した事の無い私は、右も左もわからない状態だった。
受付に行くと、そこで働いておられる皆さんも全て聾唖の方達で、皆さん、私の言っている事はわかるけれど、私に伝える術を持たず、手続きがスムーズに行われなかった。
みんなは共通言語ーこの場合は手話ーで自由にお喋りしていて、笑い合ったり真剣に話し合ったりしている。
状況が飲み込めないのは私だけでなす術が無く、私の言語を話す人が来るまで、待たなければならなかった。
これは言葉の通じない国での体験と、全く同じ物だ。
私はそこでは完全なるマイノリティで、てきぱきと仕事をこなし互いに真剣に語り合う人々の前で、何も理解出来ずに右往左往する、全くの異邦人だった。
もしも「障害」という言葉をどうしても使いたいなら、あの現場で障害を持つ者は私であり、彼らでは無かった。
あるドラマを観ていた時、子供時代に誘拐され監禁状態にあった少女が逃げ出し、保護された病院の医師にその少女が、「酷い状況にあったけれどそれも私の人生なのに、誰もまともに話を聞いてくれようとしない。酷い目に遭ったけれど、病室のテレビで、監禁中に犯人が観せてくれた映画をやってるのを観た時、犯人の事を愛しくさえ思った。そんなこと言うと、異常だと思われるわよね。」という台詞があった。
彼女は自分の体験を、「酷い状態だった。」と敢えて言わなければならない事を知っていた。
何故なら彼女の戻って来た"ノーマルな"世界は、監禁下の彼女の人生が「酷い」ものだった、と考えるのが、妥当な世界だからだ。
これを観た時私は、かつて拉致の被害者の方々の一部が日本に帰国した時、彼らのあの国での人生を全て否定するような言葉を、報道を通じて度々聞いた時の違和感を思い出した。
これからは美味しい物を沢山食べられるよ、そんなダサい服は捨てなさい、日本に戻れたのだから幸せになれるよ。
当たり前の様に放たれるこういった言葉を聞いて、当事者の方はどう感じているのだろうと、私はいつも思っていた。
拉致は許されざる犯罪ではあるが、その被害者である彼らは、被害者であると同時に、その人生を生きた人々なのだ。それは彼らの人生なのである。
犯罪を許さない、ということと、彼らの生きた人生を、あたかも忌まわしい物であるかの様に扱うことは別物だ。それは妥当ではないと私は思う。犯罪は忌まわしいけれど、それに巻き込まれた彼らの人生体験そのものが、忌まわしいとは限らないと思うのだ。
耳が聴こえない、目が見えない、という事が人にもたらす益と可能性が、聴く事や見る事が当たり前になっている人々には決してわからないように、犯罪や事故や病気の被害者である人々の人生や体験を、マイナス、と考えることが当たり前になっているのはおかしい。
欠損、という意識でそれらを受け止める限り、彼らの生きている人生の奥行きを推し量ることは出来ないのだ。
先日あるテレビCMを見て愕然とした。
日本のどこかの会社が「未開地」に、テレビを普及する運動をしていて、それをあたかも美談の様に、CMで自画自賛していたのだ。
オー、マイ、ガー !!!!
日本人は、テレビを観られる事が、人の幸せだと思っているんだね!!!
人助けの為に情報伝達が必要だと思うなら、選択肢の豊富なインターネットを普及すればいいと思うけれど、それだってもしかしたらいらないのかもよ?
少なくとも、最近私が最も幸福を感じた時間は、テレビからもインターネットからも離れて、きれいな空気の中で太陽をいっぱい浴びて、大好きな人たちと、山や空や鳥や花や野生のウサギを見ている時間だったよ。
でもテレビ大好きな一部の日本人にはそんな事思いもよらなくて、テレビという娯楽を未開地に届ける事が、堂々たる美談になっちゃうんだね。なんの疑問も無く。
こんな風に、如何に人間が心理的に盲目かを、人はもっと知るべきだと思う。
聞こえない人は聞こえないままでいいし、見えない人は見えないままでいい。
(本人が別の可能性を望む以外は)
誘拐された子供が、監禁されていた時間に、なんらかの幸せを感じていたのなら、それはそれでいいじゃない。
理不尽な状況からはもちろん救い出されるべきだけれど、その環境の中で生きた時間の価値を否定することは、誰にも出来ない。
手や脚の無い人には、ある人には獲得できないような、特別な力があるかもしれない。
大病を患った事で、普通の人が持ち得ないような、深い洞察力を得たかもしれない。
生き物には、欠落なんて絶対に無い。
誰かがそうと、決めない限りは。
何かを持っていない人のことを、持っている人が、「欠落だ」「障害だ」「不幸だ」と決めつけるのは、豊かな自然と共に生きることを知っている人々の生活にテレビを普及しようと頑張っちゃうのと同じくらい、盲目的で浅はかでアホくさい事だと私は思う。
そんな事を改めて思い起こさせてくれた、山の上での音楽祭。
炎天下での高山の上、酸素不足で次々に病んでゆく出演者や観客を、介護し、思いやり、いたわり、保護し、助け続けてくれたのは、地元に住む、聾唖ボランティアの方々でした。
客席にも沢山の聾唖の方がいらしたので、ステージ脇には常に、手話を使って、演奏される曲の歌詞を通訳する方がいた。
この通訳によって聾唖の方達は、何を唄われているのかがわかり、心から聞き入り、涙されている方もおられた。
私はというと、英語が母国語ではないから、歌詞の混み入った内容や気の利いた表現などが、コンディションによっては全く理解できない事もあった。
音楽祭は7/17からだったけれど、私が現地に着いたのは7/18で、既に現場はおおいに盛り上がり言わば"出来上がった"状態にあり、野外フェスなんてパスカルズで出演する為にしか参加した事の無い私は、右も左もわからない状態だった。
受付に行くと、そこで働いておられる皆さんも全て聾唖の方達で、皆さん、私の言っている事はわかるけれど、私に伝える術を持たず、手続きがスムーズに行われなかった。
みんなは共通言語ーこの場合は手話ーで自由にお喋りしていて、笑い合ったり真剣に話し合ったりしている。
状況が飲み込めないのは私だけでなす術が無く、私の言語を話す人が来るまで、待たなければならなかった。
これは言葉の通じない国での体験と、全く同じ物だ。
私はそこでは完全なるマイノリティで、てきぱきと仕事をこなし互いに真剣に語り合う人々の前で、何も理解出来ずに右往左往する、全くの異邦人だった。
もしも「障害」という言葉をどうしても使いたいなら、あの現場で障害を持つ者は私であり、彼らでは無かった。
あるドラマを観ていた時、子供時代に誘拐され監禁状態にあった少女が逃げ出し、保護された病院の医師にその少女が、「酷い状況にあったけれどそれも私の人生なのに、誰もまともに話を聞いてくれようとしない。酷い目に遭ったけれど、病室のテレビで、監禁中に犯人が観せてくれた映画をやってるのを観た時、犯人の事を愛しくさえ思った。そんなこと言うと、異常だと思われるわよね。」という台詞があった。
彼女は自分の体験を、「酷い状態だった。」と敢えて言わなければならない事を知っていた。
何故なら彼女の戻って来た"ノーマルな"世界は、監禁下の彼女の人生が「酷い」ものだった、と考えるのが、妥当な世界だからだ。
これを観た時私は、かつて拉致の被害者の方々の一部が日本に帰国した時、彼らのあの国での人生を全て否定するような言葉を、報道を通じて度々聞いた時の違和感を思い出した。
これからは美味しい物を沢山食べられるよ、そんなダサい服は捨てなさい、日本に戻れたのだから幸せになれるよ。
当たり前の様に放たれるこういった言葉を聞いて、当事者の方はどう感じているのだろうと、私はいつも思っていた。
拉致は許されざる犯罪ではあるが、その被害者である彼らは、被害者であると同時に、その人生を生きた人々なのだ。それは彼らの人生なのである。
犯罪を許さない、ということと、彼らの生きた人生を、あたかも忌まわしい物であるかの様に扱うことは別物だ。それは妥当ではないと私は思う。犯罪は忌まわしいけれど、それに巻き込まれた彼らの人生体験そのものが、忌まわしいとは限らないと思うのだ。
耳が聴こえない、目が見えない、という事が人にもたらす益と可能性が、聴く事や見る事が当たり前になっている人々には決してわからないように、犯罪や事故や病気の被害者である人々の人生や体験を、マイナス、と考えることが当たり前になっているのはおかしい。
欠損、という意識でそれらを受け止める限り、彼らの生きている人生の奥行きを推し量ることは出来ないのだ。
先日あるテレビCMを見て愕然とした。
日本のどこかの会社が「未開地」に、テレビを普及する運動をしていて、それをあたかも美談の様に、CMで自画自賛していたのだ。
オー、マイ、ガー !!!!
日本人は、テレビを観られる事が、人の幸せだと思っているんだね!!!
人助けの為に情報伝達が必要だと思うなら、選択肢の豊富なインターネットを普及すればいいと思うけれど、それだってもしかしたらいらないのかもよ?
少なくとも、最近私が最も幸福を感じた時間は、テレビからもインターネットからも離れて、きれいな空気の中で太陽をいっぱい浴びて、大好きな人たちと、山や空や鳥や花や野生のウサギを見ている時間だったよ。
でもテレビ大好きな一部の日本人にはそんな事思いもよらなくて、テレビという娯楽を未開地に届ける事が、堂々たる美談になっちゃうんだね。なんの疑問も無く。
こんな風に、如何に人間が心理的に盲目かを、人はもっと知るべきだと思う。
聞こえない人は聞こえないままでいいし、見えない人は見えないままでいい。
(本人が別の可能性を望む以外は)
誘拐された子供が、監禁されていた時間に、なんらかの幸せを感じていたのなら、それはそれでいいじゃない。
理不尽な状況からはもちろん救い出されるべきだけれど、その環境の中で生きた時間の価値を否定することは、誰にも出来ない。
手や脚の無い人には、ある人には獲得できないような、特別な力があるかもしれない。
大病を患った事で、普通の人が持ち得ないような、深い洞察力を得たかもしれない。
生き物には、欠落なんて絶対に無い。
誰かがそうと、決めない限りは。
何かを持っていない人のことを、持っている人が、「欠落だ」「障害だ」「不幸だ」と決めつけるのは、豊かな自然と共に生きることを知っている人々の生活にテレビを普及しようと頑張っちゃうのと同じくらい、盲目的で浅はかでアホくさい事だと私は思う。
そんな事を改めて思い起こさせてくれた、山の上での音楽祭。
炎天下での高山の上、酸素不足で次々に病んでゆく出演者や観客を、介護し、思いやり、いたわり、保護し、助け続けてくれたのは、地元に住む、聾唖ボランティアの方々でした。
2014年7月20日日曜日
モリーとのフライト
友人が沢山出演する、どうしても見逃すわけにはいかない音楽フェスがコロラドであったので、学校が終わってから飛行機に乗って、開催地に向かった。
デンバー空港からとても小さなプロペラ機に乗って、高地にある小さなヴィレッジへ行く、その小さなプロペラ機の中でのこと。
私は通路側の席に座っていた。通路を挟んで隣は空席、そして窓際の席に座っている女性を見た時、あれ?と私は思ったのよね。
友達で、そのフェスの出演者である、モリーじゃないのかな、と。
サングラスをかけているのだけれど、人間てやっぱり、外観だけじゃないね、なんとも言えない、その人の醸し出す何かがあるね。特にモリーは、いつも全身から、なんともスイートな、優しい、甘やかな、可愛い空気を醸し出している女性なのである。
典型的なブロンド美人ではあるけれど、もっと、もうひと味、見逃せない何かを持っている、素敵な女性なのである。ちなみに歌手である彼女の声はそれはもう、とろけるような深くて甘やかな歌声で、ずうっと、ずうっと、ずうーーーーーーーっと、聞いていたくなるのです。
そんな、紛れも無く"主役"の特性を持った彼女、サングラスをして、ヘンテコなモンペを履いて、その上にフード付きのトレンチ・コートを着て、そのフードを深々と被って飛行機の席で行儀悪く爆睡してても、なんだかすっごくきれいな存在がそこにいる、そんな感じがして、惹き付けられたわけです。
ほぼ間違いないな、と思った。
しかし、大きなサングラスのせいで、声をかけるにはもう一歩確信が掴めない。
そんな時、彼女も私を見た。
あろうことか、数秒感、見つめ合ったのです。
そして、うううっ、となった時、彼女の隣、つまり、私と彼女を隔てる通路側の席に、女性が座ってしまった。だから、そこで一瞬遮られたのです。
するとその女性が、またすぐ立ってどこかへ行ってしまった。
飛行機は30分くらい中々飛ばず、隔てる席の女性も何故か全く戻らず、狭いプロペラ機の中で、私とモリーらしき人物との間に隔たりは無い。
ああいうのって、なんなんでしょうね。
声をかけなさいよ、とかいう、人生からのお助けなんですかね。
それでもなんだかお互いに、声をかけずにいたんですよね。
痺れを切らした飛行機は(?)ようやく離陸することをアナウンスし、私とモリーを隔てる女性も席に戻り、私は実はすごくホッとした。
だってもう、葛藤しなくていいじゃん?
飛行時間は50分。
降りる時に、また葛藤が来るよな、などと恐れたりもしましたが。
席を立って、体がぶつかったり目が合ったりしたらどうしよう、なんて。
なんであんなに躊躇したのか、自分でもわけわかりません。
でもその時は、どうもそんなモードに陥ってしまったんですよね。
さて、飛行機は着陸し、私が足下の荷物を取り出そうともがいている間に、モリーらしき人物は先に通路を、出口へと歩いてゆきました。
私と前を歩く彼女の間には、ひとりしか人がいません。
だから、飛行機を降りる時にモリーらしき人物が機長に向かって、
「なんて美しいランディング!素敵だった!!」
と声をかけるのが聞こえました。
そのさえずるような声と、好感度の大変高いその言動に、私は初めて確信したのです。
やっぱモリーだね。
フェスが始まっても中々モリーに会う機会が無かったのですが、彼女の出番のあった二日目の終わりに、楽屋でばったり出会いました。
すると私の顔を見るなり彼女は、キャー!!、というモードになって、
「ねえっっ!私たちって、来る時同じ飛行機に乗ってなかったっっっ!?」
と。(爆
ここからは多いに盛り上がりました。
お互いに怪訝な気持ちを抱えながら、しかも時々見つめ合いもしながら、一言声をかける勇気が無かった可笑しさ。
ほんの少し何かが噛み合えば、きっと屈託無く声をかけられたんでしょうが、なんだかそれが起こらなかったんですよね。
だけどそんなだったからこそ、その後楽屋での私たちの盛り上がりは常軌を逸した程になり、興奮して周りの人に語りまくったりして、すっげえ笑ったし楽しかったから、良かったのである。
メデタシメデタシ。
2014年7月18日金曜日
デイル・チフーリatデンバー植物園
デンバーが好きで植物が好きなのに、デンバー植物園に行った事が無かったワタクシ。
でも今回、ガラス・アートの先駆者デイル・チフーリの展覧会を開催中ということで、友人に誘われて行ってきました。
私は今まであまり、チフーリの作品に興味を持った事がありませんでした。彼の作品を、好きか、と問われれば、個人的には、諸手を上げて好き、とは言いきれない部分があるのです。
しかし今回はあまりの素晴らしさに、目から鱗が落ちまくりでした!
彼の作品は、植物や湖の中にあって、全く環境の空間を汚さず、しかも、自然物を凌駕するような圧倒的に肯定的な、すさまじいエネルギーがありました。
自然の空間の中にあって、あんなに互いを引き立て合う関係を結べるなんて、本当に羨ましい!!
彼の作品は全く自然物に迎合していず、しかしちゃんと自然と、調和しているのです。
あんなに美しい世界を造り上げる人だなんて知らなかったよ。容姿もあれだしさ。。。
←この人な。。。
と、とにかくこの展覧会、エンターテイメントとしてもアートとしても庭石としても、実に最高に狂っていて、最高にすごかったっす!!チフーリ偉い!!!
ところで、デンバー植物園は、植物園の規模としては、そんなにたいしたことありませんでした。
もちろん、とても素敵な所なのですが、アメリカは色々と、どこもかしこもスケールがあれなので、それに比べると比較的こじんまりとしていて、特質のある印象はありません。
ですがカフェのメニューがですね。さすがだったんでございます。
アメリカの好きなところのひとつに、ミュージアムや植物園や動物園なんかの公共施設のレストランやカフェのメニューのグレードを、落とさない、という所です。
デンバー植物園でもそれは例外ではなく、チフーリの作品を見渡せる大きな池を囲むウッドデッキのカフェでは、オーガニックでナチュラル素材の、質の高い食材で作った様々なメニューがあって、とても美味しかった〜。。
私がオーダーしたのはハンバーガーでしたが、このハンバーガーだけで10種類以上も選択肢があって、しかも一流レストラン並のオリジナリティー。
バンズもグルテン・フリーの物をちゃんと用意してありました。
私が注文したのは、獅子唐のたっぷり乗っかったプラムソースのハンバーガー サツマイモのフレンチフライ添え。日替わりのハーブ・コーディアルも、たっぷりの量でとても美味しかったです。いつもは食事の写真を撮る私ですが、今日はさすがにチフーリに圧倒されてそんな気にはならなかったな。
とはいえ、チフーリを褒めるのも早々にスカッと話題が団子の方にシフトしちゃいましたけどね。。
まあとにかく、大興奮のチフーリ展@デンバー植物園でした。実に幸運にもこの展覧会の開催時にコロラドにいられたことを、本当に感謝しています。
ちなみに、チフーリ展は今後も同じ作品でアメリカを数カ所巡業するみたいなので、どちらかで遭遇されたら、是非ご覧になってください。
今まで日本のホテルのエントランスやら床の間なんかにあってもピンと来なかったチフーリですが、植物園、これですよ奥さん。
やはりオブジェは、環境と持ちつもたれるじゃないとなと、私は個人的に、思うんですね。
2014年7月14日月曜日
海路図
私は漠然と、人間というものは元々大きな自分の海路図を持って生まれてくると考えています。
運命と言ってもいいのかもしれませんが、その人の持つ才能や特性が最適に生かされる設計図があらかじめ用意されており、しかしながら人生を歩む上でのひとつひとつの選択の仕方によって、その最適化された回路図の、最短ーお得コースを行くか最長ー遠回りコースを行くのかが、決まってくるのだと感じています。
だから、運命は漠然とあるんだけど、選択の自由もある、というような設計に、人生というものはなっているんじゃないかな、と思うわけです。
なんでこんな事を朝っぱらから考えているのかというと、昨日の私の、なんとも言えない幸福感の原因はなんだったのかなと探っていたところから始まりました。
昨日私は、特にいい気分で目が覚めたわけでもなく、一日を実にニュートラルな気分で過ごしていました。
でも午後になって、クラスの授業の方向性が混沌とする事態が起こりました。
私が今参加している学校では、大まかなカリキュラムや授業の方向性は決まっているのですが、クラスが進行する中で、重要度の大きな事が現れてきた場合にはいつでも変更可能というか、その時その時のニーズに合った内容が展開されてゆくようになっています。
おもしろい事に、これは私が人間の運命の流れについて感じている事と共通しているなあと今ふと思いましたが。。
とにかくそんな状況の中で、強く提案されたのが、プランAでした。
私は、プランAでも一向に構わなかったのですが、なんとなく感じた違和感を無視出来ず、自分はそれでもいいのだけれど、出来ればプランBを優先して欲しいと思う、と手を挙げて意見を述べてみました。
すると、他のクラスメイトの数人がそれに同調し、ではもう一度考え直しましょう、という事になり、結局は私の推したプランBを先に行い、それが終わって時間があったら、プランAをやることにしましょう、という結論になりました。
私は、自分が提案した、やりたいと思った事が通った、という事もまあ嬉しかったのですが、そんなことを遥かに超えたある部分で、その結論に達した時に、なんとも言えない深い安堵感の様な物に包まれ、その安堵感がどんどん大きな幸福感へと変わってゆくのを感じました。
こんな大きな幸福感を感じる原因はどこにも無いなあ、と思いながらその日の授業を終え、そしたらディナーを食べている時にショッピングにつき合ってと誘われ、期せずして私の大好きな、夕闇が迫り来る直前の逢魔が刻(by大島弓子♡)のドライブに行けることになり、おまけにその人が行こうとしていた店がもう閉まっていた為、オイラの大好きなスプラウト・ファマーズ・マーケットに行ける事になっちゃって浮かれまくっていたところに虹まで出たりして、もうヤッホー!な気分は留まるところを知らないって感じになったのでございます。
それでも一連のこの出来事は、私の内に突然沸き起こっている大きな幸福感と満足感を説明する材料にはなりません。
まあ普段から、状況の善し悪しに関わらず基本的に脳天気なので、理由は無いけどハッピーだわって感じには慣れているのですが、昨日感じていた幸福感には明らかに裏付けがある、と思っていたわけなのです。
で、今朝、はたと閃いたのです。
恐らく私を含め人類全般というものは実は、普段から漠然と、運命の最適化された設計図、っていう物を見ているんじゃないのかなと。
で、昨日クラスの方向性がプランAに行こうとした時に私が感じた違和感は、それは間違いでは無いけれど、元の海路図はプランBなのにな、っていう違和感だったんじゃないかと。
それで思い切って自分の意見を述べて、それが通ったわけですが、それはそういう表面的な事だけなのではなく、恐らく元の海路図に沿ったコースに乗ったということで、そのことで私の人としての本能が、すっごく幸福になった、つまりあの幸福感は、より生物学的な、より人間という生き物としての本能の領域の中で起こった、イエス!それこそがそれよ!!っていう、そういう幸福感だったんだなと。
今はそう実感しているわけなのです。
というわけでコースに乗りまくった私は、その後ディナー後から就寝までの、普段だったら歯磨きしてお風呂に入っておしゃべりして寝るだけの日常の中に、ドライブして虹を見てスプラウト・ファーマーズ・マーケットに行ける、なんていうちょっとした褒美まで手に入れてしまったのではないのかなと。
私は、遠回りが悪いとか、海路のコースの選択を誤るべきではないとか、全然思ってないんですが、海路図通りに進んだと思われた昨日の物事の流れのスムーズさとスカッと嬉しい感じは、本当に気分がよかった。
これは、仕事で成功を納めたとか素敵な彼氏が出来たとかいう類いの、なんらかの夢が叶ったというような一般的に言われているいい事とは、全く関係が無いんだなと思います。
もし何か、具体的な良い事が起こっても、それがもし海路図からズレている出来事だとしたら、きっと私はあんなに大きく広漠とした、心の底から安堵するような幸福感は、抱かないんじゃないかなとも思うのです。
もちろん、ちょっと嬉しい♩はあるでしょうが。
世間では、人間だって所詮動物だ、とかいう言い方で正当化されたがる、色んな下世話な性癖があるけれど、本来動物というのはこういった、非情に大きな最適化された海路図と結びついて生きているのであり、そこからズレた所で行うどんな行為も、動物だから、という理屈で正当化されるというのは通らないのではないかと感じます。
むしろ人間だけが様々な理由で、グラッと、海路に無いコースを選ぶことがあるんじゃないかな。
これは世間の目を気にするとか、単に臆病とか、そういう事だけではなく、こうした方がよりサービスになるんじゃないかな、とか、相手への余剰な思いやりが動機になる場合もあると思う。
昨日クラスで起こりかかったのは後者で、プランAを選んだ方がより親切なのでは、という動機があったのだと思います。
だから私は、遠回りのコースを選ぶ人を残念とかは思いません。
間違ってる、というんでもないと思う。
なんたってこの海路図のアイディアそのものが、私の私的な感覚ですからね。
でも結果現実として、今は全員がプランBで良かったと感じていて、全員が満足してるんだから、やっぱりあの時一歩踏み出して、手を挙げて提案してみて良かったなー、と思う訳なのです。
きっとあの時口を開かなければ、すっと違和感と共に今日を迎えていたのかもね。
これは、昨日スプラウト・ファーマーズ・マーケットの駐車場から撮った空。↓
2014年7月9日水曜日
コロラドに来ている
コロラドに来ている。
相変わらず広大だ。
この写真はキャッスル・ロックと言って、お城じゃないのにお城にしか見えない、自然に出来た山頂の岩だ。
移動中の車の中から撮ったので曲がっちゃったけど、実物はこんな風には斜めじゃなくて、もっとちゃんと、威風堂々とそびえ立っているのよ。
どう思います?
白い、お城にしか見えないでしょ?まるで絵画みたいでしょ?どうして時に自然は、こんな事をするんでしょうね。
前にも書いたけれど、コロラドと私の縁は深い。
そして縁が深いだけあって、コロラド絡みでは色んな幸運がたくさん起こる。
言ってみれば、色んな幸運がたくさん起こる場所や環境って、ここがあなたの本当の居場所だよ、と語りかけてくれるサインの様な気もする。
私は最近、このサインをくれるエリアが俄然広がってきたのだけれど、コロラドのレベルには到底及ばない。
だからコロラドは私の、本当の居場所なんだろう。
一昨日、知人の家の引っ越しパーティーに招かれて伺った。
パイクス・ピークという、標高4000mを超える観光地としても有名な高山を臨む素敵な丘の上に建っている、素晴らしい家だった。
お料理ももてなしも素晴らしかったのだけど、最近の私は社交の為の会話、というものがからきしダメになっていて、とか書くと、付き合いの長い人から今に始まった事じゃねえだろとお叱りを受けるかもしれないのだが、いやもう本当に、全くもって忍耐がなくなってしまったのよ。
それで、パーティーという席はそういう事になりがちですし案の定そういう感じだったので、ちょっくら抜け出して家の周りの大自然の散策をし、木陰で寝転がっていたんですね。
そうしたら、もんのすごく大きな、ブーンという蜂の羽音が、耳のすぐそばでするじゃあありませんか!
恐れおののいてドバッと目を見開くと、なんとそこに居たのは、ハミングバードだったんですよ奥さん!!
まあ、コロラドでハミングバードはたいして珍しく無いんですが、やっぱり地元の人にとっても気分が上がる鳥だそうだし、その日はアメリカに着いた次の日だったんで私の常識はまだ日本でしたから、なんだかすっごくラッキー♩と感じてしまったのでした。
しかも帰路、何故か私は連れに、パーティーでの態度を褒められたしね。
自分の気の向くことしかやらなかっただけなんだけど。
無理をしてでも社交的に、毒にも薬にもならないような会話をすることが良き社交術だと思われるのかと思いきや、浅い会話に混じらないで好き勝手に楽しくやってたのがよかったらしいですよ奥さん。
時代はもうそんな風な、ありのままにーな感じになっているんですね。
まあそれはともかくこのハミングバードが、どうも今回の旅のテーマのようで、家に帰ると家人がハミングバード招集作戦をするって言うし、友達が大量のハミングバードが家に集まっちゃったビデオをタイムリーに公開したりして、まるで前回のパスカルズ・ツアーが、鰻に始まり鰻に終わったように(一例:ツアー前夜バンマスから、ツアー先の名物 鰻弁当の購入計画メールが届き、ツアー最終日のライブ・ハウスが、鰻通りという所にあった等。)
どうやら私の今回のコロラド・ツアーは、ハミング・バードに始まりハミング・バードに終わるのかもな気配が濃厚なのである。
ハミング・バードは愛や復活、幸運の象徴と言われていますから、来る時成田で両替したら、666ドルという獣の数字になっちゃった事なんてスカッと忘れさせてくれるような、なんかいい事でもあるに違いない。
なんたってここはコロラド。
ただでさえ私の味方な上に、ハミング・バードまでついてきちゃうっつうんだから、鬼に金棒よ!
てか今のところ、ハミングバード寄せの効果は無いです。。
←これがハミング・バード呼び込みセット。
赤い液体は甘いネクターで、それをハミング・バードにとって飲みやすい型になっている瓶やグラスボールに入れて軒先に吊るす、人間の考えた涙ぐましい作戦である。
ネクターが赤いのは、ハミング・バードって赤い色に惹き付けられるからだそうですよ。私みたい。
成功例↓
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