2014年12月29日月曜日

鳩のキャンバス・トート


ウサギに飽きて来たので、鳩を描き始めました。

このキャンバス・トート、私はかなり気に入っています。

背面と前面の絵が微妙に噛み合ないのは、時の流れを現しているからです、と相変わらずうそぶく私。。。。。。。




来年1月4日、西荻窪のニヒル牛2での新春初売りバーゲンにて販売致します。

ちなみにウサギのトートはこちらです。












2014年12月24日水曜日

エシレに並ぶ

エシレの袋とクリスマス・ツリーの記念撮影

スリリングな体験だった。

友達のあるくんがエシレのバターケーキ"ガトー・エシレ・ナチュール”を食べてみたいと言い出した時から、友人達との間でいつしかエシレ・ケーキの会をやろうという話が盛り上がり、それが本日、12月23日天皇誕生日の休日、クリスマス・イブの前日のホリデーとなったのだ。

わざわざそんな日を選ばねばならない程の、多忙なメンバーではない、と思う。

ただでさえ一日15台しか販売しないケーキ、開店直後に即座に売り切れると兼ねてから噂の入手困難なケーキを、なんでクリスマス・イブの前日の休日なんていう特別な日に食べようということになったのか、どうにも気がふれているとしか思えない決断なのだが、とにかくそうなったのだ。

購入役はわたくしである。

なんでかって言うと、エシレのあるブリック・スクエアは私のシマなのであり、今回集る誰よりも私には地の利があり、うちからもすぐに着くからだ。
私は別にエシレが無くても、ブリック・スクエアを含める丸の内界隈が好きでよく寄るので、ケーキの為に並ぶという生まれて初めての試みでさえ、なんとなく当日の様子が透けて見えるような気がするくらい、大変馴染みの場所なのである。

エシレが開店した当時は、確かにガトー・エシレは人気があったようだが、今はそんなでもないでしょ、と私は思っていた。
現に平日の午後とかに寄ってもまだ売ってる時もあるしね。

いくら12月23日の休日ではあっても、みんなクリスマスにはもっとクリスマスらしいケーキを選ぶんじゃない?年中売ってるガトー・エシレには、そんなに集らないんじゃない?と。

10時開店のこの店に、大体30分くらい前に着く様に計算して、それでもやや早めに家を出た。

するとホームに、何故か臨時列車が入って来た。
乗ろうと思っていた電車の15分程前に出るやつで、時刻表には載っていないまさに臨時の電車だった。

それに乗るとエシレに9時頃着いてしまい、1時間も立っていなければならないことになる。
天気がいいとは言え冬の寒いさなかに1時間も立ってなきゃならんのはイヤだし、他に誰もいなかったらと思うとなんとなく恥ずかしい。

だけど折角いいタイミングで入って来た電車である。
私はまずそれに乗って9時にエシレに行き、誰もいなかったら30分くらい近くのスタバでまったり休んで、それからまたエシレに行こうと思ったわけ。

9時ちょっと過ぎに東京駅到着。
ここまで来た時点で、脚が勝手にずんずんエシレへと向かう。
もしこのまま並ばねばならないとしたら、先にスタバで何か飲み物でもげとした方がいいんじゃないのかな、と思ったのに、脚が勝手にずんずんエシレに向かうので、歯向かわずにそれに任せた。

地下のエスカレーターを昇ると、いつもの素敵なブリック・スクエアの景色が広がる。
ここはロンドンの町中にある小さなオアシスみたいな公園で、大人っぽい庭デザインがいつも素敵だと思うのだ。
広場の真ん中には”不思議の国のアリス”をテーマにしたクリスマス・ツリー。

女性がひとり、そのツリーの写真を撮っていたので私も、と思ったのだが、何故か脚が止まらないので、歩きながらのこんな写真になってしまう。。ぶれてますがな。




そしていよいよ公園を横切ってエシレを目指すと、すぐにツリーの向こうにお店が。


この時点で私は、全てをあきらめました。。。。。。。。。。。


だって、既に店の前には黒山の人だかりが。。。。。。。。。。。。

甘かった。。

わ、私は人を、世間というものを、まるでわかっていないのでわ。
心理学をアメリカで、7年も学んだのにかよ!?


世間の人というものは、クリスマス・イブの前日のホリデイに、朝早くエシレに並んでガトー・エシレを買うものなんだよ!
あーーーーーーーーーーーーーー。。。。。。。。


店に着いてから、ざっと並んでいる人の数を数える。
既に20人はいるじゃない。
ガトー・エシレは一日15台限定。
既に負け犬決定である。

どうしよう、と思ったが、私はとりあえず並ぶ事にした。
その時点で9時15分。
ツリーの写真を撮っていた女性も現れ、私の数人後ろに並んだ。

まさかこの、ツリーの写真を立ち止まって撮ったかどうかで勝敗が分かれるとは、この時には思いもよりませんでした。
そして恐ろしいことに。

10分も経たないうちに、私の後ろには長蛇の列が.......................
ブリック・スクエアの敷地を超えて通りの向こうへと、建物に沿ってずうっと列は伸び、最後尾はもう見えないくらいに。もう大体40人か、もっといる。

こ、この人たちは。
何故並んでいるのか。。。

ガトー・エシレは15台しか無い、と色んなサイトで高らかに謳われているのだから、もう絶対に、どう転んでも買えないのは明らかなのになんで並んでいるんだよ、と思いつつ、同じ穴のムジナの私だって何故か並んでいるのだから人のことは言えない。

しかし私が並ぶのには理由があった。

私の前に並ぶ人数が15人を超えていたのは明らかなのだが、その内の数人は、友人同士やカップルで来ているグループなのだ。
そのグループが、もしもグループで一個、つまりひとりが一個ずつ買わなければ、もしかしたらギリギリで私にもチャンスがあるのかも。
そんな蜘蛛の糸のような確率に、私は賭けてみることにしたのである。

幸い私が並んでいる位置からはガラス張りの店内がよく見えて、オーブンからどんどん出て来る焼き菓子が陳列棚に並ぶ様子や、お店の人たちがてきぱき働く様子が見てて気持ち良くて、全く退屈しない。

北風の通うビルの谷間ではあったけれど、いつもは忌々しいと思うくらい分厚いコートを着ていたおかげで、寒さも全く感じない。

時間は思っていたより早く流れ、開店時間の10時はすぐに訪れた。


それにしてもアレですよ。

私はてっきり、ある程度の時間になったらお店から、ここまでの人しかガトー・エシレは買えないよ的お知らせがあると思っていたのだが、そういうことは全く無く、速やかにお店の扉は開いた。大体6人ずつくらいしかお店に入れてくれないので、それでもまだ待たねばならなかった。

友人同士で来ていた人たちが、ひとり一箱ずつガトー・エシレを買っているのを見て、さすがの私も覚悟を決めた。
代替品を考えた時、もうこの際だからいちまんえんのブッシュ・ド・ノエルでもいっか、とも考えた。
だって一時間も並んだんだぜ涙。

三回目に扉が開いた時に、私を含む一塊がやっとお店に入れた。

クロワッサンや焼き菓子のいい匂いの中で、お店の人がひとりひとりから注文をとってくれる。

この段階での緊張は、はっきり言ってピークだったね。
この時の気持ちは、どんな言葉でも言い表せないね。


並んでいる間は、とにかくこんなに大変なのはひとえに日付のせいだけで、平日のなんでもない時なら、こんなに大変なわけはなく、今日はダメでも後日仕切り直せばいいやん、なんて思って結構気楽だった。

しかしいざ、一時間並んだ後に、しかも後ろに並ぶ長蛇の列を見てしまった後に、いよいよ注文をとってもらえる、という瞬間が来た時、私の心は瞬時に、ここで買えないとわかったら、私結構凹むよ、と強く感じたのである。

結構どころか、立ち直れないくらい凹むかも。

なんだか、体がフルフルと震えるのを感じる。
こ、怖い。
逃げたい。
買えない、という現実に直面するくらいなら、全てを投げ出してこの場から立ち去った方がずうっとマシ。

そんな衝動に襲われながら、遂に私の番が訪れ、私は、私は遂に店員さんに、震える声で聞いてみた。


が 、ガトー・エシレは、まだありますか?

はい♩


なにをーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっっっっっっっ!!!!???

あ、あ、あ、あるのっっ!?

が、ガトー・エシレがまだ!?

ガトー・エツレとかいうバッタもんじゃなくっっっ!???


渡された番号札は17番。

あれ?

これ、番号的にはアウトなんですけど。

見ると、私のうしろ、20番目までの人にはガトー・エシレの番号札を配り、それからあの地獄のアナウンス、ガトー・エシレは売り切れですー!が聞こえてきたのだ。


これは。

恐らく。

なんらかの理由で、今日は20台売ってくれるのだろう。

よくわからないままレジに進んで番号札を見せると、ガトー・エシレ一台ですね、とにこやかに言われて会計が行われる。

やった。

よくわからないけれど、私は目的のケーキを手に入れたのだ。

嬉し過ぎて、感情が無い。


それにしても。

エシレ、並んでいる人たちに、ここまでしかガトー・エシレ買えませんインフォメーションも無ければ、今日は特別に20台売りますよ的連絡も無く。

淡々と静かに、ただその日の自分の作業を行う店員さんたちを前に、客は道しるべの無い森の中の迷い子のように、買えるかどうかわからないケーキのために並ぶだけ。


美しかったよ!


昨今、何かと過保護に先手を打つサービス業が多い中で、こうまでシンプルに、客が自分の身の振り方を自分で決めねばならない、このシステム。

皮肉じゃなくね、私は、すごく綺麗だと感じたんだよね。

ここまでシンプルに業務して、それで文句を言う人もいない。

こういう環境だと、野生の勘が培われるんだよ。

わたしたちはただ自分の責任で、並び続けるかどうかの覚悟を決めるだけ。

それでいいんだよ。

ケーキ屋さんの仕事は、美味しいケーキを丁寧に作るだけだ。
その美味しいケーキをありがたがって並ぶお客の采配までは、 しなくていい。

十分に美味しいケーキを、高いクオリティで作り続けてくれれば、それでいいんである。

しかもどういう決断なのか、特に高らかに宣伝もせずに、いつもより5台も多く出してくれるなんて、粋じゃないですか。


私は買えたからそう思えるだけかもしれないけれど、買えたからこそ、正常な感覚で現場の潔さを感じられたのかもしれないよ。

そんなわけで、無事に任務遂行。

友人らの待つ西荻へ、美しい青い袋を持って帰れる、この喜びよ。

エシレ、ありがとう!

それから、何故かタイム・スケジュールとは違う、15分早い電車を出してくれたJRの協力もね。
あれに乗らなかったら、はっきり言ってアウトでした。

私が買ったガトー・エシレ・ナチュール。ニヒル牛2カフェの赤いテーブルによく映えます。




2014年12月20日土曜日

鳥Tシャツ デビュー


うさぎTシャツに続き、鳥Tシャツも出来ました。

創作というものは、実に面白い物です。

Tシャツに直に絵を描きたいな、という気持ちは軽くずっとありました。

しかし今回描いたウサギと鳥のデザインは、Tシャツとは全く違うプロジェクトの為にデザインし、なんとなく先延ばしに、そしてもしかしたら没かもと思っていたキャラなのです。

そしてTシャツを描き始めた時は、まさかそのデザインがこうして具現化するとは、全く思っていなかったのです。
更にこうしてTシャツにしてみると、このデザインはとてもTシャツ向きだったなと感じます。(当社比)

この、実用品に直に絵を描きたいよプロジェクトは、この後エコバック的な物に植物なんかを描いて終了する予定ですが、なんとなく思いついたこの経験は、私にとってはとてもよかったなと感じます。

何故なら、自分がどんな素材に何で絵を描けば最も楽しいのか、という事が、はっきりとわかったからです。

勿論、長年漫画を描いてきたのですから、漫画を描くのも大好きです。

でも、そもそも油彩画から自分の創作を始めた私にとって、漫画というのは、自分の絵画を適用する表現手段ではない、というのが正直なところでした。

これは、たまたま私が、漫画に必要とされる条件下で絵を描く事が大変苦手だということでの個人の個性から言えることであり、漫画で素晴らしい絵画表現をされている方も沢山いらっしゃいます。

しかし私ははなから、白黒の小さな画面で自分の画才が100%開くことは出来ないと知っていたので、漫画については全く絵画的アートを追求してはいませんでした。
これは私の漫画をご存知の方は、皆さん感じておられる事だと思います。

私の漫画絵は、ひとえに下手、につきるのです。うがーっ。

また、色彩に強い執着を感じる私にとって、人気が出ないとカラー・ページなんかやらせてもらえない漫画の世界で、自分の絵画を適用する気は、はなから無かったとも言えます。私は自分の描く漫画には、絵画とは全く別の物を求めていて、それはそれで満足なのであり、これからもそれは変わらないと思います。

そして今回、布物に絵を描いたことで、私の中での油彩画への想いが限りなく再燃してきました。と言うか、私はそもそも多分、キャンバスに、油絵で絵を描く人間なのです。
このことにシンプルに気付けた事が、大変大きかったのでございます。

そういうわけでこの作業中、久々にキャンバスを沢山注文しました。
この実用品プロジェクトが一段落したところで、油彩画へと仕事を移してゆこうと思います。
そしてこの油彩画が、長く待っていてくださっている方に報いる為の、大切な仕事の入り口となってゆくでしょう。

いやあ、ありがたい。

ほんの些細な思いつきを行動に移した事で、今まで茫漠としていた景色が、くっきりと見えてきたわけです。

物事は、とにかく始めてみないと、何を運んで来るかわからないもんですな。

2014年12月17日水曜日

スイスから届いたクリスマスのお菓子


やりました。

何年も憧れていたお菓子が、遂に先ほど届きました。

私の友人が、その友人のスイス人のお友達からいつも分けていただいているという、謎のクリスマス菓子。

友人の友人の、もう80才を超えるお姉様という方が、クリスマスの時期に毎年少量焼いては、日本に住む妹に送ってくれるんだけれども、何故か絶対にレシピを教えてくれないという、ミステリアスなクリスマスの伝統菓子の 話をいつも聞いていて、私は何度もネットで検索したり、スイス菓子の店を探したりして謎を解こうとしていました。
て言うか単純に、食べたかったのですが。

そして遂に今年、私もお裾分けにあやかる事が出来ましたぁああああああ!

先ほど届き、早速一枚、震える手で。

お、美味しい.........................................

こ、これは確かに、初めての味わい。。


アーモンド・プードルに沢山の種類のスパイスを加えた薄いクッキーの様な、そして歯ごたえはしっとり。。。たまらん美味しさです。

今や日本には本当に本格的な、ドイツやスイスのお菓子屋が沢山ありますから、これに該当するものは、きっとお店でも売ってるんだと思います。

ネットで調べても、これなのかな、と思うお菓子は確かにヒットする。

しかしなんと言っても、これは手作り。

友人のスイス人の友人の、そのまたお姉様という方が、ずうっと守って来たお家のレシピで焼き上げた、秘伝のお菓子です。

そしてそのふくよかな、奥深い味わいたるや。。

いやあ感動です。
誰か専門家にでも食べてもらって、お菓子の名前やレシピを深追いしたいなあ。


パスカルズの初めての渡仏の時に、当時のプロデューサーの地元ナンシーに行きました。

その時に見たクリスマス・パレードは、華やかなイルミネーションや立派な飾り付けにはほど遠いものだったけれど、古い街並みに深々と連なるその列は、心の基底に届く、凄みを感じるものでした。

クリスマスという物のリアリティは、こういう物なんだ、と思い知らされる様な。

遠いスイスから届いたお菓子には、そんな本物さを感じたよ。

陰影を生まないLEDライトのイルミネーションには、決して宿らないクリスマスの魂を。

ウサギ T-シャツ デビュー



こんなTシャツを創りました。

友達のやっている、西荻窪のアート雑貨店ニヒル牛の年末年始バーゲンで販売するためです。

新作デビューがいきなりバーゲンてどうなの、とも思いますが、これは全部手描き直筆、そういった品は通常大変高価な価格になると予想されますので、デビュー直後にバーゲン価格でお披露目するというのは、理にかなっているような気もします。

気になるお値段ですが、Twitterでこの作品を観てくださった方から早速の注文をいただき、その方がいくらくらいの感じです、と述べてくださったので、その値段を定価とし、バーゲンではそこからいくらか値引きしてお届けしようと思います。

購入してくださる方が値段を付けてくださるなんて、ちょっといいではありませんか。
このウサちゃんは、ラッキーな星を持って生まれたのかもしれません。

写真をご覧のように、前見頃と後身頃に、ウサギ前面、背面の絵が描かれています。
降り注ぐ花の様子が違うのは、時の経過を現しているからなのです...
なーーんていうこじつけ的物語がいくつも浮かんで来るこのウサギTシャツ、現在トートバッグ等にも描いているので、ニヒル牛の私の箱、数年ぶりに賑わうことになるかもしれません。
どうぞ是非、ご覧にいらしてください。


ところで私は昔から、漫画やイラストとなるとどうしてもウサギでキャラクターを創る癖があります。

以前講談社の青年誌で漫画を描かせていただいた際、担当をしてくださった女性の編集さんから、何故ウサギがお好きなのですか?と聞かれました。

私はその時、「ニュートラルだから。」
とお答えしたのですが、彼女がしばし目をまんまるに見開いて絶句したので、「ど、どうしましたか」と伺ったら、彼女は、「何故その動物が好きなのか、という質問に対して、ニュートラルだから、という答えを貰うことってあるでしょうか。。。」とおっしゃいました。

私はそれを聞いて、なるほど、私はすごく変な事を言ったのかもしれない、とも思ったのですが、私の記憶ではすぐに彼女が、でも、わ、わかるような気が.....します......と仰ったと思うので、そうだろう、誰だって心の中では、ウサギのことをニュートラルな動物だと思っているんだよ、だからこそ、ほ乳類なのに鳥みたいに、何羽、とかって数えるのにちがいないのだし、みんな心の中ではウサギのことを、動物みたいで鳥みたいで妖精みたいで植物みたいな、結構つぶしの効くニュートラルな生き物だと思っているんだよ、と思ったものです。

ニュートラルな生き物は、あまり好き嫌いの対象にもならないし、それ特有の強い色が無いように思うのですがいかがでしょうか。
だからこそ、完全なる自分のウサギ、という物が創れると思うのです。
まるで神のようにフレッシュに、全く新しい生き物の土台となってくれるのがウサギだと、私は思うんですね。

ところでこのように、心の中で漠然と感じていることを口に出してみると、意外に同感を得られることってあるんですよね。

先日コロラドの学校の休み時間に私が緑色の服を着ていたらクラスメイトが、「サラが緑ってあまり見ないけど、案外似合うね。」と言ってくれたので、「ありがとう。でも緑ってあまり好きじゃないんだよね。緑ってさ、植物の色だから、服などの人工物や絵の具に緑色があると、このニセモノめ、植物の真似しやがって、と思ってしまうのよね。」と言ってみたのです。

すると彼女はまさに、かつてウサギについて私が語った時の編集さんと同じ反応を示し、加えて「はあ?」と言ったのですが、その後しばらくすると、「ああ、でもわかる、わかる感じ。」と言い出し、しまいには、「なんかすっごくわかる。私も同じ事を感じていたかも。」とまで言ってくれるようになったのです。

私が彼女に感じていた、なんとなく同じ世界を見ている、という実感はこの時に更に強まり、その後も仲良しな関係を続けています。


話がそれましたが、昨夜オーダーしてくださった作家の友人が大変気に入ってくださったようなので、せっかくニュートラルな泉から生まれたこの目つきの悪いウサギを、今後様々に展開してゆく予定ですのでどうぞよろしく。

鳥と植物でも創っていますが、それはまた今度。

よろしくね!


2014年12月10日水曜日

ミステリー


本日の更新は、完全に私自身と、限られた関係者たちの為に書くお話なので、退屈かもしれません。しかもわけのわからない内容です。
と始めにお断りしておきます。


2008年の夏、私はフランスから観光で日本に来ていたパスカルズのマネージャー フィリップのガイド役として、かなり忙しい日々を過ごしていた。

フィリップは人気者なので、基本的に計画していた旅程以外に、パスカルズのメンバー達から色んなお招きを受けてもいたので、そういった事全てを計らう為に、私がロード・マネージャーみたいな感じになっていた。

ある日、パスカルズのチェロ奏者〜通称"悪い方のチェロ"〜坂本さんが、ある音楽フェスに招いてくださり、そこで渋さ知らズ・オーケストラのステージを初めて観た私は大変盛り上がり、フィリップ達そっちのけでノリまくった挙げ句、会場から出たらボディーバッグのファスナーが開いていて、財布が無いことに気が付いたのである。

私はその場で電話をしてクレジット・カードやキャッシュ・カードを使用停止にしてしまい、印鑑も財布に入っていたので通帳も無効にした。
私はどうもこういう時、自動操縦モードのようになって、考えも無く色々やってしまうのです。

だけど財布はあっけなく出て来た。
渋さ知らず ズの会場で拾った方が、フェスのオフィスに届けておいてくれたのだ。
現金も、たいした額では無いが全額そのままだった。
さすが音楽ファン、悪い人は集らないね、とその時は感動した。

とーこーろーがー。


財布に残っていたお金は、その日の交通費を払ってしまえば底をついてしまうような額であり、その日家に着いた私はハタと、自分にはむこう半月くらい以上、自分の口座からお金を引き出す術が無い事に気付いたのである。

カードも使えない。

試しに銀行に行ってみたけれど、本人の確認が出来たところで、通帳もカードも無いんじゃお話になりません、という事だった。

翌日あたりからフィリップのガイドで京都へ行く予定だったのだが、なんたって一文無し!どうすりゃいいのかわかりゃしまへん〜。

フィリップが、旅でのお金は気にしなくていいよ、と言ってくれたのだが、仮にもパスカルズのマネージャーに金を借りるわけにはいかないのではないのか、しかも相手は旅先だし、と思った私はそれは辞退。

事情を知ったパスカルズのバンマスが1万円貸してくれて、フィリップに宿を提供してくれていたBebeちゃんも、確か1万円貸してくれたはず。

京都での日々はなんとかそれでまかない、フィリップ一行を熊野の旅に送り出した後は、友人が一ヶ月細々と生活出来るくらいの現金を貸してくれたので、(友人の名誉の為に申し上げますが、彼女は「200万円くらい貸そうか?」と言ってくれたんですね。。でも、そんなに借りても返せないので、小さくお借りしましてん。)バンマスとBebeちゃんにはそこからお金をお返しして、あとはカード類が復活してくるのを待つだけ、ということで、なんとかなった。


そんなある日。

フィリップ達は熊野にいるし、久々に時間の出来た私は、家族と恒例の乗馬クラブに行く事にした。

最寄り駅で待ち合わせして、迎えに来た車に乗り込もうとした直前、今まで感じたことも無いような、すごく奇妙な、後ろ髪を引かれる、というような、なんとも言えない異様な気配を感じたのである。

すぐに家に戻りたい、戻らなきゃ!!という、ちょっとパニック発作に似た衝動を感じて足がすくんでしまったのだが、そんな事で予定を変えるわけにも行かず、なんとか車に乗り込んだ。

車が走り出して15分ほどすると、すうっとその、平たく言えば「イヤな予感」が消えて行ったので、ややホッとして乗馬を楽しみ、その後ドライブまで楽しんでから、家に帰宅した。


そうしたらですね。

棚の上に置いてあった、友人が借してくれて封筒に入れたまま放置してあったお金が、その封筒のまま失くなっていることに、気付いたのです。

既に半分は、様々な支払いなどで使ってしまっていたのですが、半分は、特に使い道も無く、そのまま友人に 返そうと思って、友人が渡してくれた緑色の、セブン銀行の封筒に入れたままの状態で、置いてあったのです。

それが、無い。

見ると、窓が開いている。

むむむ。


当時うちの近所では、空き巣が大流行りでした。

忍び込み、通帳と印鑑を持ち出して銀行でお金をおろし、その後再び侵入して通帳と印鑑を戻しておく、なんていう離れ技の空き巣にやられた人が沢山いて、注意を呼びかける貼り紙が、マンションのあちこちに貼ってあったものです。

私の部屋は、住んでいる階といい環境と言い、とても空き巣に入れる様な場所ではないのですが、離れ技の空き巣に不可能は無いのではとも思ったし、なにより思い出したのは、昼間感じた、あのなんとも言えない異様な気配でした。

あれはもしかしたら胸騒ぎってやつで、もしかしたらあの瞬間に、泥棒が忍び込んでいたのでは、と私は思いました。


それにしても、探しましたよ。

隅から隅まで。

置いてあった棚の後ろまで潜り込んで、とにかく全力を尽くして探したんです。

でも失かった。

失かったんですよ奥さん!!!


その後、しょうがないので使わなかった分のお金も勿論自分で付け足して友人に返し、なんとなく狐につままれたような気分のまま、今日を迎えていたのである。

実際その後も度々、思い当たる場所は探したし、とにかくお金が惜しいというよりも、環境的に空き巣が入れるようには到底思えない私の部屋から、物が失くなるなんていうことが信じられなかったんですね。

だから念入りに、思い当たる所はもちろん、まさかという場所まで探しました。

でも、出てこなかったんです。

6年間。



さっき、近所のカフェでちょっとお茶をして、のんきに、ポップオーバーが売ってるよ、なんていうツイートをして、そのポップオーバーを焼いてもらって家に持ち帰り、そうだ、と思い立ち、廊下の掃除をしたんです。

言っておきますが、この廊下は、6年前、あのお金が消えて以降も何度も何度も何度も掃除をしています。

その廊下の角には、旅行が多い私が、留守中溜まった郵便物を、じっくり開く時間が出来るまで留めておくラックが置いてあります。

帰国した時にポストに溜まった郵便物をそこに入れておいて、やる気になった時に全部確認して捨てる為の、仮の置き場がそのラックなんです。


封筒系の郵便物が多いので、あのお金が消えた時に真っ先に疑って探した場所であり、その後も何度も何度も、旅が終わる毎に満たされ、しばらくすると空になり、また帰国すると満たされ、またすぐに空になる、を繰り返す、敢えて溜め込まないように一番目につく所に、しかも、大変開放感のある状態で置いてある物です。

形状は、ワインのボトルを立てかけておくボトルホルダーみたいな感じで、中身が隠れない様に、箱形ではなく鉄枠の輪郭だけで出来ていて、だから時々小さい郵便物等は、脇からこぼれたりしちゃうような物なんですが、こぼれたところで廊下の床に置いてあるんですから、問題はありません。


先月の末に帰国して、それからかなり忙しかったため、その時にポストから回収した郵便物が、今回はまだ確認しないまま入っていたので、廊下の拭き掃除が終わったあとにお茶を入れ、ラックのそばの壁にもたれて座って、郵便物を一個一個、開いて破いて捨てて、という作業を繰り返していたんです。

その時、真新しい封書達に混ざって入っていたのが、これだったんですよ。。。



私の記憶では、封筒はべったり緑色だったのですが、これは縞模様。。
だけど一目見て、あっっ!と思いました。

これはまさに、6年間探し続けた、あのお金の入った封筒。。。。。

中を確認するとまさに、あの時使わないまま消えた時のままの、まったく同じ金額が、耳を揃えて入っていました。



何故。。。。。。。。。。。。。。。


何故なの

   ママン。。

2014年12月9日火曜日

ティム・バートンの世界展

ティム・バートンとのコラボ・カレーライス

私の20代は吸収の時代で、コンサートや展覧会に数え切れないほど通った。

昔は西洋の大家の作品が惜しみない量で入って来て、日本ではさほどポピュラーではない作家たちの展覧会も多かったし、展示されている絵の数もすごかった。

私が展覧会に行かなくなった理由は、自分の吸収の時代のサイクルが一旦終わったってこともあったけれど、近年行った印象派の展覧会で、作品の数と質がかなり薄かった、という印象があり、加えて入館料も反比例に高くなっていたので、なんとなく、時代が変わったんだな、と感じたのが、展覧会通いのピリオドになったような感じだった。

だけど最近、自分が更に新たなサイクルに入ったような気がするきっかけがあり、なんらかの吸収を必要としていた部分があり、そんな矢先に目に留まったのが、ティム・バートンの展覧会だった。

今までティムの作品に興味を持った事は無かったんだけど、イベント全体に惹かれるものがあって、昨日行って来た。

展覧会に入ってすぐの時には、私が絵画に求める物は、画面に描かれてある、いわゆるイマジネーションやアイディアなのではなく、あくまでも色彩とマティエールなんだな、というのを痛感してしまったことが先に立ってしまい、ティムの作品を味わうまでにかなりの努力を必要とした、というのが正直なところであった。

殆どの展示作品は小さなスケッチブックに描かれたモノクロあるいはサラッと彩色されたドローイングだったし、大きな油彩画も、色はきれいだけどまずはイマジネーションありき、というタイプのもので別にマティエールなんて関係無い、という作品だったからだ。

それがなんたってティム・バートンの醍醐味なんですから、違う物を期待したところで他の物は出てこないのであり、私のあの集中できなさ具合は全くティム・バートンのせいなのではなく、100%私の感性が場違いだっただけなのである。

で、こういう感じの絵なら実物を見なくても、むしろ画集とかで部屋でひとりでゆっくりと彼のイマジネーションと遊ぶ方が、人をかきわけて壁にかかっている小さな作品を凝視 しに行くよりいんじゃないかな、なんて思ったりもしたんです。

しかしそんな時に目の前に広がったのが、彼のポラロイド作品を集めた部屋でした。

絵画ではなく、彼のイマジネーションを具現化した世界を、ポラロイドで撮影した写真展なのですが、これは本当に、素晴らしかったのです。

色んなタイプの作家さんがいるけれど、脳内イマジネーションを具現化するタイプの作家は、絵筆にこだわる必要は無いのであり、むしろこんな風に、映像や写真という素材で頭の中の世界を表現する方が、よりストレートに何かが起こることもある、という事を、改めて実感させてくれる体験でした。

そうなればやはり、写真や映像が発明されてよかったね、なのであり、文明の発展はやはり必然なのだなとも感じます。

そしてそうなって初めて私は、ティム・バートンの世界を堪能する準備が出来上がり、改めて最初から作品を観て回り、あの豊富で個性的なイマジネーションの嵐を改めて堪能することが出来ました。

彼の作品は不気味でエッジィなのだけど、決して排他的な痛みを感じさせる、トゲトゲしたところがありません。
ある意味そこが、一流になる条件なのかな、と感じさせてくれる物がありました。

私は別に、一流にならねば価値無し、という意味でこう書いているのではありません。

ティム・バートンのような、好き嫌いの別れそうな特有のイマジネーションを持つ作家が、大金を稼げるくらいポピュラーになる可能性って、この世にどのくらいあるんだろう、って思ったのです。

多くの人が既に感じているように、ポピュラーになるならないは、作品や才能の質とは関係ありませんから、別にそこが価値を決めるポイントだとは私も思っていません。

ただ、ティムのイラストには、表面に描かれたダークでエッジィなイメージとは別に、安心して心にゆったりと受け入れる事の出来るような、なんとも言えない温もりがあるのです。

これは、いわゆる"手の温もり”とか"人間性の暖かさ”、などそういう人情的なものとは違うのでどう表現したらいいのかわからないのですが、作品そのものが、地球の深いところにある温泉から生まれ出てきたような、そういう暖かさがある、というのが一番しっくりくるかもしれません。

エキセントリックさというのは時に、キワモノ的でインパクトは強いけれど、なんだか痛ましくて刺々しい、と感じることもありますが、ティム・バートンのエキセントリックは、その色彩もイメージも、そういう利己的な領域には無いんだな、と感じたのです。

もちろん私は時々、そういう閉鎖的なエキセントリックさを持つ作品に惹かれることもあるし、だからそれが悪いとか苦手とかそういうわけではなく、なんていうのかティム・バートンの作品は、アウトローなんだけど、本質的な 意味ではアウトローではない、例えば、常識人は嫌うけれど、森の動物は好むんじゃない?的な、いわば人の世間的にはアウトローかもしれんけど、世界全体で見ればアウトローじゃないんじゃない?さがあるのであり、これは私が個人的に、すごく大事だな、と思っている要素なのです。

ティムの類い稀なイマジネーションに加えてその暖かさが、これはつまり先にも書いたように、心の温かさとかそういう人間的な意味ではないのですが、とにかくその暖かさをベースにした個性が、巨大な需要を生み出すことに繋がっているのかもしれないな、と感じたわけなのです。

何度も書きますが、作家はお金を稼げるとかプロであるとかそういう現実が才能を決めるわけではありませんから、ティム・バートンが世界で指折りの有名なエキセントリックな作家のひとりだからと言って、世界一才能のあるエキセントリックな作家だとは思いませんけれど、私は自分が大事だなと感じる要素が彼の中にあって、そんな彼の作品が大舞台で巨大な数字を巻き込んで活躍しているのを見て、なんだかちょっとホッとしたのです。

何故ならそれが、世界や人の心の、本質的な良心のように感じられるからです。
私には。

ティム・バートン監修のツリー。

2014年12月4日木曜日

ネガティブ・マージング

ちょっと興味深い事があったので、そこで感じた事を書いておこうとこのブログ投稿画面を開く。

私がここに、学校で学んでいるトラウマなどの事を書くと、元気で問題無く生きている方などは、トラウマは持っててナンボだ、などと思われるかもしれませんが、この世にはわけのわからない理由で機能を失っている方も多く、そういう方の中には多彩な情報から自分の状態を紐解く必要を感じている方も多いのです。

健康な立場の人が、耳慣れない栄養学や心理学やトラウマ学や、あらゆる多彩な情報ひとつひとつに目くじら立てるのは、それだけの余力があるという事です。余力がある人が、癇に障るというだけで新しい情報を潰しにかかっていけば、新しい可能性はまるで生まれません。

日本のSNSでは、提示された情報にちょっとでも誤りがあったり物議を醸したりすると、情報元を非難するという行為に走りがちな傾向を時々目にしますが、そういう風に情報元を叩き潰してゆくと、結局は害にも毒にもならないぬるい情報しか開示されなくなってゆくと思うのですがいかがでしょうか。

情報元はそのまま多彩なまま尊重しておいておき、受け取る側がリテラシーや探査力を高めてゆけばよいだけであり、そういった態度を高めなかった結果が、国が情報を統制する、という法律を公使してしまえることにも繋がるのではないかと思います。


なんて書きましたが、これから書くことは別にそんな、物議を醸し出す様な内容ではありません。ちょっと私的に書き留めておきたい事があったので書き留めておくのです。


ネガティブ・マージンという心理状態があります。

これは、赤ん坊の頃にお母さんといつも一緒にいた時の経験を起源にした学習パターンです。

お母さんも人間なので、機嫌の良いときも悪い時もあります。
体調が良いときも悪いときもあり、だらしないときもきちんとしているときもあります。

そういった、お母さんの中にある揺らぎを、最も敏感に感じ取っているのは、赤ちゃんです。

先日アメリカのテレビドラマを観ていたら、テーブルにきちんと座って 無心にご飯を食べている赤ちゃんを挟んで、夫婦が突然喧嘩を始めるというシーンがありました。
間に挟まれていた赤ちゃんの、途端に顔色を変えて体を硬直させる様子があからさまに見る事が出来たので、あれは演技ではなく、リアクションだな、と感じました。

酷いよね。。
生活の中でなら防げない現実かもしれないけれど、ドラマ撮影なんていう現場で生の赤ちゃんの反応を利用するなんて。

と思いましたが。

まあそれはそれとして。

赤ちゃんというものは、まだ未完全な成長中の脳に、そういった 出来事への心理的生理的反応をどんどん記録してゆきます。
大人にとっては「また始まった。。」で済む事が、赤ちゃんにとっては何もかも新鮮で強烈、初めての体験の連続なんですから、ものすごいインパクトで、脳に刻んでゆくのです。学習パターンとして。

そんな数ある記録ピースの中に、お母さんの変化、というものが入ります。
最も身近で大事な存在のお母さんに関する事ですから、かなり深く、かなり沢山、入ります。
もうそれが、基本学習パターンになってしまうくらい、入って来ます。

赤ちゃんは、お母さんに抱かれている時、大変甘美な一体感の中にいると言われています。まだ脳が、個体識別認識を出来ない状態の成長度での他者との融合は、それはそれはとろけるような、まさに溶け合うような体験だそうです。

多くの人が恋愛にそれを求めるのは、この時期の再体験を求めていると書いている本もあります。

そんな至福の体験ですから、赤ちゃんは愛着を感じます。
しかし融合している相手が神でない以上、融合状態の中でお母さんの態度が変化する事が多々あります。

つまり、赤ちゃんへの深い愛情を示していながら、例えばそろそろ仕事に行く時間だわ、と思ってさっと胸から赤ちゃんを引き離し、ベビーシッターさんに預けちゃうとか、赤ちゃんを抱えながらいきなり荒々しいエネルギーでダンナを責め始めるとか、あるいは赤ちゃんそのものに対して怒りを感じて、突然叩いたり突き放す様な行為をしたりとか。

そういう、愛情とは真逆のエネルギーを、至福の体験と共に赤ちゃんは経験するわけです。

当然赤ちゃんは不快を感じます。
しかし、その体験は已然として愛着対象であるお母さんとの融合感の中に含まれている為、赤ちゃんはその不快な体験にも、徐々に愛着を持つ様になっていってしまうのです。

脳が完成される頃には、表面的には至福な関係性を求めつつ、潜在的にはどこかでネガティブな要素が無いと、本当の幸福と感じられない、リアルと感じられない、と思う様になってゆくわけです。

幸福には不幸がつきもの。
これが、「ネガティブ(否定的な)・マージング(融合)」のトラウマ的学習パターンです。

こういう状態で成長すると、関係性の中に不健康な要素があっても、むしろそこに愛着を感じるようになってしまいます。

愛情関係や人間関係、親子関係の中に、頼り過ぎ、甘え過ぎ、支配し過ぎ、支配され過ぎ、侵略し過ぎ、虐め過ぎ虐められすぎ、エネルギー取り過ぎ取られ過ぎ、威張り過ぎ威張られ過ぎ、などの行為があっても、それはあくまでもお母さんの一部なので、絶対に手放したく無い、それを手放すのはお母さんを失うのと同じ事、という強烈なインパルスを感じてしまいます。

ここで言うお母さんとは、何も実際のお母さんだけのことではありません。
赤ちゃんにとっての至福と安全を象徴する全存在、至福の融合相手全般を意味しますから、人生全般とも言えるかもしれません。

もし人生が圧倒的に幸福な時、何か悪い事があるような気がして不安、落ち着かない、という症状が自分にあったら、このネガティブ・マージングの傷が疼いているのかもしれません。
良い事の後には悪い事がある、という体験は、脳の成長の早い時期に自分が、養育者を通して体験したものの両極性なのです。

ところでうちの学校では、臨床的にこの経験の傷が治ってゆく課程において、すさまじい悲しさと孤独を体験し、その後すっげえいい気分になるというレポートがありました。

そしてこの、すさまじい悲しさと孤独の後に、感じた事も無い様な幸福な自由感を感じるというこの状態、これはまさに、お母さんだと信じている緑石混合の融合相手を手放す悲しさと、一旦手放して独立してみたら随分楽じゃねえか、という、あっけらかんとした結果に他なりません。

もう一度書きますが、こういった人間の脳のトラウマ的要素こそが人間の面白さだ、と感じられるくらい楽しく それを応用して生きている方はそれでいいのです。

しかしもし自分が、わけも無く不本意な現状にはまっているとしたら、それにはこういったカラクリと原因があるのかもしれず、原因があるということは変更も可能であるということを、知っていて欲しいと思うのです。