この映画が日本でも上映されると知った今この瞬間、どうかどうか、日本のいつものやり方で、キワモノみたいに扱わないで欲しい、この映画だけは、と心底思った。
この映画は、本当に悲しく、そして胸を打つ美しい物語です。
幼児期の生育環境が、如何に個人の脳や心身の発達に影響を及ぼすかを、アメリカで何年も、臨床的に学んだ身としては、本当に、身の斬られる様な想いで観る、非常に真摯な物語でした。
24通りもの人格を持つ多重人格者の青年の引き起こす犯罪から始まるこの物語は、幼児期の虐待によるトラウマが、ひとりの青年の中に真の悪魔を生み出す可能性を、克明に描いています。タイトルのSPLITとは、分裂という意味です。
丁寧で控えめなやり方で描く青年の背景と、被害者である少女の持つ背景。
映画の後半で一瞬だけ現れる、青年のオリジナルの人格"ケヴィン"の美しさ。
深い領域で少女の魂に触れる悪魔の中のケヴィンが、最後に少女にもたらす大きなギフト。
映画の後半はもう、映画で語られる全ての現実に胸を打たれて泣きっぱなし。
一緒に行った連れ(屈強な男)も泣きっぱなし。
映画館を出た道路でも一緒に泣きっぱなし。
映画の後に入ったレストランでは、二人してメニューも決められないくらい胸がいっぱいで、しばらく涙が止まりませんでした。
たったひとりの、子供を虐待する母親によって、こんなにまで分裂してしまう青年の心。
それが本当に悲しくて、胸を揺さぶります。
ケヴィンの分裂する人格と、オリジナルのケヴィンの違いを、この俳優さんは素晴らしく演じてくれています。
アメリカで学んだ臨床心理学で、如何に多くの一般の人たちが、心理的防衛のための仮面をつけて生きているか、そしてその仮面が如何に、他者との本質的な関わりを遠去けるかを、この映画を観ると如実によくわかります。
分裂した人格がどんなに真に迫っていても、その人格のどれもが空虚で、他者との真の交流を全く受け付けていないのがよくわかります。
表面的にはうまくコミュニケートしているように見えますが、その顔つきと様子から、全くオーセンティックでない事が、よく伺えるのです。
優しさや正直さや誠実さや善人さを装いながら、他者を操り、騙し、印象操作し、虚勢を張り、しかし移ろいやすく壊れやすい、無機的なニセモノのアイデンティティ。
しかし映画の後半に出て来た、オリジナルのケヴィンは、その23個の人格とは全くかけ離れた物でした。
その真摯なナチュラルさと清らかな誠実さと有機的な暖かさは、一瞬の顔つきの変化で、あからさまに感じ取れるのです、ああ、この人とは、人として、ちゃんと話が出来る、本質的な交流を持てる、と。
しかし一体今の世の中、どれだけの人がオリジナルのケヴィンで、生きているのでしょうか。
他者の顔色を伺い、他者からの評価を気にして、気に入られたい人が好むと思われる言動を演じてみたり、強い憧れを感じる自分以外の他者の皮を被って、それらしい言動を真似てみたりする内に、オリジナルの自分がどんななのかを、忘れちゃってる人って、結構いるんじゃないんでしょうか。
物真似や誰かからの影響に反応して身につけた言動を、人格的成長だと勘違いしている人たちが、少なからずいるんじゃないでしょうか。
皆さん、それは、ニセモノのアイデンティティですよ。
全部、心理的防衛が創り出した人格のデコイ、生け贄にしてもいい捨てキャラ、怪物の姿を模した鎧、ニコニコ顔の着ぐるみに、過ぎないんです。
この物語には、沢山の滋養が隠されています。
そしてその滋養の恩恵を一番に受けたのは、まずは被害者の少女であり、次に私と連れ・笑。
この映画を観てどれだけの人が、自分の仮面に気付き、自分のスプリットに気付き、ケヴィンの本質的な美しさに、人間の真の姿の、素の尊さを見るかはわかりませんが、少なくとも私と連れは、本日大変深淵な時間を共有し、美味しい食事を楽しみながら、人の心の複雑さと美しさを、涙ながらに静かに語り合う機会を持てました。
素晴らしい映画をありがとう、と、心から。
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